第4章【蟻の蹴散らし方】

第1話

「アンリエッタ、今日も美しいね」

 馴れ馴れしく名を呼ばないでくれない? なんせ邪魔。1ソルドにもならないセリフを言っている暇があったら、とっとと脇に退いて。

 

「アンリエッタ、アストで評判の劇団が来ているんだ、一緒にどうだい?」

 だから気安く名を呼ぶんじゃないわよ。

 何が悲しくて嫌いな奴と一緒に、お金を払って胡散臭い作り話を見に出かけなくちゃいけないのよ。大体毎回毎回苦労するのよ、「世の中そんなに甘い訳ないでしょ!!」って叫ぶのを止めるのに。

「美しい悲恋の物語なんだ。健気なヒロインの純愛を君と一緒に見たい」

 しかも悲劇? ストレスたまるだけじゃない。みすみす悲劇的な状況を招くとか!って突っ込みたくなるもの。そりゃあ現実、運の悪さとかでどれだけ努力しても悲惨な状況に陥ることはあるわよ? その場合は悲劇、つまり自己憐憫に浸る前に、原因を速やかに滅殺・破壊するべきなの――そう、殺られるくらいなら迷わず殺れ! 食われる前に食え!

 

「コドリアの職人に加工させたルイエール産の青蘭石なんだが、これを君に。今度のエイベック侯爵の夜会にこれを着けて、是非僕のパートナーとして……」

 あら、高そうね。ざっと見積もって買値41,000ってところかしら? となると、6掛けで売って24,600、月給5か月分弱――見返り、間違いなく夜会だけじゃないわね?

 何よ、売る気か?ですって? 当たり前じゃない。それ以外の用なんかないわ。たまたま透明でキラキラする構造を持ってるってだけの、ただの石っころだもの、私的に。

 こういうのは本当に好きな人間が持つべきなの。好きでもない人間が身に着けたって、「私はこんなのを持てる人間です、すごいでしょ、羨ましいでしょ」って浅ましさを喧伝するだけ。なら、売り飛ばす方が健全ってものじゃない。

 そう、私的には宝石より硬鉱石! 加工しやすいのに鉄より硬くて錆びない! 多様な用途最高! 来たれ、産業振興!!

 

「アンリエッタ、君は植物を深く愛していると聞いてね、どうだい、奇麗だろう?」

 だから、何度も言わせるんじゃないわ、馴れ馴れしく名を呼ぶなっての。

 で、花束? ああ、そうね、奇麗ね。で? 食べられない、実が生らない、種も取れない切り花に何の価値があんのよ。


「スタフォード嬢。君を思うと夜も眠れないんだ。どうか僕の君への熱い思いにイエスと頷いてくれ」

 ……何その意味のない台詞。

 あんたの睡眠なんて知った話じゃないわよ。どうせ昼に頭使ってないせいでしょうが。むしろ気にかかるのは、日々嫌って程頭使って疲れてるのに、王子への恨みつらみで寝付けない私の夜よ。

 大体あんたが話しかけてきた10秒間は0.087ソルド。それが私の時間の価値よ。どぶに捨てさせないでくれる? 邪魔よ、邪魔。

 

「アンリエッタ、知的な君のことだ、書物を好むだろう。ジョーセ・リアヌの恋愛詩の初版なんだが、受けとってくれないか?」

 誰があんたに名前を呼んでいいって言ったのよ?

 本好きは本好きでも、私が好きなのは『マル秘! 私はこうして一山当てた!』とかの実用書よ。ジョーセ・リアヌの欠片も役に立たない薄ら寒い文章なら、3ページ読んだ時点で床に叩き捨ててやったわ。

 愛は金で買えない? それは本当。でも、もう真実はもう1つある――愛があったって金にはなんない! というか、金言はむしろこっちだと断固として主張するわ。最低限の金がなきゃ、愛なんて悠長なことぬかしていられる暇はない!



「ったく、暇人の巣窟ね。あの時間を労働に向ければ、経済に多少なりと貢献できるってのに資源の無駄――無駄! ああ、なんて嫌な言葉!」

 宮殿の廊下を歩きながら、アンリエッタは嫌気を吐き出す。


 社交シーズンの秋もたけなわ。王宮はアンリエッタ曰くの暇な貴族とその子弟子女でごった返していて、ちょっと部屋の外を歩こうものなら、10歩も進まないうちに誰か彼かから声がかかる。迷惑極まりない。


「あっちで馬鹿な会話、こっちで意味のない会話、やりたきゃ好きにすればいいけど、付き合わせるなって話」

 仕事でもなんでもなくただ宮殿をうろつき、人様の仕事の邪魔をするなんて、存在自体が鬱陶しい。その上何が嫌かと言えば、正当ですらない下心に付き合わされることだ。

 ちなみに正当な下心とは、身体の関係を目的とするもの。正当じゃない下心とは、情報や便宜を目的とするもの。罪は後者の方がもちろん重い。

「ああ、もう本当にむかつく。時間も手間も取られるのよ。仕事が片付かなくて、あの性悪王子に嫌味を言われるのは私だってのに、冗談じゃないわ」

 ぶつぶつと呪詛をまき散らしながら、アンリエッタは王子の顔を思い浮かべ、鼻の頭に皺を寄せた。


「相変わらず人気だね、アンリエッタ」

「トレバー」

 そこに声をかけてきたのは、メルッセン子爵家の双子の弟。昔アンリエッタと王子の側役を競った双子の片割れだ。

 側役がアンリエッタに決まった後も、彼の兄のアダムスが嫌味を言い続けてきて、キレたアンリエッタと大喧嘩した。もちろん勝ったのはアンリエッタだ。2人そろって大泣きさせた。

 その後王子のとりなしもあって、なんとか仲直りして、それが縁で仲良くなり、以来王子も含めて一緒に遊んだ間柄だ。


「人気って冗談じゃないわ。彼らが興味あるのは、“王太子付きの執務補佐官”、そうでない場合でもせいぜい男みたいな仕事をしている毛色の変わった女ってところよ」

 付き合ってられない、と言って、彼と連れ立って歩き出す。アンリエッタの向かうカイエンフォールの宮殿と、トレバーの勤める王宮図書館は同じ方向だ。

「そんな人ばかりじゃないと思うけど」

「相変わらず人がいいわね、トレバー。詐欺とかに引っかからないように注意した方がいいレベルじゃない?」

「えーと、そうかな」

(ほんと性格いいのよね。可愛げもあるし、1つ年上とはとても思えない。どっかの誰かに見習わせたいものね)

 困ったように笑う顔に親しみと安心を覚えて、アンリエッタは小さく微笑んだ。

 

「そういえば、アダムスが結婚するのですって?」

 アダムスはトレバーの兄だ。小さい頃の嫌がらせもほとんど彼のせいで、トレバーは後ろでおろおろしていただけだった。トレバーはそのせいか、ほんっとうに苦労性で、時々気の毒になる。

(……ええ、本当に嫌になるくらい身に沁みてよく分かるのよ。性悪に付き合いたくないのに付き合わざるを得ない、そんな気持ちと苦労)

 紫の瞳を思い浮かべ、我が身とトレバーを重ねると、ますます親近感がわいてきた。

「うん。だから僕もそろそろ家を出ようかなって」

「苦労するわよね、お互い生きる糧を自分で得なきゃいけないもの」

「……アンリエッタは結婚しようとは思わないの?」

「へ?」

 普段当たり障りのない話題をうまく選んで話すトレバーがそんなことを言い出したことに驚いて、思わず彼の顔を凝視した。

(あ、また困ったような顔したわ)

 悪意や探りではないと判断して、アンリエッタは警戒を解く。

「するのかしら……」

 想像がつかない。でもそれでも働き続ける気はする。

(それにしても、最近そんな話題が増えてきたのよね、嫌だわ、もうそんな歳なのかしら)

「……ん?」

 何かが引っかかって、アンリエッタは青銀色の眉を寄せる――なんで、『嫌』?

「そういうトレバーこそどうなのよ?」

 やめよう。深く考えてはいけないと警鐘が鳴った。

 こういう時は相手に話題を振り返すべし、と判断して、トレバーの顔を見上げれば、顔が曇った。

「爵位のない王宮司書官のところにきてくれる人がいれば、ね」

「そんなこと言ったら、私の方が問題ね。そもそも私を嫁に、なんて言い出すのは変態か、なんか企んでる奴しかいない気がするわ」

 (ドナウセル“元”辺境伯とか。返す返すも腹立たしい、私の可愛いルーディを汚したにっくきあの男!)

 アンリエッタは憎悪を顔に乗せる。

 

 あいつのせいで、この前、ルーディが『サディズムと征服欲の関係について』『忍耐はサディズムの形成に寄与するか?』などと質問してきたのだ。

 心理学に興味を持ったと思えば、喜ばしいと言えなくもないけれど、実の姉にそんな質問をする11歳……。可愛い弟の姿を目に焼き付けるための先日の里帰りは、視界が涙で滲んでその目的を果たせなかった。

(なんて切ないのかしら……? すべては貧乏とあの性悪が悪いのよ。あいつ、5,000ソルドの対価に私の純情を奪っただけでは飽き足らず、ルーディまで汚す気なの! あれを悪魔と呼ばずに何を呼べって言うの!?)

 王宮の自室で、王子の部屋との境の壁を蹴りながら散々呪詛を叫んだというのにまだ飽き足らず、アンリエッタは心中で再度主君を罵る。

 

「そんなことはないよ」

「? どうかした?」

 突然立ち止まったトレバーを振り返れば、いつになく空気も顔も硬い。

「アンリエッタ、その、僕は」

「……うん?」

(まさか話の最中にあの悪魔の顔を思い浮かべて、心の中で罵っていたのがばれた?)

 気まずさに顔を引きつらせたアンリエッタは、トレバーに真剣な様子に、思わず息を殺した。

 

「アンリ!」

「っ!」

 遠く、廊下の向こうから響いた声に、アンリエッタはぎっとまなじりを上げた。銀の髪を揺らしながら、背後をばっと振り返る。

「アンリエッタ!!」

 何回言ったらわかるわけ!? この性悪馬鹿王子!!

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