第3話
(なんか僕って馬鹿みたい……?)
天蓋つきのベッドの中、カイエンフォールは寝返りを何度も打って、ごろごろと転がる。
部屋の窓からは透明な月明かりが差し込んできていて、その色になんとなくアンリエッタの髪を連想してしまった。奇麗だなと思ったところで、眉をしかめる。
(会っている間、終始アンリエッタのペースだったのに、今ですら負けてるみたい)
あの後だってそうだ、一緒にお茶をしてる間も、あれは何だこれは何だと聞きまくってきて、それに答え終われば、即次の質問。お茶が終われば、アンリエッタが見つけたあれこれに付き合わされ、引っ張りまわされ……で1日終わってしまった。
(これじゃ、駄目だ。イゲンとコケンに関わってくる。この先ずっと一緒に居るんだから、どっちが上なのかはっきりさせておかないと――)
「……よし」
ベッドの上でそう結論を出して、カイエンフォールはむくりと起き上がった。
サリナに強制的にベッドに入れられてからもう3時間。夜はすっかり更けた。真夜中だけれど、真っ暗だけれど、アンリエッタの部屋はすぐ横だ。
(訪ねて行って、今度こそはっきり言ってやる……!)
カイエンフォールはそう決めてガウンを引っ掛けると、静かにドアを開けた。
廊下のそこかしこに掲げられた明かりが眩しくて、思わず目を瞑り、次に目を開けた時、目の前にいたのは、護衛の近衛騎士のキーンだった。
「殿下? どちらへ?」
まずい、と思った。他にも護衛はいるけれど、近習としてアンリエッタのように選ばれたキーンだけは、媚びてこない。それどころか、サリナやクラーク先生のように、面と向かって注意してくることもある。
「ちょっと……」
「ちょっとでは分かりません」
そういうところが良いと思ったのに、今回は困った。
「……と、隣の部屋に」
やはり誤魔化されてくれないキーンに、居心地悪くなりながら、もごもごと答えると、キーンは軽く眉を上げてから、ほっとしたように笑った。
媚びてこないから困ることもあるけど、こういうとこはやっぱり嫌いじゃない。
「入り口までお供します」
いいよ、子供じゃないんだから。すぐそこだし、と思ったけれど、口には出さなかった。
人気のない廊下に2人分の足音が響く。
アンリエッタの部屋の前まで来て、ごくりと唾を飲み込んでから、扉をノックした。
「……?」
しばらく待ってみたけれど、返事がない。
「寝てるのかな?」
そうだとしたら、起こして文句を言おうだなんて、いくらなんでもひどいかも。
「……それはないと思いますよ」
横にいるキーンの顔を見上げてみれば、彼は苦笑している。
「彼女にとっては、まったく知らない場所ですからね」
はっきりとは言わないが、彼の目が中に入ることを促しているように見えて、カイエンフォールは目の前のノブを思い切って回した。
――真っ暗だ。でも奥の方から何か小さな音が聞こえる。
「うっうっうっう、ふえ、う、」
「アンリエッタ……?」
(……泣いてる)
なぜだろう、ひどく焦ってしまって、カイエンフォールは奥の寝室に急いで近づいた。
「ええと、入るよ……?」
びっくりさせてはいけない気がして、ゆっくりとドアを開けた。暗がりにようやく目がなれてきて、天蓋のないシンプルなベッドの片隅に、シーツを被って丸まる小さな塊を見つけた。
「アンリエッタ?」
もう一度声をかけると、その塊がびくっと震えて、シーツの中からアンリエッタがもぞもぞと顔をのぞかせた。
近寄っていって、脇の台に備え付けられている小さなランプに明かりを灯す。いつもサリナや他の侍女がするのの、見よう見まねだったけど、なんとかうまくいってほっとした。
「……」
黄色味を帯びた明かりに照らされて浮かび上がったのは、アンリエッタの白い小さな顔と、潤んだまま真っ赤になった目。それから、こすったのか同じく赤くなった目元と、ぼさぼさになって光に細く光る銀の髪、ぎゅっと引き結んだ小さな唇。
「アンリエッタ」
どうしていいか分からなくて、困ってまた名前を呼んだ。
(こんな予定じゃなかったのに……)
「……怖いの?」
なんで泣いているのかと思ってそう言うと、じぃっとこちらを見ていた瞳から、一度止まっていた涙がまたポロポロ流れ出して、ぎょっとした。
「えと……その、大丈夫、だよ」
ぎこちなくアンリエッタの頭に手を載せる。嫌がられていないようだったから、おっかなびっくり頭を撫で始める。
(だからそんな予定で来たんじゃなかったのに……)
でもアンリエッタがまた泣くのを止めたことに、なんだかほっとした。
「……僕が一緒にいるから泣かないで」
もう泣いて欲しくないな、と思った直後にぽろっと零れた言葉に、アンリエッタは目を丸くする。
ここに来るまですっごくむかついてたはずなのに、こんなはずじゃなかったのに、と思うのに、それを見たらなんだか全部どうでもいいことに思えてきた。
もっと安心して欲しくて、アンリエッタの小さな手をとって、それを両手で包む。
「ほら、平気でしょう?」
かけた言葉に、アンリエッタは赤い目のままだったけど、とても嬉そうにふわりと笑った。
それがすっごく可愛くて、嬉しくて……それで手を繋いでそのまま一緒に寝たんだ。
次の朝には、腫れぼったい目蓋をしたアンリエッタが、「おはよう」ってそれでもにっこり笑う。それを見たら、今日はきっと特別になるって気がしたんだ。
それで、その日の夜。
やっぱり特別な日になった、予想が当たったと思いながら、幸せな気分でベッドに入った。新しく見付けた、『きっとこんな特別な日がずっと続くんだ』という予感も一緒に。
そう、その時は夢にも思わなかった――“楽しい”にも“特別”にも色々、本当に色々あるらしい、と身をもって思い知らされる日々が、その先延々と待っているとは。
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