第2章【狸のいなし方】

第1話

 ミドガルド王国第1王子付き執務補佐官、自称“誠実で謙虚で真面目、勤勉で倹約家なのに、苦労の耐えない、か弱くてかわいそうな”アンリエッタ・スタフォード。

 18になった彼女が、毎月受け取る大事な、大事な月給5,000ソルドについてまわるのは、何も雇い主の性悪王子だけではない。




 季節はうららかな日差しと風に、花々が踊る春爛漫。

「……」

 石造りの円柱が延々と立ち並ぶ本宮殿の廊下を足早に歩いていたアンリエッタは、ふと足を止める。そして、脇の庭園に咲き乱れる美しい花々を眺め、目を細めた――どれもこれも食えやしない。

「なんってスペースの無駄」

 アンリエッタは歯噛みしながら、再び歩き出す。 

(トマトは言わずもがな、キュウリにナス、エンドウ豆、ニンジン、キャベツ、ホウレンソウ、春小麦――農園、私に農園さえあれば、今頃は……!)

 そう、アンリエッタの野望、一戸建て付き農園のための頭金はまだ貯まらない。


「げ、ギルバートとゾットー……ああもう、何もあの性悪王子に会う前から、朝の爽やかさを減じてくれなくてもいいのに」

 行く先に、嫌な雰囲気でニタニタ笑っている顔見知りの中年貴族2名を見つけ、アンリエッタはまた立ち止まると、息を吐き出した。


 彼らとしては“情報交換”をしているだけのつもりなのだろう。だが、「噂ですが」とか言いながら野心と他者への悪意を垂れ流している姿は、アンリエッタからすれば、厳然たる不要物――身も蓋もなく言えば、ごみだ。再利用の余地は限りなく少なく、かといって放置すれば腐って臭い出し、最悪疫病のもとになったりするので、速やかに焼却処分しなくてはならない。

 けど、そうするのが私でなくてはいけないことわりは無いはず、とアンリエッタは自分を納得させた。ただでさえ今は忙しいのだ、その辺はきっと5,000ソルドの範囲外に違いない。

(ああ、でも燃やすのは燃やすので、快感……。うふふ、いいことを思いついちゃった。王子に耐えかねた暁には、業火の中に叩き込んで差し上げましょう。ごみの処分と私のストレス解消、一挙両得という奴よ、なんてお買い得)

 爽やかに、自分勝手かつ理不尽な結論をつけると、アンリエッタは資料に目を落としているふりをして2人の横を通り過ぎ、

「これはこれはスタフォード殿。ご機嫌麗しく」

 ……損なった。

 ちっ、麗しくなんかないわ、と内心で舌打ちする。嫌悪を露骨に出せなくてストレスが溜まっていくのも、可哀想な勤め人の定めだろう。

 ああ、痛ましきは雇われの我が身……とか、それこそ時間の無駄だったわ。無駄! 嫌な言葉!

 

 アンリエッタは仕方なく、11年もの宮殿暮らしで培った、『強欲&面の皮極厚貴族対応マニュアル』を引っ張り出すと、作り笑いを顔に浮かべた。


「あら、お久しぶりです、ギルバート伯爵、ゾットー子爵」

“マニュアルその1. 内心を押し隠し、挨拶には、にこやかに定型どおりの挨拶で返す”

 なお、無視しようとしていた場合は、いかにも「今気付きました、てへ」みたいな演技を忘れてはいけない。ついでに、相手の表情(顔ではない)がいかに見苦しくても、そこは顔や態度に出してはいけない。

 

「相変わらずお忙しいそうですなあ。王太子殿下付きの執務補佐官ともなれば、お仕事も膨大、さぞかし大変でしょう」

 大変なのは仕事じゃないの、あいつそのものなの。

「精一杯努めさせていただいております」

“マニュアルその2. 内心を押し隠し、可能な限り「はい」も「いいえ」も回避。揚げ足を取られる”

 

「王太子殿下と言えば、殿下もまさにお年頃ですなあ、ご結婚はいかがなお話になりそうですかな」

 白々しいですよ、ギルバート伯爵。知ってるわよ、ご自分の娘が王妃に相応しい品格と教養の持ち主だって吹聴して回ってるんですって? この前の夜会で、子爵家のデビュタントの子にワインをひっかけて嘲笑ったっていうあの子でしょ? 親馬鹿もそこまでいくと失笑ものだっての。

「本当にどうなのでしょうね」

“マニュアルその3. 内心を押し隠し、答えに窮する質問はただ反復する”

 

「結婚と言えば、ギルバート伯爵、とても美しいと評判の方を見事お射止めになったとか」

 ええ、確かに評判よ、娘と同じ年頃の男爵の娘を、犯罪まがいで稼いだ金に物を言わせて嫁がせたってね。醜いのは表情だけじゃなくて、根性もなのね。相手の方に心底同情するわ。

「ご結婚おめでとうございます」

“マニュアルその4. 内心を押し隠し、同じ単語を拾って相手の話題にする。相手が満足する内容ならなお可”

 

「いやいや、美しいと言うほ」

「ご謙遜を」

 いい度胸じゃない? そんなふうに無理強いしておきながら、ここにきて貶そうって言うの? ――決めた、いずれ炎に蹴り込んでやる。

“マニュアルその5. 内心を押し隠し、会話を広げる隙を与えないようにする。話が蒸し返される可能性が生じるし、何より時間の無駄”

 

「来月の夜会を楽しみにしております。ぜひご歓談の機会をいただきたいものですわ」

 うふふ、お近づきになりましょう、ギルバート伯爵。計画の遂行にはまず情報がいるの。仲良くなって、弱点を探り出して、いい気分にさせて――気づいた時には火の海よ? 大丈夫、奥方さま“だけ”は避難させてあ・げ・る。

“マニュアルその6. 内心を押し隠し、近い将来の予定を振って、そこに思いを馳せさせる。その隙をついて脱出すべし”

 

「では、私はこれで」

“マニュアルその7. 内心を押し隠し、別れ際にはにっこり笑って善意・無作為を装う”

 

「ああ、お待ちを」

 アンリエッタはゾットーの声に、踏み出していた足をやむを得ず止めた。

 ちっ、これだから複数いると厄介なのよ、などと笑顔の裏で舌打ちしながら、アンリエッタはにこやかにゾットー子爵に向き直る。

「例のハドルド地方セゲン領の監督官の後任については」

 市場を無視して作付け品目を勝手に決めて農民たちに押し付けた挙句、現領地の経済をボロボロにしたあんたみたいな無能じゃないことだけは確かよ。何夢見てるわけ?

「殿下の『専権』事項ですので」

“マニュアルその8. 内心を押し隠し、面倒くさいことは目上の名と権力を持ち出して回答を回避。恨みを買うのも下手に取り入ろうとされるのも避ける”

 

「では、私はこれで」

“マニュアルその7. 再度別れ際にはにっこり笑って善意・無作為を装う”

 

 だけど、このマニュアル、どれもこれも通じるのは、相手が自分を同じ人間と認めている場合のみ。

 そう、善良で良識ある人はみな知っている――いつか顔面を足の裏で二度踏みしてやると決意したくなるトラブルは、他者を人間扱いしない相手との間にこそ起きる、と。


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