閑話休題【月給3000ソルドの稼ぎ方】

第1話

 小さな庭で、小さな影がせっせと動いている。

 

「こうしてくぼみをつけて、そしたら肥料が流れて行き難くなるから」

 本来は美しいのであろう、青銀色の髪は泥だらけ、枯れ葉まみれ。白い指先のピンクの小さな爪は土だらけ。白磁のような卵形の小さな顔の頬は、作業に夢中になっているからだろう、ほのかにピンクに染まっている。

 その中でも一際目をひく、青のような緑のような不思議な色合いの大きな瞳が、ふっと細められた。

「……」

 その視線の先には、何年も前に植えられていただろう、ダリアの子孫がヒョロヒョロと芽を伸ばしている。

 誰にも顧みられることなく、だが、それでも確実に生命を紡がんと懸命に生きる花――。

 女の子は、無言でそれに近づくと、妖精もかくやという可愛らしい笑みで、ふわりと笑った。そして、その可憐な花にそっと小さな白い手を差し伸べる。

 

 ズボっ。

 ポイっ。

 

 引っこ抜いて投げ捨てる。

「ち、食べれない物を養う余裕はこの庭にはないのよ」

 

 再び屈んで作業に戻った女の子の脇には、今や彼女の背を追い抜かんとするほどに青々と茂ったトマトが、支柱に支えられて立ち並んでいる。

 葉腋から伸びる花序には、見事黄色い花が咲いていて、あとひと月半もあれば赤い果実となって、女の子――アンリエッタの胃を満たしてくれるはずだ。

 だけど……、

「そ、そんなに待ってたら絶対に死んじゃうわ」

 ぐうぅと鳴ったおなかを抱えて、アンリエッタはよろめいた。

 


 肥料をやり終わり、親の敵をとるかのように雑草を根こそぎにしたアンリエッタは、土だらけになっていた顔と手を庭の井戸でざぶざぶと洗って、はずしていた麦わら帽子を拾った。

 

 視線を上げると、屋敷の一階、窓向こうの母と目が合う。

 光の当たった金色の髪がとても綺麗で、それから優しそうに笑ってくれるのが嬉しくて、アンリエッタはにっこりと笑い返して、手を振った。

 あまり丈夫じゃなくて、よく寝込んでしまう人だけど、今日は気分がいいらしい。


 それから、こっそりと眉根を寄せた。

 来年にはお姉ちゃんよ、とその母と父に言われたのは昨日の話。つまり――あの細いおなかの中に弟か妹がいるということだ。

「でも、それって……ピンチってことよね?」

 なさそうなのだ、お金が。どっからどう見ても。どう考えても。

 なさそうなのだ、食べ物が。だって、庭の畑の収穫はどれもこれももうちょっと先だ。

 なさそうなのだ、お父さんにもお母さんにも経済観念が。どれだけ論文や本を書いたって、哲学なんかじゃこのご時世食ってけないってのに。

 まずくないかと思い切って父に聞いてみたら、「大丈夫。子供が心配することじゃないよ。アンリエッタは優しいね」と微笑まれた。そこで子供のくせにって怒らないところは好きだけど、去年トマトを枯らす前にもそう言っていたことを考えると、微妙に信用できない。

 

 余計なことはしないように言い含めつつ、父にジャガイモ畑の手入れを言いつけた後、アンリエッタは無駄に大きい、錆だらけの門扉をこん身の力でこじ開けて、今や幽霊屋敷と呼ばれる、全く手入れのなされていない館を出る。

 10歩歩いてその外観を見て、今日何度目か知れないため息をついた。

 濃い灰色を基調に立てられた、蔦の絡まった石造りのこの屋敷は、調べたところ250年ほど前に流行った様式で建てられていて、それなりに歴史的価値のある建築物ということになるらしい。王都の真ん中で結構立地が良いこともあって、結構な値段がつくらしい。

 なんで崩れないのかしら?っていうほど目立つひびがちゃんと補修されていて、雨漏りしなくて、隙間風が入ってこなくて、床がぎしぎし言わなくて、ちょうつがいが錆びているせいでお父さんがいないと入れない部屋が5つもなければ、という条件付だけど。

「あーあ、30年位前、まだ手入れが出来ている時に売り払っておけばよかった」

 もちろんその頃アンリエッタは生まれていない。父だって影も形もない。

 

 屋敷から遠ざかるにつれ、段々賑やかになっていく街を歩きながら、打開策を考える。もちろん視線は地面に釘付けだ。1ソルドでも落ちていればめっけものだ。

 

「弟か妹と、ご飯……どうしようかなあ。それに、お母さんにも栄養、もっといるわよね?」

 お父さんには期待できない。信じられない話だけど、昔はうちも豊かだったらしく、彼は根っから世間知らずの“おぼっちゃん”だ。

 父の昔からの知り合いだという商店街の町主さんに言わせると、「頭も気もいいんだけどよお、学者馬鹿ってやつだもんなあ」――あたっていると思う。


「困ったわ……」

 当面の問題を考えると、眉間にどんどん皺が寄っていく。


 解決案その1――何かを売る。

「駄目ね、目ぼしい物は全て売り払ったわ」

 残るはあの学者馬鹿な父が後生大事に抱えている本の数々だけど、あれはアンリエッタも価値があると思うから、最終手段。なんと言っても古書だから、時間が経てば経つほど価値が出る。

 解決案その2――働く。

「給料のいい仕事っていうと、官僚、家庭教師、娼婦……でも、この世のどこに7歳児を雇う人間がいるっていうのかしら」

 いや待て、世の中には変態がいるから、幼児じゃなきゃって奴もいるかも。

「うーん、そうなると娼婦の線はいける!……かもしれないわ。でもそんな変態って絶対まずいわよねえ」

 そんなことはアンリエッタにだってわかる。

 

 見た目妖精の7歳児が、金、娼婦、変態などという単語を連発している光景を、周囲が絶句して二度見するが、当然そんな視線はアンリエッタにとってはどうでもいい。

 見るなら金を取る、と脅してみてもいいのだが、こんなちっこさでは鼻で笑われてきっと終わりだ。

「く、早く大きくなりたいわ」

 

 

 そうしてアンリエッタは図書館前の掲示板にたどり着いた。夏の強い日差しに、張り出された白い紙が反射して眩しい。

 その紙の1枚1枚をアンリエッタは食い入るように見つめた。その紙の中には時々な美味しい話が転がっているから、それをうまくすればしばし糊口を凌ぐことが出来る。

 

「ふむふむ、売り買いの案内、手伝い募集、ボランティア、は論外……」

 父の側に張り付いているうちに覚えた文字を追うアンリエッタの目に、ふと豪勢な飾り文字で書かれた文書が目に入った――知っている、これは公示というものだ。

「ええと……」

 さらっとその内容を読む。

「……」

 無言になって、目を眇め、端から端までもう一度。

 目を見開いて、一言一句舐めるようにさらにもう一度。

「これよっ」

 掲示板にびたっと張り付く7歳児。その頬は年齢に相応しく赤く染まっていて可愛らしい。

「ご飯の種っ」

 そんな台詞が後に続くのでなければ。

 

 さらにもう一度読んで、アンリエッタは全ての内容をさっくり暗記。当然だ、紙やペンを使うゆとりは彼女の家にはない。

 そうして、アンリエッタは目にも留まらぬ速さで家へと舞い戻った。


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