第4話

 老師の書斎へと招かれ、ひとしきり王子のことを愚痴ったアンリエッタは、少し落ち着いて執事が運んできた紅茶に口をつけた。

 その部屋は、窓以外が天井に届く本棚で覆いつくされている。古い本の放つ香りに、アンリエッタは父親の書斎を思い出す。

 老師宅のものに負けないくらい古い、とても貴重な本の数々――は、あの性悪王子に耐えかねて辞表を叩きつけることになった暁には、父が泣こうが叫ぼうがもちろん売り払う予定だ。これも当然、売り先の目星も既につけてある。

 

「さて、アンリエッタよ」

 いつものように飄々と笑いながら、アンリエッタの繰言を聞いていた老師の空気が、それを合図に引き締まった。

「先週の襲撃に用いられたあの毒じゃがな、やはりお前さんの見立てどおり、マレドナじゃったわ」

 そう言いながら、老師は数枚つづりの紙を向かいのソファに腰掛けているアンリエッタへと差し出してきた。

 その書類にざっと目を通して、記された数値に思わず青ざめた。単位を2回確認する。

「精製度62%?」

 かすっただけであの世行きだ。それだけじゃない、マレドナは精製度50%を超えれば、生成中の蒸気で人が死亡するはず。

「原料のことを考えても、まあ、ルイエール公国産じゃろうなあ」

「ルイエールならあり得なくもないでしょうが……」

 ルイエール公国は専制君主による恐怖政治下にある北の国で、鎖国状態にあり、その国情は凄惨窮まるという。あの、民の命を使い捨てぐらいにしか思っていない国、しかも生成に必要な高品質のガラスを特産とする国であれば、あるいはこの数値にも頷ける。

 けれど、ルイエールとミドガルドは国境も接していなければ、交流もない。となると……。

「ルイエールはメゾポナ国とは国交がありましたね」

 メゾポナ――この国の第2夫人の出身の国で、現メゾポナ国王は第2夫人の従兄にあたるはずだ。 確かに第2夫人ともども、第1夫人の子であるカイエンフォール王太子を疎んでいてもおかしくはないけれど……。

「うむ。先月にもルイエールから使節団がメゾポナ入りしとる」

「テイラン国との国境紛争が片付いて、メゾポナはこちらに注意を向ける余裕が出来た、ということでしょうか」

 ルイエールでしか生産し得ない毒をメゾポナが入手し、それをもってカイエンフォールを亡き者にする。そうすれば5人いる王子の内、年齢的にも立場的にも、第2夫人の子である第3王子が太子になる可能性が高まる。

「……最悪」

 そう考えてげんなりしつつ、アンリエッタは呻き声を漏らした。

 あんな馬鹿丸出しのガキ(といっても2つ年下なだけだけど)に国を任せたら、ミドガルドは5年以内に侵略されて終わり。他の王子にしても似たり寄ったりだ。

 カイエンフォール第1王子は、個人的には毎夜毎夜、夢の中で幸福感に酔いしれながら首を絞めているような相手だけど、彼ならこの厄介な国を何とかもたせていける。

 あんな根性の悪い奴しかいないなんて、なんて悲しい国なの、私って不幸、と真剣に心の奥底から全力で嘆いてもいる。

 

 と、それはさておき――いえ、王子の性格の悪さは個人的に大問題だけど、お給料の見返りとしての義務に忠実な私は、ちゃんとすべきことをするの――とにかく何か引っかかるわ、とアンリエッタは顔をしかめた。

 まず、あのおっとりした、と言えば聞こえはいいけど、ぼんやりとした第2夫人がわざわざそんな企み事に乗るだろうか? 彼女の頭は基本的にお花畑で、難しいことは嫌い。その時その時自分が楽しければいいような方だ。趣味は、お茶会や夜会で着飾ってのたわいないおしゃべりと、最初の子供である第3王子の猫可愛がり。

「そういえば、メゾポナとテイランの国境紛争は、最後メゾポナの大幅な譲歩で終わったんですよね」

 アンリエッタは頭の中から現メゾポナ国王の経歴、施策を引っ張り出す。

「老師、現メゾポナ国王にお会いになったことがありますか?」

 その問いに、好々爺の笑みで老師がにっと笑った。

「まあ、会った印象もお前さんの疑念を裏付けるようなもんだったのう」

 気の弱い、事なかれ主義の男じゃった、と付け加えて、彼は冷めたお茶を口にした。

 

「なるほどね……」

 その彼が、わざわざ刺客を送ってまで他国の後継者問題に絡もうとするだろうか。

 答えはおそらく否。

 となると、これは他国の謀略という線も考えてみなくてはならない。そもそもこれ見よがしにルイエール公国産と特定できる毒を使っている辺りが怪しいのだ。暗殺に用いる道具は、基本的にどこにでもあるもの、もしくはその場にあるものでなくてはならない。

 

「1回大陸中の国を訪問してみようかしら? 主要人物に一度会っておけば手を誤る可能性はぐんと減るわよね……」

 アンリエッタは誰に聞かせるともなしにそう呟く。

 10年前、同じ年のカイエンフォール第1王子の側役として宮殿に上がってからというものの、王子と一緒にあらゆる教育を受けた。3半前に王子が政務に携わるようになってからは、その執務補佐をしているけれど、その際に受けた教育のおかげで、知識に関しては問題ないはず。

 でも外交は人の関わるものだから、鍵となる人物たちの人格をきっちり把握しておくのに越したことはない。

 そう考えて、長く息を吐き出した。

(そうすれば少しはカイの負担も……)

「……単純に雇い主の心配をしているんです」

「何もゆうとらんがの」

 老師の口元が緩んでいるのを見ない振りして、気を取り直し、ぶつぶつとアンリエッタは呻き続ける。目の前の茶から湯気が立たなくなって既に久しい。

 

(ええと、国境紛争を解決して余裕が出来たのは、メゾポナ国もテイラン国も同じなわけよね?)

 だが、気の弱いメゾポナ国王の大幅な譲歩によって、テイラン国のほうは勢いづいたのだろう。さらなる利益をメゾポナから得んと画策し、ミドガルド国の後継者争いに目をつける。

 メゾポナ出身の第2王妃とその子第3王子には表向き、ミドガルド貴族出身の第1王妃とその子第1王子カイエンフォールを廃そうとする十分な動機がある。

 テイラン国としては、第1王子の暗殺に成功する必要は必ずしもない。メゾポナがミドガルドの王位継承問題に介入しようとしたとミドガルド側に認識させればいいだけ。それでミドガルドとメゾポナの間に戦争でも起これば万々歳。ミドガルドと協力してメゾポナを挟み討ちにするもよし、メゾポナにくみして恩を売りつけるもよし。両国をただ疲弊させるというのも悪くない手だ。

「第1王子の暗殺に成功した場合は、第2王子あたりに目をつけてるのかも知れないわね……」

 第2王子の亡母はマーリナ公国出身だが、色々問題を起こし、彼の国と疎遠になった。現状、彼の後ろ盾はないに等しい。テイランは彼を支援し、メゾポナを後ろ盾に持つ第3王子をも追い落とすつもりではないか。

(いずれにせよ、狙いはうちの国の疲弊と硬鉱石……となると、第2王子の周辺も探っておかないと)

 そう考えれば、最初の刺客の中に射叉のような妙な形をした武器を持っていた者がいたことにも説明がつく。記憶が確かなら、テイランの山奥の少数民族があんな武器を使っていたはずだ。

 

「それで、今日はこれからどうする?」

「予想通りというか、今日も狙われていますからね。おびき寄せて生け捕りにします。第9部隊をこの辺一帯に散らせていますので、抜かりはありません」

 長く息を吐きながら、老師がソファの背へと身を預けた。その拍子に、皮製のそれは小さな音を立てる。アンリエッタは手元の書類を揃え、淡々と彼に応えを返した。

「それで証拠があがればそれもよし、無ければ無いで、テイラン国の本物の間者について目星があるので、それを捕らえてそこに紛れ込ませます」

 そして、老師へとにっこり微笑む。メゾポナ側の刺客に仕立て上げてもいいけれど、事が事だ。第2夫人の失脚ともなれば、こっちの国内情勢も不安定になって、面倒だ。


「でもせっかくなのでテイランだけでなく、メゾポナにもちょーっとだけ巻き添えをくらってもらいます。もちろんこちらに都合のいい事実を添えて」

(ああ、素敵。一石二鳥という奴よ、なんてお買い得な響き!)

 けれど、魅惑の言葉にうっとりしたアンリエッタとは対照的に、老師は年季の入った皺だらけの顔を曇らせた。

「餌はお前さんだな」

 無表情に頷いてから、アンリエッタは心配してくれている師を安心させようとにやりと笑ってみせた。

「適役でしょう?」

 王子と同じ銀の髪、色は違うものの、ぱっと見の印象は一緒の青っぽい瞳。

 10年前、本来同性が務める筈の側役をアンリエッタが賜ったのはそういう理由――つまりはいざという時の身代わりのためだ、王子の。

 しかも、代々学者か文官しか輩出していないくせに、無駄に背の高い家系の遺伝は、アンリエッタにも顕著に現れた。伸びるなと何度願ったか分からない女性にしては高めの身長だって、まさにうってつけ。


「殿下のためにそこまでのう」

 思わずというように言葉にしてから、老師は珍しく「しまった」という顔をした。その彼に、アンリエッタは「うふふ、手遅れというものですよ、老師」と、にこやかに極上の笑みを浮かべて返す。

「ふふふふふふふふふふふふ、大丈夫です。何があったって、何が起こったって、“絶対”“死んでも”、あんな奴なんかの為に死んでなんてやりませんから」

「……そう、じゃな、お前さんになんかあれば、殿下もさぞか」

「うふふふふふふふ、その殿下に私、念のためと確認した遺族年金を、この上なくにこやかに拒否されたんです」

「……必死のフォローをしようとした年寄りの前で、そんな暗い声で笑うのはよしてくれんかんのう」

 顔を引き攣らせた老師に、アンリエッタは一層笑みを深める。これが笑わずにやっていられようか。

「そうよ、誰が、あんな奴なんかのために、我が身を犠牲にしたりするもんですか……っ」

 ルーディ、見てなさい。姉さん、あんたの健やかな未来のために、石にかじりついたって今日を凌いで見せるからね……!

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