第10話 手紙

「サトル君、一体何処へ行っていたんだ?」

施設へ戻るとシロガネに問い詰められたが、サトルは適当に返す。

「いいじゃない、こうして今ここにいるんだから。それよりさ、シロガネのお兄さん前に言ってたよね?ここの家族を一人も失いたくないって……」

「あぁ。」

「そこに僕は含まれるのかな?」

「何を今更言ってるんだ?サトル君も僕の大切な家族だよ。」

「そっか……ありがとう。それを聞いて安心したよ。」

今頃下では専門家達によって今回のサーバーダウンの原因にサトルが関わっている事が明らかにされているだろう。

原因不明にする事も出来たが、サトルはわざと自身が起こしたという証拠を随所に散りばめた。

それがわかれば下の人間も容易に浮遊地には手が出せなくなる。

こうしてサトルは下の人々の脅威となった。


月日が経ち浮遊地はクリスタルの恩恵とエーアイシンプトンズにより、ますます発展を遂げている。

サトルは時折クリスタルの意思を読み取っては浮遊地の発展に力を貸した。

シロガネは芸能の道から退いて浮遊地のリーダーとなり、下と上のバランスを取り続けている。

シロガネの話ではサトルが起こした事象は国民には知らされずに政府の重要機密になったそうだ。

勿論、浮遊地に於いてもそれを知る者はシロガネとタイキとサトル本人のみである。

いつまたサーバーを破壊されやしないかと政府はサトルを罰しない代わりに下の地へ足を踏み入れる事を禁じた。

これはシロガネと政府との交渉の結果だ。

勿論、サトル本人は下の全てのコンピューターを掌握しているのでもう行く必要はない。

タイキは相変わらず施設の職員として職務を全うする日々を送っている。

しかし、この先浮遊地ではエーアイシンプトンが産まれたとしても両親から引き離す必要はないので児童養護施設も今後は需要がなくなっていくだろう。


「おーい、みんなー!転ばないように気を付けてー!」

庭のベンチに腰掛けたタイキが子供達を見守っている。

そんなタイキの背後から声がした。

「やぁ。タイキ、今日は暑いね。」

「あぁ。サトル、おはよう。ハイロもおはよう。」

ミャアとハイロも返事をする。

「タイキ、知ってる?今日みたいな日は気持ちがいいけど、あんまり日差しが強すぎてもダメなんだ。」

たまに当たり前の事をさも確認するように聞いてくる。

「あぁ、勿論知っているよ。サトル程じゃないけどね。」

ハイロを抱えたサトルが隣に座る。

「ね、タイキ。どうかな?この住み分けが上手くいっているこの状況は……悪くないだろ?」

「うーん……そうだな……そうとも言えるし、そうでもないとも言えるかな。」

「どういう意味?」

「うん。僕はさ、園長先生が言うように本当は区別のない世界が理想なんだよね。あまりこの隔たりが広がっていくのも良くない気がする。だから園長先生は下との交流を常に大切にしているんだ。」

「ふーん……僕にとっては下なんてどうでもいいけどね。」

「そう言うなよ、サトル。あっ!そう言えばさ、その……サトルは今でも消えてしまった人達を……ほら、そこの桜の花となんら変わらないと思っているのか?」

タイキが指を差した先には青々とした濃い緑の葉が見える。

「そうだね。」

「前にさ、人の……その……死について僕が質問をした時に今は言うべきじゃないって、はぐらかしただろ?覚えている?」

「うん、勿論。一度話した事は忘れないよ。」

「でさ……今ならその答えは聞けるのか?」

「さぁ、どうだろうね。でも近いうちに話す時は来そうだな。」

いつもどこか他人事のように言うのはサトルの癖なのだろうか。

「そうだ、タイキ。せっかくだから今話そうか。」

気が変わったのだろう。

サトルは突然こんな事を言い出した。

「あのさ、タイキは人の死って何だと思う?」

「何って……それは……いずれは訪れるものかも知れないけれど……基本的には避けるべきものだと思っているよ。それに今の生が尊くて大切なんだと認識する為に必要な抑止力というか……。」

「うん、タイキにしては良い答えだ。」

「おい、馬鹿にするなよ。」

クスッとサトルが笑う。

「そこまで解っているなら死にも寛容になれるんじゃないか?」

「……それは……」

タイキは言葉を詰まらせる。

「僕はね、死というものをこう考えている。例えばさ、生きていく中でもう二度と会わなくなった人がいたとする。それとなんら変わらないと思うよ。仮にもう会わなくなったその人が本当に死んだとしても何かしらの情報がなければ気が付かないものだ。そしてそれを知らなければその人は永遠にその人の中では生き続けているよね。」

「でも……それは……仮初めの生だ。」

「そこまで真実を掘り下げる必要ある?もう二度と会わないのに?何処かで生きていると思えば平和なもんだろ?」

「それは……でもガミ先生みたいに目の前で消えてしまったらそうはいかない。」

「それはね、別の次元へ行ったと考えてみたら?あんな奇妙な消え方をしたんだ。そういう事も有り得るだろ?」

「でも……それは何処だ?」

「それが分からないから何処かで生きていると思えるんだ。それも納得出来ないなら人は姿形を変えて生まれ変わると信じるべきだ。結局、死に対して云々言うのは生きている者のみだろ?」

「……じゃあ、サトルは自身の死についてはどう思うんだ?」

「そうだな……僕はね、よく人が持つ死への恐怖というものが正直ないんだ。だからと言っても僕は生に人一倍執着心があるよ。」

「恐怖がないのは今の自分がどこかで死ぬわけがないって思っているから……じゃないのか?」

「さてね……まっ、ゆっくり色々考えるといいよ。タイキに時間はたっぷりあるんだ。君は身体能力のエボリューターとエーアイシンプトンのハイブリットだ。ここの誰よりも長生きするよ。」

「えっ?そう……なのか?」

「うん。クリスタルから聞いたから間違いないと思うよ。」

サトルはハイロをタイキの膝の上に預けると徐に立ち上がり、背中を向けて両腕をグーッと挙げて伸びをしながら言った。

「タイキ、僕はもうすぐ消えるんだ。」

「はっ?何を言って……」

「僕がここに来てこの身体を取り戻せたのはクリスタルの意思と皆の協力のおかげだ。クリスタルはその意思を誰かに伝える必要があってね。その誰かに僕がたまたま選ばれたんだ。でもね、最近はクリスタルの言葉が聞こえないんだ。僕に伝えたい事は全て伝えたんだろうね。」

「えっ?待って……」

「安心してよ。クリスタルが沈黙する訳じゃないんだ。この浮遊地が整ったから僕に伝える事がなくなっただけだよ。」

「そうじゃない!それとサトルにどういう関係があって何でサトルが消えるんだよ?!」

「タイキ、忘れてない?この地に不必要なものを。」

「えっ?!その……持病を抱えた者と薬物中毒と希死念慮……」

「そう。」

「ちょっと待ってよ!サトル、もしかして死にたいなんて思って……」

「いやいや、言っただろ?僕は誰よりも生に人一倍執着心がある、だからそうじゃないよ。」

「じゃ……何が……」

「タイキは知っているよ。僕が五年間も眠っていた事を。その間僕がどうやって生かされていたか想像は付くだろ?……そう、僕は立派な薬物中毒者だよ。」

「あっ……」

「僕は本来ならばこの地に来てから五日程で消える人間だったんだ。でも、クリスタルの意思を皆に伝えるのを条件に生かされていたんだろうね。おかげで僕がやりたかった事を叶える事も出来たしね。」

「そんな……サトルは最初から全部知ってて……」

「うん。僕は何でも知ってるよ。」

「そんな……また僕は……知ってて何も出来ないのか?あんな……消え方をするサトルを放っておけと?」

「タイキ……これはクリスタルの意思なんだ。」

「ふざけるなよ!何がクリスタルの意思だ!サトル、下へ行こう。今すぐに!!」

「タイキ、現実離れした事を言うなよ。下の人間が僕を受け入れない事を知ってるだろ?」

「じゃあ、園長先生の持つ島は?!あそこなら……」

「そこも難しいだろうね。もし僕がそこに行ったら今までシロガネのお兄さんが懸命に政府に掛け合って上と下のバランスを取っているのを無駄にしてしまうよ。とにかく僕は浮遊地からは出たくない。下へ行く気はないよ。」

「やめてくれよ……サトル。僕はどうしたらいいんだ?」

「だから、タイキ。何度も言っているだろ?死をそんなに嫌うなよ。いずれは訪れるものだって君が言ったんだ。」

「そんなの解っているよ!!サトル、そんな勝手な事は僕は許せない……君が消えるなんて……それにハイロはどうなるんだ?」

「落ち着いてよ、タイキ。」

「落ち着いてなんていられるか!!何か、何か方法はないのか?な、サトル!!君は何でも知っているんだろ?!」

ふぅーっとサトルは息を吐いて言った。

「分かったよ……タイキ。方法がない訳じゃないんだ。」

「えっ?!方法って?!」

「僕がクリスタルに必要とされ続ければいい。またクリスタルと対話が出来れば僕は消えないよ。」

「そっか!じゃあ、早速クリスタルの所まで行こう!」

タイキは急いで車を出し、サトルとハイロを乗せてクリスタルに向かう。

車内でサトルはこんな事も言った。

「ね、タイキ。僕はね、子供の頃からずっと自由になりたかったんだ。この身体で目覚めてからはまだ数ヶ月だけど僕は今自由を満喫しているよ。」

「じゃあさ、サトルはこれからどうしたい?」

「そうだな……僕も働いてみようかな。」

「へぇ。じゃあ、どんな仕事をする?」

「そうだなぁ……エーアイシンプトンの研究とか?僕らが誕生する原因は未だに不明だからね。」

「ふーん……研究者かぁ、サトルらしいな。」

そんな話をしながら車を大きな柱の前に停める。

「じゃあ、ちょっと待ってて。」

サトルは一人で車を降りるとクリスタルまで行き、壁面に両手を付けた。

暫く時が流れる。

無表情でサトルはこちらへ戻って来た。

「サトル!どうだった?!クリスタルは何て?!」

「……あぁ、まだ僕を必要としているってさ。最近声が聞こえなかったのは偶発的なものだってさ。」

「そっか……良かった……本当に良かった……」

タイキは気が抜けたようにハンドルに上半身を預けた。

「じゃあ、帰ろうか。ハイロ、お待たせ。」

再びサトルは助手席に座る。


それから数日が過ぎた。

タイキが出勤するとシロガネが血相を変えてこちらへやって来た。

「どうしたんです?園長先生。」

「タイキ君、ちょっと一緒に来てくれないか?」

施設の二階奥の部屋にタイキを連れて行く。

ここはサトルの部屋だ。

「あの、サトルに何かあったんですか?」

「……まぁ、見てくれたら解ると思う。」

サトルの部屋のドアを開けるとそこはきちんと整理整頓されていてベッドの枕元にあるサイドテーブルの上に手紙が置いてあった。

宛名はシロガネとタイキへ向けられたものだった。


シロガネのお兄さん、タイキへ

ありきたりな書き出しで笑っちゃうんだけど、二人がこれを読んでいるという事は僕はもうそこにはいない。

ひとつ勘違いしないで欲しいのは、これは遺書ではない。

僕は朝早く君達が眠っている間にここを出るよ。

ハイロは連れて行く。

僕の大切な相棒だからね。

タイキ、僕は嘘つきだよ。

君が僕のついた嘘をどこまでを嘘と取り、真実と取るかは君に任せるよ。

考える時間はたっぷりあるんだ。

シロガネのお兄さん、僕が幼い頃からいつも僕の事を気に掛けてくれていたね。

恩返しもろくにしないでここを出て行く事を許して欲しい。

僕はもっと世の中を知りたいと思ってしまったんだ。

この狭い浮遊地の何処かで僕は僕の人生を歩いてみようと思うよ。

今生の別れではないから落ち着いたらまた顔を見せに来る日もあるだろう。

ありがとう。

タイキ、君がもしかしたら気にしているかと思うからここに記しておくよ。

僕が消えたら八千、いや今は五千万人かな。

君を含めたエボリューターは僕と同じ状況に陥るかと恐怖するかも知れないけど安心してよ。

五千万人の回路は二年前にとっくに僕から切り離して誰にも壊されない場所に構築されている。

じゃあ、二人共またいつか会おう。

サトル


「なんだよ……これ……こんな勝手な……」

タイキは何故か涙が止まらなかった。

「園長先生……これって、どこまでが本当でどこまでが嘘なんです?」

「……サトル君らしいな……僕にもそれは分からないよ。でもまたいつか僕らの目の前に現れると僕は信じるよ。」


再び冬が終わり春がやって来た。

タイキは庭のベンチに座り、あと数日で満開になる桜の木を見上げる。

近くにいると微かに桜の花の香りが漂う。

サトルがここを出てから何度目の春だろうか。

浮遊地は更に発展して今は空を飛ぶ車が縦横無尽に飛び交っている。

下の世界では考えられない光景だ。

今日は数年振りにこの施設に一人子供がやって来る。

「ニナ先生。じゃあ、お迎えに行きますよ?」

「あっ、はい!事務長先生。」

ヒロ先生に声を掛けられたニナが後ろに続く。

施設職員を目指す大学生のニナはここで実習を受けていた。

これをクリアすればニナは免許を取得して別の施設の職員となる。

ノゾムは飛び級で既に大学へ通っていてそれを追いかける格好にはなったが、エイとエンも今年で高校を卒業して春から大学へ通う。

本来の国のシステムでは十八歳になるとエーアイシンプトンは施設から追い出されてしまっていたが、ここ浮遊地では選択の自由がある。

エイもエンもノゾムも大学を卒業して就職が決まるまでは嫌でもここから出す気はないとシロガネは子離れ出来ない父親のような事を日頃から言っている。

とは言え、この施設の子供達がいざここを出たいと言えば十分過ぎるくらいの支度金を持たせて独り暮らしを許してもいる。

その時にシロガネは必ず言う。

「いつでも戻っておいで。ここが君の家だよ。」


施設に車が停まるとヒロ先生とニナに手を繋がれて五歳くらいの小さな男の子がこちらへ歩いて来る。

タイキはその少年と目が合いニカッと笑う。

「こんにちは。お名前は言えるかな?」

「……、……。」

少年はうつ向いて言葉を発しない。

するとニナが

「大丈夫よ。このお兄さん、大きくてびっくりしちゃうけど、とっても優しいのよ。」

少年に優しく声を掛ける。

するとタイキの顔を恐る恐る見上げた少年は

「僕の……名前は……ル……ルイ。」

「うん。ちゃんと言えたね、お利口さんだ。」

小さな頭を大きな手で撫でるとルイは嬉しそうに照れ笑いをした。



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