第9話 空白

戸惑うタイキにサトルは話を続ける。

「脳にチップを埋め込まれた人は僕と繋がって、その人の記憶や体験を僕が擬似的に出来るようにしたんだ。」

「つまりは……その病気に罹った人々の記憶や体験をサトルは見たって事か?」

「そうだよ。」

「嘘だろ?……病気の罹患者は世界中で八千万人って言われているんだ……サトルは……。」

「そう、八千万人の記憶と体験を知っているよ。病が終息してから今で約五年間、その中には亡くなった人もいる。今僕が繋がっているのは五千万人ってとこかな。」

「その……人達は……」

「うん、僕が進化させた。コンピューターとチップを利用してね。エボリューター誕生の瞬間だよ。でもね、ある時期から脳にチップを埋め込まれた人を進化させられなくなっちゃったんだ。」

「……それは……何で?」

「うーん、そうだな……僕は世界中のコンピューターからバグ扱いされたんだ。それまではチップを介して進化とか色々な事が出来たんだけど……世界中のコンピューター達と今までリンクしていた僕の脳が簡単に言うと意見違いを起こしたんだ。コンピューター達は僕の脳から去ろうとした。でもそれをすると八千万人が植物状態に戻るか死を迎えてしまう。"彼等"はそれを恐れて僕の脳の一部だけは生かす事にしたんだ。だから僕はこの五年間、生きながら死んでいるとも言える空白な状態でただ八千万人を生存させる為だけに存在していた。そして五年前からは新たに罹患者が出現してチップを埋め込まれたとしても僕は一切介入出来なくなったんだ。エボリューターが一定期間しか生まれていないのはそのせいだよ。」

「サトル……君は僕の空白の一年間を知っているだろ?その……僕の身体を使って何をしたんだ?」

「さっきも言っただろう?大した事はしてないよ。僕は普通の十八歳を体験してみたかったんだ。友達を作ったり外食をしたり、夜遊びとかね。」

「本当にそれだけなのか?」

「そうだよ。」

サトルはタイキに嘘をついた。

でも真実を知らない方が幸せな時もある。

「それより本題といこう。特殊部隊の彼等を下に送り返そう。タイキ、君とシロガネのお兄さんの意見を十分に尊重した案だよ。」


サトルの提案を聞いたタイキはそれならと納得して大きく頷いた。

「じゃあ、タイキ。おやすみ。」

帰ろうとするサトルに一晩くらいここで過ごせばいいと提案したが、

「ここはタイキ、君の家だよ。それにハイロが僕を待ってるからね。」

そう言うとサトルは施設へと戻って行った。

翌朝タイキが出勤すると丁度子供達は学校へ行く時間で皆、元気に施設を出て行く。

「行ってらっしゃーい!!」

笑顔で子供達を見送りながらタイキはシロガネの元へ向かう。

ノックをして園長室を覗いたが誰も居なかった。

シロガネを探してサトルの部屋に行くと扉の前でその声が聞こえた。

「そんなの、危ないじゃないか!それに彼等が納得する訳が……」

声を聞きながら扉をノックすると会話は止まり、サトルの「どうぞ。」という声がした。

「あの……いいですか?」

恐縮しながら扉を開けると

「あぁ、勿論だよ。タイキ君からも説得して欲しい。」

慌てた様子のシロガネがそこにいる。

「説得って、何をです?」

「サトル君が今日、精鋭部隊の所へ一人で行くって言って利かないんだ。向こうは五人連れて来るように言っているのに……そんな約束破りな提案を受け入れる訳がないだろう?」

昨晩、予めその話を聞いていたタイキは落ち着いて言う。

「園長先生、その話なら僕も聞きました。サトルなら大丈夫です。僕が付いて行きますから。」

その言葉を聞いて驚いたのはサトルだった。

「えっ?!」

「サトル、いくら一人で事が足りると言っても今の状態じゃ心許ないだろ?サトルの運動能力じゃさ……僕ならそれをカバー出来る。園長先生もそれなら許可出来ますよね?」

「……でも……たった二人でどうするんだ?僕はこの家の家族を二人もまた危険な目に合わせるのか?」

悩むシロガネにサトルは

「お兄さん、大丈夫だよ。僕はこの地球上に五人もいない脳のエーアイシンプトンだよ?その僕が政府に身柄を引き渡すって言ったら彼等は喜んで連れて行くだろうね。いずれにせよ僕は政府のお偉いさんと一度話をしなくちゃならない。話が済んだら戻って来るから飛行機の用意をしておいてよ。」

「よし、話は決まりですね。」

タイキはこれ以上シロガネに何も言わせまいと話を切り上げた。


昼前にサトルはタイキの運転する車の助手席にいた。

膝にはハーネスを装着したハイロの姿がある。

「しかし、向こうは五人連れて来いって言っているのに君と僕とCクラスで来ましたって言ったら何て言うかな……。」

ハイロに話し掛けるサトルの呟きにタイキは聞き慣れない言葉を耳にした。

「えっ?何?Cクラスって……。」

「あぁ、何でもないよ。そのうち解るよ。」

フェンスの前まで行くと昨日話をした精鋭部隊の男が近寄ってきた。

「昨日はどうも。今日は少し別の提案があって来ました。」

男は初めて見るタイキをあからさまに警戒している。

「あ、彼はCクラスですよ。安心して下さい。」

サトルの口からCクラスという言葉を聞いて男は言う。

「何故、貴方がそれを御存知で?」

「昨日、言いそびれましたが僕は脳のエーアイシンプトンです。」

サトルの言葉に男は慌てて

「少しお待ち下さい。」

そう言うと走ってテントに向かって行く。

テント内に消えた男はもう一人男を連れて小走りにこちらへ戻って来た。

「隊長、この青年が自身は脳のエーアイシンプトンだと言っています。」

隊長と呼ばれた身体の大きな男がしゃがれた声でサトルに問う。

「本当かね?我国内の脳のエーアイシンプトンは今は脳死状態だと聞いているが……。」

「それが復活したとしたら?僕の名前はサトル。SS+クラスのエーアイシンプトンです。」

「やはり……君は本当に脳のエーアイシンプトンなのか?」

「はい。エーアイシンプトンズがクラス分けされている事は国の中でも一部の人間しか知らない事だけど……僕は何でも知っている。流石にあなた達もクラスの事を知っているみたいですね、隊長さん。」

「で、そちらの彼は?」

「あぁ、彼はエーアイシンプトンとしてはCクラスですがエボリューターとのハイブリッドです。あなた達は彼にも興味があるだろうと思いましてね。昨日は五人エーアイシンプトンズを連れて来るという話でしたが……どうです?僕と彼が下に行くというのは。僕ら二人でSクラス五人分以上の価値はあると思うけど……。」

この言葉で一気に交渉は対等ではなくなり、サトル達は圧倒的優位に立つ。

「少々お待ちを。」

テントに戻って行く彼等を暫く見ていると先程の隊長と呼ばれていた男の指示で残りの四名が撤収作業を始めた。

隊長がこちらへ戻って来る。

「あと数分お待ち下さい。すぐに下へ参りましょう。」

「あ、一つだけ譲れない条件があります。」

「何でしょうか?」

「僕の大切な家族を連れて行きます。これを了承してくれないならば僕は下へは行きません。」

「家族?と申しますと?」

「猫です。僕は彼と離れたくないんだ。」

隊長は一瞬戸惑いを見せたがすぐに笑顔になり

「あぁ、それで先程から猫の鳴き声が何処からか聞こえていたのですね。良いですよ、御一緒に参りましょう。」

サトルは車の中にいたハイロを抱き上げてフェンス前に戻って来た。


お互いの目の前にフェンスがあるが、貴殿方はどうやってこの中に入るのかという隊長の問いにサトルは答えた。

「大丈夫です。僕らは入れます。」

サトルの声を聞くとハイロは欠伸をして「ミャア」と鳴いた。

タイキが素手で造作もなくフェンスをこじ開けてサトルと共に中に入った。

「一体どうなっているんだ……?」

隊長の問いにサトルは敢えて答えずに

「では、行きましょうか。政府の意向としてはここへ来たエーアイシンプトンズ全員の奪還が目的でしょう。しかし、今の下の状況ではそれも難しい。僕にはその問題の解決策がある。そして僕とハイブリッドの彼とがあなた達の今回の手土産だ。初回の視察としては大成功だと胸を張れるでしょう?」

サトルの言葉を聞いた隊長はタイキをチラリと見ながら

「そうですね。御協力に感謝します。しかし、あのフェンスの電流ですが……何故、彼には効かないのですか?我々の部隊の者には誰一人としてフェンスを攻略出来る者はおりませんでしたが……」

「あぁ、気になりますか?」

「はい。」

「あのフェンス、表から開ける分には電流の影響を受けないんだ。それだけです。」

またしてもサトルは嘘をつく。

本当はフェンスの電流は全体に流れていて裏も表もない。

タイキが開ける事が出来たのはハイロのおかげだ。

実は電流には特殊なリズムがあって数分置きに数秒停止している。

しかし、このリズムは一定ではないので法則を読み取れた者のみが触れても危険に晒されない。

ハイロにはこのタイミングが読み取れており、サトル達が車を降りてからずっとハイロは触れるタイミングを鳴いて教えてくれていたのだ。


「それでは準備が出来ました。こちらへどうぞ。」

タイキはスカイダイビングの経験がないであろうサトルとハイロの無事を願った。

難なく下へ着陸すると黒塗りの高級車がサトルとタイキを出迎えた。

車はそのままこの国の中枢とも言える場所に着く。

サトル達は隊長と呼ばれていた男の案内でとある部屋の前まで来た。

「こちらで貴殿方の御提案を聞きますので中に入って暫くお待ち下さい。」

二人と一匹がソファーに腰掛ける姿を見届けると隊長は部屋を出て行く。

タイキは部屋の中を見渡した。

「サトル……本当に大丈夫なのか?」

「ん?何が?」

「その……これから本格的な交渉が始まるんだろ?上のエーアイシンプトンズを一人も渡さずに僕らも上に戻れるのか?」

「まぁね。それよりさ、タイキ。どうやらここではハイロと会話が出来ない事が判明したよ。やっぱりハイロが話せるのはクリスタルの力なんだ。」

「そう……なんだ。」

部屋の雰囲気に圧倒されているタイキにサトルは言う。

「タイキ、大丈夫?」

「あぁ……でもサトル、政府の人に何て言うつも……」

会話を遮るように扉が開いてスーツ姿の男が三人入って来る。

「はじめまして、私はこういう者です。」

次々と男達はサトルとタイキに名刺を差し出す。

チラリとそれを見ると内閣府の文字が見えた。

その中で一番貫禄のある男が尋ねてきた。

「貴方がサトルさんですか?」

「はい、僕がサトルです。」

「そちらの彼がハイブリッドの……」

「タイキと言います。」

「タイキさん、貴方のお話も是非お聞かせ下さい。宜しく。」

男が差し出す手を握り返す。

「まぁ、挨拶はこのくらいにして……早速本題に入りましょうか。貴殿方は数週間前にエーアイシンプトンズを八百人以上浮遊地へ連れ去ってしまいましたね。国としては彼等を速やかにお還し頂きたいのです。」

「彼等はもう、こちらへは戻りませんよ。」

「と言いますと?」

「貴方は浮遊地がどうやって浮いているのか御存知ですか?」

「それは我々が一番知りたい所です。」

「っと、その前にこの情報を提供する代わりにこちらの要望を受け入れて頂きたい。」

「何がお望みで?」

「この国におけるエーアイシンプトンズの扱いをノーマルと同等にして頂きたいのです。すぐには答えが出ないのも承知しています。そちらの答えが出るまで八百人以上のエーアイシンプトンズは動きませんよ。」

「そうですか……サトルさんの仰る通りエーアイシンプトンズの法律を変えなくてはならない話ですから……こちらもすぐに返答出来かねます。それまでは彼等をこちらへ連れ戻すのは難しいと……実際にこちらから浮遊地へは航空機等が使用出来ませんし、正直我々はお手上げなんですよ。で、サトルさんは浮遊地がどのような仕組みで浮いているのかを御存知だと……?」

「僕は何でも知っている。浮遊地は特殊なクリスタルの力で動いています。これが元になっている為に上の航空機は計器の乱れもなく上と下の土地を往き来が出来るんです。」

「ほぉー、それは興味深い……。」

「でも、貴殿方ノーマルは上には来ない方が良いですよ。」

「それは何ゆえですか?」

「ノーマルは上では長生き出来ません。実際に上では持病を抱えている者は浮遊後五日足らずで亡くなっています。貴方達の友人、知人に急に連絡が取れなくなった方がいるのでは?上でまともに生活出来るのはエーアイシンプトンズとエボリューターだけだ。」

「それは……なんと……」

「ですから僕は一刻も早く上のノーマルの方々をこちらに避難させたいのです。」

「それは……すぐにでも受け入れ準備を。早急に対処します。」

三人のうちの一人が速やかに席を立ち、「失礼します。」と足早に部屋を出て行く。

それを横目で見ながらサトルは話を続ける。

「貴方達は上の状況を何も知らずにただ連れ去られたエーアイシンプトンズの事ばかり気に掛けていたようですが……まぁ、確かにエーアイシンプトンズがこの国から居なくなればかなりの税金を取り損ねますからね。それに……もしこの国が他国に攻め込まれたとしたら僕らが最前線に立たされる。エーアイシンプトンズがいなくなれば貴方達は貴重な弾除けを失う訳だ。」

サトルの皮肉たっぷりの言葉に男は沈黙する。

「僕は一つ考えている。この国のエーアイシンプトンズを全て上へ連れて行き、ノーマルと完全に住み分けるのはどうかと。」

「そ、それは……」

「そもそも保証金の理由付けが"もしも貴方の隣に住むエーアイシンプトンに何か危害を加えられたらこれでお詫びします"という為の保証金ですよね?貴方達は必要以上にノーマルに恐怖を植え付け、僕らは産まれた瞬間から危険な者と見なされて起きもしない暴力や危害の為に一生経済的に追い込まれ続ける。それなら最初から同じエリアに住まわせなければいいだけの話だ。なのに国はわざわざエーアイシンプトンをノーマルの側に住まわせて保証金を課せている。それを何十年とやっているんだ。もういい加減エーアイシンプトンズを苦しめないで頂きたい。」

「……話は分かりました。今回の話がここまで大きくなるとは正直予想だにしておりませんでした。当然の事ながら私一人の一存では決められません。暫くお時間を頂きたい。」

「構いませんよ。何日待てばいいですか?今貴方達の最優先事項は上のノーマルの避難でしょう。その為の航空機を僕らは用意出来ますよ。」

「少々お待ちを……」

そう言うと男二人は部屋から出て行った。

タイキは正直驚いていた。

サトルがここまで国を相手に優位に話を進めるとは……。

しかし、ノーマルが浮遊地で長生き出来ないというのは初耳だ。

これもまたサトルの嘘なのだろうか?

暫く待つと男が一人で現れて

「上のノーマルの避難ですが、五日後に決まりました。」

「話が早くて助かります。では、一度僕らは上へ戻ります。あっ、そうだ。上にはテレビ局がないんですよ。この件を上のノーマルの方達に伝えて頂けますか?」

「承知致しました。」

サトルとタイキとハイロはシロガネの所有する飛行場へ送り届けられた。

「それでは、五日後に……報道の件はこちらにお任せ下さい。」

「はい、宜しくお願いします。」

政府所有の車が見えなくなるとサトルは

「ふぅーっ」と大きく深呼吸をした。

タイキは先程から疑問に思っていた事をサトルに聞く。

「あのさ、サトル。ノーマルが浮遊地では長生き出来ないって……あれは本当なのか?」

「ん?あぁ、その事ね……半分本当で半分嘘だよ。クリスタルから聞いたんだ。でもそれはあくまでもエーアイシンプトンズと比べるとって話なんだ。それに長生きの基準もわからないし……でも奥の手としては効果絶大だっただろ?」

「それって……いつ聞いたの?」

「うーん、あれはこの身体に戻ってから四日後だったかな……。」

「じゃあ、クリスタルの意思を受け取れるのはサトルの能力って事か?」

「うん、どうやらそうみたいだね。」

二人と一匹は飛行場からヘリに乗って施設へと戻る。


施設へ到着するとシロガネが小走りでこちらへやって来た。

「二人共……無事で良かった……」

「あぁ、お兄さん。僕らなら大丈夫だよ。」

「それよりサトル君、君は何を下で話して来たんだ?さっきからテレビで緊急放送が始まっているよ。」

「うん、そうだろうね。まぁ、中でゆっくり説明するよ。」

五日後に浮遊地にいる全てのノーマル達は下へ避難するようにテレビでは各局が同じような文言で呼び掛けている。

「なぁ、サトル君。一体どうなっているんだ?」

サトルは下で話した事を全てシロガネに伝える。

「そうか……。サトル君はあくまでもエーアイシンプトンズとノーマルを分けたいんだね……。」

そこには悲しそうなシロガネの姿があった。

「僕はね、綺麗事を言うけどそういう区別のない世界を目指すのが理想なんだ。でも、君の言う通り何十年経ってもエーアイシンプトンズに対する扱いは変わらない。そうなったら一度離れ離れにしてみるのも一つの手かも知れないね……。」

タイキは終始無言だった。

サトルの言う事はもっともだったし、悲しむシロガネの気持ちも理解できる。

ただ一つどちらの意見にも被らない人の想いがある事に気が付く。

「あの……もしもですよ?ここから離れたくないというノーマルがいたらどうするんですか?その人達の想いは?跡地にもここに来る事を拒んだエーアイシンプトンズがいましたよね?」

「あぁ、そういう人もいるだろうね……。」

二人の会話を聞いてサトルが言う。

「まぁ、そういう人は残ればいいよ。エーアイシンプトンズが今まで以上に増えても許せる人達なんだろうし、崇拝者なんかも残るだろうね。」

「サトル……決してそれだけじゃないはずだよ。ここに残りたい人はエーアイシンプトン関係なく何か大切なものや想いがあるからここに残りたいんだと思う。」

「ふーん……そうなんだ……」


五日後がやって来るとこの地の飛行場は騒がしくなった。

ここから下へ避難したいノーマル百万人をこれから数日間に渡って避難させる。

一方でこの地に留まる事を選んだノーマルが意外にも二百万人もいた。

数日後の最終便にサトルはハイロを連れて乗り込んだ。

そしてノーマル最後の一人を見送るとタクシーに乗り込み内閣府へ向かう。

「ハイロ、今頃シロガネのお兄さんやタイキは僕を探しているだろうね。」

サトルは誰にも言わずに下へとやって来たのだった。

「こんにちは、サトルさん。貴方からこちらへお越し下さるとは……」

先日交渉をした男がサトルを出迎えた。

「意外でしたか?」

「いやぁ、正直ノーマルの保護が終わったら貴方は速やかに上へ戻ってしまわれると思いましたからね。」

「僕は逃げませんよ。」

「それはそうとサトルさんに総理が是非お会いしたいと仰っていましてね。どうです?これから御一緒にお食事でも……。」

「あぁ、はい。」

この国の総理大臣に会えるとは些かサトルも驚いたがあくまでも平静を装う。

「そうだ。食事までは少し時間もあるでしょう?僕を案内してくれませんか?」

「案内?と言いますと?」

「僕が今いる場所ですよ。子供なら修学旅行で訪れる議事堂とか……僕はその……御存知かとは思いますが子供の頃からあまり外へ出た事がなくて……」

「そうでしたか……そういう事なら御案内致しましょう。」

男に案内されて小学生が見学する議事堂や邸内の一般開放エリアを見て回る。

途中で何処かの学校の社会科見学の子供達と一緒になる。

「ふーん、ここが議事堂か……ここでこの国の法律が決まるんですね、なんか感動だなぁ。」

「そうですね。喜んで頂けたようで良かったですよ。」

一通り案内されると食事の場所として内閣府近くの料亭に招かれる。

流石にハイロは無理だと言われて車の中に残された。

「こんにちはサトルさん、お待たせ致しましたね。国会内を見学されたとか?」

「はい。今まで映像でしか見ていなかったので現物を初めて見ました。」

「そうでしたか。今回はノーマルの避難に御協力下さいましてありがとうございます。」

「いえ、代わりと言ってはなんですが先日浮遊地に来たエーアイシンプトンズはこちらへ戻す気はありません。それにまだ国内にいるエーアイシンプトンズをむしろこちらに引き渡して頂きたい。」

「それはどうですかな……国内のエーアイシンプトンズが果たして上へ行くと言うでしょうか?」

「全てではないでしょうね。でも上へと望む者もいるのでは?」

「それに関しては調査をしなくてはなりません。すぐに御返事は出来かねます。」

「それはそうでしょうね。でも僕はいずれ浮遊地をエーアイシンプトンズとエボリューターの特別区にしたいと思っています。」

「それはサトルさん、貴方の理想ですかな?」

「いえ、近い将来の目標と言っておきましょう。」


話は終わり総理は先に帰っていった。

料亭から出るとサトルは車に乗せられていたハイロを抱き上げてその場を去ろうとした。

「それでは、僕はこれで失礼します。」

「あっ、サトルさん少々お待ちを……。」

案内役の男が呼び止めたと同時にサトルを大柄な男達が取り囲む。

「何の真似だ?」

「サトルさん、貴方をみすみす上に帰してしまうのは我々としては不本意なんですよ。」

「……これだから僕はノーマルが信用出来ないんだ。」

屈強な男達の中の一人がサトルとハイロに手を掛けようとする。

「僕とハイロに触るな……もう一度言う。ボクトハイロニサワルナ。ゼンイン、ウゴクナ。」

サトルの言葉を聞いた男達は金縛りにあったように固まっている。

彼等を尻目にサトルはその場から昼の街中へ消えていった。


サトルが下へわざわざ一人で来たのは何も社会科見学や総理大臣と話をする為ではない。

先程見学した内閣府建物内部が自分の持つ情報通りだったのかを確認する為だ。

本来の目的は五年前に自身を脳死状態にした"彼等"を同じ目に遭わせる為である。

「さーて、次は何処へ行こうかな。」

国会内にあるコンピューターは特殊なサーバーを経由しているのは知っていたので見学を装って子供達に混ざり案内ロボに既に触れてある。

五年前よりも前のサトルはエーアイコンピューター全てと兄弟のような関係を持ち対話が出来ていた。

目覚めた今はサトルからのアクセスは可能だが、向こうからのアクセスは完全にシャットアウトするシステムをノゾムの身体を使って丸二年間以上かけて構築した。

それと合わせてサトルの特殊能力とも言える洗脳の力はどこまで"彼等"に通用するのかは今から証明される。


サトルは繁華街の中にある小さな公園を見付けてベンチに腰掛けた。

ハイロの背中を撫でながらぼんやりと空を眺める。

他人から見れば病弱そうな青年が猫を膝の上に乗せて日向ぼっこをしているようにしか見えないが、サトルの脳内では今とんでもない事が起こっている。

二時間程前に触れた案内ロボを入口に政府のコンピューターにすんなり入り込むと何の躊躇いもなくストックされている機密情報をきれいさっぱり削除した。

そこまで大事な情報は恐らく何処かに必ず複製があるので脅しとしては十分なはずだ。

そして、その消去された機密情報を復旧させるのにはいくらかの時間を要するだろう。

更にそこをきっかけに役所や警察、銀行や各種の民間のサーバーもダウンさせる。

サトルはこの国内の重要な情報達を全て沈黙させてある"おまじない"をかけたのであった。

それは時間にすると数十分程の出来事だったが、この僅かな時間の空白は人々をパニックに陥れ、ありとあらゆる場所に影響を及ぼした。

しかし、それが速やかに復旧されると人々は何事もなかったかのように普段通りの業務や生活に戻る。

そして"おまじない"は新しく復活したコンピューター達全てにかけられている事をまだ知らない。


おまじないとはサトルの命令一つでいつでも情報が消去されるというものだった。

つまりサトルはいつでも空白の時間を"彼等"に与えられるという事だ。

「じゃあ、ハイロ。帰ろうか。」

よいしょっと小さく声に出してベンチから立ち上がるとサトルはハイロを抱いてシロガネの所有する飛行場へと向かう。

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