第8話 交渉

走るタイキの先に見えるのは逃げ遅れたエーアイシンプトンズが警棒で殴られている姿だった。

そのような光景があちらこちらで見受けられる。

「やめろーっ!!」

タイキは警棒を振りかざす警備員に飛びかかった。

一人、二人と次々に殴りながら自身を押さえ付けようとする者を振り払う。

うずくまるエーアイシンプトンに肩を貸し、立たせて逃がすとまた向こうで取り押さえられているエーアイシンプトンを助けに向かう。

しかし、警備員と施設職員や浮遊地に来る事を拒んだエーアイシンプトンズの人数は逃げ遅れた者よりも多く、彼等が捕まってしまうのが目に見えた。

「くそっ!……このままじゃ……」

タイキがそう呟いた時に

「どぉりゃぁーっ!!」

毎日聞くあの声が背中越しに聞こえた。

「えっ?」

警備員の顔面にドロップキックをかますエンの姿が見えた。

「タイキ先生!助けに来た!足と腕のエーアイシンプトンも連れてきた!!」

エンが大人十数人を連れて加勢にやって来たのだ。

「エン君、危ないから戻って!!」

タイキの言葉にエンは言う。

「俺をナメるな!!ガリガリが行けって言ったんだ!俺ならやれるって!!」

「えっ?ノゾム君が?」

「そーだよ!!いいから助ける奴を助けて早く逃げようぜ!!」

一気に優勢になったタイキ達はその場の反対勢力をあっという間に制して出口へと走った。

逃げる途中で遠くの方に四号の姿が見えた。

やはり浮遊地には来ないのだろう。

四号はその場にしゃがみ込んでこちらをただ見ていた。

出口へ到着すると既に一機目の飛行機が浮遊地へ向かって飛び立っていた。

「皆さん!!こちらへ!!」

エイが誘導する先にはもう二機の飛行機が停まっている。

その搭乗口へと続くタラップ車の上からノゾムは飛行機に乗ろうとするエーアイシンプトンズに言う。

「繰り返します。持病があり、薬を長期服用している者や薬物依存の者、自分は死にたいと強く思う者は二機目ではなく、三機目の飛行機に乗って下さい。繰り返します……」

一瞬戸惑うエーアイシンプトンズだったが、大半の者は二機目に搭乗し、数十人は三機目の搭乗口へ向かった。

一機目と合わせるとおよそ八百人以上のエーアイシンプトンズが浮遊地へと飛び立った。

タイキは三機目が飛び立つギリギリまでしんがりを勤めて三機目が浮いた所で自身も飛び乗る。

この三機目には浮遊地へ行くと百二十時間近くの時間が経つ頃に消えてしまうであろう人々が乗っている。

彼等を乗せたこの便は浮遊地ではなく、国外にあるシロガネ所有のリゾート小島へと脱出するのだ。

三機目に乗ったタイキはそこへ彼等を送り届けてから上へと戻る予定だ。

飛行機の中でタイキは何故この便に乗った者達が浮遊地へ行けないのか自分が見た状況を話す。

それを聞いた者達は身震いしながら納得してくれた。

島に到着したタイキはエーアイシンプトン達の住居へ案内して彼等に言う。

「この島にはエーアイシンプトンズを苦しめるような法律はありません。近くショッピングモール等も出来て皆さんを必要とする働く場所も沢山あります。お困り事がありましたらいつでもホテル内の者に申し付けて下さい。先ずは強制労働の疲れを癒して下さい。」

そう言い残して島を去る。

急ぎ自身の職場である施設へ戻ると子供達と副園長先生が出迎えてくれた。

「タイキ先生~!おかえりなさい~!」

「みんな、ただいま。園長先生は?」

「園長先生ならお部屋にいますよ。」

「ありがとうございます!」

急ぎ足で園長室の扉をノックする。

「どうぞー。」

いつものシロガネの声だ。

「園長先生、お疲れ様です。」

言いながら扉を開けるとノゾムを始め先程のメンバーが中にいた。

「みんな、ただいま。」

タイキをソファーへ促すとシロガネは言う。

「みんな、今日は本当にありがとう。僕一人では決して成し得なかったよ。僕らは解放を希望するエーアイシンプトンズを助ける事が出来たんだ。これからの事は心配しないで大丈夫だから今日はゆっくり休んでほしい。」

お互いの無事を確認してエイ、エンとヒロ先生は席を立つ。

部屋から出ようとした三人にシロガネが改めてお礼を言うとエンは

「そんなもん、当たりめぇだろ。俺たちはその……よくわかんねぇけど……家族……なんだからな!」

エンの横で微笑みながら頷くエイがいた。

その言葉にシロガネは目頭を押さえる。

「じゃ、あたしも……」

部屋を出ようとするニナにタイキは気になった事を質問した。

「ニナちゃん、サブシステムの事……ありがとう。ニナちゃんが気付いてくれなかったらどうなっていたか……でも何ですぐに分かったんだ?」

「あー、あれね……あーゆーのはさ、必ずメインが潰れると何らかの対策が取られるんだって……前に……教えて貰ったんだ……」

「えっ?誰に?」

「その……あーっ!!もう!クソ親父だよ!今更あんな奴に教わった事が役に立つなんて……あたし、もう寝る!!」

「そうか……ありがとう、おやすみ。」

タイキも部屋から出ようとするとシロガネに呼び止められた。

「タイキ君、もう少しいいかい?」

「あぁ、はい。」

室内に残るノゾムと三人になる。

「タイキ君にもノゾム君、いやサトル君の事を話しておこうと思ってね。気になっているだろうからさ。」

「えぇ、はい。で……その……どうなったんですか?」

ノゾムが口を開く。

「うん。僕の身体は今、この施設内にあるよ。二階に空き部屋があっただろ?暫くはそこにいるよ。今から僕はノゾムの頭の中から完全に離れようと思う。」

そう言うと小さなノゾムの身体はグラリと大きく揺れて膝から崩れるように倒れ掛けた。

タイキは咄嗟にその身体を抱える。

腕の中のノゾムは目を閉じて動かない。

「えっ?!えっ……どうしましょう……園長……」

「慌てないでタイキ君。ノゾム君は生きているよ。今から二階に行こう。」

ノゾムを抱えたままシロガネと二人で階段を駆け昇り、二階の一番奥の部屋を目指す。

シロガネが扉を開くと寝たままの姿勢のサトルが口を開いた。

「やぁ、二人とも……ちょっと……僕の身体を起こして……くれない……かな。」

ノゾムを部屋の中のソファーに寝かしてタイキはサトルの上半身を起こす手伝いをした。

「ありがとう、僕の姿を見るのは初めてだね……タイキ。」

そこには二十四歳のサトルの姿があった。

立ち姿を見ている訳ではないのであくまでも予想だが、その年齢の平均身長くらいだろう。

しかし、かなり痩せていて青白い顔色をしている。

肩幅等全体の線が細く顔つきも女の子のような顔立ちをしていた。

印象的なのはヘーゼルアイと言うのだろう、光に当たると金色のように見える。

「僕の顔に何か付いている?」

その声にハッとなり

「いや、何も……。」

この青年がサトルなのだと思うと不思議な感覚に陥った。

「やぁ、シロガネのお兄さん……僕の身体をありがとう。今は喋るので精一杯だ……」

それだけしか話していないのにサトルは肩を大きく動かして既にハァハァ言っている。

「あっ、サトル君。無理しないでいいよ、一つだけ教えてほしい。ノゾム君は大丈夫なのか?」

サトルはゆっくり息をして

「……ノゾムなら大丈夫……明日は……いつも通りに起きるよ……」

暫く二人でサトルの様子を恐る恐る見守る。

サトルはゆっくりと掌を握ったり開いたりして自身の身体が自分の意思で動く事を確認しているようだった。

そして顔をこちらへ向けると

「うん、異常はないよ。でも……少しづつ体力を取り戻さないと……だね。」

「あぁ。今日はもうゆっくり休んで……明日また様子を見に来るよ。」

再びノゾムを抱えたタイキとシロガネは部屋を出る。

「で、どうだった?サトル君は想像通りの青年だったかな?」

「いや……あの……何というか……不思議な感じです。でもあそこまで体力が落ちているとは……」

「まぁね、サトル君は元々運動能力が高いタイプじゃないんだ。タイキ君とは真逆だよね。」

「そう……なんですね。」

ノゾムをベッドに寝かし付けてシロガネとタイキは二人で庭に出た。

両腕を高く上げてグーッと伸びをしながらシロガネは背中を向けたまま

「タイキ君、僕はいつも思うんだ。僕は恵まれているってね。僕が何かをしたいと思った時には必ず僕の側には助けてくれる誰かがいるんだ。今日の事もそうだよ、皆が助けてくれたから出来たんだ。」

「それは園長先生が普段から皆を思いやっているからですよ。僕も恩返しっていうか……協力したいって常に思ってます。」

「そう……ありがとう。ただね……タイキ君だから言うけど正直な所、僕はこれで終わりじゃないと思っているよ。今はここには簡単に下の人達は来られないからいいけど、それも時間の問題だと思うんだ。」

「はい。僕もそれは考えました。」

「政府の人間が連れ去られたエーアイシンプトンズを取り戻しに来るだろうね。でも、まぁ暫くの間は様子を見る時間はありそうだ。それまでにサトル君も歩けるくらいにはなるだろうし……」

「あの……園長先生はサトルをどう思いますか?」

「うーん、僕は彼を幼い頃から知っているんだけどね、なんというか……掴み処のない子なんだよ。初めて出会った時は大人達に囲まれて研究所に一人ぼっちだったからかな……あまり表情もなくてね。言葉は悪いけどロボットのような印象を受けたよ。」

「そう……だったんですね。」

「うん……でも彼も成長するに連れて色々な人に出会って経験を積んで今に至る訳だから……僕はサトル君を信用しているよ。」

「そうですか……」

「ん?何かあったの?」

「いえ、あの……サトルは言ったんです。亡くなってしまった人もその枝に咲く桜の花となんら変わらないって……」

タイキは目の前の桜の木を指差した。

「そうか……桜の花……ね……僕が知るサトル君は優しい子だよ。ハイロを見れば分かるだろう?その例え話については何か他の意味があるのかも知れないね。」

「はい、それを詳しく聞こうとしたら今それを話すべきじゃないって逃げられちゃいました。」

「そうか……きっとそのうちね、その話も聞けるよ。」

「だといいんですけれど……」


それから数日が過ぎた。

明日から学校が再開するそうで子供達の長いようで短かった休日は終わりを迎えた。

ノゾムは目を覚ました日から何かが少しだけ違ったようにも感じたが、いつも通りの運動が少し苦手でおっとりした性格の本が好きな男の子だ。

しいて言えば今までは日記を書くと言ってパソコン画面によく向かっていたが、それを一切しなくなった。

それはサトルが自身の為にしていた作業だったので記録を必要としないノゾムは当然パソコンと向き合わなくなっただけの話だった。

サトルは少しづつ体力を付けてようやく杖が必要ではあるが自力で歩けるまでにはなった。

ニナはこの数日で正式にこの施設の子供になってここから中学へ通う手続きを取った。

学校生活を全く知らないニナは不安だったのだろう。

四六時中ヒロ先生に付き纏っては質問責めにしている。

ヒロ先生は自分の知る学校生活や授業の受け方をイラスト混じりにホワイトボードに書いて予行演習のように一生懸命ニナに教えていて、それをノートに綴るニナは嬉しそうだ。

エイはいつものように本を読んで自分の知らない文字や気になる本があるとノゾムとよく話をする。

エンは相変わらずだ。

そう言えばクリスタルから音がしていて五月蝿いと言っていたが、最近その音は聞こえなくなったそうだ。

テレビでは大勢のエーアイシンプトンズが浮遊地に逃げた事を隠すように跡地で働くエーアイシンプトンズを報道していた。

彼等は国の為に自ら進んで跡地で頑張っているのだとアピールしている。

そんな跡地ではシロガネが応援に駆け付けてライブを行ったと報道されていた。

あの日のライブが前半部分だけ上手く編集されて流されている。

この地に新たにやって来たエーアイシンプトンズも消えてしまった人々の穴を埋めるように職に付いて新しい社会が回りだした。


そんな折りに下の政府からエーアイシンプトンズの精鋭部隊がシロガネと同じ方法でこの地に送り込まれて来たのだった。

彼等の目的は一人でも多くのエーアイシンプトンズを下に連れ戻す事。

しかしこの数週間でこちらも何も手を打たなかった訳ではない。

サトルの指示に従い、下の人間が何処に着陸するのか予測を立てて複数ある候補地全てにある仕掛けをしていた。

それは単純に着陸地点の周りにフェンスを建ててそこに電流を流しておくというものだった。

手のエーアイシンプトンがいれば簡単に突破されるかというとそうではなく、こちらのフェンスの電流の源はクリスタルなので跡地のようにケーブルを切ればどうにかなるという物でもない。

流石に手のエーアイシンプトンでも流れ続ける電流に身を晒せばひとたまりもないのは解りきった事だった。

そしてその囲いの中で身動きが取れなくなっている彼等の元へシロガネが説得をしようと出向いた。


シロガネとしては確かに手荒な真似をして連れて来たエーアイシンプトンズだが、もう下には戻りたくないと言う彼等の意志を尊重したいと思っている。

しかし精鋭部隊の彼等は洗脳とも言うべき教育と訓練を施されている為にシロガネの話に耳を貸す事はなく、一人でもいいからエーアイシンプトンをこちらに引き渡せと言って今ここで新しい生活を始めたばかりの彼等を否定した。

話はもの別れとなり、シロガネは施設へと帰ってきた。

「園長先生、どうでしたか?」

心配をしていたタイキが尋ねると

「うーん……正直、厳しいな……彼等は頑としてエーアイシンプトンズを跡地に連れ戻すと言って一歩も引かないんだ。明日、僕はもう一度説得に向かうよ。」

その話を聞いていたサトルが徐に言った。

「シロガネのお兄さん、僕も連れて行ってよ。」

「サトル君……でも危ないよ。君はようやく歩けるようになったばかりなのに君の身に何かがあったらどうするんだ?」

「僕なら大丈夫だよ。交渉の場なら僕の得意分野だ。お兄さん一人で行くよりもきっと力になれるよ。」

「だったら僕も……」

タイキが言いかけるとピシャリとサトルが言った。

「タイキはダメだ。何故なら君を見て向こう側の人間にこちらはいつでも戦闘の準備が出来ていると思われかねない。あくまでも話し合いに来た姿勢を崩してはいけないからね。」

タイキが口をつぐんでいるとシロガネが

「……解った。明日は僕とサトル君の二人で行こう。タイキ君、ありがとう。君の気持ちを裏切らない為にも明日は良い返事が貰えるように頑張るよ。」


翌日、外周近くまで車を走らせてシロガネとサトルは交渉の場へと出向いた。

彼等は何もない空き地の中に一晩で大きなテントを張り、フェンス内にある木等を適当に見繕って焚き火や飲み水を既に確保していた。

フェンス越しの話し合いとは言え、危険度は高い。

特殊な工具さえあればこのフェンスも彼等に突破されるのは目に見えている。

しかし、サトルの予想では彼等がそこまで用意して来られないと踏んでいた。

「やぁ、皆さんこんにちは。昨日はよく眠れましたか?食事は十分にありますか?」

シロガネが問う。

「私達の事はどうぞお構いなく。そう思われるならば一刻も早くエーアイシンプトンズを我々に引き渡して頂きたい。」

その言葉にサトルが問う。

「引き渡す人数は?」

「今回、我々は調査も兼ねてこちらへ参りましたがこのフェンスを見る限りどうやらそれも叶わないらしい。引き渡しの人数は我々同人数の五人です。」

「五人?それでは済みませんよね?」

「勿論です。本来の目的としましては跡地から連れ去られた全てのエーアイシンプトンズを還して頂く予定ですが、今の我々にはその術がないのも事実です。ですから手始めに貴殿方がこちらに刃向かう姿勢がない証明として五人のエーアイシンプトンズを引き渡して頂きたい。」

「我々がそれを拒んだらどうなりますか?」

「貴殿方は既に国家反逆罪の疑いが掛けられています。拒否すれば正式に反逆者として罰せられます。」

「そうですか……五人ですね……分かりました。連れて来ましょう。ですが少々御時間を頂きたい。こちらも五人を選択するのに時間が必要です。」

「なっ!サ……何を……」

サトルという名前を口に出しそうになり、慌ててシロガネは言葉を遮断した。

彼等とサトルの会話は続く。

「では、お時間はどれくらいでしょうか。我々も見ての通り最低限の物資でこちらへ来ています。あまり時間はありません。」

「はい、あと三日は頂きたい。こちらも誰が下に行くのか少々話し合いが必要ですから。」

「解りました。三日、三日ですね。それ以上はこちらも待てません。もし三日経っても今日と何も変わりがないようならば我々は下へ戻り、貴殿方がこちらに反旗を翻したと報告しなくてはなりませんので……くれぐれも御約束は守って頂きたい。」

「わかりました、期日は守ります。では三日後に……。」

帰りの車の中でシロガネは憤っていた。

「サトル君、僕は君を連れて来た事を酷く後悔しているよ。君は何て事を勝手に言ってしまったんだ?エーアイシンプトンズ五人って誰を差し出すんだ?僕は一人も彼等に渡す気はない!君は何を考えているんだ!」

「落ち着いてよ……シロガネのお兄さん。」

「落ち着いてなんていられないだろ!君は僕らの苦労を……彼等の気持ちを踏みにじろうとしているんだぞ?!」

「百二十時間……」

「えっ?!」

「三日後には彼等がここへ到着してから百二十時間が経つんだ。」

「それが何だって言うんだ!」

「シロガネのお兄さん、まだ怒りが治まってないみたいだね。」

「当たり前だろう。」

「だからさ、百二十時間が経つんだ。彼等は全滅するよ。」

「えっ?!サトル君、何を……」

「僕はね、確認しに来たんだ。うーん、本当ならあんな優秀なエーアイシンプトンズは仲間にしたい所なんだけど……予想はしてたけど彼等の身体を見て僕は確信したよ。彼等はさ、精神や肉体強化の為に薬を長期に渡って接種しているね。」

「それって……」

「そう。つまり彼等は薬物依存者としてこの地では百二十時間近くで消される運命だって事だよ。」

そんな重大な話を軽々しく言うサトルにシロガネは寒気がした。

「待ってくれサトル君……じゃあ五人を引き渡すっていうのは……?」

「嘘だよ。」

「そんな……それじゃ彼等を見殺しにするっていうのか?それに戻らない彼等を下の政府の人間が何て思うか……」

「じゃあ、お兄さんはあんな彼等を僕らの仲間に出来ると思う?無理だよ。それから彼等が戻らない問題に関しても策があるよ。」

サトルが何を考えているのかシロガネには想像も付かない。

二人を乗せて無言のまま車は施設へと向かう。


施設に二人が到着してからまもなくタイキは園長室へ向かった。

部屋の中にはシロガネとサトルがいる。

「園長先生、その……交渉は上手くいきましたか?」

「……それなんだけど……」

困り顔のシロガネを制してサトルが口を開く。

「タイキ、僕から話すよ。交渉の件だけど話しは平行線だった。でもね、実は僕は彼等と交渉する為に行った訳じゃなかったんだ。」

「えっ?でも、交渉は得意だってサトルが言い出したんじゃ……?」

「まぁね、結果君達を騙すような形になってしまって、それはすまないと思っているよ。」

「騙す……?」

「そう。僕はね、下から来たエーアイシンプトンズの精鋭部隊の身体と精神の状態が知りたかったんだ。」

「で?」

「彼等は僕の予想通り薬物依存者だったよ。」

「嘘だろ?国の精鋭部隊が?」

「いや、むしろそうだと言えるよ。彼等が接種し続けているのは筋肉増強剤と向精神薬だ。それを飲み続けて普段から特殊訓練を受けているんだろうね。」

「サトル君、それは解ったよ。で、交渉時の話と君の考えをタイキ君に話してほしい。」

「そうだね。彼等は五人エーアイシンプトンズを手始めに引き渡すようにと言ってきたんだ。僕はそれに対して承諾したよ。」

「はぁっ?」

眉間に皺を寄せて憤るタイキの顔を見ても顔色一つ変えずにサトルは話を続ける。

「でも忘れちゃいけないよ、薬物依存者はこの浮遊地では百二十時間経つ頃に消える。彼等はそれを知らない。だから僕は五人用意するのにあと三日間の時間をくれと彼等に言ったんだ。」

「それを向こうは?」

「待ってくれるってさ。僕らはここへ連れて来たエーアイシンプトンズを一人も犠牲にする事なく、あとは時間が解決してくれるんだ。」

「ちょっ、それって……放置して死ぬのを待つって事だろ?何も知らない彼等をフェンスの中に閉じ込めて……そんな事が許されると本気でサトルは思っているのか?」

「ここへ逃げて来たエーアイシンプトンズを守る最善策だと思うけどね。ただ放って置けばいい。特殊部隊が全滅するのは誰の所為でもないよ。この地のシステムなんだ。」

また、システムか……納得のいかないタイキはサトルに噛みつく。

「初めからそれを知ってて放置するなんて僕らが彼等を殺すようなものだ。今ならまだ彼等を助けられる。どうしてサトルは誰も殺さない方法を考えないんだ?!」

「それは彼等との交渉は決して上手くいかないのが判っているからだよ。彼等は政府に洗脳されている。僕らが何を言っても命令を遵守する事しか考えていないし、彼等はそれしか出来ないんだよ。」

首を横に振りタイキはシロガネに聞く

「園長先生、いや、シロガネさんはどう思いますか?僕は甘いと言われるかも知れませんが彼等を死なせずに下へ送り返したい。そしてこの地のエーアイシンプトンズも一人も下へ戻したくないんです。どうすれば……どうすればいいでしょうか?」

「……僕もタイキ君と同じように思っているよ。サトル君、いくら政府側の人間だろうとやっぱり僕は見殺しにするような真似は出来ないよ。それにだ……サトル君の言う通りにしてしまったら僕は一生この先後悔をするだろう。」

二人の意見を聞いたサトルは「ふぅーっ」と溜め息をついてから

「分かった……別の方法を考えるよ。少し時間が欲しい。」

そう言い残して自分の部屋に戻って行った。


タイキは部屋を出ると取り敢えず外の空気が吸いたくなり庭に出た。

桜の木の前に置かれたベンチに座り、星空を眺める。

サトルは元々あんな冷酷な人間だったのだろうか?

そして自身の身体を取り戻した今、サトルは何をしたいのだろうか?

一度頭を冷やしてからタイキは数日ぶりに自宅へと戻った。

玄関から部家の中を眺める。

廊下の先には広いリビングが見える。

タイキは何かを思い出したように部屋に入ると大切な書類を入れている戸棚の扉を開けてゴソゴソと何通かの書類を手にするとその中の一通を手に取りソファーに座った。

封筒から書類を取り出し目を通すと「はぁーっ」

と右手を額に当てて溜め息をつく。

書類は入居時の契約書でそこにはいつここへ入居したのかが記されていた。

期日は六年前。

タイキが今の職場で働き始めたのが五年前の二十歳、十八歳で自身が育った施設を離れてから数ヶ月後にはホームレスになっていた。

しかし、この書類を見ると自身が十九歳でこのマンションに住み始めた事になる。

記憶喪失の期間は約一年……この一年間はタイキにとっての空白の一年間だ。

いや、もしかしたら一年と数ヶ月なのかも知れない。

二十歳になってすぐの頃、サトルとの共有している記憶が僅かにあるが、それより前の思い出せないでいる期間がこんなにも長くある。

タイキが全く記憶のないこの時期に既にサトルは自分の中に入り込んでいてこの部屋を買い上げている。

「僕の身体を使って何をしていたんだ……?」

タイキは思い出したくても思い出せない大きなストレスでパニックに陥りそうになる。

その時、部屋のインターホンが鳴った。

画面を見るとそこにはサトルが立っている。

「どうぞ。」

暫くすると玄関のチャイムが鳴ってサトルが部屋までやって来た。

リビングでサトルは部屋をざっと見渡して

「ふーん。あんまり変わってないな……。」

独り言のように呟いてから「よいしょ……」とソファーに座った。

そしてテーブル上に置かれたマンションの契約書をチラリと見てこう言った。

「タイキ、君の記憶がない期間に僕が君の身体を使っていた事でも思い出した?」

「いや……思い出せないんだ。なぁ、サトル教えてくれないか?」

「そうだな……大した事はしてないよ。僕は産まれた直後から研究所にずっと閉じ込められていてね、毎日検査と実験を繰り返されていたんだ。八歳の時だったな……研究所の人間以外の人に出会ったのは……その人は僕にとって大切な人になった。外の世界を少しだけ知った僕は自由になりたくてね。でも一生研究所から出られないと思っていたからその数年後に流行った病気を利用して僕を世界中にバラ蒔いたんだ。」

「ごめん……話に付いていけない。流行った病気って?」

「タイキも罹患者だよ。水に生息する新種のアメーバでね、人の脳に寄生して植物状態にしちゃうんだ。」

「僕も……?植物状態に?」

「うん。おまけに君は罹患前に交通事故に遭っていたんだ。記憶喪失の原因はそれだよ。」

「それは……なんとなく……でもバラ蒔いたって?」

「君の脳にも入っているだろ?チップがさ。そのチップの産みの親は僕だよ。」

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