第5話 浮遊地の跡地
車はそびえ立つ柱の横を通って次の目的地へと走る。
言葉を失ったタイキにノゾムの方から話し掛けてきた。
「ねぇ、タイキ先生。これから何処へ行くの?」
タイキはつい先程知ってしまった事を未だに受け止めきれずにいた。
「ん……?あっ、ゴメン……ノゾム君、今何て?」
「うん、これから何処へ行くのかなって……。」
「あぁ、ゴメン……そうだね、ニナちゃんの家に行ってみようかと思ってね。」
「ふーん……。」
何かをノゾムに話し掛けようと思っても先程のショックとこれからの事を考えるだけで自然と言葉数が減る。
朝施設を出る前に副園長から教わったニナの家の住所を頼りに車は次の目的地へと向かった。
「この辺りかな……。」
車は浮遊地の外周近くにまで来ていて、そろそろ車では進めない所まで来ていた。
タイキは車を一旦停めてノゾムに言った。
「ね、ノゾム君。ここから先は危ないからこの中でハイロと待っていてくれるかな?」
「うん、分かった。」
タイキは一人で車から降りると数メートル先に見える瓦礫の山へと向かって歩いて行く。
すると無造作に立つ線の切れた電信柱を見付けてそこに書かれている住所を確認した。
目的地には既に到着していてもおかしくはないのだが……。
もう暫く足を進めると昨日も見た半分崩れた団地のような建物の前に着いた。
「ここか……。」
何◯何号と書かれた紙を確認するもその場所は既に無くなっていた。
「あぁ、そうか……。」
タイキはそれを確認すると車に戻る。
途中に昨日も見た土と人間の塊を数ヶ所で見掛けて手を合わせる。
このように多くの人が明日の夜には亡くなるのかと思うとまた絶望的な気持ちに押し潰されそうになる。
「ノゾム君、お待たせ。じゃあ帰ろうか……。」
「うん。」
二人と一匹を乗せた車は施設へと向かう。
帰りの車中は来る時とはうって変わって二人は殆ど口を開かなかった。
ノゾムは時折ハイロと会話をしているらしくハイロの頭を撫でながら頷いたり首を横に振ったりしていた。
施設に戻ると笑顔のヒロ先生と子供達が出迎えてくれる。
そして子供達の後ろにはエンの姉のエイとニナの姿もあった。
二人は意気投合したようで何やら話をしている。
どうやらお菓子教室はそれなりに上手くいったようだった。
「タイキ先生~、今日はみんなでクッキーを焼いたの!」
年少組の女の子からそう言って見せて貰ったお皿の上には沢山のチョコチップクッキーが盛り付けられていた。
「へぇ~、凄いね。美味しそうだ……。」
一生懸命いつもの自分を演じようとしても上手くいかない事はタイキ本人が一番分かった。
「あの……タイキ先生……何かあったんですか?」
「ん……いや、何も……。すみません、ヒロ先生。あっ!そう言えば園長先生とガミ先生は帰って来ましたか?」
「あ、はい。帰って来たのは園長先生だけですけど……ガミ先生は暫く入院されるそうです。」
「そうですか……じゃあ僕は園長先生に報告したい事があるのでノゾム君にクッキーを食べさせてあげて下さい。あっ、僕も後から頂きます。じゃあノゾム君、ハイロもありがとうね。手を洗ってからクッキーを食べるんだよ?」
「うん。」
「ヒロ先生、じゃあノゾム君をお願いします。」
「あっ、はい。」
ヒロ先生の目に今の自分はどう映ったのだろうか……。
いつものタイキ先生として振る舞えただろうか?
そんな事を考えながら園長室へと向かった。
ノックをして扉を開ける。
「失礼します。」
「やぁ、タイキ君。お疲れ様。」
ニッコリ笑ういつものシロガネがそこにいた。
その笑顔を見てタイキの口からは言葉が洪水のように溢れ出す。
今朝起きられなかった謝罪に始まり、ノゾムとの会話で知った百二十時間というタイムリミットやエンがクリスタルの信号のようなものをキャッチしている可能性があって他にもそのような子供がいるかも知れないという事。
その後、ノゾムと二人で柱の前まで行って聞いた話やニナの家がもう無くなっていた事、それから…。
どこからどう説明すればいいのか分からずに取り敢えず支離滅裂な事を口走っているのだけは自身でも分かる。
「ちょ、ちょっと落ち着いて。タイキ君……一回深呼吸しよう?」
はぁーっと大きく深呼吸をしてから順を追ってタイキは話をした。
「あぁ、今朝の事は気にしないで。僕がわざと起こさなかったんだ。ガミ先生を病院までね……でも急に受け入れてくれる所がなくて三ケ所廻ったよ。取り敢えず意識が戻るまでは入院だって。それからノゾム君の話ね……実は僕は昨日の夜に同じ事を少し想像してしまったんだ。」
「えっ?同じ事って……?」
「うん、ノゾム君が言った排除されるって件ね。タイキ君は病気が無くなればって言ったけど、僕は病気の人間そのものが……って思ってしまったんだ。どうやら僕の想像の方が当たってしまったようだね……。」
「じゃあ、それを踏まえて園長先生はどうされますか?ガミ先生は……?」
「そうだね……僕も最悪の事態を考えているよ。おまけに今のタイキ君の話だとタイムリミット付きとくる……。」
「それじゃあ……。」
シロガネは暫く考えてからハッとした様子でタイキに言った。
「いや……?でもノゾム君の話に一つ引っ掛かった事があるよ。死にたいのに死ねないでいる人も排除されるっていう……。」
「……どういう事ですか?」
「うん、その……クリスタルにはさ、人の想いを汲み取る力もあるんじゃないかって……。」
「それじゃあ……。」
「これは仮説に過ぎないけれど……逆に生きたいっていう強い意思を持った人なら……?」
「助かる可能性はあるって事……ですか?」
「そうかも知れない……。」
絶望しかなかったタイキの心に一筋の光が差し込んだように思えた。
あとはこれをどうやってこの土地の人達に広めるかだ。
急にこんな話をされたらパニックにならないだろうか?そしてこれはあくまでも仮説に過ぎず可能性でしかない話だ。
また、根本的にこんな話を信じる人間がいるのだろうか?
また大きな壁がタイキの目の前に立ちはだかる。
するとシロガネが言った。
「この地には放送局がないんだ……だから下の人もここの様子を知る事が出来ない。それにノゾム君の話を信じれば時間ももうない……。そこでだね、僕は一つ思い付いたんだけど、下に一度戻ろうと思うんだ。僕ならテレビ局とか各放送局に知り合いも沢山いるし、簡単に受け入れて貰える。」
「あ……そうか……園長先生だったら色々なテレビ局に簡単に出入りが出来るんだ……。」
「うん、この身がこんな風に役に立つとは思わなかったけどね……。」
「でもどうやって下に行きますか?」
「うーん、あんまり気乗りしないけど……この際そんな事を言ってはいられないな……タイキ君、君に協力してほしいんだ。」
「と、言いますと?」
「スカイダイビングだよ。僕一人ではここからの高さを飛ぶのは些か心許ない。でも身体能力のエボリューターのタイキ君と二人ならなんとかなると思うんだ。」
「……わかりました。一緒に下へ行きましょう。」
「そうとなったら善は急げだよ。暗くなる前に下へ行こう。」
「はい。」
「じゃあ、三十分後に施設入り口で落ち合おう。」
予定時刻に施設入り口へ行くとシロガネが大きな荷物を抱えてやって来た。
「やぁ、タイキ君。手伝ってほしいんだ。」
「はい、勿論です。何処に運びますか?」
車に荷物を詰め込んで二人は外周へと向かう。
道中タイキは疑問に思った事を聞いた。
「あの……園長先生、ここへ来る時にもスカイダイビングして来たって言ってましたけど……そんな趣味があったんですか?」
「いや、ないよ。大昔にねテレビ番組の企画で一度飛んだ事があってね……その時は四千メートルくらいの高さだったからそれぐらいなら一人で飛べるかなーって。」
「そんな……随分と無茶を……。」
「いや、あの時僕はヨーロッパにいたけど報道を見て僕の家がある場所だったからさ……居ても立ってもいられなくてね。」
シロガネは自身が持つ施設を"家"と呼んでいる。
「そうでしたか……。」
そんなやり取りをしているうちに車は外周ギリギリの所に到着した。
「さ、準備を始めよう。」
タイキ自身はスカイダイビングの経験はない。
知識も殆どなく、つい先程ネットを見て情報を漁り、脳内シミュレーションしたばかりだ。
だが、今回ばかりは自分の運動能力と身体能力の高さを信じるしかなかった。
「よし。じゃあタイキ君、お願いするよ。ここから下までは十キロ位はある。いけるね?」
「はい。」
シロガネの背中を自身のお腹に当てて抱えるような体勢でハーネスを固定してからタイキとシロガネは空中へ飛び出した。
時間にするとほんの数分間、経験はないが無重力があるとしたらこんな感覚なのではと思った。
陸地を確認すると全身の筋肉をコントロールして安全そうな場所を見付けて無事に着陸する。
「ふぅ~、なんとか無事に着いたね。でも本番はこれからだよ。」
二人が降りた場所はシロガネに指示された場所からだいぶ離れた場所だった。
でもここならばすぐにタクシーでも何でも見付かるだろう。
少し歩いてタクシーを拾い、行先を運転手に聞かれたシロガネは
「◯◯テレビ局へ向かって下さい。」
そう告げておもむろに携帯電話を取り出すと何処かへ電話をし始めた。
暫くその様子をタクシーに揺られながら見ていたタイキはこれからどういう事が起こるのか想像しつつも全く関係のない事に気が付いた。
それはここの空気がとても汚れているという事だ。
今までこんなに汚れた空気の中で平然と生きていた事が不思議になる。
そして僅か四日間程度でこんなにも外気に敏感になっている自分を不思議に思った。
テレビ局前にタクシーが停まり二人は中へと入って行く。
受付でシロガネを待っていたスタッフとおぼしき人がシロガネをスタジオへと案内する。
タイキはスタジオ入り口までシロガネに付いて行ったがその先に用意されたセットには足を踏み入れないようにストップをかけられた。
シロガネの付き人という名目でこれから起こる一部始終を見守る。
ニュース番組でよく見るようなカウンターテーブルにシロガネが座り、その両脇にキャスターの男女が座った。
「それじゃ、始めまーす!!サン、ニー、イチ、キュー!」
「皆さん今晩は。今日のニュース◯◯は当番組独占放送の緊急特別番組として特別ゲストのシロガネさんを迎えお届けします。」
「シロガネさん、シロガネさんは浮遊地から本日はこのスタジオに起こし下さったそうですね。」
「はい。僕は三日前にヨーロッパから浮遊地へ向かいました。」
「今、各省庁や自衛隊が浮遊地へ調査に行こうとしていますが、ヘリや飛行機では行く事が不可能だと言われておりますが……。」
「その通りです。あの浮遊地に近付くと飛行機の計器が乱れて……」
それは知っていますよと云わんばかりに男性キャスターが質問を変える。
「では、シロガネさんはどのようにして浮遊地へ辿り着く事が出来たんですか?」
「僕は……少し荒っぽいけれど、自家用飛行機でギリギリまで近付いてスカイダイビングしたんです。」
「ほぉ。そうでしたか……。では浮遊地の様子をお聞かせ下さい。あちらはどうなっているんですか?」
「いや、何も起こってはいません。むしろ普段通りなんです。それには僕も初めは驚きました。」
「インフラ等はどうなっていますか?」
「それも正常に機能しています。この地上で放送されているテレビも観る事が出来ているんですよ。」
「そうですか……今、浮遊地は独立した場所となっていますが、治安等は如何ですか?此方では無法地帯になっていると噂されていますが……」
「それも元々あった警察が普通に機能しているように僕には見えました。但し夜に起こった事なので昼間程の人員が確保出来ているかは分かりません。社会や経済は普段通りに機能しています。但し、一部を除いては……。」
「一部と申しますと?」
「はい、浮いた地面の境目にあった場所です。そこは土が掘り起こされたようになっていて早急に整備をした方が良いと感じました。」
「浮遊地の中心辺りと思える場所に巨大な建造物が突如表れたようですが、シロガネさんはそれを間近で御覧になられましたか?」
「僕は間近では見ていません。でもうちのスタッフが見て来たそうです。」
「何と仰っておられましたか?」
「いや、只の柱だったと……材質までははっきり分かりませんが何か石のようだと言っていました。」
「そうですか……一旦ここでコマーシャルを挟み引き続きシロガネさんのお話を伺いたいと思います。」
「は~い、オッケーでーす!」
番組がコマーシャルタイムになったらしくタイキはシロガネに近付く事を許された。
小声でタイキはシロガネに言った。
「園長先生、大丈夫ですか?なんだか尋問にあってるようで……僕は……。」
「タイキ君、これでいいんだよ。ある程度の質問に答えたら僕は本題に入ろうと思う。あっ、始まるよ。」
急いでタイキは元いた場所に移動した。
その後もシロガネは両脇に挟まれたキャスターから沢山の質問を受けて全てに答えていた。
そこにはいつもの園長先生ではなく、有名ミュージシャンであるシロガネの姿があった。
「シロガネさん、本日はありがとうございます。番組は以上になりますが、この番組を観ている視聴者に何か仰りたい事はありますか?」
「あぁ、はい。今後、浮遊地では普段の僕等では想像もつかないような事が起こる可能性もあります。僕はこの場をお借りして浮遊地の皆さんに言いたいです。何が起きても慌てずに心を強く持って下さい。人は心を強く持つ事で何処ででも生きていけます。僕もそちらにすぐに戻ります。そして浮遊地での明るい未来を一緒に創りましょう。」
「本日はありがとうございました。」
「ありがとうございました。」
番組が終わり、テレビ局内のカフェに二人は移動した。
「園長先生、なんか別人みたいでしたよ。」
「そうかな?ね、タイキ君。僕の最後の言葉は上に住む人達に伝わっただろうか?……公共の電波ではああ言うのが精一杯だったんだ……。あれ以上の事を言ってしまうと不安を煽って混乱を招くし、憶測でものを言えなかったから……。」
「それは僕にも分かります。園長先生は今僕らが出来る事を最大限にやってくれたと思います。」
「そうか……な……。」
「はい、ところでどうやって上に戻るんです?」
「それは簡単だよ。一度既に経験しているからね。うちの飛行機で浮遊地ギリギリまで近付いて……後はタイキ君、お願いするよ。」
「あぁ……やっぱり……。」
「大丈夫だよ、さっきよりは高くはないから。じゃあ、一旦うちの飛行場まで行こうか。」
「はい。」
テレビ局を出たところで二人はスーツを着た複数人の大男達に取り囲まれた。
「ちょっと、何ですか?」
タイキはすかさずガードマンよろしくシロガネを守るように彼等の目の前に立ちはだかった。
彼等の身長は百八十センチ以上のタイキとそう変わらなかったがスラリとした体型のタイキに比べて皆、肩幅が広くガッシリとした大柄な体格をしていた。
「私達は政府の者です。貴殿方にお話を伺いたいと思いまして……我々と一緒に来て頂けませんか?」
言葉尻は丁寧だが、一緒に行かないとは言わせない雰囲気を漂わせている。
「あの……僕達はすぐに家に帰らないといけないのですが……。」
シロガネがそう言うと
「その前にどうしても貴殿方に色々と御協力をお願いしたいのです。申し遅れましたが私はこのような者です。」
目の前の男がタイキに名刺を差し出してきた。
そこには内閣府~省特殊~緊急対策本部~課~室とごちゃごちゃした肩書きに名前が書かれていた。
受け取った名刺に殆ど目を通さずに背後のシロガネに渡す。
それに目を通したシロガネが言った。
「分かりました。僕に協力出来る事があるならば……」
「では、こちらへ……。」
男達に囲まれながらゾロゾロと黒塗りのバンに二人は乗り込んだ。
「今から~省の緊急対策室へ向かいます。詳しいお話はそちらで……。」
「あぁ、はい。」
タイキは黙ってシロガネの隣に座っていた。
三列シートタイプのパンの後ろでは先程の男達が一斉にノートパソコンを開き何やら打ち込んでいる。
助手席に座った名刺の男は運転席に座った男に指示を出していた。
車が走り出してから三十分程経った街中でバンはとあるビルの前に到着した。
「さぁ、着きましたよ。こちらへどうぞ。」
またしても男達に囲まれながらビルのエレベーターに乗る。
エレベーターの扉が開くとオフィスのような場所に着いた。
電話で何かを話している者や書類を抱えて動き回っている者、またデスクにかじりついてパソコンを操作している者……行き交う人々に慌ただしい様子が見てとれた。
「こちらです。」
彼等を横目に廊下を歩き、一つの扉の前に着いた。
扉を開くと立派なデスクに男が一人座っていた。
シロガネの顔を見て男は立ち上がり手を差し伸べながらこちらに近付いてくる。
どうやら彼がここの責任者のようだ。
「初めまして。お忙しいところよくぞいらして下さいました。」
男とシロガネが握手をしていた時に別のスーツの男が責任者とおぼしき男に耳打ちする。
「ん……?」
タイキにチラリと目をやった男がシロガネに尋ねた。
「で……そちらの彼は?」
「あぁ、彼はうちのスタッフです。」
「そうですか。今報告を受けて知りましたが彼はエーアイシンプトンですね?」
「あ、はい。それを言ったら僕も……」
シロガネがそう言ったか言わないかのうちにタイキは先程まで自身の周りを取り囲んでいた男達に両腕を掴まれて捕らえられるような格好になった。
「ちょっと!!これはどういう事です?!」
シロガネの強い口調に男は答えた。
「あなた方の事はここへ来る途中で調べさせて頂きましたよ。シロガネさん、貴方はともかくとして彼には強制労働者になって頂きます。」
「えっ?!な、何を言っているんです?!」
焦るシロガネに男は続ける。
「シロガネさん、貴方もお分かりでしょう?今この国は未曾有の危機に陥っているのですよ。なのに最近の若者達は自ら国の為に動こうとはしない……。嘆かわしい話です。ですから私達の管理下にあるエーアイシンプトンズを先ずは若者達のお手本として国の有事の為に強制的に働いて貰っているのです。しかし、如何せん人員が足りませんでね。少々強引かとは思われますがこのような方法を取らせて頂きますよ。」
その話を聞きながら抵抗したタイキは両腕を押さえ付けられるどころか床にねじ伏せられて後ろ手に手錠をかけられ、あっという間に口に猿ぐつわまで噛まされていた。
身体能力のエボリューターであるタイキでも隙をつかれ、特殊な訓練を施された屈強な男達複数人に取り押さえられては身動きひとつ取れなかった。
「うーっ!!うーっ!!」
タイキは言葉にならない声を上げてシロガネの方を見上げると同じように両腕を塞がれながら怒りをあらわにする姿が見えた。
その姿を一瞬見たかと思った次の瞬間に首の後ろにガツンと痛みと衝撃を覚えてタイキは意識を失った。
目覚めると固い床の上に寝転がっていて全身がだるく長時間同じ体勢でいたのかあちらこちらが痛む。
どれくらいの時間が経ったのだろうか。
窓もなく薄暗い部屋の中のようでタイルの床の冷たい感触だけが伝わってくる。
手錠は外されていたので取り敢えず上半身のみ起こして辺りを見渡す。
この部屋は床だけではなく壁もタイル貼りになっていてがらんとした広い風呂場か実験室を連想させた。
誰か近くにいないか気配を探る。
どうやらタイキ一人でこの部屋の中にいるようだ。
気を失う前に聞いた強制労働という言葉が頭をよぎる。
そんな事を国が許しているのかがにわかに信じがたいがこうして捕らえられた以上、これは事実なのだ。
もしかして公務員を語った大掛かりな組織か何かに騙されて連行されたのかも知れない等と非現実的な考えしか思い付かない。
今は一体何時でシロガネは何処にいるのだろうか。
そんな事を思っていると急に部屋の中が明るくなった。
誰かが電気を付けたらしい。
壁の白いタイルに光が反射して更に明るく感じる。眩しさに目を細めているとガシャンと鍵が開くような音がしてギギギッと重たそうな扉が開く音がした。
音の方へ目をやるとスーツを着た大柄な男と作業服を着た小柄な男が入ってきた。
「コイツが新入りですか?」
小柄な男がスーツの男に聞く。
「あぁ。」
「で?能力は?」
「それがな……右手の薬指と小指なんだ。」
「はぁっ?そんなの何処にまわせっていうんです?」
「何処でもいい。とにかく人手は足りてないんだろう?」
「そうですけど……」
スーツの男に言われて作業服の男が続けた。
「人手は足りてないって言ったって……そんな能力じゃノーマルと変わらんでしょう?」
「そうだが、一応エーアイシンプトンとして登録はされているからな……。」
小柄な男がイライラしながらタイキを見て言う。
「もう、お偉いさん達は現場を分かっていないんですよ。まぁ、見た感じ若そうだし、何かしらでは使えそうですけど……。」
「じゃあ、頼んだぞ。」
スーツの男は作業服の男を残して部屋から出ていった。
小柄な男がタイキに言った。
「お前も運が悪かったな。こんな所に連れて来られて……。」
「あ……あの……僕は何処にいて、今は何日の何時ですか?」
「はぁ?お前、頭大丈夫か?」
「いえ、その……気絶してたみたいで……起きたらここに……。」
溜め息をついてやれやれといった様子で男は言った。
「お前がここに連れられて来たのが昨日の夜だったから……そうだな、半日近くが経ったって所じゃないか?今は朝七時半だよ。」
「えっ?!僕はそんなに眠っていたのか……?」
「まぁ、おおかた薬でも打たれたんだろ?強制連行される奴らは大体そうだからな。」
それを聞いてタイキが真っ先に考えたのはタイムリミットまでの事だった。
男の話が本当ならばクリスタルが要らないものを排除するまでおよそ半日。
今日の夜には何かしらが起こってしまう。
「今は朝の七時半……あの、僕はこんな所でゆっくりしていられないんです。早く……早く上に戻らないと……。」
「上って何だ?浮遊都市の事を言ってるのか?」
「はい。」
「おっと、嘘だろ?俺達はその所為でここにいて、こんなクソみたいな事させられてるってのにか?」
「ここから出て園長に会わないと……」
男の言葉を無視して立ち上がり出口へ向かおうとした時にガシッと腕を捕まれた。
「おい!……何処行くんだよ?」
「だから……帰ります。帰らないと……。」
「おいおい、人の話聞いてたのか?お前はこれからここの作業員として働くんだよ!!」
異常な力でタイキの腕を掴んだ男は間違いなく手のエーアイシンプトンだろう。
「いいか?よく聞けよ?これから俺達は浮遊地の跡地の現場作業員として働かなくちゃならないんだ。エーアイシンプトンなら分かるだろ?国の有事の際には……ってやつだ。」
「知っています。でもそれって強制的ではなかったはずですよね?」
冷静に問うタイキに向かって男は言った。
「こんな作業、強制でもない限り誰がやるって言うんだよ。いいか?跡地は今、未知の電磁波ってやつに覆われてんだ。それが人体にどんな影響を及ぼすのかも分かってねぇ。」
「そんな……」
「現実を見ろよ。エーアイシンプトンってだけで肩身の狭い想いして今まで生きてきたんだ。お前もこんな人生まっぴらだろ?この作業が終われば俺等は保証金に苦しめられる事もなくなる。危険かも知れないが、これはチャンスなんだよ!!分かったら俺について来い!」
ひとまずこの部屋から出なくては何も始まらない。
タイキは男に連れられて部屋を出た。
廊下の窓から見えた外の景色は昨日のテレビ収録後にバンに乗せられて行ったビルのある街の中の景色とは全く違うものだった。
外に出ると始めに土の匂いがして次には古い油のような臭いが鼻を襲う。
見渡すと遠くに有刺鉄線を張り巡らせたフェンスが見えた。
「おい、今更逃げようなんて思うなよ?あのフェンスには強力な電流が流れているんだ。触ったら感電死だ。」
男の言葉を聞きながら足を進めると驚きの光景を目にした。
それは一目瞭然という言葉はこの為にあるのではないかと思うような光景でここにいる全ての人間がエーアイシンプトンなのだと思い知らされるものだった。
通常工事現場で使われているショベルカーやトラックに混ざってある者は常人では決して持ち上げられる筈のない瓦礫を素手で持ち上げて運んでいる。
また、ある者は異常な早さで地面を踏み慣らしたり掘り起こしている。
またある者は地中に埋まった石を素手で砕き、それを拾った者は尋常ではない早さで何処かへ運んでいた。
驚いているタイキに男は言う。
「なんだよ、そんなに驚くもんでもないだろ?しかし、あれだな……こんなにもエーアイシンプトンズが同じ場所に集うのも珍しいだろ?こうして見ると俺達の本来の姿はこうですよって誰かに言われてるような景色だな。」
それは人間なのだが人間ではない、まるで何処かの大きな工場で働く様々な種類のロボット達のようだった。
「あー、お前の働く場所は……っと……ここじゃないな。ここは主に四肢のエーアイシンプトンズが働く場所だからな。ここじゃ文字通り適材適所ってな、その能力に応じた場所がセクションごとに別れてて能力に合った場所を充てがわれるんだ。お前の場合なぁ……右指二本か……しかも普段はあまり使わない薬指と小指だろ?どーすんだよ……。」
男の後ろを付いて行くと簡易的に建てられた大きめの建屋が数棟立ち並ぶ一画に着いた。
「うーん、ここなら何かしら出来る事もあるかもな。」
独り言のように呟いてタイキを招き入れた。
中には長テーブルが川の字に並びパソコンが数十台置いてある。
パソコンの前に人が座り何やら作業をしている。
人手不足なのは目に見えていてこれだけ用意されているのに数列分は誰にも使われておらず空席だった。
手元を見るとこれまた人間とは思えないスピードで何かを入力していてデータのような画面が凄い早さで次々と切り替わっていく。
「あの……ここは?」
タイキの質問に男は答える。
「あん?ここは……そうだな、ここの情報処理室ってとこだな。目と手指のエーアイシンプトンズが主にいる。けど……お前、指二本でこの作業スピードに付いてこられるか?」
「いえ……僕にはとても……」
「だろうな。うーん……じゃ、次だ。」
二件目の建屋の中はこれまた異様な光景で先程と同様に川の字に並ぶ長テーブルにあまり見た事のない機械が各個人の目の前に置いてある。
その人達はヘッドホンを全員装着して機械とにらめっこをずっとしている。
そして時折何かに気付くと傍らのパソコンに入力する。
「あの……ここは?」
「しーっ!!……。」
男は一旦タイキの腕を引っ張って表に出る。
「悪かったな、入る前に言うのを忘れてた。ここは私語厳禁だ。」
「では……ここは?」
建屋の外に出たのにも関わらず小声で話をする。
「見ての通りだよ。耳のエーアイシンプトンズの集まりだ。皆、常人には聞こえない音を聞いて随時報告している。まぁ、未知の電磁波の音を探っているってところだな。」
「ここも……僕にはお役に立てない場所かと。」
「わかってるよ!ついでだ。ついでにここの案内をしてるんだよ!それともお前、何も分からずに只ひたすら働こうとしてるのか?そんなやる気があるようには見えないがな!」
「あ、そうだったんですね。他にはどんなセクションがあるんです?僕にも務まるような場所があれば良いのですが……。」
その気はないが、一応話は合わせる。
「お!ようやくやる気になったか?!他の場所も案内してやるよ。」
次にタイキが連れていかれた場所は土の山が密集する奇妙な場所だった。
「あの……何の臭いですか?これ……」
「お?何か臭うのか?もしかしてお前、普通の奴より鼻が効くのか?」
タイキの身体能力は全てに於いて常人の数倍である。
「あ……なんか……この臭いって……」
それを聞くと男は嬉しそうに言った。
「じゃあ、お前の働く場所は決定だ。」
少し遠くに人影が見えるとタイキはニナに初めて会った光景を思い出した。
ここにあるのは土と人が混ざった山だった。
「ここはよぉ、鼻のエーアイシンプトンズが主にいるんだけどよ、如何せん人手不足なんだよ。鼻のエーアイシンプトンなんて珍しいからな。」
「で、鼻のエーアイシンプトンズは何をしているんですか?」
「あん?見ての通りだよ。死体漁りだ。」
逃げ出すにしても先ずは情報が必要だ。
タイキは施設内の様子を隈無く把握する事にした。
案内されながら思ったのはどうやらタイキが身体能力のエボリューターである事実を幸いにもこの男は知らないらしいという事だ。
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