第4話 不必要なもの

施設へ到着すると子供達とヒロ先生がお出迎えに来た。

ヒロ先生はニナの顔を見て思わず

「ひっ!!」

声を上げて慌てて自身の口を手で被う。

「やぁ、ヒロ先生ただいま。突然で悪いんだけどお風呂を使ってもいいかな?」

「あっ、園長……はい……大丈夫です。」

「あ、それとね、彼女はニナちゃん。少し事情があってね。暫くうちに居てもらうんだけど……ヒロ先生、お風呂の場所まで案内してあげてくれないかな?」

「……はい。」

何か言いたそうなヒロ先生よりも先に口を開いたのはニナの方だった。

「あ、オネーさん。昨日はどうも。」

びっくりしているヒロ先生にニナは言った。

「ちょっとヒドイよねぇ?人と目が合った瞬間叫ぶなんてさ、失礼だよね?ねぇ?」

「えっ?あ……あの……。」

戸惑うヒロ先生にタイキが言った。

「あっ、ヒロ先生。彼女は右目のエーアイシンプトンだそうです。」

「……そうですか。じゃあ昨日は……って……。」

「だぁかーらー、見えてたの。オネーさんと目が合ったでしょ?そしたら車の中で叫んでたじゃん、人の事見て……あれってマジ失礼。」

「ご……ごめんなさい……」

ニナの言葉にヒロ先生は戸惑いうつ向いてしまう。

「はいはい、取り敢えずニナちゃんは身体に付いた泥を落とそうよ、話はそれから。」

シロガネに言われてニナは渋々ヒロ先生に次いで部屋を後にした。

二人が視界から消えるとタイキは言った。

「彼女……大丈夫ですか……?」

「ん?彼女ってどっち?ニナちゃん?ヒロ先生?」

「いや、ニナちゃんですよ。」

「うーん、どうだろうねぇ……。ほら、うちはさ、みんな小さい頃からここへ来るけど、いきなり中学生を預かる事はないからね。」

「それもそうですけど……彼女、なんか……。」

「なんか、何?タイキ君は何が引っ掛かっているの?」

「いや……なんですかね……こう、ちょっとものの言い方が攻撃的っていうか……。」

「それを言ったらエンの方が酷いよ、アハハ。ニナちゃんのあれはさ、恐らく彼女の父親の口振りだと思うよ。そうやって育てられたんだろうね……他人より先手を打って攻撃的に話す事で自分を少しでも優位に立たせようとして守ろうとしているんだ。心の弱い人間の特徴だよね。さぁ、僕等も一汗流して先ずは食事を摂ろうよ。」

少し能天気にも聞こえる、サラッとものを言うシロガネの口振りも親の影響なのだろうか?

タイキが風呂から上がると食堂には子供達に混ざってニナの姿があった。

髪も身なりもすっかり綺麗になっている。

あれだけぐちゃぐちゃだった髪の毛は肩下ぐらいまで伸びた綺麗なストレートヘアだった。

父親に殴られたのか左目の腫れは引いてはいなかったが、最初に見た姿と比べればかなり普通の女子中学生らしく見えた。

「みんな~、食事の前にひとつだけお話があります。さ、ニナちゃん此方へ。」

シロガネに手招きされてその横に立つ。

「彼女はニナちゃん。今日からここでみんなと一緒に生活をします。みんな、仲良く宜しくね。」

「は~い!」

元気な子供達を目の前にニナはうつ向いたまま頭を下げた。

「ニナちゃん、君からも一言何かみんなに言ってあげて。」

「あ……ニナです。よろしく……。」

「はい、じゃあニナちゃんは席へ戻って御飯を食べましょう!」

その声にニナはうつ向き加減のまま席へと戻り、頂きますも言わずに食べ始めた。

余程お腹が空いていたのだろう。

そのガッつく姿は何日も食事にありつけなかった野犬のようだった。

普段は食事中はテレビを付けないのだが、ここ三日間は外やこの地の下の様子を知る為に職員が寝る時以外テレビはフル稼働していた。

子供達はニュースに興味がないようでいつも通りに食事をしている。

タイキはニュースを見ながら時折ニナの様子を見つつ食事をしていた。

「ふぅ~、御馳走様……。」

そう言って席を立ったのはガミ先生だった。

いつもならタイキよりもよく食べておかわりをするのが恒例なのに、そんなガミ先生をタイキは初めて見た。

「あれっ?ガミ先生、今日はもういいんですか?」

「ん?あぁ、なんか食欲がなくてな……。」

心なしか元気もないように見える。

「えっ?大丈夫ですか?何処か具合が悪いとか?」

「ん~、いや?……まぁ……。」

やっぱり何処か調子が悪そうだ。

「大丈夫です?」

「ん~、そう……だな……少し……」

そう言いながらガミ先生はその場で仰向けにバタンと倒れてしまった。

片付けようとした食器が床に落ちる。

タイキにはそれがスローモーションのように見えた。

咄嗟に手を差し伸べたが広いテーブル越しのそれには当然届く事はなかった。

身体の大きなガミ先生が急に倒れたので大きな音と共に子供達の悲鳴が食堂に響き渡る。

「ちょっと!!ガミ先生っ!!」

慌ててガミ先生に走り寄り身体を起こそうとすると

「待って!!むやみに触っちゃダメだ!!」

そう叫んで小走りに近付いて来たのはノゾムだった。

「えっ?でも……。」

タイキが言ったと同時にノゾムは倒れたガミ先生の顎の下をクイッと持ち上げてから口元に自身の耳を寄せた。

「タイキ先生、足元を上にしたいから枕か何か持って来て!!」

タイキは急いで枕を取りに寝室へ走り、手に取ると食堂へ戻った。

子供達をヒロ先生と他の職員達が別室に移動させたらしく、そこにはノゾムとシロガネと倒れたガミ先生しかいなかった。

「持ってきたよ!ガミ先生は?」

「じゃあ、枕を足の下に……頭を低く。」

ノゾムの指示にタイキは従う。

「これでいい?次は何をすれば……」

おろおろするタイキにノゾムは落ち着いた口調で言った。

「うん……今出来る事はやったよ。取り敢えず暫くしたらベッドに運ぼう。」

それでも落ち着かないタイキが尋ねる。

「救急車は?」

「タイキ君、落ち着いて。それなら僕がもう連絡を入れたよ。大丈夫、ガミ先生の心臓の音は乱れていないから。いや、しかしノゾム君……君が何でこんな応急処置を知っているの?」

シロガネの問いにノゾムは答えた。

「僕は普通の大人よりも医療知識は持っているよ。前に沢山の情報を見たんだ。僕は一度でも記憶したら忘れないから……それよりも救急車は来ないと思うよ。」

「えっ?ノゾム君。今、何て?」

タイキの問いにノゾムはこう答えた。

「うん。今ね、こうしてガミ先生みたいに倒れた大人が大勢いるんだ。だから救急車は来ないよ。」

「ノゾム君……何で君が……何を言っているの?それが本当だったら……」

「嘘じゃないよ。こうなる事を僕は知っていたんだ。」

唖然とするタイキの横でシロガネが言った。

「ちょっと待って、ノゾム君。僕に分かるように説明出来るかな?」

「うん、何処から話そうかな……昨日僕はクリスタルに触った時に沢山の情報を得たんだ。まずそれはフリーエネルギーであり、この地を豊かにするものである事と汚染されたものを浄化する役目があるって事、それから今この地にある不必要なものを排除するって事だよ。」

「うーん、ちょっと考えさせてね……。」

そう言って黙ったシロガネは何か自身の頭の中を整理しているようだ。

「ね、ちょっと待って。ノゾム君は昨日それを知った時にどうして僕に教えてくれなかったの?」

タイキの問いにノゾムは言った。

「だって僕にはクリスタルの言う何が不必要なものなのか、その時は分からなかったんだ。ただ、何となく大きなものとしか……。」

「そうか……で、その大きなものって何の事か今は分かるの?」

「うーん、多分。ね、園長先生、ガミ先生って確か何かの薬を常用していたよね?」

しかし、ノゾムの口調はとても十歳のそれではなかったが、今のタイキにはどうでも良い事だった。

「あぁ、そうだな……そう言えば持病があるって……。」

シロガネが思い出したように言った。

「えっ?僕、初めて知りましたよ。だってガミ先生、誰よりも元気だったじゃないですか……。」

落ち込むタイキにノゾムは言った。

「タイキ先生、僕が思うに今この地にいる人達の中に浮上前から何らかの病に冒されていた人達はいたよね?」

「あぁ、それは……まぁ……例えば病院で入院中の人とか?」

「うん、彼等が持っている病をクリスタルが不必要だと判断したら?」

「……病気を排除してくれるって事?」

「その可能性はあるよ。そしたらこの地から病はなくなるなるよね。」

「えっ!それって凄いじゃないか!!」

タイキはこの地の明るい未来が見えた気がして嬉しくなった。

二人の会話を聞いていたシロガネが言った。

「そうか……ねぇ、ノゾム君。他にクリスタルが君に教えてくれた事ってあるかな?僕は今、僕なりに不必要なものが何なのか考えているんだけど……。」

「クリスタルが他に教えてくれた事?うーん……自然や動物を大切に……って。あと独自のエネルギーシステムだから今までのものは必要ないって……。」

「うん、あとは?」

「人や他の生き物達との距離がもっと縮まる……とか、物の価値が変わるって。」

「なるほど……それってノゾム君にはどういうふうに伝わったの?何かの音としてかな?」

「音なら園長先生の方が詳しいでしょ?僕は音じゃなくて最初は夢の中で教えて貰って……その次は触った時に大量の情報として頭に流れ込んできたって言ったらいいのかな……。」

「そうか……。」

「うん、だからクリスタルにみんなが触れば僕みたいに知ることが出来るって思ったんだけど……。」

「結果ノゾム君にしか伝わっていなかった……という事だね?」

「うん……そうみたい……。」

「そうか、ありがとう。もう遅いからノゾム君は寝てね。ガミ先生には僕とタイキ先生が付いているから……。しかし、本当に救急車は来ないとみた方が良いかもね……。」

ガミ先生が倒れてからゆうに三十分は過ぎている。

シロガネに言われてノゾムは子供達が寝る部屋へ向かって行った。

ノゾムの言う事を信じれば救急車は来ないが、恐らくガミ先生は大丈夫だろう。

長椅子で足を高くして寝ているガミ先生をシロガネと二人で見守る。

「園長先生、さっきのノゾム君の話って……」

「うん、とても興味深いよね?因みにタイキ君は何が不必要なものだと思う?」

「うーん、そう急に聞かれても……病気は確かに無くなった方が良いとは思います。でも他に何がって言われたら……今は思い付かないんですよね。」

「僕は一つ考えた事があるんだ。クリスタルは人間じゃないよね?もし、もしだよ?クリスタルにとって不必要なものがあるとしたら……?」

「えっ?!」

「いや、今はやめておこう。僕等で考えても仕方がない事だよ……今はガミ先生の様子をみていよう。彼の心音は規則正しく響いているから今暫くは大丈夫だと思う。」

「……はい。」

タイキ自身よりも十一歳年上のシロガネは今年で三十六歳で一施設の園長としては随分と若いが、いざという時に本当に頼りになる。

「タイキ君、少し交代で睡眠をとろう。僕等が倒れたら元も子もないからね。先にタイキ君が寝てよ、数時間経ったら交代しよう。」

「あ……はい。」

タイキは寝室から毛布を数枚持ってきて一枚はガミ先生の身体に掛けてからもう一枚をシロガネに、残りを抱えて近くの長椅子で休む事にした。

さっきのシロガネの言葉が少し気になったが、今日一日はニナとの出会いや、色々な事が起こりすぎたからか目を閉じるとあっという間に眠りについた。


タイキが目覚めるとすっかり朝になっていてそこにはシロガネとガミ先生の姿はなかった。

慌てて飛び起きて職員室へ向かうと副園長と数人の職員が何やら話し合っていた。

「おはようございます。すみません……食堂で寝てしまって……あの、園長先生とガミ先生は?」

「あ、タイキ先生。おはようございます。園長なら今朝早くガミ先生を車に乗せて病院へ向かいましたよ。」

職員の一人がそう言った。

「そんな……園長先生、寝てないのに……。」

「あぁ、園長先生からタイキ先生に言伝てが……。」

「何でしょう?」

「僕なら大丈夫、帰ったら沢山寝るから心配しないようにって。あと起こさずに病院へ向かってゴメンと……。タイキ先生が起きたら慌てるだろうからって。」

「あぁ、はい。驚きましたけど事情は分かりました。で、ガミ先生の様子はどうでした?」

タイキの質問に答えたのは副園長だった。

「そうね、昨晩と何も変わってないように見えたかしら……。私達もガミ先生が倒れられた時には驚いたけど今朝見た時はただ眠っているようにしか見えなかったわね……何事もなければ良いけど……。」

普段は彼女がこの園を統率していて施設職員歴三十年のベテランだ。

「副園長先生、他に何か言伝てはありましたか?」

「いいえ、とにかくこちらの事は心配せずに子供達を宜しくとしか……。」

「わかりました、ありがとうございます。」


この地が浮遊してから今朝で四日目になった。

テレビでは相変わらず跡地のニュースばかりが流れている。

内容としては復旧がどこまで進んでいるのかや、現場の作業員としてエーアイシンプトンズが大勢駆り出されているという報道だった。

今日も巨大な独楽の映像が時折目に入ってくる。

朝食を摂り終えるとタイキはノゾムの元へと向かった。

施設の庭に設置してある白いベンチに座って膝にハイロを乗せ、その背中を撫でているノゾムは遠くから見ると日向ぼっこをする小さなおじいちゃんのようでのんびりとした時間がそこには流れている。

平和そのものの光景だ。

「ノゾム君、おはよう!」

「あっ、タイキ先生、おはよう。」

「今日も良い天気だね。ハイロも元気?」

「うん。」

そう言いながらタイキはノゾムの横に座る。

「ノゾム君、昨日はありがとうね。ガミ先生の事。」

「あ、うん。ガミ先生、朝早く園長先生と病院に行ったね。」

「そうなんだ。僕は寝過ごしてしまったみたいでね……。」

「ふふっ、タイキ先生寝坊したの?」

「いやぁ、寝坊どころじゃないよ。僕はぐっすり寝てしまっていて……せめてガミ先生を車まで運ぶのを手伝いたかったよ。あっ、そうだノゾム君に聞きたい事があったんだ。」

「何?」

「あのさ、昨日の夜に話した事なんだけどね……ノゾム君にクリスタルが教えてくれたんだよね?不必要なものを排除するって……。」

「うん。」

「それって何の事か僕には良くわからないんだ。ノゾム君は何だと思って……いや、何の事か知っているみたいだったから……。」

「うーん……。」

ハイロの背中を撫でながら桜の木の新緑を見つめてノゾムは言った。

「タイキ先生はさ、昨日病気が人の身体から無くなればいいって言ったでしょ?僕はね、それはクリスタルの意思じゃない気がするんだ。」

「えっ?でも……ノゾム君がクリスタルから聞いたって……。」

「うん、僕は聞いたよ。不必要なものを排除するってね。」

「それってどういう事?」

「不必要なものはさ、病気じゃなくて病気の人間そのものって事だったら?」

タイキは思わず何も言葉を発していないのに自身の口を手で塞いだ。

それが本当ならば今、この地ではとんでもない事が起ころうとしている。

「あっ……えっ?!……。」

「百二十時間……。」

「えっ?!」

おもむろに言ったノゾムの言葉に寒気が走る。

「ハイロから聞いたんだ。ハイロがずっと僕にこの時間を言ってたんだけど……タイキ先生、僕はその意味が分からなかったから昨日は言わなかったんだ。だってその時間の意味をそれとくっ付けちゃうと大変な事でしょ?」

「ちょっと……そんな……だってノゾム君、昨日園長先生から他に何か知っている事があったら教えてって……。」

「うん、僕は知ってて教えなかったんだ。」

「なっ、何で……?」

「だって、教えたって僕等に何が出来るの?それに確信はないんだよ?」

「……、……。」

こんな恐ろしい事を十歳のノゾムがサラッと言い放っている現実にタイキは目眩のような感覚を覚える。

「……ゴメン、ノゾム君。少し一人で考えてみるよ。教えてくれてありがとう……。」

言いながら席を立ち、タイキはヨロヨロと屋内へ向かって歩き出す。

その姿を表情ひとつ変えずにじっと見つめるノゾムはロボットのようだった。


百二十時間……。

これは日数にすると五日間だ。

この地が浮上してから今日で四日目になる。

その恐ろしい想像が現実化するというならばタイムリミットはあと一日しかない。

確かにノゾムの言うようにタイキに何が出来るというのだろうか。

確信はないと言ったノゾムの言葉が唯一の救いに聞こえた。

それに、こんな大事を一人で抱えるには辛すぎる。

かといって他の誰かに話したとしても混乱を無駄に招くだけになってしまうかも知れない。

そしてそれを聞かされた相手もタイキ同様に何も出来ずに頭を抱える事しか出来ないだろう。

タイキはとにかくシロガネの帰りを待つ事にした。

そしてシロガネを待つ間にひとつ、ひらめきがあった。

ノゾムをもう一度クリスタルの元へと連れて行き、何か解決策はないのかクリスタルそのものに聞いて貰おうと思ったのだ。

ノゾムを探して庭に戻ったが既にその姿はなく、施設内の皆が遊んでいる部屋へ行くとハイロを膝に乗せて本を読むノゾムの姿を見付けた。

「ノゾム君、度々ゴメン。」

「あっ、何?タイキ先生。」

「あのさ、今日もクリスタルの所へ一緒に行かない?」

「うん、別にいいよ。」

「ありがとう、じゃあ十五分後に出発しよう。」

「うん。ねぇタイキ先生、ハイロもいい?」

「うん、いいよ。」

タイキは副園長の元へ行きこれから買い出しがてら少しだけノゾムと出掛ける旨を報告した。

園長室から出て自身のリュックに必要そうな物を詰め込んでいると背後から声がした。

「タイキ先生、あの……。」

振り返るとそこにはヒロ先生がいた。

「あ、ヒロ先生。どうしました?」

「あの……ニナちゃんの事なんですけど……園長先生も居ないし、タイキ先生ならと思って……。」

「あぁ、はい。何でしょう?」

「彼女に今日はどう過ごして貰おうかと思って……今この施設内には彼女と一番年齢が近い子でも小学五年生なんですよね……彼女が小学生の子供達と遊ぶとは思えないし……。」

ヒロ先生なりにニナの事を気に掛けているのだ。

でも、昨日のあのニナの発言と態度でヒロ先生も距離の取り方を考えているのだろう。

「うーん、そうですね……あっ!そうだ!今日はお菓子教室を開いたらどうでしょう?」

その言葉を聞いて何かに気付いたヒロ先生の顔が途端に明るくなる。

「あっ!!そうですね、そうします!ありがとうございます!」

お菓子教室とは半分はヒロ先生の趣味のようなものでお菓子作りに興味のある子供達を集めて皆で何かしらのスイーツを作って食べるという小学校の家庭科の授業のようなものだ。

「ヒロ先生~、出来上がったらいくつか残しておいて下さいね~!」

数メートル先にあるヒロ先生の背中に向かってタイキは声を掛けた。

「あっ、は~い!」

振り返らずにヒロ先生は軽い足取りで子供達が遊ぶ部屋へ向かって行った。

タイキはリュックを左肩に掛けてノゾムの元へ向かう。

部屋の外の廊下に小さなリュックを背負い、ハーネスを装着したハイロを抱えたノゾムが待っていた。

「ノゾム君、お待たせ。じゃあ行こうか……」

「どぉりゃぁ~!!」

またもや背後から掛け声と共にエンのドロップキックが飛んでくる。

くるっと振り返り宙を飛んでいるエンをキャッチしていつものように言う。

「はい、今日も僕の勝ち~!」

「あぁ、もうっ!くそっ!!」

エンの身体を床に下ろすと彼が珍しく言った。

「タイキ先生、どっか行くの?」

「あぁ、少しね。」

チラリとノゾムを見て

「なんだよ、ガリ勉ガリガリも一緒か。」

「こ~ら、エン君。ガリ勉じゃなくてノゾム君だろ?」

「ふんっ!どっちでもいいだろ、それよか何処行くんだよ。」

「あぁ、ちょっとあの柱の近くまで買い出しにね。エン君も来る?」

「ふざっけんな!俺は荷物持ちじゃねーよ、それにあんなうっさいとこ行けっかよ!!」

「えっ?エン君……今何て……。」

「だからうっせえんだよ、あの柱。」

「えっ?エン君には何か聞こえるの?」

「ほーら、タイキ先生もエイとおんなじ事言うよな~。うっせえじゃん、あれ。」

「何が聞こえるの?言葉とか?」

もう一度タイキが聞くとエンは言った。

「そんなんじゃねーよ、キーン、キーンってさ、たまに急に鳴り出すだろ?俺は行かねーからな!じゃあなっ!!」

そう言い放ってエンは部屋の中に走り去って行った。

エンが嘘をついているとは思えない。

取り敢えずエンにも何かが聞こえているようだ。

もしかしたらエン以外にも何かを聞いている子供がいるかも知れない。

これは後でシロガネに報告すべき重要な事だとタイキは思った。


ノゾムと二人で車に乗って目的地へと進む。

基本的に無口なノゾムと話をする時にはタイキは沢山の質問を用意するようにしている。

そうした質問にもノゾムは無駄のない言い切るような答えで返してくるので基本的には会話が続かないからだ。

更にノゾムは相手に興味がないのか自身の方から質問を投げ掛ける事もほぼない。

「ノゾム君、今日はありがとうね。急に声を掛けてしまって……。」

「うん、別にいいよ。ハイロも一緒だし……。」

「あのさ、さっきのエン君の言った事……あれってどう思う?僕はエン君が適当な事を言っているようには聞こえなかったんだ。」

「うーん。」

「ほら、何かキーン、キーンって言ってたじゃない?あれって何だろう……。」

「信号……じゃないかな……。」

「信号?モールス信号みたいな?」

「うん、恐らく。詳しく本人に聞いてみる必要があるけどね。」

「そっか……帰ったらもう一度エン君に聞いてみるか……。」

「うん。」

「あっ、そうだ。ノゾム君、柱に行った後に買い出しと少し寄りたい所があるんだけどいいかな?」

「うん、いいよ。ハイロもいいって。」

「うん、ハイロもありがとう。」

車を走らせて柱の方へ向かう。

一昨日探索したおかげで今日は道も把握出来ていたので一昨日よりも早く到着しそうだ。

街はあまりいつもと変わらず商店も開いているし、人通りも少ない訳ではない。

こんな事になっていても交差点には出勤時間のスーツを着た多くの男女が信号待ちをしている。

この国の国民性なのだろう。

「へぇ~、会社は休まないんだ……。」

タイキがポツリと呟くとそれを聞いていたノゾムが珍しくタイキに質問をしてきた。

「なんで、みんな働くのかな……。ね、タイキ先生はなんで働くの?」

「ん?僕?僕は今の仕事が好きなんだ。あまり働いていますっていう感覚じゃないっていうか……。」

「そうなんだ……それって使命感みたいなもの?」

「うーん、そこまでは大袈裟なものじゃないよ。そうだなぁ……逆に今日は休みですよって急に言われたらその日にする事がないんだよね。僕、趣味とか特にないしね。」

「ふーん、じゃあさっきの交差点の大人達と一緒だね。」

言われて我に返るとタイキ自身もこの地が浮上してからもずっと働き続けているのだ。

「あ……ホントだ。そう言えば僕も普通に働いているね。」

その言葉を聞いてノゾムがクスッと笑った。

そんなやり取りをしていると車は柱の目の前に到着した。

以前とは違い、何となくではあるが簡易的な柵のような物が柱の数メートル手前くらいに設置されていた。

「うーん……これは進入禁止って事かな……?ちょっと他も見てみよう。」

ノゾムと再び車に乗り込み別の場所を探すと柵なども特になく人気の少ない場所を見付けた。

「ノゾム君、ここならクリスタルに触れるけど、どうかな?」

「うん、ちょっと触ってみるよ。」

柱の前に二人で行き、ハイロはタイキが預かった。

「……、……、……。」

ノゾムは小さな両手を柱の壁面に当てて暫くじっと動かなかった。

その様子をタイキは見守る。

時間にすると一分位だろうか、伸ばした手を壁から離すとノゾムは言った。

「タイキ先生、教えたい事は触りに来なくても知らせてくれるって。」

「えっ?どういう方法で?」

「僕が寝ている時にメッセージをくれるって。」

「あっ、あのさ、不必要なものと百二十時間の事を聞いて貰えないかな?」

タイキのその問いにノゾムは数秒だけ間を置いてこう言った。

「タイキ先生は知ってどうするの?」

「いや、その……何か曖昧でモヤモヤするんだ。だから……。」

「うん、じゃあ教えるね。このクリスタルが現れて百二十時間後にこの地から持病を薬で押さえている人間と薬物中毒の人間、それから死にたいのに死ねないでいる人間は消えるって。」

「嘘……だろ?あぁ……どうすれば……どうすればいいんだ?」

タイキに絶望感が押し寄せる。

「ね……ノゾム君……どうすればそれを止める事が出来るんだ?僕に何か出来る事はないのか?」

「タイキ先生……これは誰にも止められないよ……。この地が浮いてから百二十時間でこの地は完全に浄化されるんだ……それから新しいエネルギーで全てが動き出す。」

「新しいエネルギーで動き出す……?」

「うん、今は動かす事が出来ない物……飛行機とかね。今は前に使っていたエネルギーと新しいエネルギーを緩やかに交換中なんだって。」

「エネルギーの事は……いいよ、わかった……それよりも人を助ける事は出来ないのか……?」

「それは……」

タイキはハイロを抱えたまま腰が抜けたようにペタンと柱の前にしゃがみ込み目の前にそびえ立つ巨大なクリスタルを見上げた。

急にしゃがんだタイキに驚いたハイロはピョンとノゾムの腕の中に飛び込んだ。

タイキは何分間そうしていただろうか。

呆然とする姿にノゾムが言った。

「タイキ先生…………もう、帰ろう?」

ガックリと肩を落としてヨロヨロと車に乗り込む。

運転席に座ると前のめりにハンドルに倒れ込むようにおでこを当てて上半身を預け、大きな溜め息をついた。

計算では明日の夜がタイムリミットという事になる。

「早く園長先生に知らせないと……。」

助手席のノゾムがハイロを撫でながら言った。

「タイキ先生……そう言えば少し寄りたい所があるってここに来る途中に言っていたけど……。」

その言葉を聞いてハッとしたタイキは何かを思い出したように自身の上着のポケットから折り畳んだ一枚の紙を取り出した。

「そうだった……もうひとつ調べたい事があったんだ……。」

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