第3話
「浜本さんはここの常連さんなんですか?」
「うん。毎週木曜日のこの時間に来てるよ」
「週一ですか。だからそんなに洗濯物が多いんですね」
「ズボラなんだよ。引きこもりだし」
引きこもり……だから色が白いのか。「職業柄仕方ないけどね」と笑った浜本さんの目尻に皴が出来たのを見て、不覚にも可愛いと思ってしまった。まだ出会って十分も経っていない。最初は怪しかった人なのに人懐こそうな雰囲気のおかげか、警戒心が無くなっていた。こういう夏の夜も悪くないな。
「イラストレーターって、忙しいんですか?」
「んー、まぁ、依頼が重なればね。あ、ツイッターやってるから、見る?」
色々イラスト上げてるんだ、と言って浜本さんはスマホを私に見せてくれた。アカウント名は「浜本聖也」、プロフィール画像は名刺に描かれたペンギン、ヘッダー画像はなぜかコインランドリーの洗濯機、フォロワーはなんと十五万人を超していた。え、結構人気イラストレーターじゃん。私はその画面に吸い込まれるようにゆっくりスクロールしていった。
浜辺でスイカ割りをしている男女数人の絵は、スイカの場所を指示する声が聞こえてきそうだし、金魚すくいをしている女の子の絵は、今にも金魚が跳ねて画面から出てきそうだし、花火を見上げる後姿の四人家族の絵は、花火が上がって四人の姿が色んな色に染まる様子が目に浮かぶ。すごい。こんなに動き出しそうな絵、初めて見た。
もっと見たくなってどんどんスクロールしていると、浜本さんは「そろそろ感想とか聞かせて欲しいんだけど」と零した。私はゆっくりと顔を上げて浜本さんの目を見る。
「すごいです。感動してます。『絵が上手い』なんてありきたりな褒め言葉じゃ言い表せません。素敵すぎて泣きそうなくらい」
そう言った途端、視界がぼやけてきて、瞬きした瞬間に、両頬に涙が流れる感覚がした。やだ、恥ずかしっ! 慌てて手の甲で拭う。浜本さんは私の涙に狼狽することなく、眩しいものを見るように目を細めた。
「ありがと」
すすぎが始まった洗濯機から、水の音がした。素敵すぎる絵に、泡が薄まっていく音。汚れた心が洗われるようで、心地良い。
「次は佳乃ちゃんの番。OLってどんなことしてんの?」
「営業事務で、営業さんの補佐をやってます。見積もり作ったり、必要な資料を作ったり」
「へぇ。じゃあ縁の下の力持ちだ」
「うーん。よく言えばそうかもしれないですけど、そう思ってる営業さんはいないと思います。基本的には雑用係とか書類製造機だとしか思ってないんじゃないかな」
どうして? と問われ、初対面の人にこんなこと言っていいのかなと思いつつも、聞き上手な浜本さんに乗せられ、気付いたら心の澱を全部吐き出していた。
頼まれた見積もりを期限内に作っても「遅い」と言われ、お礼を言わない営業マンがいること。「これシュレッダーにかけといて」と段ボール一杯に詰め込まれた書類を机の上に置いていく営業マンがいること。営業マンのミスをこっちのせいにしてくる人がいること……
もちろん全員が全員そういうわけではないけれど、そういう人の方が目立ってしまうし、やる気が削がれる。仕事自体は楽しいが、人間が楽しくないのだ。
「それに一番嫌なのが、その場にいない部下の悪口を延々と言ってくる人がいるんです。あいつは使えないだとか、あいつはダメだとか。聞かされるこっちは気分悪いですよ。私の目には一生懸命頑張ってる姿が映ってるのに、それを評価しないでできない部分だけを取り出して『ダメだ』の一言で一刀両断される。それならお前の方がよっぽど『ダメ』だっつーの。つーか、社内で知ってる社員の悪口言うなよ。そういうのは第三者、赤の他人に言えっ!」
洗濯乾燥機からゴゴゴ、と脱水が始まった音がした。大きく息を吸ったところで、息が切れるほど喋っていたらしいということにようやく気付く。
「あ、ごめんなさい。こんなこと言われても困りますよね。浜本さん、喋りやすいから、つい」
すみません、と頭を下げると、浜本さんはキョトン顔で首を横に振った。
「いや、別に困ることはないよ。むしろ面白い。そういうのって経験しないと分かんないし、創作にも繋がるから遠慮しないでもっと喋ってよ。それに俺、第三者の赤の他人だし、悪口言うならうってつけでしょ?」
頬杖をついて首を傾げる浜本さん。この人は神様かなと思った。懐が広すぎる。それに両手を広げて飛び込んでしまうのはいかがなものか、と思ったが、すでに心を許してしまっているので遠慮しても無駄だった。私は面白そうに聞いてくれる浜本さんに、会社への不平不満をぶちまけ、一方的に喋り倒した。友だちにも言えないような罵詈雑言まで口から突いて出て、さすがに引かれるかなと思ったが、彼は「それはすごい」とクツクツと笑ってなぜか感心してくれた。
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