第2話
「ひっ!」
誰もいないと思っていたので、急に人が現れて私はしゃっくりの出始めみたいな音が口から出た。振り向いてその人を確認する。
「あ、ごめん。驚かせちゃった」
その人は私よりもはるかに背が高くて、振り向いた先に顔がなかったので、下から上に舐めるようにして確認するような格好になってしまった。
黒の七分丈パンツに真っ白な半袖Tシャツを着たその人は、ゆるいパーマがかった髪を後ろに束ねた男の人で、色が白くパッと見は陶芸家の風貌をしている。腕に抱えているのはこんもりと盛られた洗濯物の入ったスーパーの黒いカゴで、その腕の隆起はスポーツマンを連想させた。
陶芸家の風貌にスポーツマンを連想させる腕。足元に目をやるとなんと下駄を履いている。総合すると今まで出会ったことのない、正体不明の怪しい人であった。年齢は二十七歳の私より上だろう。三十代前半か後半か。怖くはないけど、警戒心が生まれる。
「あ、いえ、お構いなく」
右手を突き出して問題ないことを告げると、彼は軽く頷いて私の隣にある洗濯機乾燥機を開けた。慣れた手つきでボタンを操作していく。常連さんなのかな。
私も肩に掛けていたカバンから毛布を取り出し、洗濯機の中へ入れようとすると「ドラム洗浄、した?」と、さっきの人が話し掛けてきた。
「ドラム洗浄?」
「使う前にここのボタン押して、洗浄すんの」
そう言って押してくれた。お金入れてないのに動くのかな、と思ったが、洗濯機から水が出てきてバシャバシャと洗濯機内を駆け巡る。壁紙にも『2.お金を入れる前に、ドラム洗浄・ドラムリフレッシュボタンを押して、ドラム内をキレイにします』と書いてあった。なるほど、潔癖症にはありがたい機能が付いているわけだ。私は別に気にしないけれど。
そうして約二分間の水洗いを終えると、男の人が「百円玉何枚ある?」と聞いてきた。財布を確認して「二枚です」と答えると、「小銭が必要だからそこの両替機で両替しな」と言われた。「はい」と頷いて千円札を両替機に通す。
なんだか言われるがまましているが、怪しい人という印象はまだ残っているので少し不安になった。でも親切に教えてくれるから、悪い人ではなさそうだ。
その後も「ここ押してお金を投入」と指示を受け、私は無事に洗濯乾燥機を回すことができた。なんだか大仕事をした気分だ。仕上がりまで約一時間あるらしい。男の人はというと、店内の真ん中に設置されているテーブルの椅子に腰を落ち着けて、目の前で回る洗濯機をジィっと見ていた。泡まみれになって回る洗濯物たち。店内には二人しかいない。どうしよう。一回家に帰って終わった頃を見計らってまた来る? いや、でもせっかく涼の空間にいるのに家に帰ってまた汗だくになるのは嫌だな。でも二人は気まずいな。
などと考えていると、男の人は「座れば?」と隣の席を指した。色々と親切に教えてもらった人に対して「いや、やめときます」なんて言えない。私は「はい」と素直に隣の席に腰掛けた。
ゴウンゴウン回る洗濯機に初対面の男女二人。外からはどう見えているのだろうか。
何も喋らないのも気まずいので、私は座ったまま頭を下げた。
「あの、色々教えていただいてありがとうございました」
「あぁ、全然。初めてなの? ここ」
「はい。というか、コインランドリー自体初めてで……」
「へぇ。なに、洗濯機壊れたの?」
「いえ。家の中が暑いので外に出て涼もうと思ったんですけど、手ぶらじゃなんだなぁって思ってたらここのチラシが目に入ったので、毛布を持ってきました」
「え、なにその発想。キミ、面白いね」
男の人はクスリと笑って長い足を組んだ。下駄がテーブルの脚に当たってカラン、と音が鳴る。
「あ、俺、
私の警戒心が伝わってしまったのだろうか。彼──浜本さんはスッと何かを私のテーブルの上に置いた。それは四角い型紙で『イラストレーター 浜本
思わず浜本さんの顔を見た。別にイケメンだとか子犬系だとかこれといった特徴はなく、顔よりも後ろに束ねられた髪の方に視線が行ってしまう。緩くウェーブがかった髪。陶芸家でもスポーツマンでもなく、イラストレーターだったとは。人は見かけによらないというのは本当のようだ。
「キミは?」
「あ、私は石井
「佳乃ちゃん」
初対面でいきなり「ちゃん」付け。普段の私なら眉間に皺を寄せる発言だが、なんか、嫌じゃなかった。漂う洗剤の匂いのせいか、泡だらけの洗濯物が規則正しく回っているせいか、日常なんだけど非日常の空間のせいか。それとも浜本さんの正体を知ったせいかもしれない。こんな可愛いペンギンの絵を描く人に、悪い人なんていない、と私の勘がそう告げた。
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