木曜日の夜、第三者の赤の他人。

小池 宮音

第1話

 夏の夜というのは、どうしてこうも暑いのだろう。太陽はとうに沈んだというのに、どこから熱を発しているというのか私には理解できない。扇風機の風量を『強』にしても温く、ブーンという音がもう暑い。貧乏性なのでなるべくエアコンに頼りたくないというワガママぶりを一人で発揮した私は、網戸から入ってくる風でカーテンが揺れているのを見て、「そうだ、外へ出よう!」と旅行に行くかの如く閃きを口にした。家の中より外の方が涼しい気がする。


 ただ、手ぶらで夜の街を歩くのはちょっと気が引ける。犬の散歩とか彼氏と散歩とか、何かを連れていないと夏の夜に一人徘徊する二十代後半の寂しい女だと思われかねない。まぁ、あながち間違ってないけど。


 さてどうしようかな、と考えていると、ふとテーブルに置いたチラシが目に入った。シンプルな色合いで大きなドラム型洗濯機を背景に、『New Open! 洗濯を、しなければならないものから、したくなるものへ』という文字が踊っている。コインランドリーのチラシだった。そういえば近くに何か建ってたな……コインランドリーだったのか。へぇ、24時間営業なんだ。洗濯機は家にあるけど、洗えないものを洗いに行くのもいいな。そういえば冬の毛布、まだ洗ってなかった気がする。コインランドリーなんて利用したことないけど、これを機に行ってみるか。


 そうと決まれば、クローゼットの下段から冬に使っていた茶色い毛布を取り出す。軽くて温かいというこの毛布は、寒い冬にくるまれば体温の高い人に抱きしめられているような温もりをすぐに感じるが、夏の日に触ろうもんなら全身の毛穴から汗しか出ない。それを抱きしめて持っていくわけにもいかないから、洋服の福袋を買った時に商品が入っていた大きめの袋を引っ張り出してそれに入れた。三、四泊分の荷物は入りそうなパステルピンクのカバンだ。


 ……夏の夜八時にこんな荷物を持っていると夜逃げだと間違えられるかな。ええい、別にいいわ。私は外に出たいのだ。とにかく涼しい風に当たりたい! 私はそれを肩に掛けて家を出た。


 出た瞬間、私の頭の中はクエスチョンマークでいっぱいになった。あれ、思ってたより涼しくない。風はあるにはあるが、扇風機より気持ちマシだなくらいで、あんまり変わらない。嘘でしょ。期待して外に出たのに、見事に裏切られた。最悪だ。


 でも、だからといって家に引き返すわけにはいかない。せっかく毛布を持って出たんだ。こうなりゃコインランドリーで涼もう。クーラー効いてるよね?


 そんなに広くない道路脇を、誰ともすれ違わずに進む。等間隔に並べられている街灯には、明るい光に吸い寄せられるように虫がバサバサと音を立てて飛んでいて、遠くの方ではカエルがゲコゲコ鳴いているのが聞こえる。うーわ暑い。目と耳で暑さを感じる。イライラ。


 今日は木曜日で、社会人の私は日中仕事をしていた。事務員で毎日同じことを繰り返すだけの機械となって、お金の為に働く。やりがいがあるのかないのか分からない。そしてこの暑さ。身も心も穏やかではない。あぁ、癒しが欲しい。そんなことを考えながら歩く。


 目指すコインランドリーが見えてきた。白と黒のシンプルな洗濯機たちが透明のガラスで覆われた箱の中に整列している。へぇ、コインランドリーっぽくない店構えだな。


 駐車場には車もバイクも自転車も一輪車も、車輪が付いた乗り物は見当たらなかった。店内は灯りがついているので営業はしているっぽい。そりゃそうか。二十四時間営業なんだから。街灯を舞う虫の如く、光の漏れ出る店内へ吸い寄せられるように入っていくと、ひんやりした空気が私を出迎えてくれた。


 あぁ、ようやく私の味方をしてくれる建物に入った。思わず目を瞑る。そして息を鼻から吸った時、柔らかな香りがした。洗剤の香りか柔軟剤の香りか。嫌らしさのない、どちらかというと甘めの香りで、何度もクンクンしてしまった。好きだなぁ、この香り。


 店内には誰一人としていなかった。どの機械も動いていないらしく、シンとしている。しばらく涼と香を身体いっぱいに堪能した私は、そろそろ本来のコインランドリーとしての使用を始めることにした。


 えっと……まずどうしたらいいんだろう。一通りグルっと機械を見てみる。四種類の機械があって、ひとつはスニーカーが洗えるようだ。へぇ、すごい。あとは洗濯機、洗濯乾燥機、乾燥機。ふむふむ。洗濯も乾燥もしてほしいから洗濯乾燥機だな。シングルの毛布一枚くらいだったら小さいやつでいいよね。ふと顔を上げると、壁に説明書きが貼ってあることに気が付いた。おお、親切だ。なになに……


『1.洗濯物を入れる前に一度ドラムを開けて、前のお客さまの忘れ物がないか確認します』


 ドラム式洗濯乾燥機を開けて中を覗き込む。うん、なにもない。えーっと次は……と屈めた腰を上げると、「お困りですか?」と後ろから声がした。


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