第4話 お願いだから、私に貢がせて!

「たとえば、キミが水一滴も無い砂漠にいたとしよう」


 優崎さんはまるで童話を読み聞かせるように、私の耳元でささやく。その声はあまりにも甘くて、頭がどうにかなってしまいそう。


 私は彼女の膝上で抱きしめられたまま。腕の温もりから、離れられないままでいた。


「陽は喉がカラカラで、今にも倒れそう。そんなとき、突然水をくれた人がいたとして、陽はその人に感謝しないのかい?」


「そ、そんな状況になったことないのでわかりません! 離してください」


 私はバタバタと、彼女の腕から抜け出すことを試みる。これ以上、こんなことをされたら頭がおかしくなってしまう。だけど、抜け出すことはかなわない。


「私は本当に感謝しているんだ」


「陽じゃ無いです……」


 頭がふわふわして、意識が飛んでしまいそう。私はかろうじて、反論して見るも、優崎さんは一ミリも聞いていない。それどころか、抱きしめる腕に力がこもる。


「だから、私にお礼をさせてくれないか?」


「じゃあ、私から離れてください!!」


 私はギリギリのところで声をあげる。すると。彼女はハッとしたように体を震わせた。


「す、すまない……」


 彼女がようやく腕を緩めたから、私はすぐさまその温もりから離れた。そして、向かい側に戻ると、二度三度と深呼吸をした。それでも、心臓の鼓動は落ち着いてくれそうにない。そんな私に対し、優崎さんはイケメンさで人を殺めかけていたことをつゆ知らず、空になった腕を惜しげに眺めていた。


「えっと……私は何もしていません。本当に何にもしていませんが、もし、感謝されるような点があったなら、優崎さんが口にしている感謝の言葉で十分です」


「あれは、感謝の言葉一つで片付けていいような物じゃ無い! だから、何かお返しがしたい。何かして欲しいことは無い?」


 私はその問いかけに困った顔をしたんだと思う。その整った顔立ちが少しゆがんだ。

 私は心から、彼女に近づくことを拒んだのだと思う。これまでのように、幻滅される位だったら。もし良い印象を持ってくれているのであれば。そのまま、墓まで持って行って欲しかった。


「じゃあ、コンビニの募金箱に500円入れてきてください。私はそれで喜びます」


 これなら彼女のと二度と関わらず、彼女の気持ちを満たすことができる。私天才じゃん? 

 彼女は二つ瞬きした。無欲さに意外だったのか、偽善を口にしたのが意外だったのか、私にはわからない。でも、これで終わりだと思う。


「じゃあ、本当にこれで……」


 私が帰ろうと、彼女に背を向けた時だった。


「じゃあ、毎朝ご飯を作りにいくとかは、どうかな?」


 優崎さんは突拍子もないことを言い始めた。


「はぁっ? ちょっ、話聞いていた? てか、毎日って何!?」


 私は思わず振り返った。しれっと、私の右腕は掴まれていて、彼女は私の目を捉えるかのように、見つめてくる。あまりにも奇想天外な言葉にあたふたしていると、彼女はさらに続ける。

 

「それが不満なら、毎週私をレンタルできる権利とかどうかな? こう見えても金も影響力もスタイルだって、運動神経だってある。最高じゃ無い?」


 彼女は自信満々に言い切った。


「壮大な自己紹介ありがとう! いらないから!」


 そんな自己紹介、誇張もいいところ……と言ってやりたかった。だけど、その整いすぎた顔立ちに、見上げるくらいの高身長。決して間違っていない。クラスの王子様は伊達じゃない。


「じゃあ、陽は何だったら満足するのかい?」


「何もいらないから!」

 

 私は声を荒げ、彼女の感謝を突き放す。それを受け取ってしまうことは、昨日私が彼女に恩を着せたことを認めるのと同じこと。

 

 優崎さんが見ている私は、決して私じゃない。彼女が作り上げた幻想の私、大崎陽だ。たまたま人助けとなっただけで、普段だったら見てみぬ振りだったであろう秋月芽依とは全くの別人。

 そして、私はあまり長く大崎陽を演じることはできない。これこそ、最初から限界関係だった。そんな関係になるくらいだったら、逃げた方がいい。

 

「私、帰ります!」

 

 意地でも帰ってやろうと、掴まれた腕を振り回し抜け出そうとする。それでも、優崎さんは私の手首を離さずに、むしろ私を近くに引き寄せる。


 そして、とんでもないことを口にする……。

 




「陽! お願いだから、私に貢がせて!」





「みっ、貢ぐ!? ……な、何言ってんの?」

 

 超至近距離で受けた言葉は、全く意味がわかならかった。いや、正確にはその言葉の意味がわかっていても、理解することができなかった。それはもはや、感謝の対価ではなくて、ただのお願いごとだった。 

 

「さっきから、言っているように……」

   

「お願い! 本当にお願い!」

 

「だから、そういうの辞めて! 私は優崎さんが思うようなことをしてないし、そんな人でもない」

 

 私の声は自分が思った以上に大きな声となっていた。それに驚いたのか、優崎さんもぴたりと言葉をとめる。しばらく間があったけれど、私の手首は案の定掴まれていて、離れることができない。私が優崎さんの次の言葉を待っていると、彼女は私から目を逸らした。

 

「じゃあ…………私は、学校では陽の近くにいることにするよ。これだけ拒絶されたのだから仕方ないこと。私は陽の……ああいや、でも、私が近くにいるのは問題ないはず」

 

 私は黙った。この優崎さんの行為が、良いか良くないかで言われれば、全く良くない。良いわけがない。カーストの頂点に立つような女に絡まれたら、私の平穏な学校生活は、無いも同然だ。たぶん彼女はそのことを十二分にわかった上で口にしている。

 

「それって脅迫じゃん!」

 

 私は彼女を睨む。だけど、彼女の瞳は泳いでいて一向に目が合わない。『恩を仇で返すんだ?』とも言ってやりたかったけれど、諦めた。

 

「そんなことはないよ。私が誰と一緒にいようと誰の勝手だし、決して陽を傷つけない」


 彼女の言葉に、私は言い返すことができなかった。


 私は考えた。いや考えたところでどうしようもなかった。局面は将棋で言うところの、王手飛車取りだった。守るべきものが片方にあるから、もう片方は諦めるしかない。残念ながら、将棋盤をひっくり返すだけの知恵や度胸を、秋月芽依は持ち合わせいない。

 

 周りから閉ざされた、この静かな部屋に逃げ道は見当たらない。

 ただ目の前に、目を泳がせた優崎さんがいるだけだった。

 

「…………貢ぐってなに?」

 

 私は彼女の目をみて口にした。私がこれから、優崎さんの言いなりになる以上、「貢がせて」の言葉の裏を探らなければならない。

 優崎さんに貢ぎたい人は多くいても、秋月芽依に貢ぎたいなんて物好きなんて存在しない。となると、裏があると考えるのが自然だった。

 

 私の言葉にクラスの王子様は、柄になくホッとした表情を見せる。私の腕をつかむ力も幾分か弱くなる。私は何が目的なのか、その端正の顔立ちの裏側を見逃しまいと、必死に見つめる。

 

 何をしても絵になる優崎さんは、口をゆっくりと動かした。

  

「さぁ……」

 

 それは、ひどく間抜けた、一言だった。

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