第2話 お尻を追っかけて。
「おや、無事でいらっしゃいましたね」とあの声が聞こえる。
「どこが……無事なんだよ」どこが!
頬に触れてみる。ひんやり、冷たい。
「普通主人公じゃないですか。これ誰ですか、こんな奴、PVにだって居ませんでしたよ。僕ね、このゲームのPV……確か三本くらいありましたけど、何度も見ました。何度もです!」
湖面を乱暴に叩く。水が跳ねて、顔に返った。
「うるせえ!」と言われる。
う、うるせえだと。あんまり乱暴すぎるんじゃないか。
「良いからさっさと、第一の村へ向かってください。ヒロインを攻略しなきゃいけないんですから」
「ヒロイン攻略? これで?」
揺らめいていた湖面が、徐々に静かになって、はっきり僕の顔を映しだした。
「あなた、『これで』とはなんですか」諭すように言われる。「見た目だなんて、大した要素じゃありません。大切なのは、あなたが何を成すかです」
彼女の言葉の意味は理解できるが、脳内に染みない。
「ヒロインを攻略できなかったら、僕はどうなるのですか?」と僕は言って、仰向いて空を見た。僕の灰色の心と対照的に、空は青く澄みきっている。
「死にます」
「死ぬの!?」
「ええ、この世界は停滞しているのです。先へ進むには、ヒロイン誰一人も、主人公に取られてはならないのです。あなたはヒロイン全て、主人公から寝取らなければならないのです」
ね、寝取りだと。
「ど、どうやって、寝取れば良いんですか」そういう漫画や、官能小説は、僕はよんだことがない。
「どうやったって構いません。明るく寝取っても、陰湿に寝取っても、ヒロインがみな、あなたに首ったけになれば良いのです」
再び顔を湖面に向ける。冴えない顔が、自信なさげに映っている。
「せめて、なにか必殺技みたようなのがあればなあ」と独り言ちる。
「ありますよ!」頭の中で、聞き慣れはじめた声が、響いて渡る。
「え、あるの?」
「あります」
「一体どんな」
彼女はちょっと間をおいてから「どぅるるるるる」と細かくドラム音のように、大袈裟に言った。「だだん!」
だだん! なんだ。
「つぶらな瞳です」と彼女は言った。「あなたはその、子犬のようなつぶらな瞳で、標的の心に入り込むのです」
確かに、つぶらだけれども。他が、良くないではないか。あるいはこの世界では、こういう出で立ちが可愛いとされているのかもしらん。
それに、と僕は考える。僕はゲーム世界に引き込まれた。こんなこと、現実に起き得ることじゃない。夢に違いない。であれば、思い切って行動して、あのヒロインたちの蠱惑的な体を、一目でも拝見しよう。
「その第一の村ってのは、どこにあるのさ」途端、やる気がみなぎる。「主人公とヒロインたちがどれぐらい仲良くなってるのか、君に分かったりするのかい?」そういや、この人は一体どこから僕に語り掛けているのだろう。
「幼馴染はもちろん、既に他の二人も彼と出会っています。急いでください。個別エンドだって許しちゃいけません。あなたが、三人とも手に入れて、ハーレム・エンドを目指すのです」
PVで見たあの身体たちが、僕に寄りかかっているのを想像する。足が地面を蹴るのが、軽快になる。
第一の村、ファーストに到着する頃には、僕の足はくたくたになり、空はとっくにあんず色であった。
とりあえず、往来を行く。獣人族や、人族や、ゴブリン族がちらほら歩いている。特定の種族が歩きそうにしている様子はない。種族間の差別は、ないと考えていいかもな。
とにかく、ふらふら歩いてみよう。
こうして、景色や、獣人の耳だとか、見慣れぬのを見ながら、落ち着かない気持ちで歩いていると、居た。女騎士だ。一人で歩いている。他の人々に比べ存在感が違う。輝きを放っている。ビキニ・アーマーである。
背後から眺めるビキニ・アーマーは、壮観であった。お尻は、割れ目以外のほとんどを露わにしている。逞しくも女性的な、むっちりした太ももとふくらはぎが、歩を進めるたびにお尻をぷりんと揺らす。
男共は種族問わず、彼女とすれ違ったあとに振り返って見惚れている。その中には軟派な出で立ちの男もいるが、誰も彼女に話しかけようとはしない。見惚れてから、ちょっと悔しそうな顔して歩き出すのである。ちょっと離れた、背後から歩いている僕にも、彼女から放たれる威圧感からは逃れることができない。
しかし、僕は彼女を尾行しなければならない。そうしないことには、死んじまうらしいからな。
背中も、尻と違わぬ。ビキニの紐があるばかり。くびれ。腕を振ると、すこし浮く肩甲骨。肩と前腕の鎧。金色のサイド・テールは踊っている。
標的は大通りを外れて、裏通りへと迷う様子なく入って行った。裏通り……怖いな。とは思うけれども、行くしかない。
女の尻をひたすら、付かず離れず追いかける。突然、女が立ち止まった。そうしてから僕は、彼女と僕の居る通りが、行き止まりであることに気付いた。
「誰だ、さっきからアタシの尻を追っかけているのは?」そう力強い声を僕に浴びせながら、彼女はとうとうこちらへ振り返った。
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