ケリウスの過去

「リオン、安心しろ。奴らは来ないみたいだ」


 抜いていた剣を腰の鞘に収めながら、ウィーポは隣に並ぶ。彼が扱う雷の魔法の中には遠方索敵に特化した魔力探知があり、光の網でより遠くの空気の震えを察知し、音より遥かに早い光の伝達により生物が居ないかを確認することができる。

 それは動くことのない建造物や自然に対しては効果がないものだったが、強力な索敵効果であることには間違いない。


 敵が来ないことを知り、全身の力を抜いていく。

 俺の光魔法でもウィーポさんと同じことができたらな、と彼の顔をまじまじと見る。


「歩ける?」


 反対側で身体を支えてくれていたゴカゴはまだ心配そうにこちらの顔を覗き込んでいたが、頷いてみせるとゆっくりと離れていく。光の力を使うリスクというものを、一緒に強くなってきた彼女は知っているんだろう。他の大人たちと比べれば、この時だけは一番心配してくれる。


 だが、頼ってばかりなのもいけない。この技を応用すれば、咄嗟に攻撃を防ぐことも可能だろう。力を受けられるのは三回と認識してはいるが、小出しする形で出力を調整すれば一回の間に何回も力を利用できるはずだ。


 その辺の力加減が未だにできないせいで、毎回全力でやり過ぎて燃費が最悪なことになるんだけども。


「ウィーポ、お前を疑うわけじゃあないが、儂は自分の目と経験で生きてきた。じゃから、儂ひとりで念の為に確認しに行くぞ」

「……勝手にしろ」


 ウィーポの発言を受けてガルマはロディジーに目配せをしたあと、凄い勢いで飛び上がって光の壁を突き抜けてあっという間に小さな点になる。

 やはり魔物でも無い限り、人間が通っても被害は無さそうだ。

 既にタンジョウで見たこととはいえ、今回は規模が違う。常識外のことが起こらなくてほっとした。


「じゃあばぁばは、ガルマ坊を待つとするよ。リオンたちは先に帰っといで」


 ガルマより遥かに年下な俺のことは坊と言わないあたり、彼女なりのこだわりなんだろうか。

 ロディジーさんの言葉が終わる前にきびすを返して歩き出したウィーポを追いかけるように、光の壁に背を向けた。


 帰りの道中はウィーポとゴカゴの三人。足はずっと震えていて力が入りづらく、ちらちらとゴカゴが見守る中で自分を奮起させて先頭を行く父の戦友の背中を追い続ける。

 彼からは父の話をあまり聞くことはなかった。というより、俺が聞かなかっただけか。なんとなく、簡単に父の過去を聞いても良いのだろうかと少し尻込みしている自分が居る。


「光の壁、見事だったぞ」


 背を向けて歩きながら、唐突にウィーポの褒め言葉が掛けられる。不意をつかれた俺は耳が熱くなるのを感じて視線を彼の足元に落とした。


「ロディジーの助けがあったとはいえ、一回目で成功させるとは」


 珍しいくらいの褒め殺しだ。いつも無愛想な表情をしているが、もしかして今日は機嫌が良いのだろうか。

 隣を歩くゴカゴも同じ気持ちだったようで、不思議そうな顔の彼女と目を合わせた。


「……お前の父親も、本番には強かったな」


 遠い思い出を語るようなかすれ気味の声はかろうして聞き取れる程度の声量で、それだけで彼が俺の父に抱く特別な想いというものを感じ取った。


「……父は、どんな人でしたか?」

「……ケリウスは、騎士団を纏める勇者と呼ばれる存在だった」


 武器屋で聞いた時とは違い、として父のことを語り出すウィーポ。

 表情こそ見せないが、その背中からはいつもより優しい雰囲気が表れていた。


「勇者って、職業の名前だとファアムさんからは聞いていました」

「それは彼女の認識が違うんだろう。とはいえ、俺も勇者に関してはケリウスの肩書きだと聞かされただけで、本当のところは分からない」


 肩書き、か。村を襲った時のヴァルハラの発言とは食い違うが、父本人から聞いていない以上は全て個人の憶測に過ぎないだろう。


「ファアムさんとは同郷じゃないんですか?」

「彼女とはタンジョウで初めて知り合ったんだ。それに、俺は首都であるフォーテインに住んでいたが、そうじゃなければ正確な情報など当時の彼女には知り得ないだろう」


 つまり、ファアムの情報はあくまで見聞程度だったということか。確かに俺も勇者の話を聞いたのは彼女からが初めてだったし、意外と誰もが知るような内容じゃないのかもしれない。


「ケリウスの話に戻すが、あいつは上層部からは煙たがれていてな。騎士団としての仕事よりもただの人助けを優先するものだから、他の団員からも一歩引かれていた」

「立派な事をしているのに、引かれていたの?」

「騎士団のトップがそんなだから、自分たちの評価が落ちることを恐れたんだろう」


 理不尽なことに対して思わず口を開いたゴカゴだったが、ウィーポはあくまで冷静だった。

 冷たい風が横から吹き、霧に覆われた空が少しずつ晴れていく。

 もしかしたら太陽が顔を覗かせるかもしれなかったが、俺は彼の背中から目を離せなかった。


「あの頃、西のペリシュドと北のモダンノストは戦争状態で、南のメオウェルクはどちらとも付かずに静観していた。その為にペリシュド国内にある村は食料生産のあてにされ、悲惨な状態だった。そんな村のためだけに、あいつは城から抜け出してよく炊き出しに行っていたな」


 くっくっ、と笑う声と共に身体を揺らす。楽しそうな彼を見るのは初めてだったので、笑ったりするんだなと失礼な感想を抱く。


「ウィーポさんは手伝わなかったの?」

「俺か」


 ゴカゴの質問が飛び、笑うのをやめた彼は呟く。


「あの頃の俺は、業務に精一杯でな。中立の立場を演じてはいたが、ケリウスの事は嫌いだったよ。立場をわきまえない行動に、ガキっぽさすら感じてな」

「じゃあ仲は悪かったの?」

「いや……」


 首を振った彼の歩みはこころなしか少しゆっくりとなり、空からは光が差し込み出す。神秘的な雰囲気の中、ゆっくりと進む時間の中を彼の声だけが木霊こだまする。


「ケリウスは、不思議なやつでな。俺が嫌悪の表情を向けようが、構わずに話しかけてくるしいつも楽しそうだった」


 ウィーポの嫌悪の表情を思い浮かべようとするがいつもの顔とそう変わらないなと思い、小さく失笑する。


「多分あっちからしたら、何も気にしてなかったんだろう。悪く言われていようが問題児扱いされようが、理屈じゃないあいつはいつも我を通していた。あれでよく騎士長がつとまるなと思ったくらいだ」


 とても楽しそうに話す彼の話を聞いて、俺も段々嬉しくなっていく。

 同時に、父さん自身ともっと話したかった感覚も押し寄せてくる。あのまま平和な毎日を過ごして大人になっていったら、俺はミレイと……。


「リオン、聞いてるの?」


 ゴカゴに叱られてしまい、惚けていた顔を引き締める。


「……リオン、父に会いたいか?」

「それは……もちろん会いたいです」


 この人にしては、非現実的な発言だな。死んだ人に会いたいだなんて、自分から言ったら鼻で笑われそうなものなんだけど。


「お前は、魔法をどこまで知っている? ケンジャから学んだと聞くが、彼はどれだけ教えてくれた?」

「どれだけって、多分基礎中の基礎と、属性を乗せる条件のヒントくらいで、それ以外はロディジーさんから多く学びました」


 実際、あれからケンジャさんは一度もタンジョウに戻ってこなかった。恐らくメオウェルク国内で様々な方面に呼ばれてそれどころでは無いんだろうけど、せめて魔法を扱えるようになった姿が見てもらいたかった。


「それ以外は?」

「あとは、クリストさんの書斎で学びました」


 言い終えてゴカゴの方をちらりと覗いたが、彼女は真っ直ぐ前を向いていた。むしろ気にしすぎてるのは俺の方か。

 前を行くウィーポは、再び濃くなってきた霧に向かって手をかざす。どうやら索敵をしてくれているようだ。


「リオン、光の魔法と闇の魔法の関係性については知っているか?」

「関係性、ですか?」


 確か、ロディジーさんは光魔法を使えてはいたがあれは指輪の効果だと言っていて、結局詳しくは聞けなかったはず。

 だから、せいぜい魔法学の本に載っていた抽象的な内容くらいしか知らないな。


「本にあったんですけど、光と闇の魔法により、太陽と神の目が互いにまわり合うような、そんな絵なら見ました。正直、よく分かってません」

「そうか……」


 質問した当の本人である彼は口をつぐんで、意味深な間を作る。隣に居る少女は質問したくて仕方ないのか、下唇を軽く噛んでいた。


「なに?」

「いや、なんでも」


 そんなに強く言わなくても、と心の中で苦言を呈して首を振った。


「……ケリウスは、ペリシュドの地で一度魔族と戦っている」


 魔族、と聞いてすぐにヴァルハラの顔が浮かんだ。

 ファアムさんが言っていた西の国を滅ぼした存在、ウィーポの話と照らし合わせても間違いない。奴の仕業だ。


「歴史では魔族が操る魔物によりペリシュドは滅んだとされているが、当時居た俺からすればそれは歪んだ伝承だ」


 低い声の持ち主である彼の声が一段と低くなり、どこかひりついた空気を醸し出す。それは俺がヴァルハラの事を思い出す時の感覚と酷似こくじしていた。


「真相は、ペリシュドの王が魔族に国を売ったんだ。もちろん独断でな。当然俺たちは聞かされておらず、奴は魔族と密会を重ねていた。そして、簡単に国内を掌握されたんだ。あの魔族、ヴァルハラに」


 ウィーポは立ち止まり、固く握りしめた拳を震わせる。


「ウィーポさん……」


 胸に手を添えたゴカゴは、声を震わせる。

 ペリシュドの王も馬鹿なことをする。何故あんな奴らに屈してしまうのか。


「……ふっ、いまさらいきどおっても詮無せんなきことよ。話を戻そう」


 ゆっくりと歩み出した彼の背中は少し寂しそうで、彼の中にある思いが表れているようだった。


「騎士団全体の意向としては、王に従う方針だった。だが、俺とケリウスは反対した。従うことはつまり、魔族の下に付くことになるからだ。俺にも愛国心はあったが、それよりも家族を守るのが優先だった。だから、ケリウスと協力して、ヴァルハラを討つことにした」


 彼はそこまで言って立ち止まり、こちらを振り向いた。感情が読み取りにくい彼だが、その顔は酷く悲しそうな印象を抱かせる。


「結果的に、ヴァルハラには大きな傷を負わせることに成功した。だが、奴には逃げられ、ケリウスと俺も国から追われる身となり、此処、ハヴェアゴッドに逃れた」


 親指を下に指して、地面を指差すウィーポ。

 父が言っていたハヴェアゴッド、此処は逃げ延びた場所でもあるのか。だけど、多分それだけじゃないはずだ。あの時の夢は、もっと別の何かを暗示しているはず。


「その時に、あいつはおかしな事を言っていたんだ。俺は一度負けていた、とな」

「それは……どういう事ですか?」

「さあな、それ以上はあいつも語らなかった。実際まともに戦えたのはケリウスの方で、ヴァルハラの一撃を食らって地面に伏していた俺からは奴らの剣戟の音や魔法の応酬しか聞こえなかったからな」


 残念そうに首を振って、踵を返した彼が歩き出す。地形は相変わらず変化にとぼしいが、そろそろギルドの入り口に着くであろうことは予感していた。


「あの、それと魔法のなんの関係が?」


 おくせずゴカゴが問いかける。俺も話の発端を思い出して、彼女と共にウィーポの背中を見つめた。


「……俺の推測だけで話すと、光と闇の魔法が合わさると時間を超越することができるんじゃないかと思っている。リオン、お前は魔族と数多く戦っている。その中で、時間の概念に干渉かんしょうした事は?」


 顔だけ振り向いているウィーポから視線を切って、俺はフニムンとの戦いを思い出す。そう言えば、これはまだ誰にも言っていないな。


「あります、フニムンという魔族と戦っている最中に突然時間が止まって、本物なのか魔法の効果なのか分からないけど、その空間で父に会いました」

「……やはりか。そこで何が起こった?」

「父から、俺の光の力について教わりました」


 背中に手を伸ばして模造刀の鞘を撫で、彼と目を合わせる。ウィーポは前を向き直して、しばらく考え込んだように黙ってしまった。


「それって、急にリオンが光り輝いた時の話?」

「ああ、そうだよ。あのお陰で死なずに済んだし」


 言い方酷いなとは思ったけど、はたから見たらそうだよな。


「そうなんだ……ねえ、お父さんに会った時、どんな感じだった?」


 何も知らない者からしたら無邪気な質問にも聞こえるが、真剣な眼差しにあてられてなんと答えるか迷った。


「嬉しかったけど、それよりも後悔の方が大きかったよ。もっと色んなこと話せば良かっただとか、会えたけどまるで夢心地だったから。でも、間違いなくあれは父さんだった」

「……えっと、リオン。そうじゃなくて、その時の周りの状況を聞きたかったんだけど」


 遠い目をしていた俺は急に現実に引き戻された気がして、頭を掻きながら咳払いで場の空気を濁した。


「ごめん。あの時はみんな止まってた。ゴカゴもフニムンも、風になびいてたはずの草木でさえも」

「それは、首を振ったりして確認したの?」

「ああ、足は動かせなかったけど、周りを見渡すことはできたよ」


 何かを思い出すような表情で、栗色の髪を揺らす少女は考える素振りを見せる。相変わらずウィーポは黙ったまま歩き続けている。俺は首を傾げたが、二人が何を考えているのか分からないまま、不意に先頭を行く彼が足を止めた。


「着いたぞ。まずはギルドに報告する」


 彼は足元に魔力を放ち、露わになった階段を彼に続いて降りていく。

 バルードさんに報告、か。二人の考えが読めない俺は集中できないまま、機械的に足を動かした。

 やがて見えた行き止まりにしか見えない壁を越えて、賑やかな声と煌めく屋内が俺たちを出迎える。


 その中で、一番近い席に座っていたブカッツとマギが一番最初にこちらに気づき、二人同時に立ち上がった。

 

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