ハヴェアゴッドでの攻防

ハヴェアゴッドへ

──ディスティニオル歴248年──


 それから二年の月日が流れた。

 皆の助けがあったとはいえ撃退に成功した魔族たちは鳴りを潜め、その間に俺はウィーポやロディジーから鍛錬を受ける毎日を繰り返していた。

 本格的な指導を受けたことがなかった俺は何度か訓練の過程で死にかけるも、共に居るゴカゴが励ましてくれたり、時には彼女の癒しの魔法が施されたりと、文字通り死に物狂いの毎日だった。


 それでもそれを望んでいた俺は、ウィーポの容赦ないしごきにも耐えて、季節が変わるたびに傷が増えていった。その頃にはわざと癒しの魔法をこばみ、敢えて生傷を増やしていく毎日。

 その結果だろうか、魔力量や剣の技術は格段に上がり、以前は苦戦どころか戦闘にも参加できなかったアッシュウルフをも討伐できるようになり、オークもゴカゴと共に魔法で倒せるまでに至る。


 特に成長したのが「まとい」と呼ばれる魔法で、身体に魔力を帯びさせて身体能力を上げる例のやつだ。

 今では自在に赤のオーラを部分的に強めたり全身に満遍なく行き渡らせたりできるようになり、冒険者ランクだけで言うとCランクはあるとも言われた。


 そして、ウィーポ、ロディジー、ガルマ、ゴカゴらの五人でハヴェアゴッドへ向かう時が来る。


 昼、教会でお祈りをしていた俺は、扉を叩く音で目を開ける。訪問者はそのまま扉を開け、教会へと入ってきた。


「まだここに居たのね」


 後ろから声を掛けてくるのはゴカゴだ。彼女は横まで来たかと思うと、同じ長椅子に膝を抱えるように座り込む。

 栗色の髪は腰まで伸びていて、すっかり大人びたように見える。小さかった鼻や口は身体の成長と共にくっきりと目立つようになった。

 髪の毛と同じ色をした長いまつ毛と、血行の良い乙女色の唇、目が合うと思わず逸らしてしまうくらいには見違えて可愛くなった。


「なに?」

「なんでも。ところで、ウィーポさんも来てるの?」

「ええ、外に居るわよ。ロディジーさんもね」


 どうやら準備を残しているのは俺だけのようで、彼女は催促さいそくのために派遣はけんされたらしい。

 そう考えついて一人苦笑した俺は、書斎に向かおうと立ち上がる。


「ちょっと待ってて」

「私も行くよ」


 敢えて聞き分けのないような行動をするのは、甘えたい年頃だからか。そんな事を言ったらぶっ飛ばされるんだろうけど、最近の彼女はやたらと一緒に行動したがるから仕方ない。


 扉を開けて、もう何度目になるか分からない匂いを鼻から吸い込み、整理された本棚へ向かう。

 この二年でほとんどの書物は読み終えて、例の魔法学の本も熟読じゅくどくした。結局光と闇の魔法については詳しく書かれてはいなかったけど、あの書き方だとまるで時間を操れるようにも取れる表現だった。


 二年前にフニムンと対峙した時に、父が現れた時の不思議な時間を思い出し、背中を丸めて顎に手を添えた。

 あれがもし、魔法で起こせたのだとしたら、ヴァルハラにも勝てるだろう。


「何考えてるの?」

「うわ!」


 覗き込むように顔を目の前に現したゴカゴを見て、退くように飛び上がる。

 心臓が暴れているのを胸の上から抑えていると、ムスッと口をへの字にしたゴカゴが冷たい目でこちらを見据えていた。


「すぐ独りの世界に入るよね、昔からだけど」


 確かにそうだけど、彼女が干渉し過ぎな部分も否めないだろう。

 口には出さずともそう思いながら、部屋の隅に布を掛けた縦長い鏡の前に立ち、ゆっくりと布を取る。

 この鏡の存在に気づいたのは割と最近で、本に埋もれていた為に見えなかったのだ。


 伸びた緋色の髪、赤の混じった黒い眉、いつの間にか二重になっていた目、父さんのように通った鼻筋とその先にある少し口角が下がった口。髪が赤い以外は、どことなく父さんの面影がある。


「鏡なんてあったんだ」


 ゴカゴが知らないのも無理はない。結局彼女は、ロディジーさんが経営する店と近いという理由だけで、ガルマさんの家に住んでいるからだ。

 魔法店には沢山の魔道具があるが、彼女自身が作った魔道具も数あるらしく、特にお互いが今付けている耳飾り型の黒いフォーンはフニムン戦以来発明された彼女の代表的な魔道具だ。


「ねえリオン」


 適当な本を手に取って読んでいたゴカゴは、こちらを見て尋ねる。せた色の本棚を背景に佇む彼女は、それだけで絵になるほどだ。


「どうしたの」

「ケンジャさんとファアムさん、どうしてるかな」


 彼女が口にした二人に関しては、二年前に会ったっきり連絡も無い。フォーンは距離に応じて魔力量の消費が変わっていき、王都かしくはペリシュド方面に居る彼らと交信は現実的ではない。

 そもそも相手も持っていないと意味が無いため、思い出の中で二人の姿は更新されていないままだ。


「ハヴェアゴッドに行けば、もしかしたら会えるかもしれない。あそこは国境に近いから」

「そうね……」


 どちらも恩人であり、大切な人だ。これ以上、俺たちの大切な人を奪わせるわけにはいかない。

 会話を終えて教会から出ると、勢揃いと言った形でガルマたちが待ち構えていた。


「リオン、本当に行くんだな」


 ちょび髭から少し長めの威厳いげんある髭に進化したゲエテは、目元を赤くしながら鼻をすすっている。


「うん、しばらく帰ってこれないと思うけど、タンジョウの街を守っててね」

「……合点がってんだ!」

「ゲエテうるさいよ」


 ゴカゴに叱られながらも、涙を拭いて笑顔を見せるゲエテ。笑い声に包まれる中、スミスと目が合う。


「あー、なんだ。お前らの鎧、ジャックの会心の出来らしいから、壊すなよ」

「なんじゃ、目を見てはっきり言わんかい」


 素面しらふの彼は初めて見たが、ガルマとも仲が良いんだろう。いがみ合うような二人のやり取りは、見てて緊張がほぐれてくれるから助かる。


「あの、リオン様、ゴカゴ嬢、どうかお気をつけてくださいませ」


 この二年間でさらに恰幅かっぷくが良くなったラフトは、平身低頭へいしんていとうといった形で何度も頭を下げる。

 それを見てゴカゴは、優しく応対していた。


「リオン、これ持ってけ」


 スタブから渡されたのは、巨大なサイズのミーロの実だった。


「お前が知ってるかは知らんがこれはな、ハヴェアゴッドの土地じゃあ育たねえんだ。お前にとっての故郷は違うかもしれんが、タンジョウの事が恋しくなったらこれでも食って思い出せよ」

「……ありがとう」


 歯を見せて笑うスタブの横にいるリトナーもはにかみながら頭を下げて、俺もそれに応える。大事なミーロの実は、ロディジー特性の空間魔法の魔道具で持ち運ぶことにした。


「……ガルマ様、どうかお気をつけて」

「おう」


 恭しく頭を下げるレタリーは、ガルマに代わってギルドマスター代理をする事になっている。業務自体は彼女に任せっきりだとあとから聞いたので、実質変化は無いようなものだろう。


「挨拶は終わったかい?」


 両手の薬指にそれぞれ指輪の魔道具をしたロディジーは、皆の顔を見渡しながら言う。俺は改めてここに集まってきてくれた皆の顔を見て、視線を交わした。


「……リオン、準備はいいか?」


 腕組みをしているウィーポに対して、俺は強く頷いた。

 俺含む五人は、ロディジーの魔道具による強化された移動魔法で一気にハヴェアゴッドへ向かう事になっている。

 ケンジャさんが使ってた魔法の強化版みたいなものだが、発動に相当時間がかかり、前準備だけで一ヶ月もかかった。

 片道切符かたみちきっぷも同然の魔法だが、問題ない。その為に悔いの無いよう鍛錬したのだから。


「みんな、ばぁばの近くへ寄りなぁ」


 言われた通りにロディジーを中心とした密集隊形になり、外を向いている俺は教会に目を向ける。


(クリストさん、行ってきます)


 背中の模造刀を収めた鞘を確認し、腰に着けた傷だらけのカバンに手をやる。ついにこの時が来たんだ。父の言っていた街へとようやく。


「はぐれないよう皆で手を繋ぎな」

「……必要あるのか?」

「ウィーポ、駄々をこねるな」


 舌打ちをしながらも渋々俺と手を繋ぎ、隣のゴカゴからも手が伸びる。


「この巡り合わせも」

「神の御加護、でしょ?」


 彼女と頷き合った俺は、手を繋いだあと前を見据える。既に周りには俺たちを囲むように風の渦が下から立ち上がっており、木の葉も続けて渦の中に現れる。

 皆の顔が見えなくなるほどその数を増やしていき、いよいよ浮遊感が身体を包み込む。


「行くよ!」


 老婆の合図と共に、落下しているような感覚に陥る。

 以前にロディジーと移動した時とは違う体験に戸惑いつつも、両手を強く握って歯を食いしばった。

 そして、長い滞空時間を終えてようやく地に足が着く感触を得る。


 次第に崩れていく円形状の木の葉の渦が、外の様子を見せていく。


「なんだこれは」


 反対側に居るガルマが呟いたのと同じ感想が、目に飛び込んできた光景を見た俺の頭にも浮かんだ。


 灰色の大地、と言わんばかりに目に映るのは草木も生えていない平坦な土地。何個か見える建物らしきものは、ほぼ全壊して名残なごりを見せているのみ。地面には抉られたような複数のへこみがあり、整備されていたであろう道との区別がつかない。

 此処は本当に街の中なのかと疑うくらいには、荒廃した光景が広がっていた。


「……ロディジー」

「合ってるよウィーポ、間違いなく此処がハヴェアゴッドさね」


 ……間に合わなかったのか。そんな感想がぎる。ペリシュドは今や魔物の巣窟そうくつとなっており、その侵攻を一様に受けていたこの街が壊滅していることぐらい容易に想像できたはずだ。

 だとしたら、ブカッツたちはもう……。


「リオン、絶望するにはまだ早いぞよ」


 ロディジーが指を差した先には、倒壊した建物の跡がある。しかし、よく見ると魔力の揺らぎが地面から漂っていた。


「行くぞ」


 先に歩き出したウィーポに続き、全員でそこに近づいていく。意識しないと気づかないような小さな魔力の揺らめきに、しゃがみ込んだウィーポは手をかざす。


「……この下に空間があるぞ」

「どれ、開けてみようかね」


 立ち上がったウィーポはロディジーに場所を譲り、彼女は小さく詠唱して魔力を地面に飛ばした。

 すると、霧散するように地面が消えて、石の階段が現れる。

 明らかに隠された空間に警戒するも、肩に手を置いてきたガルマが小さく首を振る。


 一体何があるというのか。変わらずに警戒しながら先に降りていったロディジーたちに続く。大人ひとりが通れるほどの狭い階段はそれほど先が無く、光源は無いように見えるが不思議とぼんやり明るい。

 そして、前を歩いていた二人の足が止まり、奥を見ると一面壁で行き止まりとなっていた。


「此処がギルドの入り口さね」


 そう言って手を伸ばした彼女を受け入れるように、壁が老婆を飲み込んでいく。


「行くぞ」


 続いてウィーポ、ガルマと入っていき、最後まで残った俺とゴカゴは共に壁の中へ足を運ぶ。

 足が壁に吸い込まれ、目をつむりながら壁にぶつか──らなかった。

 まぶたの裏が一際ひときわ明るくなり、ゆっくりと目を開けると先程までの空間が嘘のように広い室内が広がっていた。

 どんな原理なのか分からなかったが、魔力の揺らめきがあったということは魔法で作られたのだろうか。それにしても規模が凄まじい。


 天井は地下とは思えないほど高く、横幅はそれ以上に広い。全力で端まで駆けても数十秒はかかるだろう。

 暖色だんしょくを中心に灯された室内灯は、どこか大人の雰囲気を感じさせる。こんな事をゴカゴに言ったら、きっと鼻で笑われるだろう。


 広いギルド内、その中心部分には天井まで伸びる巨大な柱と、それを円形に囲むテーブルがあり、さらにそれぞれ受付嬢が内側に立っている。その付近で、ガルマたちが壮年の男と会話をしていた。

 彼らに近づくとこちらに気づいた男は屈託ない笑顔を見せ、手を伸ばして握手を求めてくる。


「リオンとゴカゴだね、私はバルード。ハヴェアゴッドのギルドマスターさ」


 固い握手を交わし、再びガルマと向き合った彼は皺を作って微笑む。片目に眼帯、髪の毛は後ろで一本結び、うなじあたりで毛先が揺れている。さらに右耳の上部分が欠けており、めくった袖から見える二の腕には古傷が目立つ。

 歴戦の雰囲気を漂わせる彼は楽しそうにガルマたちと会話しているため、しばらく子供の出る幕は無さそうだ。


「ゴカゴ、ちょっと見て回らない?」

「……ええ」


 彼女も場の雰囲気に圧倒されているのか、辺りを見渡しながら生返事を返してくる。

 タンジョウと比べれば二階部分が無いがそのぶん一階を広くした感じだろうか。元々地下にあるギルドなのかどうかすら分からないが、入り口を隠しているためこういう土地柄なのかもしれない。


 中には飲食店も入っているようで、外の荒廃した雰囲気が嘘のような賑わいだった。

 冒険者の数もそのためか多く、すれ違う人はタンジョウのそれと違いただならぬ雰囲気を纏わせた者ばかり。戦場と隣り合わせになっているのが原因だろう、と遠慮のない視線を注いでいく。


 その時、見覚えのある後ろ姿がテーブル席に座っているのを見つけ、俺はゴカゴの肩を軽く叩いて知らせる。


「えっ、あれって」

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