何年後になっても

 その姿は俺を助けるように動いた父の姿と被り、それを嫌がった俺は前に出ようとする。


「リオン、聞け。お前の父の事を一方的に知っていると俺は言ったが、本当は違う」


 長髪の主、ウィーポはこちらを向かずに続けた。


「彼と俺は同輩だ。西の国の王都で、同じ騎士団に所属していたからな」

「何を喋っているんだ? 早く来ないなら、こちらから行きますよ?」


 痺れを切らした老人は手刀の形をした両手に水の刃を出して、前傾姿勢で地面を蹴る。

 そしてウィーポの手前で大きく跳ね、二刀を回転しながら繰り出した。

 

「危ない!」


 思わず叫ぶが、ウィーポは迫る刀を剣の腹で滑らしていなし、もう一刀を叩き落とすように上から弾く。

 右手を叩き落とされたオルジェントはバランスを崩すが、人間離れした体幹で片足で着地し、そのまま右手と左手を上下に揃えて再び回転。

 同時に迫る刃を冷静に後退して交わした長髪の彼は、やり過ごしてがら空きの身体に突きを繰り出す。


「甘い」


 体向けて突き出された刃を、腰を後ろに曲げて避ける老紳士。軟体生物と見紛う間接無視した動きでウィーポの隙を作った彼は、片足を軸にしたまま回転し続け足を刈るように水の手刀を振り回す。


「馬鹿にしているのか?」


 突然、ウィーポの姿が消える。見失ったオルジェントはほうけた顔を見せ、空振りする剣が虚しく音を鳴らす。

 だが俺には彼が上に跳んだのが容易に確認できていた。咄嗟に見上げたオルジェントを、高く跳躍していた彼が剣を叩きつけるように振り下ろす。


 耳をつんざくような金属音がして、両手を交差させて剣を防いだオルジェントの顔が歪む。

 ウィーポの服の袖から覗く腕はただの武器屋とは思えぬほど膨れ上がっており、背中に浮き出る筋肉は彼の資質ししつを表していた。


「この身体だと、少し苦戦しますねぇ」


 苦しそうに漏らしたオルジェントは素早く距離を取り、小さく息を吐く。対してウィーポは首を横に振って鳴らし、退屈そうな顔つきで老紳士を見据えた。

 

「ところで、いいのか? モタモタしているとお前の状況は悪くなるばかりだぞ?」

「ふ、はっは! どう悪くなるというのです? 周りの雑魚共はすっかり怯えてますが、まさかこのはえ共が脅威きょういになるとでも?」


 聞き覚えのある笑い声を発する老紳士は、もはや元の面影なく歪めた顔で舌を出し、両手の刃をこすらせて美しい音色を響かせる。

 その音に意識を飛ばしそうになるも、ウィーポの喝が飛んで俺は顔を振った。


「ほう、これも効きませんか」

「使い古された剣技を使うのだな」


 そう言ってウィーポは駆け出して、オルジェントの手元を狙うように左から真一文字に剣を振り抜く。

 嬉しそうに顔を歪めた老人は両手を上下に開いてそれを避け、そのまま踏み込んで上下に突きを繰り出す。

 それを後ろに跳んで躱し、再び睨み合う。


「貴方は魔法を使えないのですか? それだと少し残念ですが」


 そう言って距離を取った俺たちに対し、水の刃を収めた奴はその両手を広げて突き出す。


「マウドバブルス」


 それはギルド内で横暴な冒険者の火の魔法を防いだものと同じ詠唱名であったが、あの時はふわふわと漂う水泡すいほうだったのに対し、今回のそれは無数の泡が高速で飛び出す全くの別物の魔法になっていた。


「うわ!」


 近くにいた冒険者が防ぎきれずに身体に泡が着弾した瞬間、大きく後ろに吹っ飛んでいく。


「泡に当たるな!」


 次々と飛んでくる泡を聖剣で防ぎながら、ウィーポは叫んだ。そうしている間にも他に四人居た冒険者たちは次々と直撃し、気づけばウィーポと、その背後に居た俺しか残っていなかった。


「流石ですね。でも、今度は貴方に集中させて飛ばしますが、よろしいですか?」


 下卑た笑みを浮かべる老人は、確認をするかのように首を傾げる。その突き出した両手は完全にこちらに向いており、動き出しても数秒掛かる間合いから覗くそれは、絶望的な射程の暴力を見せつけていた。

 しかし、不意に剣を下ろしたウィーポは、にやけるオルジェントを見据えて呟く。


「時間だ」

「はい?」


 ねっとりと聞き返すオルジェントの全身に影が掛かり、不思議に思った彼がその方向を見上げる。

 俺もつられてそちらに顔を向けると、上空から老人向けて両腕を掲げたまま落下してくる人影が見えた。


「はっは! 素手で降りてくる阿呆あほうが助っ人ですか!」


 突き出していた左手をその人影の方に向けて水の刃を作り上げる。その鋭利な先端は僅かな光に反射して、美しさとは裏腹に早く獲物の血が欲しいあまり垂涎すいぜんしているように見えた。

 そして刃が人影に触れたかと思うと、まるで石にでも突き立てたかのような音と共に老人の手がぐしゃりと潰れる。


「は?」


 間の抜けた声のあと、降ってきた人物が振り下ろした両の拳が目を見開いた老人の顔に直撃した。

 ぐしゃりと肉が潰れる音がして、衝撃に耐えきれなかった腰が後ろに折れ曲がる。その下半身に着地した人物は落下の衝撃そのままにオルジェントの全身を地面に叩きつけた。

 常人じょうじんなら全身を粉砕骨折したのちにあらゆるところから血が噴き出してもおかしくはない行為に、俺はしばらく自分の口が空いていることに気づかなかった。


「こいつか、儂らの憩いの場を潰したクソ野郎は」


 豪胆な振る舞いで悪態をついた人物、ガルマはしゃがんだ状態からゆっくりと立ち上がる。

 ぴくりとも動かないオルジェントは、絶命してしまったのだろうか。こちらからだと、顔が陥没してしまいとても生きているようには見えない。


「ガルマ、遅いぞ。何処に行っていた?」

「悪ぃ、レタリーを助けてたら遅れちまった」


 周りを見渡して、状況の深刻さを把握したガルマは険しい顔つきで老人の身体から降りる。


「……効きましたよぉ」


 絞り出したようなしわがれた声が聞こえ、ガルマは顔だけオルジェントの方に向ける。

 まさか、あの状態でもまだ生きているのか?

 ウィーポは再び剣を構え、ガルマは完全に振り向いて潰れた老人を見下ろす。


「我が分体ぶんたいでは勝てそうにないですね、ここは逃げさせてもらいます」

「逃がすと思うか?」


 ガルマは振り上げたその拳に凄まじい赤い魔力の揺らめきを灯し、未だ動かないオルジェントに向けて振り下ろす。

 しかし、身体に水のようなものを纏わせて、滑るように自身の頭方向へ逃れて、その反動で空中に身体を浮かび上がらせ、羽のように柔らかく着地する。

 遅れて地面に着弾した拳は多量の砂埃を伴い、飛び散った砂が顔を叩いてくる。


「はっは! 焦らずともまた会えますよ、貴方たちのお仲間の命、大切に使わせてもらいます」


 声がこだまし、砂埃が晴れた頃には老人の姿は無かった。

 驚くべきなのはガルマさんの攻撃の威力だ。拳が当たった地面は固めた土の歩道を大きくえぐり、大人ひとりは埋葬できそうな穴が空いていた。


 オルジェントが去ったのを確認したウィーポが剣を下ろし、ようやく俺も強ばっていた肩から力を抜くことができた。

 ため息と共に座り込むと、普段の彼からは想像できない険しい表情を浮かべたガルマがこちらに歩いてくるのが見える。


「リオンくんじゃったな、ゴカゴを見んかったか?」

「ゴカゴなら、もうすぐ来るかと」

「なんと、君が助けだしたのか!」

「いえ……魔法店のお婆さんのお陰です」


 名前をまだ知らない彼女のことを口にした瞬間、ガルマの目が見開いたのが見えた。


「なるほど、あの方なら納得じゃな」


 含みのある台詞を言いながらも手を差し出してくれた彼の厚意に甘え、手を取ってゆっくりと立ち上がる。


「無事か」


 剣を収めたウィーポは相変わらず無愛想に言うが、様々な側面を見せてくれた彼のその姿からはもう威圧感を抱くことはなかった。


「ありがとうございます。……ウィーポさん、その剣は?」

「これか? これはあいつの剣を模して俺が作ったものだ」


 あいつとは、恐らく父のことだろう。彼からは色々と話を伺いたかったが、今はそれ以上にやる事が沢山ある。


「ところで、ゴカゴは?」

「ロディジーさんが助けてくれたそうじゃぞ?」


 代わりに答えたガルマを見て、ウィーポは「ほう」と声を漏らす。


「彼女が動いたか、ならば俺も準備をせねば」

「ウィーポ、お前さんには街の復興を手伝ってもらいたいんじゃが」


 燃え尽きて鎮火した煙が立ちのぼるギルドの成れの果てを手のひらで指しながら、ガルマは首を傾げた。

 

「……俺以外にも適任は居るだろう」


 そのあと、ゴカゴと老婆ロディジーが合流して、二人の治療のために回復薬が使われた。それはファアムがガルマ宛に寄贈きぞうしていたものであり、力を使いすぎていたゴカゴは見た目まで快復し、ロディジーも一命を取り留めたようだった。


 アステマインに関しては、そもそも彼女の存在を知らない人の方が多く、俺がタンジョウに来た時点でゲエテに付いていたのは本当に男の門番だったみたいで、彼は現在行方不明だという。恐らく亡くなっていると予想し、フニムンの顔を浮かべて俺は歯噛みした。


 つまりは、入れ替わる形で彼女は潜入していたらしい。そもそも彼女なのか彼なのか、性別すら分からないままだ。

 さらにオルジェントに関しても、行方不明となっている。実在はしていたみたいで、引退後は姿を見なかったとの事だが、恐らくその経歴を利用したんだろう。奴の正体は分からずじまいだが、特徴的な笑い方からフニムンではないかと結論づける。


 レタリーに関してはオルジェントの水魔法により水泡に入れられたまま街の西側のはるか上空まで浮かんでいたらしく、ゴカゴを探すために空を移動していたガルマさんにより救出されたらしい。

 彼女をゲエテたちに任せ再び移動を開始した途端にギルドから煙が上がるのが見え、ウィーポにフォーンで連絡したのちに駆けつけたそうだ。


 それにしてもガルマさん、空を飛べるのか……。そのカラクリを聞いてみると、どうやら水と雷の魔法の応用らしい。その魔法の師匠はロディジーという名の魔法店の老婆であるというが、彼女に隠された秘密は沢山ありそうだ。


「ゴカゴ、しばらくぶりだな」


 教会の前で彼女と待ち合わせをしていた俺は、姿を現した少女に話しかける。

 ギルドの復興作業はまだまだ続きそうで、三日経った今でも目処めどが立たない。

 そんな中、俺はある決意をしてここに彼女を呼んだんだ。


「リオン、ギルドに行かなくていいの?」

「ガルマさんには言ってあるよ。来て」


 彼女を導くように教会の扉を開け、中央通路を歩いていく。二人の足跡が響いて、一番奥にある壇上の前で止まる。


「どうしたの?」

「実は、ゴカゴにはまだ話していない事が沢山あるんだ」

「……どういうこと?」


 お互いが長椅子に腰掛けたあと、父の素性すじょう、ヴァルハラの存在、そしてウィーポが父と同じ騎士団所属だった事を話す。

 さらに、ハヴェアゴッドへ向かう理由や、ミレイの事も。


「貴方の父親は、西の国の勇者だったの?」

「ああ、西の国の、というのは最近知ったんだけどね。そうだとすると、ペリシュドを壊滅させたのはヴァルハラだということになるんだ」

「どうして?」


 すっかり艶を取り戻した髪を揺らして、彼女が顔を近づける。


「ケンジャさんが話してくれた昔の話、覚えてる? フィオルって人が西の国で魔族と戦ったって」

「ええ」

「もしかしたら、というか多分そうなんだけど、そこに父さんも加わってたんじゃないかと思うんだ。父さんは光の力を使えたから、魔族に抵抗できた。そして、何らかの傷をヴァルハラに負わせて、西の国から脱出して俺の生まれ故郷であるフロン村に母と逃げたんだと思う」


 彼女は真剣な眼差しで相槌を打っていたが、やがて険しい表情で姿勢を戻した。


「だとしたら、貴方の村を襲ったのはやっぱり」

「……ああ」


 魔族というのは特徴がある程度一致する顔をしている。

 とんがった耳、青い舌、赤い目、背中の翼。フニムンは少し異形いぎょうな見た目だったが、ブシドウをおかしくしたあいつも、間違いなく魔族だろう。


 どこまで行っても彼らに全てを奪われ、壊される。一体いつまで俺たちは奪われ続けるのか。

 ヴァルハラの下卑た顔と声が頭で反響する。だけど、対抗手段も得ることができた。


「俺、ウィーポさんに言ったんだ。強くなりたいって。あの人は何も言わなかったけど、俺が父さんの子だと知ってから急に協力的になってくれてさ。だから、あの人に頼ろうと思う」

「……ええ、それがいいと思う。それに、ロディジーさんも貴方の事を気にかけてたわ」


 魔法店の優しい笑みを浮かべる老婆を思い出しながら、ゴカゴの話に耳を傾ける。


「あの日、貴方が先に行ってしまったあと、ロディジーさんはこの魔道具を渡してきたの」


 彼女は髪をかきあげ、指に着けている装飾品を見せる。


「それも魔道具なの?」

「うん、癒しの代償を緩和する魔道具。それと、これ」


 彼女がポケットから取り出したのは、同じような装飾品だった。


「これは強すぎる魔法から来る反動を抑える魔道具」


 指輪型のそれを渡された時、きっと光の力のためだと直感した。

 いくら対抗手段があったとしても、回数制限があるとなると他の技も磨く必要がある。ようやく使えるようになった火の魔法や、剣技もそうだ。

 魔道具を指に着けながら、復讐のために再び奴らの顔を思い浮かべる。


「……また怖い顔してる」

「ゴカゴは、どうする?」


 彼女の顔を見ると、迷うような表情で視線を泳がせていた。


「俺はハヴェアゴッドに行く。でも今のままじゃ絶対あいつらには勝てない。だから、ウィーポさんや、ロディジーさんにも教えを乞うことになると思う。それが何年後になるか分からないけど、今は力を付けるべきだと考えてるんだ」

「……そう」


 ゴカゴはしばらく迷っていたのちに立ち上がり、自らが住んでいた部屋へと向かっていく。

 俺は敢えてそれを追わずに、これからの事を考えていた。


 しばらくして帰ってきたゴカゴは、クリストから貰ったあの小さなカバンを腰に付けていた。


「リオン、私も行くわ。こうなったら貴方に付いていく」

「死ぬかもしれないよ」


 その言葉に笑みを浮かべた彼女は、栗色の髪を掻きあげながら言った。


「お父さんの仇を討つまでは死ぬつもりない。それに、この力を受け継いだ理由、今は分かる気がする」


 ゆっくりとこちらに近づいてきた彼女は、座っている俺の手を取り立ち上がらせる。


「お父さんならきっと言うわ。リオンを助けなさいって」


 肌のハリを取り戻し、以前と変わらないくらいに快復した彼女は、聖母のように笑った。

 

「ありがとう」


 彼女につられて笑った途端に、寒さで乾燥していた唇が裂けて、それを見た彼女とさらに笑い合う。


「自力で治してね、それくらいは」

「はいはい」


 しばらく笑っていなかったことを実感しながら、自分の息の白さを確かめる。

 騒動と共に温暖期を終えたタンジョウは、ゆっくりと寒冷期を迎えようとしていた。

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