決着と始まり
眩い光と共に目をつむり、肌に温かい液体が複数付着する。
次に目を開けると、魔族の剣を受け止めきれなかった老婆の肩に、黒い刃が沈んでいた。
「はっは!」
勝ち誇ったように嗤うアステマインは、大口を開けて老婆の顔を覗き込む。
しかし、その顔はすぐさま驚愕へと変わり、慌てて顔を引いて離れようとする。
「二人とも、下がってなさい」
静かだが迫力ある声に、棒になりそうな足を必死に動かして距離を取った。
その時、彼女が持つ白銀の剣が一層光を増して、密着する二人を包み込む。
苦しそうな声を上げるアステマインは、目から青い血を流しながら老婆に恨み言をぶつけ続ける。
そして、太陽のような眩い光が放たれたと同時に、凄まじい衝撃波が後ろに居た俺たちの方向以外にある周りの草原や馬車の残骸、マルクらを薙ぎ倒していく。
やがて光がしぼんでいき、片膝をついてうずくまる老婆だけがその場に残っていた。
それを見て真っ先に駆け出したのはゴカゴで、彼女の傷を癒そうとしているのだろう。俺はそれを守るように一緒に駆け出した。
「大丈夫ですか?」
「あと少しだったんだがね」
手から緑の光を放つゴカゴを見ながら、老婆の言葉の意味に絶句する。
まだ何処かに居るのか? 辺りを警戒して、模造刀を掲げて庇うように前に立つ。
すると、
「なっ」
その顔は恨めしそうな憤怒の色を纏っており、完全に土の中から現れた彼女は、露わになった胸元から土を
先程までの姿とは打って変わって、黒いゴム革製の胸が開けた服と、太ももの途中までしかない前掛けのような形をした布を身に纏い、足はマルクのような
獣と人間が無理やりくっついたような見た目を持つ彼女は、いつの間にか生えていた左手で髪を掻き上げる。
「うぬらにこの姿を見せることになるとは、このフニムン、一生の不覚じゃ」
口調も一変し、女性の身体に厳格な男性の声を持ち、さらに下半身は獣の形という、
「おやおや、少しはマシになったじゃないの」
あくまで老婆は挑発するように喋るが、魔族の頭側から生えた
「もうよい、小さき人間よ。虚勢を張ろうがすぐに死ぬことになる。そこにおる小娘も、その無駄な行為をやめよ」
深い傷跡を治そうとするゴカゴを指差して、フニムンと名乗る化け物が言いつける。
しかし彼女は従おうとせず、無視するように回復を続ける。
「仕方ない、うぬらには痛みを感じさせずに消し去る方法で殺してやろう。人間ごときには贅沢な話ぞ?」
彼は右手の人差し指を突き出して、黒い魔力を溜めていく。それはこれまで何度も見た闇の魔法の塊であり、俺はそれを防ごうと彼の前に立つ。
「うぬのことはヴァルハラから聞いておる。光の剣を使うそうだな」
仇の名前を聞いて一瞬自制を忘れそうになるが、唇を強く噛んで抑えた。
「だが、無駄なことはしない方がよいぞ。我は一切油断していない。うぬが少しでも素振りを見せれば、
「……お前らは、いつも理不尽だ。いきなり現れては、俺の大切な人を奪っていく。俺はもう、奪わせない」
死なんてとっくに覚悟している。奴の忠告を無視して、剣に魔力をこめた瞬間、細い線のような黒い魔法が俺の額目掛けて放たれた。
額に届くまでのごく僅かな時間、俺はゴカゴのデコピンを思い出していた。あれに比べたらこれは、きっと痛いじゃ済まないだろうな。
目をつむり、まだ衝撃が来ないことに疑問を持つ。
次に目を開けると、奴の動きが固まっており、黒の魔法も額に触れるか触れないかで止まっていた。
これは、なんだ? 俺は死んだのか?
そう思ったが、周りを見ると全てのものが止まっていた。ゴカゴも、老婆も、草原の揺らぎも風も、俺以外の時間が止まっている。
『リオン』
懐かしい声がして、声の方向に振り向いた。
そこには、身体の周りに黄金色を纏った父が、微笑みを浮かべて立っていた。
『父さん!』
『リオン、ようやく会えたな』
俺は今すぐ駆け出して抱きつきたかったが、足だけはピクリとも動かなかった。
『どうして父さんがここに?』
父、ケリウスは、短く切り揃えた黒髪を艶めかし、何度も頭の中で思い描いた優しい微笑みそのままで一歩一歩近づいてくる。
『リオン、聞いてくれ。あまり時間が無いんだ』
『……うん』
本当はもっと話したかった。あの日以来、ずっと父さんのことを思い出すのが怖かった。最期の瞬間がどうしてもチラついてしまって、ろくに顔すら思い浮かべることができなかったのに、今は目の前にいる。それなのに、我慢をしろだなんて。
やるせない気持ちで胸いっぱいになる俺を、手を伸ばした父さんは優しく髪を撫でつける。
『父さんは、お前に自分の力を受け継がせたんだ。いや、正確にはリオン……お前にではなく、その模造刀にな』
指差す方向にある模造刀は、父と同じように黄金色に煌めいている。
『お前に直接魔力を注ぎ込むには、あまりにも膨大すぎた。下手すればそれだけで命を落としてしまう、そう考えて俺はそうせざるを得なかったんだ』
それを聞いて、俺は思わず聞き返す。
ヴァルハラに向かって光の剣を創った時、確かに模造刀は持っていなかった。
しかし、それを汲み取ったかのように父は続ける。
『よく聞くんだ、リオン。その剣には今や意思が宿っている。危機に直面した時お前が強く願えば、例えそれを手にしていなくとも力を貸してくれる。だが忘れるな。それが使えるのは今では一日で一回が限界だ。何故なら、お前の身体が持たないからだ』
父の声がだんだんぼやけたように遠く響いて、優しい面影が水面に浮かべたように揺れ出す。
『父さん!』
『リオン、愛している。お前と過ごした日々は忘れない。だから』
「父さん!」
叫んだと同時に額に強い衝撃を受けて、視界が回った。
宙に浮いて地面が見えたと思ったら、無様に真正面から激突する。
「……なに?」
「リオン!」
ゴカゴの声と、困惑するフニムンの声が聞こえる。震えながら地面を押した両手には光の魔力が灯っており、足、肩、体と全身に帯びたこれが致命傷を避けたんだと知る。
「まさか、光の魔法かえ」
驚愕する老婆の声を受け、ゆっくりと模造刀を手に立ち上がる。力が湧いてくるようだが、俺は父の言っていた事を反芻していた。
一回しか使えない。それに、守りに使った場合もそれにカウントされるかもしれない。
困惑して動きを止めているフニムンに一撃を加えるか、それともこれを逃げるために使うか。
「なんだ、うぬのその力は。まさか、ヴァルハラの言っていた苦し紛れの力とやらか」
フニムンの言葉を受け、鼻で笑った。
そんな風に伝えていたのか。ヴァルハラの自尊心の高さが窺えるが、逆にチャンスかもしれない。
正しくない報告を受けたために侮りが見えるこいつは、行動を起こさずに様子を見ている。
俺はゆっくりとカバンの中にあるフォーンを握り、一瞬だけ魔力を飛ばす。
『ゴカゴ、その人に俺が攻撃したら移動魔法をと伝えて』
光の力で増幅しているおかげか、はたまた距離が近いからかはわからないが、さほど魔力の低下は起こらずに彼女に伝えることができた。
これで準備ができた。俺はこいつに、一撃を加える。
静かに剣に魔力を流す。むしろ、剣から魔力を受け取っているみたいだ。
「なにか企んでいるようだが、そんな小手先の魔法剣で我に抗おうとは笑止! 消し去ってくれる!」
大きく咆哮するように叫んだフニムンは、前足を上げて後ろ足で立ち、浮いた足を前後に泳がせたあと、着地と同時に右手に剣を作り上げこちらに猛然と向かってきた。
俺は剣を横にして突きの構えで腕を引き、奴の接近に合わせて軽く突き出した。
しかし、直前で方向を変えて、後ろにいるゴカゴたちの元へ向かうフニムン。
「馬鹿め! アベスドッグの短刀で会話するとは! 筒抜けぞ!」
老婆の魔法発動の前に潰そうと考えたのだろう、勝ち誇ったように叫んだ奴は自らの肉体で突進する。
俺は、それを読んでいた。通信が
それは光の一閃となり、フニムンの両足に直撃した。
「がっ!?」
バランスを崩した奴は前足だけで踏み留まろうとするが、老婆は移動魔法を
「おっかない奴は遠くに飛ばそうねぇ」
体勢を立て直そうとする奴の周りに木の葉が回り始め、手を伸ばして老婆を掴もうとするが木の葉の壁に触れた瞬間、大きく手が弾かれる。
「なんだこれは! 何故弾かれる!」
「そりゃあんた、光の属性も混じってるからねぇ」
見ると此処に移動する時には無かった煌めきが、フニムンの周りで輝いていた。
「同時に三種の属性だと……うぬは何者じゃ」
悟ったように動きを止めたフニムンは、後ろ足を曲げ前足だけで雄々しく佇む。
「……これはあの人がくれた魔道具さね、あたしの力じゃあない」
首を振って意味深に呟いた老婆は、前に突き出した手に力をこめていく。
そして、フニムンの姿が完全に木の葉と光に包まれ見えなくなる。
「はっは! 良いだろう。勇者の子を此処で殺してやろうと思ったが、うぬのような存在と戦うのは完全に誤算であった。だが、次は無いぞ」
最後にそう言った彼は、やがて渦が収まってくる頃には強大な気配と共に消え去っていた。
「リオン!」
ゴカゴの声に我に返り、老婆の元へ駆け出す。
少女に支えられた彼女は、酷く
「やっぱり
二人で老婆を支えて、戻ってきていた馬車を引いていたマルクたちの所に歩いていく。
「あなたは、何者なんですか?」
二回目の質問に、老婆は俯いていた頭をゆっくりと持ち上げる。
「とりあえず帰ろうかねぇ、話はそれからだよ」
痛々しい姿を見せる彼女を連れて、ゴカゴはマルクを呼び寄せる。
そして、一頭の前の方に老婆を乗せ、その後ろにゴカゴが乗り、もう一頭は俺が乗った。
合図と共に振動無く走り出した彼らの後ろを、残りの二頭が追従してくる。
俺は迫り来る疲労感と戦いながら、懸命にマルクにしがみつく。
タンジョウからはそこまで離れているわけではなかったようで、そう時間が経たないうちに門が見えてくる。
「あれは……」
ゴカゴが声を上げたのが聞こえて前方に目を凝らすと、門の外側壁に隠されたように誰かが血を流してもたれかかっているのが見えた。
それはアステマインと一緒に警備をしていた男で、見た限りでは既に事切れているのが分かる。
再び怒りが込み上げてきて、強く歯噛みした瞬間に全身に魔力が巡る感覚があった。
自らの身体の変化に驚いていると、やけに街の中が騒がしいのに気づく。
門を潜ると、人々が何かから逃げ出そうとしているのが見えた。彼らは荷物を纏め、一方向から逃れるように離れようとしている。恐らく門外へ向かっているのだろうが、それは遠くの方からも続いていた。
この東門はそのままギルドがある大通りに続いているため、西門と同じく商人の馬車が通りやすい地形をしている。
つまりそれは、ギルドがある街の中心地から逃れるように人々が動いているということだった。
嫌な予感がした俺はそのままマルクを走らせる。
「リオン、どこへ!」
「ギルドに行く!」
ゴカゴを振り切って人々の流れに逆らっていく。ギルドの方向に小さな煙が立ち昇っているのが見え、どんどん早くなる鼓動と共に考えを巡らせる。
そして明らかにギルドから火の手が上がっているのが見えて、さらに冒険者たちがある人物を囲んで戦闘を始めていた。
「オルジェント、さん……?」
倒壊して火の手が上がるギルドを背に、邪悪な笑みを浮かべた彼は複数の冒険者に対して立ち向かっていた。それは明らかに彼が悪の立場であり、冒険者から向けられる怒号は全てギルド破壊行為に関するものだった。
そして、こちらに顔を向けて俺と目を合わせた老紳士は、途端に敵意剥き出しの視線をぶつけてくる。
「こちらに分身を残しておいて良かったよ。この老人の身分は潜入しやすくて助かったからね。というわけで君の監視は終わりだ、リオンくん」
「何言ってんだ貴様!」
大柄な男が声を張り上げ両手で持つほどの巨大な斧を振り上げて、オルジェントに向けて走り出す。
彼は俺に視線を合わせたまま斧の軌道を見もせずにその場から数歩身体をずらし、振り下ろされた斧から逃れる。
そして、手刀の形にした手から水の刃のような鋭利な刃物を模した形を作り出し、男の首を通り抜けるように真横に振り抜く。
おびただしい血が果実を割ったように溢れ出して、脱力して前につんのめる大男。それを見ていた周りの冒険者たちは
「さあ、掛かってきなさい」
皆がたじろぐ中、マルクから降りた俺は模造刀を構えて近づいていく。囲んでいる人数は四人ほどで、その隙間から覗くオルジェントの姿には、隙が一切見られない。
突っ込んだら死ぬ、先程の大男の死に様が頭を流れ、迷いが生まれていく。
光の力を既に使っている今、もう一度使ったら一体どうなるのか。最悪死か、良くて気絶か。
彼はニヤついたまま、俺が掛かってくるのを待っているようだった。
「……命を無駄にするな」
突然、横から庇うように手が伸びて、特徴的な低い声が俺の動きを止める。
一度見たら記憶に残るであろう髪型をしている彼は後ろに流れる長髪を揺らして、父の持っていた聖剣を持って老紳士の前に立ちはだかる。
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