魔界の四英雄

 彼女は戸惑うように視線を動かし、俺の声だけを認識しているみたいだ。


『ゴカゴ、聞いてほしい。声には出さずに、頭の中で今居る場所を教えてくれ』


 思念というものがあるならば、それを飛ばして会話をしている形となり、彼女の表情に変化が表れる。


『リオン? リオンなのね? 私は……今何処に居るのか分からない。多分、馬車だと思う。頭になにか被せられていて何も見えないけど、この振動は覚えがあるから』


 馬車、という事は既に街の外に居る可能性が高い。


「おチビちゃん、もう少し会話を延ばしててちょうだい」


 老婆の声が聞こえて、再びゴカゴへと質問をする。


『覚えている限りでいいから、今に至るまでの経緯を教えて欲しい』

『朝、目が覚めたら既にこうだったわ』

『昨日は?』

『昨日はギルドに戻ったあとガルマさんと話して、貴方の短刀を持ってウィーポの店に行ったの。それで、通信に使われる素材とだけ聞いて、部屋に戻って外に出る支度をしていたの。……そこから記憶が無いわ』


 恐らく彼女は俺と同じように、短刀の秘密を探ろうとしたんだろう。それを何らかの方法で知ったアステマインは行動を移した、と言ったところなのか。


「場所が分かったわよ、おチビちゃん。東門から抜けた街道の途上に居るわ」


 居場所を突き止めた老婆が、声を上げる。東門といえば、アステマインが立っていた方角の門だ。

 俺は一旦、魔法店の店主と話そうとするが、会話の切り上げ方が分からない。


「一旦魔力を送るのを止めるのよ」


 老婆の指示に従って、魔力の流れを止める。


『ゴカゴ、待っていろ。必ず助ける』

『ええ、信じてる』


 頭の中からゴカゴの姿が消え去り、目を開けると景色がぐにゃりと歪む。


「これを飲みなさい」


 いつの間にか椅子に座らされていた俺は、老婆から透明の細長い容器に水色の液体が入ったものを手渡される。

 一瞬躊躇ったが、頭の先までクラクラと揺れる感覚がして、思い切ってそれを飲み干す。

 すると、頭痛の前触れのような症状が緩和されていき、目の前の景色も正常な見え方に戻っていく。


「それは魔力を回復する薬よ。今はツケといてあげるから、出発するわよ」


 見ると老婆は既に着替えており、まるで魔法使いのような格好で目の前に立っている。


「あなたは一体……」

「ばぁばかい? ただの元魔法使いさね。さあ行くよ」


 手に持っていたフォーンをカバンに仕舞い、彼女を追うように立ち上がって付いて行く。

 外に出ると、そばに寄るようにと手招きをし、近づくと彼女は右手と左手にそれぞれ緑と紫の魔力を帯びさせる。すると途端に周りが風で渦巻いて、無数の木の葉の渦が回転しながら天まで伸びていく。

 それはだいぶ前にケンジャさんが使っていた移動魔法で、老婆の合図と共に浮遊感が訪れる。


 再び地面にふわりと着地したと思ったら、周りの渦も次第に下がっていく。

 そこは見渡す限り草原が広がる、ニードルラビットを狩っていた見覚えのある地形であり、こちらに向かってくる馬車を街道の上で待ち受ける形となっていた。


「あれさね!」


 彼女は前方を指差し、馬車を見据える。異変に気づいたのか、馬車から数人の影が降りてきて、こちらに向かって駆け出してくる。

 間違いなく敵だ、俺は老婆から離れて模造刀を手に取るが、彼女はさらに前に立つ。


「下がってなさい」


 そう言うと彼女は右手に赤、左手に緑の光を宿して前に突き出し指輪を光らせたかと思うと、巨大な風の渦を手の前に作り出し、それは先端に向けて渦巻き状に尖った形に変化していき、迫る敵の人数分の渦が手から放たれた。


 前を走っていた二人は咄嗟に両手を前に出し、一糸乱れぬ動きで迫る渦巻きを防ごうと身体全体を隠すほどの四角い黒の障壁を作り出す。

 そして風の渦が接触した瞬間、闇を切り裂くように黒い壁を散らしていき、二つ同時に貫通したそれが二人に突き刺さった。


 声も挙げずに渦巻く方向に回転しながら吹き飛ぶ二人の下を潜るように現れた後方の二人が、再び迫る風の渦を今度は避けるように大きく迂回してかわそうとする。

 しかし、追尾性に優れた渦は二人の横腹目掛けて方角を変え、二人同時に魔法が直撃した。


 最初に飛ばされた二人が馬車を遥かに越えて地面に叩きつけられたのが見え、横に吹っ飛んだ二人は草原の中に消えていく。

 とてつもない威力の魔法を放つ老婆の顔を見て放心しつつも、未だに走り続ける馬車の方を慌てて見据えた。


「あの中に、まだ居るさね」


 緊張を解かずに右手を構えたままの老婆は、低い声で呟くように言う。

 あの中にゴカゴが居るんだとしたら、迂闊に魔法で攻撃はできない。

 中の主が馬車を止めないのも、出てこないのも、同じことを考えているからだと予想する。


「俺、行ってきます」

「何をする気?」


 迫る馬車は以前ゴカゴを輸送していたものと違い、荷台部分にそのまま豪華な小屋が乗ったかのような大きさを誇っている。

 まるで要人を運ぶためのものと言わんばかりに豪華な装飾がされたそれは、場違いなまでにきらびやかに光を反射していた。

 そんな馬車の横には、扉がそれぞれ左右に一つずつあり、先程四人出てきたのを見てあそこから中に入れると予想する。


 俺は、まさにそれを逆手に取って内部に入り込もうと企んでいた。

 それに気づいたのか、老婆は手を伸ばそうとするが、俺はそれを躱して走り出す。

 彼女の魔法は強力だが、隙を作らないと放てない。

 足に向けて本日二度目の魔力を流し、赤みを帯びたのを確認した俺は一気に地面を蹴りあげる。


 馬車を引くのは四頭のマルクで、その速度は決して速くはない。だが、チャンスは一回きりだろう。

 目の前に迫る馬車に向かって、俺は飛び上がって掴める場所を探す。

 ちょうどドアノブがあり、それを掴んで一旦衝撃をいなした。


 中に誰が居るのか既に予想は付いていたが、意を決して扉を開いて模造刀を手に取りながら転がり込む。

 大人が大の字で寝転がれるほどの広さを誇る室内の端で、頭に黒い袋を被せられた少女と、そのかたわらに立つ人影があった。


「ほう、どうやって追いついたかは分からぬが、まさか君が来るとはね」


 高飛車に喋る姿は、かつて俺を看病してくれた人と同じ顔をしており、褐色の髪を腰まで下ろし、赤い瞳を爛々らんらんと輝かせていた。


「どうしてあなたが……こんなことを」


 下品に口角を上げて歯を見せて笑うその顔は、どう見てもアステマインそのものだ。

 混乱と怒りがせめぎ合って、俺は沸騰しそうになる頭の中を抑えて、必死に冷静を保っていた。

 彼女はゴカゴの頭の方に手を伸ばして、割れ物でも扱うかのように優しく撫でる。


「こんなことを、か。はっは! こんなことをするなんて? はっはっはっ!」


 柔らかく添えた左手とは別の意志であるかのように、邪悪な笑顔で高らかに笑う。それだけで見えない空気に全身を押され、不意に馬車の速度が落ちたのを感じる。


「どうやら、あの人の言っていた通り、甘ちゃんだね君は」


 馬車が完全に止まり、アステマインは剥き出しにした歯から青い舌を覗かせる。

 それを見た瞬間に、今まで抑えていた感情が沸騰して気づけば叫んでいた。


「そう、わらわは魔族。貴方の大っ嫌いな魔族よ。ふふふっはっはっ!」

「ゴカゴから離れろ!」

「きゃっ!」


 模造刀に魔力をこめて、斬り掛かろうと走り出す。

 しかし、奴はゴカゴの頭を持って、自らの前に盾として掲げた。

 思わず動きを止めてしまい、それを見た外道はさらに凶悪な笑みを浮かべる。


「甘い、甘いよ君。そんなにお仲間が大切? そんなに好きなの? この子のことを? そっかぁ、じゃあこの子を殺したら向かってきてくれる?」


 戦慄する空気を放つアステマインは、ゴカゴの喉元に鋭く伸びた右手の爪を添える。


「やめろ!」

「あははははあがっ!」


 俺の叫びと同時に、凄まじい勢いで横からアステマインの身体を丸ごと包み込むほどの空気砲のようなものが通り、馬車の壁と天井が吹き飛ぶ。

 パラパラと木片が落ちてくる中、ゴカゴの頭を掴んでいた左手が置き去りとなり、肘と二の腕の境目にあたる部分だけ残した断面からは青い血が垂れる。


 何が起こったのか分からなかったが、すぐさま俺はゴカゴの元に駆け寄り、頭に被せられた袋を取る。その拍子に落ちた魔族の手は、腐っていくように変色して溶けていった。


「ゴカゴ!」

「……リオン」


 後ろ手にも縛られているようで、流れるように縄を切る。

 その手には黒い短刀が握られており、そのお陰で彼女と連絡を取ることができたと知る。


「大丈夫か!」

「聞こえてるわよ、ありがとう」


 気丈な彼女だったが、その身体は震えている。奴の魔力に当てられた俺も、手が小刻みに震えるのを感じた。


「おチビちゃん、大丈夫?」


 馬車の外、左手側から老婆の声が聞こえる。彼女の魔法がどうやらアステマインを吹き飛ばしたみたいだ。

 俺は手を挙げて応えようとすると、突然背後から寒気がした。

 咄嗟にゴカゴを抱えたまま前に倒れ込み、素早く後ろを振り返る。

 そこには、左の肘から先を失っている翼を広げた女が、ほこりを払うように右手で身体を払いながら宙に浮かんでいた。


「早くこっちへ!」


 老婆の声が聞こえ、俺とゴカゴは弾けるように魔法によって空いた穴から脱出する。

 街道に着地して振り返ると、アステマインは首を傾けて骨を鳴らし、ぐるりと一周させていた。

 その髪は褐色から鮮やかな青色に変わり、肌の色が淡い青へと変貌している。耳は尖り、唇は漆黒、ここからでも視認できるまつ毛は瞬きするたびに大きく揺れ、細い輪郭が元の美貌の原型を保っている。


「なるほどね、君一人で乗り込んできたものだから、お外にいるお仲間を頼りにしてるんだなとは思っていたけど、予想以上に──うざったいわ」


 瞬間、右手を前に出して瞬時にそこから緑色のつたを飛び出させ、毒々しい紫のとげを纏ったそれは螺旋を描きながら空中を埋めつくしてこちらに迫る。


「ばぁばの後ろに居なさい」


 老婆は怯む様子を見せず、両手を出して魔力を放つ。その放たれた魔力は青い炎となり、蔦に接触して燃え移った。

 しかし、勢いを止めることはできずに目の前に迫り来る蛇行する植物を、俺は受け止めるために自ら模造刀を構えて躍り出る。


「安心して」


 頭上から慈愛のこもった声が降りてきたかと思うと、目の前まで迫った蔦が瞬く間に青い炎に包み込まれ、一瞬で黒ずんだ灰となって風と共に流れていく。

 黒煙に混ざって見えなくなったアステマインの方から、次なる殺気が膨らんでいく。

 それを察知した老婆は先制を取るかのように、渦巻き状の風の魔法を三つ立て続けに放った。


 煙を散らしながら向かっていったそれは、魔族の魔法と衝突したのか、激しい爆発音が鳴り響き、気を抜いたら飛ばされそうな衝撃波が土埃と共に迫り来る。

 目を細めて煙が晴れるのを待っていると、再び老婆が前に踏み出した。


 彼女の手には持っていなかったはずの剣が握られ、それは白銀の輝きをはなっており、どこか暖かい光を纏っている。

 次の瞬間、剣戟が鳴り響き、ゴカゴと共に後ろに吹き飛ばされた。


「大丈夫か!」

「リオンこそ」


 すぐさま無事を確認して起き上がると、先程の剣戟で煙がぶつかり合う二人を中心に晴れており、たのしそうにわらうアステマインの顔が見えた。


「なんなんだ君は、こんな魔力量を持つ人間がまだ居たのか? もしかして、勇者なのか?」

「よく喋るお嬢ちゃんだこと、そんなに余裕なのかい?」


 二度目の剣戟で離れた両者は、お互いに飛び込む隙を窺う。魔族の右手には黒い輝きを放つ禍々まがまがしい剣が握られており、父を殺したヴァルハラが持っているものと重なった。

 魔法店の老婆は元魔法使いと名乗ったが、恐らく指輪の魔道具で魔法を強化しているのだろう。ただ、それがいつまで持つかが心配だった。


「私たちはどうするべきだと思う?」


 未だぶつかり合わずにお互いの動きを見合う老婆の背中から目を離さずに、ゴカゴは問いかける。


「せめて、俺が自在に光魔法を使えたら……!」


 未だに発動条件がよく分からないまま、今に至っている。最初は強い怒りかと思ったが、ディードにトドメをさせなかった時点でそれは違うと思った。

 その前に発動した時は、何故だか確信があった。父さんの聖剣を思い浮かべて、それを頭で描いた記憶がある。

 だけどそれだけじゃ駄目みたいだ、今まで日常的に使えなかった理由があるはずなんだ。

 ならば、何が、いや、代償にすればいいのか。

 はっきり書かれていなかった光と闇の代償と条件、だが今目の前に居る二人は光と闇の魔法らしきものを扱っている。


「妾をお嬢ちゃん呼ばわりするなんて、大層な人間がまだ居たものだ。妾を魔界の四英雄と知っての発言か?」


 魔界の四英雄と名乗る女魔族は、こちらを見下ろすように顔を上げる。

 英雄だって? ふざけてる。こんな英雄が居てたまるか。俺にとっての英雄は、父さん唯一人なんだ。

 下卑た笑い方がヴァルハラそっくりの彼女は、黒剣を正面に構える。

 いよいよ来る、そう身構えた時、次の剣戟が鳴り響いた。

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