圧倒する少女

圧倒する少女

「この本に?」

「ええ」


 確かめるために本に手を伸ばして、膝の上で適当に開く。

 書斎で読んだどの本よりも分厚く、どこを読めばいいか分からずひたすらめくっていく。

 その姿に痺れを切らしたのか、再び横に座ったゴカゴが本を取り上げて開き直した。


「ここ、読める?」


 それは六元素の魔法を発動する条件が書かれてあり、それぞれの条件、つまり代償がどの程度のものでどのようなものなのかが事細かに記載されていた。


「こんなに詳しく書いてあったなんて。でもどうしてゴカゴがこれを?」

「……そもそも、私がお父さんの力を受け継いだことを知ったのは、ノースヴァルトの森から帰る途中よ。魔法はおろか、魔力すら満足に練れてない私がお父さんの魔法を使えるなんて、恐怖でしかないでしょ?」


 言われてみればそうだ。自分も光の魔法を無意識に使うことが過去にあったが、普段は全くもって使えないのだ。父の加護があるといえばそれまでだが、理由があるなら知りたいのが本音だ。


「だから、お父さんが読んでくれたこの本を思い出して、ゲエテとギルドに行く時に持っていったの。彼は不思議そうな顔をしてたわ」

「そういえば、ゲエテさんがお嬢って呼ぶのはなんで?」

「……気づいたら呼ばれてた」


 深い意味は無いと知り、安心するような脱力するような気持ちだった。


「話を戻すけど、読み進めるうちにこのページに辿り着いてね。それで、この魔法の代償を知ったのよ」


 本を見ると、木の魔法の代償として命を捧げるというものがあった。他にも、火の場合は実際に焼かれる経験を、水の場合は触れている時間を、雷の場合は大切な人との記憶をとある。

 しかし、光と闇に関しては曖昧な書き方をされていた。

 ただ読み取れるのは、太陽と神の目を模した絵が光と闇の魔法がぶつかる事で廻りあっている。恐らく時間の概念に関するものと思われる、抽象的な絵のみだった。


「これ、発動条件でもあるんだよね……?」

「恐らく?」

「……クリストさんは、知っててなにも言わなかったのかな」

「なにを?」

「代償を払えば、魔法が使えること」


 彼女は右上の方向を見ながら首を傾げて、やがて言葉が降りてきたのを知らせるようにこちらを見て口を開いた。


「覚えてほしくは、なかったんじゃない?」


 そう言われて、優しい笑みを浮かべたクリストの顔を思い出す。あの人の性格なら、確かにそうだ。教える技術は無くとも、本を読めば分かる内容を伏せていたのは、そうだとしか思えない。

 もし、ケンジャさんがあの時訪問しなかったら、今頃魔力すら練れなかっただろう。自分の復讐にこの親子を巻き込んだことを、改めて後悔した。


「気にしないで」


 気持ちを汲むような言葉を掛ける彼女の顔を見て、ふと思い出した事を実行しようと人差し指を立てる。

 

「なに?」

「少し離れてて」

 

 ゴカゴが離れたのを確認したあと、焼かれた記憶と共に魔力を人差し指へと流す。思った通りに火が灯り、それを見た彼女は信じられないような顔で眺めている。


「どうして? だって火の魔法の発動条件は」


 そこまで言って、眉をひそめた彼女は顔を近づけてきた。


「まさか、右手が火傷してたのって」

「……そう」


 すぐさま怒った表情に変わる少女は、再び右手をデコピンの形にして迫る。

 流石に予想できたので、おでこを押さえて後退した。


「……自分の手を焼いたの?」


 ため息混じりにデコピンの形を崩して、諦めたようにそう問いかける。


「ケンジャさんに、体験が大事って言われたんだ。だから、とりあえずやってみようかなって」


 頭を抱えるゴカゴの呆れた顔を見るあたり、ケンジャさんの評価が下がったんだと予想した。

 何も知らない大魔法使いに心の中で謝りつつ、話を戻す。


「とにかく、魔法の使い方が分かったんだけどさ。この感じだと、一度出せるようになったらいちいち代償払う必要無いんじゃないかなと思ったんだけど、違うのかな」

「うーん」


 彼女の見た目に生気を感じない理由は、木の魔法、つまり癒しの魔法の代償だという。

 だけど本に書かれている通りだとしたら、火の魔法を使う際もいちいち身体を焼かないと出せないという理論になる。


「その辺は……ケンジャさんに聞いたら分かるかもね」

「そう、だね」


 次にケンジャさんと会えるのはいつになるか分からない。当面は手探りでやっていくしかないか。


「とりあえず火の魔法なら出せるから、これをどんどん強くしていけばいいんだよね」

「そうなんだけど、リオン。それどうやって消すつもり?」


 ゴカゴに指摘された俺は、人差し指の炎を見つめて顔を引きつらせた。


 その、指を振ったら炎がポトリと落ちて、あわや火事になりかけた出来事を起こしたあと、模造刀を背負って俺はゴカゴと一緒に部屋を出てガルマさんの元へ向かう。

 彼女と出掛ける事を告げると、快く承諾してくれた。とはいえ、気にしているのは相変わらずで、何かあったら頼れとも言われて笑みを浮かべる。


 礼を言って部屋をあとにした俺たちは、彼女を連れてギルドの一階へと向かう。

 溝はどうやら埋まったようで、それが例え気のせいだとしても、彼女に対する気負いのような気持ちはもう無い。

 移動しながらこの一週間の出来事を話して、紹介したい人がいると締めくくる。


「紹介したい人って誰なの?」


 落ち着いた口調のゴカゴは、これが本来の性格だと言わんばかりに冷たい印象を放つ。


「オルジェントって名前の人なんだけど、多分毎日ギルドに来ているって言っていたからついでにと思って」

「その人は何者?」

「一緒にギルドの依頼を受けてくれる人」


 時間にして昼頃、この時間帯は食事や依頼をこなしている人が多いためか、いつもよりたむろしている人が少ない。

 一階に降りてからざっと辺りを眺めると、独り寂しそうに座る老紳士の姿が見えた。


「あ、あの人だよ」


 二人で彼に近づいていくうちに、オルジェントの方も気がついたようにこちらに視線を向ける。


「おお、これはこれはリオンくん。そちらのお嬢さんは?」

「ゴカゴです、俺の友達です」


 そう紹介したものの、その認識で合っているのかと少し不安になったが、横にいる彼女は特に不満を持ってなさそうで、むしろ今となっては珍しい笑みすら浮かべていた。


「ゴカゴです、リオンがお世話になってます」

「え、何その言い方……」

「ほっほっ、なに。むしろ私が世話になるんだから、よろしく頼むよ」


 立ち上がったオルジェントさんは別人のように身だしなみを整えていて、凛々しい素顔を見せている。

 

「今すぐ行くの?」

「いや、二日後だよ。ファアムさんに言われて防具を揃えたから、それが出来上がるのを待ってるんだ」


 ふうんと鼻を鳴らした彼女は、老紳士へと顔を見上げる。

 彼は眉を上げて小首を傾げるが、ゴカゴは適当な笑みを返してすぐに顔を背けた。


「私も防具屋に行っていいかな?」

「え、でもお金が」


 そう言って腰に手をやると、そこにあるはずの感触が無かった。

 そういえばあの時に盗られて……ガルマさんが取り返してくれたのだろうか。


「大丈夫、私が持ってるから」


 ゴカゴはポケットから綺麗な丸い玉を取り出して、それが手の中で光ったと思うと空いた右手で空間の中に手を突っ込んだ。


「それ、確かゲエテさんの」

「ガルマさんから借りたの。元はギルドのだし」


 そういえばそうだった。と思ううちに、空間からいつものカバンを取り出す。


「はい」


 思えばこれは、クリストさんの形見のようなものだ。今度は絶対に奪われるもんか。

 ゴカゴから腰に巻く帯と一緒にカバンを受け取った俺はそれを強く握り締めて、帯を通して腰に取り付ける。


「何かあったようだね」


 その様子を見ていた老紳士は、優しげな笑みを浮かべて問いかける。


「ええ、でも大丈夫です。これからは私が居ますから」


 妙に牽制けんせいをするゴカゴにハラハラしつつも、ひとまずはオルジェントさんに別れを告げて防具屋へと向かった。


「どうしてあんな言い方をしたの?」

「……なんか気に入らないの。あの人、なにか隠してそうだから」


 父親の力を受け継いだ影響からか、彼女は張り詰めたような雰囲気を常に纏っている。

 

「誰だって隠し事くらいあるでしょ。俺だって、全ての人間に過去を話したわけじゃないし」

「そうね」


 素っ気ない返事をする少女は、つまらなさそうに街ゆく人々の群れを眺める。


「ねえ、そもそも防具を買うってことは、外に行くってことだよね?」

「そうよ。リオンと一緒にね」


 どこかファアムと重なる勝ち気な表情を浮かべるゴカゴは、意志を固めた目でこちらを見据えた。


「悪い?」

「いや、別に」


 どうせ三日くらい掛かると言われるんだ、それで諦めるだろうと楽観的に思いながら防具屋に辿り着いた。


「ん? どうした小僧。まだ注文の品は出来てねえぞ」


 入店すると相変わらず顔の赤いスミスが、カウンターにもたれ掛かりながら乱雑に言い放つ。


「小僧じゃなくて、リオンでしょ? おじさん」

「な、なんだぁ?」


 困惑して小さな眼鏡を掛けた彼は、白髪混じりの髪を掻きながら目を凝らす。

 名前を訂正するところは相変わらずなようで、彼女の顔を見て思わず口元を緩めていた。


「お嬢ちゃん、ちゃんと食べてんのか? ゲッソリしてんぞ」

「大きなお世話」

「いや、待てよ。その顔、もしかしてゴカゴか?」


 顔色を変えたスミスが立ち上がる。

 変わり果てた姿の彼女を認識するのに時間がかかったようで、同時に街全体に名前が知られていることに改めて驚いた。


「……すまねえ、あんな事があった後に言う台詞じゃなかった」

「気にしてないわ、いつも通りでいいのよスミスさん」


 素直に謝る頑固な男に対して、表情を和らげた少女がいつものような調子で名前を呼ぶ。

 気を遣われたことに胸を痛めたのか、飲んでいたであろう酒をカウンターの下に置いて、姿勢を正して椅子に座り直す。


「いや、オレだって実の父親を戦争で亡くしたんだ。その時にそんなこと言われたら、ぶっ飛ばしてる。すまねえ!」


 ゴンッとカウンターに額をぶつけて謝罪する彼に、顔をほころばせた少女はゆっくりと近づいていく。


「ところで、私も防具が欲しいのだけれど」

「……えっ?」


 額を赤くしながら顔を上げたスミスは、非常に間の抜けた表情でゴカゴと見つめ合う。

 この二人の関係性を見た気がして、俺は目を逸らした。


「いや、でも、え? また外に行く気なのか?」

「そうよ、むしろ防具が無いと危ないでしょ?」

「いや、まあそうなんだが、えぇ……」


 頭を掻きむしる彼は、己の中の葛藤とせめぎ合うように顔を歪める。


「でもよ、それだとジャックが作りたがらないというか、流石によ」

「でもリオンのは作ってるんでしょ? 同じものを作ってくれたらいいわ」

「いや、同じのじゃ駄目……ってそういうことじゃなくてだな」


 焦れったくなったゴカゴはカウンターに手を叩きつけ、身を乗り出しながらスミスへ顔を近づける。

 その気迫にたじろぐスミスは、飛び出しそうなくらい目を剥いていた。


「父の仇を討つ娘が居て何が悪いの?」


 しん、と静まり返った防具屋内では、気まずい沈黙が流れる。少女の陰に隠れて見えないが、きっと苦悶くもんの表情を彼は浮かべているのだろう。

 だが、それ以上にゴカゴの決意は固く、強く、揺るぎないものだと見せつけられた。

 いつまでも塞ぎ込んでいてたまるかと、小さな背中がやたら大きく見えて語りかけてくるようだった。


「……分かったよ、話は通しておくから。じゃあ、採寸するから付いてきてくれ」

「リオン」


 極めて真剣な顔でこちらを向いた彼女に、気を抜いていた俺は慌てて応える。


「な、なに?」

「さいすんって、なに?」


 それまで大きく見えていた背中が途端に頼りなく見えて、あっけらかんとしているスミスの顔を見て失笑してしまった。


「じゃあ、二日後に間に合わせるよう言っておくわ」


 採寸を終えて、彼女の要望に折れたスミスはどうにでもなれと言わんばかりに笑いながらそう言った。

 それに対して満足げな表情を浮かべる少女を見つめていると、睨むような視線に変わり目で刺される。

 彼女は、変わった。だけど本質的なところは何も変わっていない。馬車で会った時の怯える少女の一面も、その後の凛々しい一面も、今の強かな一面も、全て偽り無いゴカゴの姿なんだ。


「どうしたの?」

「いや、ゴカゴはやっぱり変わらないなって」

「馬鹿にしてるの?」


 両手の甲を腰に当て、上体を前に突き出しながら不機嫌そうな顔を近づける。

 以前よりも本音というか、嘘偽りなく自分を出してくる彼女に対して、俺は嬉しさよりの苦笑で応えた。


「とりあえず、私は一旦ギルドに戻るわ。ガルマさんに色々伝えないといけないし」


 防具屋を出て、彼女は髪をかきあげながら言う。その顔は相変わらず痛々しいくらいにやつれていたが、それに反して表情は力強く、生命力に満ちていた。


「分かった、俺は教会で勉強と魔力の鍛錬をするよ」

「うん、話が終わったらそっちに行くね。あの本も必要でしょ?」


 そう言われて、あの部屋に短刀を置いたままなのを思い出す。

 ついでに持ってきてもらうよう彼女に伝えると、怪訝な表情を返され、他愛の無いやり取りをして一旦別れた。


 時間が出来たので、魔法店に寄る用事を思い出して歩き出す。が、肝心の場所が分からずに、仕方なく道行く人に尋ねた。


「魔法店? そこに行きたいの?」


 男は含みのある言い方で聞き返し、不思議に思いながらも首を縦に振った。


「それより君、服、どうしたんだい?」

「あっ……」


 そういえば服に穴が空いたままだ。でも今更教会に戻ってられない俺は、笑って誤魔化す。


「……分かった、じゃあこのまま案内するから付いておいで」


 わざわざ付いてきてくれるらしいが、今朝の件もあったので警戒しながらその背中を追う。

 彼の身なりからして冒険者では無さそうだったが、お金を持っている状況というのはかなり危ないことを思い知っているため、どんな相手でも油断をするわけにはいかなかった。


 やけに街の外れの方まで歩き、建物がまばらになってきたところでようやく見えてきたのは、今にも倒壊しそうな貧相な見た目の家で、斜めに傾き一部は穴が空いているという悲惨さだった。


「ここだよ」


 普通に案内をしてくれた男の人に感謝の言葉を述べて、一人で玄関らしき扉の前に佇む。

 近くまで来て分かったが、元は巨大な木の幹をそのまま家として利用したようで、斜めになっているのはそう成長した樹木を使っているからだった。

 それでも、わざわざ斜めのものを使うなんて、ここの家主は相当にひねくれてそうだと、ひねくれた先入観を持って扉を軽くノックする。

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