ゴカゴとブシドウの過去と嘘
部屋に戻ってから数分間は、お互いに沈黙を保っていた。俺はベッドに腰掛け、ゴカゴは窓から人波を眺めている。
以前と比べればまるで異様な雰囲気に、元々口が達者ではない俺は何から話そうか延々と迷っていた。
クリストのこと、ブシドウのこと、受け継いだ癒しの魔法のこと、ここで過ごした時間、今思っていること。
浮かびはするが、何を話しても彼女を傷つけてしまいそうで、少女の背中をちらりと見ては、気まずくなって視線を落とすの繰り返しをしていた。
「話したいことって、なに?」
窓の外を眺めたまま、
「えっと、話したいことが沢山ありすぎて」
じゃあそれを話してよ、と以前のゴカゴなら言っていただろう。
急速に喉が渇いていき、今すぐ何かを飲みたい気分が襲ってくる。
ふと、机の上のお盆に目をやり、そういえばスープと飲み物があることを思い出す。
「それ、俺の為に?」
お盆を指差しながら尋ねると、こちらを一瞥した彼女は机の方を向いて「そうよ」と無機質に答える。
「喉、渇いちゃってさ。いただいてもいいかな?」
「ええ」
恐る恐る立ち上がって、お盆を手に取って元居た位置に腰掛ける。湯気立っていたスープはすっかり冷めており、先の丸い食器でひとさじ
柔らかい口溶けに、仄かな土の香り。まだ食べたことはなかったが、特徴からしてポタと呼ばれる芋の一種が使われている。
水面に浮いている緑の野菜や、噛むと不思議と甘い透明のもの。名前を知らないものが適量に入っており、気づけば容器を持って直に口をつけて喉に流し込んでいた。
「ふぅー」
ぬるめのスープは優しく胃に収まり、思わず幸福なため息が漏れる。
ふとゴカゴの方を見ると、こちらに見入るような視線を向けられていたようで、目が合った彼女ははっとしてすぐに窓の方へ顔を背ける。
「ゴカゴはなにか食べたの?」
「……別に」
つんけんな態度を取る彼女だったが会話の足掛かりを見つけたような気がした俺は、コップに入った飲み物を口に運び、喉を鳴らして飲み干した。
なんだろう、喉がひりつくような、それでいて身体が暖まるような薬味的な味がする。少し肌寒く感じていた身体に膜を張るように、肌の表面温度が上がった気がした。
「これ美味しい、俺の知らないものばかりだ」
「それは良かったね」
相変わらず素っ気ないが、話し出す前の空気から
「ブシドウが、見つかったって」
「何処に?」
それまでどこか虚ろな目をしていた彼女は、その瞳を火が灯ったように輝かせ、身体ごとこちらへ向き直る。
「ペリシュドって知ってる? 今は滅びた西の国の名前なんだけど」
「……知らない、遠いの?」
怪訝な顔をして首を横に振る彼女に、気を遣って隣に座るよう促した。
少しムッとした表情を見せた少女は、早歩きで横まで来て勢いよく座る。
その姿を見て、僅かばかりだけど安堵の気持ちが身体中を駆け巡った。
「遠いよ、馬車で行くとなるとどれくらい掛かるか分からない。マルクやリントに乗っていくのもいいかもしれないけど、食料とかも運びたいからそれは難しいかな」
「どうしてそんなに詳しいの?」
彼女の質問に対して、俺はクリストの書斎の本を読み漁っていることを明かした。
父親の名前が出て一瞬表情を暗くしたが、すぐに諦めたような表情で笑みを浮かべる。
「そう……凄いね」
「どうしてもハヴェアゴッドに行きたいからね、そのついでに地理を知ったんだ」
声を弾ませてはみたが、彼女の反応は芳しくない。
これ以上誤魔化しても、結局は避けては通れない道だ。
意を決して俺は、昨日の出来事とずつと言いたかったことを告げることにした。
「君のお父さんのことを聞いて、昨日の夜にケンジャさんが来てくれたんだ」
表情を変えない少女を一瞥して、話を続ける。
「つらい思いをさせた、って言われてさ。俺はそもそも、慰められる資格なんて無いんだ」
これを話したところで、彼女はどう思うだろうか。
それでも、吐露せずにはいられなかった。言わないままで上手くいくとも思えなかった。
「だって、クリストさんを外に駆り立てたのは俺が原因だから」
否定をしないゴカゴは、彫刻のように表情を変えずにどこか遠くを見ている。
「俺が勝手な行動をして、あの人の優しさに漬け込んだんだ。いや、そもそも俺がタンジョウの街に来たから」
「違う」
言葉を遮った少女は、生気の宿った顔でこちらを睨むように見つめる。
「勘違い、してるよ。貴方は悪くない。悪いのはブシドウをおかしくした魔族よ」
その目に
「貴方の村だって……魔族の仕業なんでしょ?」
震える声が突き刺さり、目の奥がかっと熱くなっていく。
「それに、外に出たら、攫った奴らがまた襲って来るって想像しなかった私たちも悪いの」
「それは」
思わず立ち上がるが、強く否定はできなかった。
どちらにせよ、それのきっかけが俺なのだから、否定したところで茶番に過ぎない。
力無く座って、うなだれる。視界の端から彼女の細い左手が映り、そっと右手に重なるように置かれる。
「自分を責めないで。貴方は私の、命の恩人なんだから」
今にも消えそうな声なのに、俺にははっきりと聞こえて、身体の芯から震えるほどに激情の堰が切られた感覚がした。
ずっと苦しかった。罪悪感が纏わりついていた。いっそのこと、盗賊の生き残りにあのまま殺されていればとも一瞬思った。
それはただの逃避であり、彼女と向き合うのが怖いから言い訳を探していただけだった。
結局、よわむしのままだったんだ。
ここで泣いてどうする。太ももに爪を立てて、血がにじもうとも涙をこらえようとする。この涙はただのエゴだ。赦されたと安堵する最低な心だ。いくら罪の意識に
「せっかく治したのに傷を増やさないで」
俺の右手から太ももへと手をかざした彼女は迷惑そうに言って、その手からぼんやりと灯る緑の光を太ももへと当てる。
すると、傷口が暖かい感覚と共に塞がっていくのが見えた。
この感覚、以前クリストから受けたものと全く同じだ。
完全に治癒した太ももを眺めていると、身を乗り出した彼女の右手が異様な形を作って俺の額の前で止まり、親指で引っ掛けて引き絞っていた中指が放たれた。
凄まじい衝撃が額から広がり、僅かに仰け反ったあとに迫る痛みから、思わず両手で患部を押さえる。
「痛ったぁ……」
「……母さん直伝のデコピンって技よ。よわむしリオン」
額を押さえたままゴカゴを見ると、以前と同じ微笑みを浮かべた少女がそこに居た。
彼女の口から出たよわむしリオンという言葉を聞いて、その面影がミレイと重なる。
やっぱり似ている、けど、ミレイからはこんな強烈な技を食らうことは無かったな。
涙が引っ込んだ俺は、失笑してベッドに倒れ込む。
「ねえ、リオン」
ゴカゴの声に再び起き上がった俺は、正面を向いている彼女の横顔を見つめる。
「話す必要ないかなって思ってたけど、やっぱり話したくなったから言うね。私とブシドウはね、元々は小さな村に一緒に住んでいたの」
僅かにベッドが高いため、浮いている足を交互に前後させて少女は続ける。
「三歳頃まではそこで暮らしてて、お母さんが意地悪してくるブシドウに優しくデコピンしてたり、お父さんがマルクに乗せてくれたり。多分私の方がそういうのをはっきり覚えてて、このポーズも私がブシドウに伝えたの」
そう言って少女は、右手で拳を作り親指を立てる仕草を見せる。
ブシドウは母がよくやっていたと話していたが、それ自体をゴカゴから聞いたんだろう。
「でもね、ある日あの人が来たの。前に話したでしょ、お兄ちゃんみたいな人」
「ああ」
振っていた足を止めて、肩を竦めたゴカゴはこちらを見る。
「その人に私とブシドウは引き渡される形で馬車に乗って、タンジョウの街に来たの」
「えっ、どうして?」
彼女の眉間に刻まれた皺を見て、つい理由を聞いてしまったことを後悔した。
「私の故郷の村は、南のサウスヴァルトという森の近くにあったの。その森は年々広がり続けていて、中から魔物が出てきたりと危険な所でね。それで、表向きはタンジョウへ村民全員で移動という話だった。でも」
つらそうに顔を歪め、胸に手を当てて深く呼吸をしたあと、少女は続ける。
「両親は来なかった。もちろんブシドウのも。馬車で移動している時、あの人は泣いてた。どうして泣いているの? って聞いても、なんでもないって返された。その真実を知ったのは一年前くらいかな」
俺は当時の彼女とブシドウのことを想像して、胸が締め付けられるようにつらくなった。
きっと猛抗議したんだろう。両親がいないことの違和感くらい、その歳でもわかる。
「私たちの村は、元々サウスヴァルトの森を伐採するために作られた村で、向かわされた皆は全員王都出身の人だったの。そこで産まれた私とブシドウは、他に子供がいなかったからかもだけど、皆から強い愛情を感じていたわ。でも、やがて森の拡大が止められなくなって、両親たちは自分たちの役目のため、二人だけでもと近くの街まで私たちを逃がしたの」
「そんなのって……」
首を振る彼女は、既に運命を受け入れていたように儚い笑みを浮かべている。
「結末が分かっていながらも、お母さんは私を産んだ。そして、お父さんもまた私を愛してくれた。それだけでも、充分よ」
大人びた笑みを作る彼女は、無意識なんだろう。栗色の髪をかきあげて、耳に引っ掛けるように持っていく。
心が強く見えるのも、どこか大人びているのも、すぐに冷静になれるのも、全て彼女の過去が証明していた。
ゴカゴもまた、壮絶な体験をずっとしてきたのだ。
「タンジョウに来たあとはクリストさんが私たちを引き取ってくれて、実の父親のように接してくれたわ。お母さん役が居なかったから、毎晩のように泣くブシドウを慰めて、よく一緒に寝てたりね」
遠い思い出を語るように、目をつむった少女は穏やかに続ける。
「クリストさんが、真実を話してくれたの?」
「結果的にはそうだけど、知ったのは街での噂よ。苦しい言い訳のようなクリストさんの話を信じてお母さんたちを待ち続けていたところに、故郷の村が森に飲み込まれたって話を聞いて、薄々勘づいてはいたけど彼に詰め寄ったの。もちろんブシドウが居ない所でね。そしたら、真相を聞いてしまって、何度も……お父さんに謝られたわ」
一筋の涙が頬を伝うのを、彼女は拭わずにそのまま流す。
彼女は認めていないような口ぶりだったが、やはり父は父だったんだろう。約七年間連れ添った人が亡くなるのは、例え血が繋がっていなくてもショックなはずだ。
「ゴカゴ……」
「あともうひとつ」
ようやく涙を拭った指から、陽の光を反射した星のような輝きが漏れる。
「貴方に対して、何度か嘘泣きを使っちゃった」
「え?」
ゴカゴの言葉に、今まで彼女が涙を流した場面を振り返る。
俺の過去を打ち明けた時、ブシドウと言い合いになっていた時、あとは盗賊団に復讐を誓った時か。
「もちろん、お父さん関連の涙は本物だし、ブシドウに父親じゃないことがバレた時はそのショックで泣いてたし、全部が全部嘘泣きじゃないわ。でも私、そこまで子供じゃないの」
つんと顎を少し上げて、どこか大人びた輪郭を彼女は見せる。
確かに同じく壮絶な過去を体験している俺も、同い年であろうブシドウよりは大人びていると思う。
しかし、目の前に居る少女は俺よりも遥かに歳上に見える。
いつか言われた、同い年に見えないという言葉は、実は俺が下だったというわけだ。
「貴方がお父さんのことを第二の父親だと思っていたことも知っていたわ。だから、むしろ貴方が心配だった」
「じゃあ、どうしてそんなに見た目がボロボロなの? クリストさんが亡くなった時、誰よりも悲しんだからそうなったんじゃないの?」
嘘だと知って抑えてはいたが、苛立ちがどうしても言葉に出てしまう。
すると、彼女は小さく首を振って答えた。
「……これは、お父さんが使ってた魔法の代償。これはね、癒しの魔法なんかじゃない。自らの命を代償に傷を癒すものなの」
癒しの魔法では、ない?
いや、マギだって確か……。そう思い彼女の言動を思い出すが、そもそも癒しの魔法を使っている人をクリスト以外で見たことがなかった。
「ディードが私とお父さん目掛けて攻撃してきた時、お父さんは私を庇ったけどそれでもお互いに大怪我をしたの。なのに、自分のことなんか構わないみたいに笑って私の傷を治したの。外傷はお互いに見えなくなったけど、目を閉じてそれっきり動かなくなって……」
魔法の直撃を受けたにもかかわらず、やけに綺麗な姿だったクリストを思い出す。
そして彼の見た目がどんどん痛ましくなっていたのも、そこで
「……どうしてゴカゴは、クリストさんの力を受け継ぐことができたの?」
これ以上新しい事実を受け入れるにはあまりにも不安定な状態だったが、最後に浮かんだ疑問を何も考えずに無意識に口にする。
「それは分からない。でも」
そう言った彼女は立ち上がり、数歩進んで窓の外を眺めて、風でなびく髪を押さえながらこちらを見据えた。
「代償の無い魔法なんてない。その本に書いてあることよ」
指差した先にある赤褐色の本は、今となっては異様な存在感を放っていた。
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