受け継がれたものと失ったもの


 その手はどうしたの? と問われれば、正直に答えると凄い顔をされるだろう。子供がやっていいことではない。

 そう自戒しつつも、喜びの方が勝っていた。やはり体験する事は間違っていなかった。

 問題はこの火傷した手をどうやって隠すか。包帯のようなもので巻いてみるか。癒しの魔法さえあれば、簡単に治せるんだろうな。


 俺は教会をあとにして、ギルドを目指す。ケンジャさんの言っていたことを実現するため、ゲエテを探すんだ。

 あとは、ブシドウのことをガルマさんに話すべきだろうか。きっと捜索は続いている。

 

「おい小僧」


 考え事をしながら歩いていたため、声を掛けられるまで目の前の男に気づけなかった。

 その姿は顔を隠すようなフードに、黒一色の服を身に纏い、その腰には長い得物がチラついている。

 明らかに不審者である男を前に、俺は弾けるように後ろに下がった。


「そう怯えるなよ、用があるのはその腰のカバンだけだ」


 だるそうにもたげた手首を下に曲げて突き刺すように指を差した先には、クリストから貰ったカバンがあった。

 すぐに意図を理解した俺は、模造刀を手に取る。


「おい、自惚うぬぼれるなよ。そんなおもちゃで何するってんだ?」


 辺りに人は居ない。元々人通りが少ない所を狙っていたんだろう。助けは望めない。

 だが、相手が油断している今がチャンスだった。俺は右足で地面を蹴り、振りかぶった剣を真っ直ぐ下ろす。

 当然それは簡単に避けられてしまうが、そこで終わらずに振り下ろした勢いを利用してその場で回転し、横に薙ぎ払う形で振り抜いた。


 金属がぶつかり合うような剣戟が鳴り、不審者が腰の剣でこちらの攻撃を防いだのが窺えた。

 休む間を与えずカバンの中から短刀を取り出し、男の胸目掛けて突き出す。

 が、しなるようにそれをけたかと思うと、腹に衝撃が走り吹っ飛んだ。

 視界が回り、今朝食べたものが食道を込み上げて外に躍り出る。腹に蹴りを食らったことを知った俺は、吐瀉物としゃぶつ混じりのつばを吐いて模造刀を杖がわりに立ち上がった。


「抵抗するなよ、お前程度ならいつでも殺せる」

「じゃあ、殺してみろ」


 未だに余裕ぶって右手に持った剣を揺らす不審者を見て、俺の視界は真っ赤に染まっていく。

 男は怯むことなくゆっくりとこちらに近づいてきたので、それに合わせて魔力を剣にこめて横に薙ぎ払う。

 勢いよく放たれた斬撃波は男の意表を突いたようで、剣を縦に構えて魔力を纏わせるのが見えた。

 

 防がせている間に斬ることを目指した俺は、震える足に力を入れ、数歩先の男に剣を突き出して突撃する。

 しかし、難なく斬撃波をしのいだ彼は既にこちらの動きに合わせており、体を左に捻って突きを避けたあと刃の付いていない方で剣を振り下ろしてきた。

 それを見た俺は咄嗟に魔力を循環させて右足から放出し、その勢いで回転するように自分の剣を相手の得物と交差させる。


「むっ」


 力の限り模造刀を横に振り抜き、相手の剣が上に弾かれて万歳ばんざいをしているような無防備な体勢を見せる。

 しかし勢いを殺せなかった俺はそのまま相手の腹に頭突きをする形となり、盛大に吐いたような男の声が聞こえ、その影が離れたと同時に受け身も取れないまま地面へと激突した。


 整備された土の道とはいえ、ぶつけた顔面や関節が恐ろしく痛い。

 こんなことで動けなくなっている場合ではない。

 震える手足で地面を押して、呼吸を荒らげて立ち上がる。


「いってぇな、小僧……」


 男はフードの間から血混じりのよだれを流し、腹を押さえながら起き上がる。吹っ飛んだ際に彼の下敷きになった花が無惨に倒れており、それを踏み潰しながら奴は立ち上がった。


「忠告はした、ただで済むと思うなよ」


 口元を拭った彼は前傾姿勢になってだらりと手を垂らし、右手に持つ剣をゆらゆらと揺らす。

 その様子を目を凝らして見ていたにもかかわらず、気づけば男の手が伸びて左からの斬撃が迫っていた。

 咄嗟に左側に剣を構え、ひとつの太刀を防ぐ。しかし、魔力を練り切れていないからか、その衝撃で上体が大きく右に吹き飛んだ。


 弧を描いて回る視界の中でまた同じ方向から斬撃が来ると予想して、敢えて勢いを利用するように足に力をこめて飛ぶ。

 横に回転した俺は着地に失敗するが、それが幸いして頭上を剣が横に通り過ぎていく。

 奴の舌打ちが聞こえて、よく見えないまま立ち上がりざまに剣を突き立てようと地面を蹴る。


 しかし、腕の長さを利用していた奴との距離は思いのほか遠く、フードの間から見える口元が勝ち誇ったように歪んでいた。


「死ねぇ!」


 完全に無防備な俺の体に、返した刃を突き立てようと真っ直ぐ腕を突き出してくる。

 回避はもう間に合わないと悟り、ありったけの魔力を使って全身を固くすることを想像しながら練り上げる。

 その刃先がゆっくりと腹に当たり、少し刺さったあとに蹴られた時と同じ衝撃が走って吹っ飛ばされた。


「なんだ、まとい、使えるのかよ」


 地面に再び転がされて、腹を押さえる。どろりとした感触と燃えるような熱さ。刺された痛みは初めてだったが、全身から力が抜けていくのを感じた。


「ようやく大人しくなったか」


 男が近づいて、腰に付けたカバンをむしり取る。

 白昼堂々と狙ってきたのは、俺が子供で金を持っていたのを知っていたからか。思えば昨日の気配はこれだったのかもしれない。

 薄れゆく意識の中、男は何かを言ったあとに剣を振り上げるのが見えた。

 

 父さん……ミレイ……ゴカゴ……。


 最後に浮かんだ顔は、俺の大好きな人ばかりだった。


◇◆◇◆◇◆◇


 飛び起きるように上体を起こして、荒い呼吸と共に辺りを見渡す。

 腹にあるはずの傷は無く、右手の火傷も無かったかのように綺麗な肌色が見えている。

 そもそも此処はどこだ? まさか夢だったのか?

 いや、夢だとしても見知らぬ部屋で寝ているのはおかしい。これも夢なのか?


 混乱しながらもよくよく身体を見てみると、服が破れている。それも男に刺された場所が、綺麗な切り口で。

 やはり現実、なのか。じゃあなんで傷が治っているんだ。

 混乱してはいたが、動悸が収まるにつれてだんだん此処が何処なのか予想が付くようになってきた。


 恐らく、ギルドだ。木造は木造でも、この色合いは他には無い。濃い胡桃色の壁に指を這わせて、考察を確信に変えていく。

 次に、この部屋は見たことないが、誰かが住み着いているのがわかる。

 枕元に分厚い本があり、ベッドに立てかけるように模造刀。反対側の角にある机の上には一輪の花をした花瓶と、ウィーポの店で貰った黒い短刀が置いてある。使っていない部屋なら、これらの物は置かないはずだ。

 そしてこの匂い。なんとなくこの匂いは覚えていた。


 枕元の本を見ると、魔法学についてと書かれている。初めてクリストさんの書斎に入った時に、読んでもらった本だ。

 ベッドから足を下ろして、立ち上がる。靴は何処かに置いてあるのか、はたまた勝手に出ていくなということなのか、見当たらなかった。


 人がひとり生活するには十分すぎる空間持つ部屋は、最低限の家具が置かれているだけであり、娯楽の類も見当たらない。

 ただ今日を生きるのみ、そんな気持ちを感じ取れる部屋だった。

 立ち上がった俺は、痛みも綺麗に無くなっていることを実感する。扉はひとつしか無く、そこから出られるみたいだ。


 扉を開けようと手を伸ばすと、ノブの所に紙が結ばれていた。

 ほどいて広げると、「私が戻るまで安静に」と書かれている。

 枕元や机に置かず、敢えてこんなところに紙を結ぶなんて、まるで彼女らしいな。

 ふっと失笑して、紙を閉じたあと再びベッドに腰掛ける。

 ベッドと丸机の間に位置する窓からは、少し高い位置から街の大通りを見下ろせるようになっていた。


 この感じだと、二階の部屋か。

 人の往来を眺めていると、軽いノックが二回響く。

 そして返事を待たずに開いたその先に、一週間以上ぶりに会うゴカゴが立っていた。

 骨ばってはっきり見える顔の輪郭、少し落ち込んで影が差す目の周り、生気を感じない唇。


「……目が覚めたのね」

「……うん」


 少し気まずい雰囲気が訪れて、静かに歩く彼女は机の上に小さなお盆を置く。お盆には湯気立つコップと、温かそうなスープが入った平たい容器が乗っている。


「隣、いい?」


 無言で頷くと、ゆっくりと少女は腰掛ける。体重でベッドがたわみ、右に座った彼女の方に身体が傾いた。

 長袖を着ていたが、その上からで分かるほど痩せている。折れそうなほど細い手首を重ね、ふっくらしていた指はやけに皺が目立っている。

 元気でお転婆、そんな印象が変わるほどに、彼女の外見と所作は別人のようだった。


「なにか付いてる?」

「あ、いや」


 視線を外すが、儚げに笑うゴカゴを見ていて胸が痛くなる。

 すがるものが無い今の彼女の心中は、考えるだけで恐ろしかった。


「びっくりしたわ。ガルマさんが貴方を連れてきた時、死んでるかと思ったもん」


 彼女の言動からして、どうやらあの場を助けてくれたのはギルドマスターのガルマさんだったようだ。だけど、何故あそこに彼が来たんだろう。


「傷の手当ては、ガルマさんが?」


 俺の質問に、彼女は無言で首を振る。肩まで伸びた栗色の髪が一緒に揺れるが、つやを失った毛先はほつれてしまっていた。


「なにから話そうかな」


 そう言って、彼女はぽつりぽつりと今までの経緯いきさつを語り始める。

 昨夜、恐らく俺の元に訪問したあとだろう、ケンジャさんがゴカゴの部屋に現れたらしい。

 魔法の力とはいえ神出鬼没の彼は、寝ていると横に立っていたそうだ。

 悲鳴を上げそうになったらしいが、立っている男がケンジャだと分かって冷静に彼の話を聞くと、俺が盗賊の類に狙われていることが分かったそうだ。


 その話を聞いて、ケンジャさんの行動に疑問を抱く。狙われているのが分かっていたなら、どうして本人である俺には何も言ってくれなかったんだろう。ブシドウの行方もそうだけど、言うくらいならできたはずなのに。

 それに、ケンジャさん自身がひっそり退治でもしてくれてたら、言わずと解決してたかもしれない。


 矛盾点に首を傾げていると、少女が髪を揺らしたのが見え、顔を向けると目が合った。

 

「手当をしたのは私」


 そう言って、俺の手を取る。少しだけ動揺したが、儚げに微笑む彼女の次の言葉に絶句した。


「お父さんの力を、受け継いだから」


 吸い込まれそうな深緑色の瞳が、りんとこちらを見つめていた。


◇◆◇◆◇◆◇

 

「あの状態から無傷にまで回復するとは、やはり凄いのう。メヂンの実をふんだんに使ったとしても、こうはいかなかったぞ」


 目を覚ましたということで室長室に案内された俺は、横長のソファに並んで座り、向かい側に座って感心するガルマさんから事情を聞いていた。

 なんでも、俺を狙っていたのはロバーフットの生き残りだったらしく、黒装束の下にはあのへんてこな服を着ていて、極めつけに頭にはバンダナをしていたそうだ。


 黒フードの中にバンダナとは、仲間愛が凄いな。その愛をもっと真っ当な方に向けたらいいのに。


 何故ガルマがあの場に居合わせたかというと、先程のゴカゴの話と一緒で、ガルマの元にもケンジャさんが来たそうだ。

 俺が狙われていると告げた彼の話を信じて、早朝からこちらに向かっていたらしい。

 直接伝えてきたケンジャの意図を汲んで、ガルマ自らが出向いた判断に助けられたわけだ。


「でも正直、駄目かと思ったわい。腹は刺されとるし右手は火傷しとるし」


 右手は別件だったんだけど、言うのは野暮なので黙っておいた。

 ちなみに盗賊の男は俺を殺すつもりまでは無かったらしい。金を奪って逃走しようとしたら、凄い形相のガルマがやって来て、驚愕した男は叫びながら剣を振り上げたが、そのままぶっ飛ばされてしまった、という流れをギルドマスターである壮年の男は得意げに語る。


 殺すつもりが無いというのは完全に嘘としか思えなかったが、ぶっ飛ばされた彼がどうなったかは想像にかたくなかった。


「この子に感謝するんだぞ、ずっと君を看病していたんだから」


 その言葉を受けてゴカゴの方を見ると、照れているのか分からない顔色で少し俯いていた。


「ゴカゴ、ありがとう。ガルマさんも、助けていただきありがとうございます」

「礼には及ばん。それにしても、君は礼儀正しいのう」


 好々爺こうこうやのように笑う彼は、茶化すように言う。他の子供は知らないが、村ではこう教わってきたからそれが染み付いているだけだ。


「それで、リオンくんとやら。これからどうするんじゃ? 君も身寄りが無いんだろう?」


 どうやら彼なりに心配してくれていたそうで、ファアムが王都に向かったあとは保護しようと動いてくれていたらしい。

 ゲエテが居なかったのはたまたまで、普通に門番の仕事をやっていたそうだ。


「俺は……」


 ちらりとゴカゴの方を見ると、じっと見ていた彼女と目が合った。

 すぐに目を逸らしてしまう少女を見て、寂しい気持ちになりながらもガルマに向き直る。


「このあとゴカゴと話がしたいです」

「ふむ、分かった。話が纏まったらまた来なさい」


 納得をしたように頷いた彼は、俺たちに立ち上がるような手振りをする。

 ケンジャさんが彼の元にも来たということは、ブシドウのことは聞いているのだろうか。

 迷いながらも二人で部屋をあとにして、扉を閉める。

 ああは言ったが、何を話せばいいのか。

 すっかり変わってしまった彼女の背中を見ながら、目が覚めた部屋へと向かった。

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