初めての炎


 メオウェルクの南にはサウスヴァルトという森があり、南の土地全土を覆うほどの広さを誇っている。

 そこは昔の文献ですら情報が少ないようで、この森からはぐれるように現れた魔物が繁殖し、ニードルラビットみたいな種が今やメオウェルク全域に生息しているらしい。

 とはいえ今は西の魔族の影響からか、タンジョウから東側にしかその姿を確認できなくなっているけど。


 本を読みふけるうちに明かりが不十分だと思い、顔を上げて天井灯に向かって魔力を飛ばす。しかし、それ以上の明るさは望めず、薄ぼんやりとした光が不変を示すかのように主張している。

 まさか、魔道具自体の寿命か?

 本によると、魔道具とはあくまで物であり、いつか寿命が来ると書かれている。

 こういった日用的なものの場合でも、魔法店に行く必要がある。家具という扱いではない。


 すっかり日も暮れた夜だ、いまさら外に行けやしない。特別この部屋だけ使用頻度が高いことを想定するなら、全体の明かりが失われることはまだないはず。

 ため息混じりに本を閉じて、代わりに魔力操作の鍛錬をするために明かりを消して部屋を後にした。


 教会中央は通路のようなもので、両脇にある椅子との間隔もいちじるしく広い。

 一刻も早く属性を扱えるようになるためにそこで鍛錬するのが日課であり、以前と比べて魔力の渦を自在に操れるようにはなってきている。

 だが、それだけだ。光の属性は平常時では出し方すらわからないし、他の属性も未だに片鱗すら見えない。

 流石に才能が無いんじゃないかと焦りだしているこの頃、今日こそはと中央に立って目を閉じた。


 身体の中心から立ち上がってくる感覚、最初は身を任せるように魔力渦の先端を探していたが、今は回転方向も変えられるようになった。

 それにより、左手からも魔力を飛ばせるようになり、ファアムに教えてもらった全身に魔力を帯びる行為も今はお手の物だ。

 ただ、魔力に赤みが無いためか、未だに身体能力向上の効果を実感できていないけど。


 まずは全身に魔力を巡らせる。内側のそれを肌の表面まで這わせるように、じっくりと回していく。

 手が付けられないくらいの奔流から、飼い慣らされたように意思通りに動く魔力の螺旋らせん

 それが腕、肩、首、頭と巡り、そのまま下に流れていく。通り過ぎた場所はほんの少し暖かく、陽だまりに当たっているみたいだ。


 ある程度一巡させたところで目を開けると、身体の周りを膜のように魔力が漂っており、ひとまずは成功したと安堵する。

 しかし、ここから赤みを付けていくために想像力を使う必要がある。自らを強く願うなんて、いつもやっていることだからむしろ分からない。


 没頭していると突然、扉を叩く音が室内の空間を走り抜け、大きな残響となって耳に届いた。

 こんな夜に訪問者? 扉から確認する手段は無く、恐る恐る近づいていく。

 一応鍵はできるが、普段はしていない。その気になれば普通に入ってこれるが、それをしてこないということは少なくとも敵意を持つ相手では無い、か?


「どなたですか?」


 自分の声が想像以上に震えているのを実感し、乾いた喉を無理やり潤すためにつばを飲み込む。

 帰り道に抱いた言いようのない恐怖が身体をむしばんでいき、返事を待つが永遠のように感じた。


「儂じゃ」


 俺はその声に聞き覚えがあった。誰よりも慈愛がこもっており、しわがれているが力強い声色を持つ、俺の魔法の師匠。

 扉を開けると、目元に深い皺を作って微笑むケンジャの姿があった。


「ケンジャ、さん?」

「驚かせてすまんのう、入っても良いかの?」


 俺は扉を大きく開けて、有り難そうに軽く頭を下げた彼はゆっくりと入場する。

 本当は飛びつきたい思いでいっぱいだったが、まずは彼をくつろがせるのが先だと思い、扉を閉めた後に食べ物の入った籠を横倒しにする。

 そこからミーロの実を取り出し、歩くケンジャに追いついて長椅子に座るよう促した。


「ありがとう」


 椅子に座って実を受け取った彼は、あの日と変わらぬ優しい顔で微笑んだ。空いた手には帽子を抱え、波打つ白髪頭が見えている。

 彼が来た理由がなんとなく予想づいている俺は、遠慮がちに一人分空けて隣に座る。

 それに対して特に何かを言うわけでもなく、ケンジャは音を立てて左手に持つミーロの実をかじった。


「……つらい思いをさせたのう」


 重々しく語り出した彼は、泣き出しそうなくらいに眉間に皺を寄せ、膝に付くほどある顎髭を右手で撫でる。

 

「リオンや、お主一人で此処に住んどるのか?」

「……はい」


 だだっ広い空間に、声がこだまする。彼は敢えてゴカゴやブシドウの話題に触れないように、言葉を選んでいるようだった。


「見違えたのう、魔力も操れるようになっておる」


 嬉しそうでいて、寂しそうな顔をするケンジャ。確かに褒められてはいるが、素直に喜べはしなかった。


「じゃが、まだ魔法自体は使えてないみたいじゃのう」

「分かるんですか?」

「当然じゃ、儂ゃ大魔法使いじゃからの」


 顎髭を揺らす彼は愉快そうに笑って、ミーロの実をかじる。


「毎日休まずにしっかりと鍛錬をやっとるようじゃが、如何いかんせんまだまだ経験が足りぬ。ただ、それにしてはいささか魔力量が増えすぎとるのう」


 彼の疑問に対して、この手でオークのぬしにトドメを刺して倒したことを説明した。

 すると、話を聞いていた老魔法使いは険しい顔を浮かべる。


「なるほど、魔力を使って魔物を倒したか。奴らは体内に魔力を宿しておるからのう。それを倒すと少ないが魔力を奪えるんじゃ。オークの主ともなると、お主を一気に成長させるほどの魔力を要していてもおかしくは無かろう」


 彼の言葉に、魔物を倒す方法は間違っていなかったと確信した。恐らく子供である俺たちには推奨できないやり方だったんだろう。険しい表情の意図をそう汲み取った俺は、外に出たことを謝罪した。


「いいんじゃよ、お主には目標がある。待ってられんのもわかる。それを責めるために戻ってきたのではないからのう」


 取り繕うような台詞と共に、再び表情を柔らかくさせる。


「積もる話をしたいところじゃが、あまり時間が無いでの。一つだけ、話そうか」


 笑みを消し去り、憂うような顔で老魔法使いは切り出した。


「ブシドウの事じゃが、あやつをペリシュドで見たんじゃ。此処から遠い所にある西の彼方じゃ」

「えっ」


 ペリシュドと言えば、滅んだとされる西の国。しかし、あの時走って去っていった彼が、そんな所に居るなんて思いもしなかった。


「あれから儂は王都直轄ちょっかつの組織に入れられてのう、活発化する西の魔物に対して小隊規模で派遣されとったんじゃ。そこで見たあやつじゃが、恐らく操られておるのう。首元にあったあの青の紋章は、魔族の紋章じゃ」


 俺はブシドウがおかしくなった日に見た紋章を思い出す。


「順を追って話すと長くなるでの、とにかく、見かけたあやつは魔物の巣窟となったペリシュド深部へと向かっておった。追おうとも考えたが他の者もおる中、置いていくわけにもあるまい。そんな折にクリストの訃報ふほうが届いたんじゃ」


 クリストの顔を浮かべて、思わず下を向く。

 探しても見つからないわけだ、まさかペリシュドに居るなんて。それにしても、何故あの魔族はブシドウを狙ったんだ。

 やるせない気持ちが怒りに変わり、気づけば拳を握っていた。


「ファアムさんが居なかったら、きっと俺もゴカゴも危なかったと思います」

「……ファアム、か。あやつも王都に呼ばれておるみたいじゃのう」


 顎髭を触るケンジャは、声を低くして呟く。

 彼は、どこまで知っているんだろうか。ロバーフットの頭を名乗っていたディードのことは分かるんだろうか。

 そんな俺を優しい光を宿した瞳で捉えるケンジャは、名残惜しそうに顎髭を撫でつける。

 

「ふむ、もう行かねばならんか。……リオンや、会えて嬉しかったぞい」


 見えない誰かと話していたかのように頷いて、こちらに柔和にゅうわな笑みを見せる。


「もう、行ってしまうんですか」

「ああ、すまんのう。そうじゃ、今のお主ならできるじゃろう」


 そう言うと彼は人差し指を立てて、小さく揺れるか細い火を指先に灯した。


「よいか、魔法は想像力じゃと言ったが、経験してない事柄を想像するのは苦労するじゃろう。じゃから、触れてみるとよい。今のお主なら、魔力を身体に纏えば大きな怪我はするまいて。荒療治じゃがの」


 この人の教え方は毎回荒療治な気がする。が、大きなヒントをくれたケンジャさんに対して、俺は深く頭を下げた。


「ありがとうございます!」

「……こんなにもいい子なんじゃがのう」


 小さな声が聞き取れず、思わず聞き返しそうになる。

 しかし、顔を上げようとした先に手を置かれていて、そのまま頭を撫でられた。


「あとは、ゴカゴは何処におるかわかるかの」

「恐らく、ギルドだと」


 帽子を被って立ち上がった彼は、厳しい顔つきでこちらに向き直る。


「あの子を想うならば難しいかもしれんが、リオンや。会うべきじゃぞ。今はお主しかおらん。まさにあの子は今、お主と同じ境遇におるからのう」


 両肩に優しく手を置いたケンジャの言葉に、不安で蝕まれた心に火が灯っていく。

 この人の言葉は、本当に安心する。

 手を離して微笑んだあと、ゆっくりと入り口に歩みを進めるケンジャ。その背中に声を掛けて呼び止めたかったが、歯を噛み締めてあとを追いかける。


「よろしく頼んだぞ。次はいつ戻れるかわからんでな」


 扉が閉まったあと、静寂が身を包む。扉越しに聞こえた音は、ケンジャが移動するために使ったあの魔法の音だと想像した。

 ブシドウ……ペリシュド……どちらも西の果てに行くようなものだ。まるでハヴェアゴッドがその道への足がかりのように思えて、ただの偶然と首を振る。


 とりあえず今日はもう寝て、明日の朝からケンジャさんの言っていたというものをしてみようか。まずは火から。

 あとは、魔道具でも見てみよう。一応、ファアムから貰ったお金があるし。

 ゴカゴ……は、いつ会いに行こうか。

 窓の外は嫌に明るく、神の目が輝いているんだと思えた。太陽の次に輝くそれは、ケンジャの登場と相まって、俺の心に安息の明かりをくれた。


 朝、井戸の水で顔を洗い、籠にある食料を全て食べてしまおうと、いつものように火を焚いた。

 腹ごしらえをして、ゆらゆらと燃える炎を見つめる。

 生身で触ったら、とんでもない事になるだろうな。

 あまり想像せずに、俺は目を閉じていつものように魔力を纏う。


 よし、これならどうだ。身体全体を覆う白いオーラを見て満足げに首を縦に振ったあと、それを維持したまま炎へと手を近づける。

 いや、これ熱いぞ。脳裏に浮かぶ、肉が焼ける過程。ゆっくりと手を近づける行為は、間違っているかもしれない。

 だけど、俺はあの夜誓ったはずだ。


 奴を殺すためだけに技を磨く。無理してでも強くなる、と。

 散々迷っていたが、意を決して右手を炎の中に突っ込んだ。

 じゅうっと水を掛けたような音がして、途端に耐え難い激痛が右手を這うように広がっていく。

 思わず手を引いた俺は、洗顔のために組んだ水の中へ手を沈めた。


 そもそも、ケンジャさんが作り出した火や水は本物だった。なのに、彼は微塵も熱そうな素振りを見せていない。

 つまり、痛みに慣れる必要があるのだろうか。

 未知数の事に思考を巡らせて、ズキズキと痛む右手を水から上げる。

 真っ赤に火傷をした手はヒリヒリと痛み、馬鹿なことをしたなと訴えかけてくるようだ。


 一人苦笑した俺は、もう一度水にけた状態で考える。

 痛みが起こったのは、魔力量が足りなかったから? 膜が薄かったから? それとも無属性だったから?

 肝心な事は誰にも教わることができず、試行錯誤しながらやっていくしかない。

 だが、また火の中に手を入れる勇気は無かった。


 まだ焼かれているように熱い右手を再び水から上げて、おもむろに人差し指を立ててみる。

 ケンジャさんの真似事でしかないが、この状態であの熱さを思い出しながら魔力を操作したらどうなるだろうか。

 俺は魔力操作に加え、焼かれた記憶を呼び戻し、右手にそれが蘇るように目をつむって想像する。


 熱、とにかく熱だ。熱すぎて敵わない、未だに手が燃えている。そう考えるんだ。そろそろ熱すぎて爆発でもするんじゃないか? いやまだだ、もっと熱をこめろ。それこそ燃えているように、想像してみろ。


 ふと、瞼の裏側が明るくなった気がして、考えるのをぴたりとやめた。強く目を閉じていたため、緩めた拍子に元々ある焚き火の光が揺らめいたのを捉えただけかと思い、おずおずと目を開ける。

 

 光源はもっと近かった。小さな小さな揺らめきだったが、それは確かに自身の人差し指から発せられたもので、か細い炎が風に揺れて右に左に踊っている。

 言葉に出せないほどの衝撃と歓喜が、時間にして数秒だったが俺に呼吸を忘れさせた。


「できた……」


 揺らめいている炎は時々挨拶をするように身体をくねらせ、俺の指を焼いている。

 いや、焼かれてはいない。熱くないのだ。痛みでよく分からないが、それが増している様子もない。つまり、この炎は魔法の力のおかげで指からは浮いていて、つ熱さを感じないというよく分からない状態が生まれているのだ。


 ここら辺は本を読んだら書いてあるのだろうか。

 それよりも、これはどうやったら消えるんだろう。水に浸けたら流石に消えるか。

 人差し指の上で産まれた初めての炎を消すのは心苦しいが、ずっとこのままというわけにもいかない。

 なにせ炎だ、そこらに放つわけにもいかない。


 水に指を入れる寸前、逃げようとするかのように炎が跳ねて、呆気ない音と共に消え去った。

 意思を持っていたように見えるのは、多分錯覚だろう。

 思い出したようにズキズキと痛み出す手を押さえて、俺は喜びを噛み締めていた。

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