魔法店の老婆

 中から返事でもあるかと思ったが、留守なのか何も返ってこない。もう一度ノックしたが同じだったので、ドアノブを回してみると鍵が開いていた。

 そもそも店なのだからそんなに警戒しなくてもいいかと、扉を少し開けて中の様子を窺う。

 薄ぼんやりと奥の部屋から漏れる明かりが、家主が居るであろうと予想させる。

 今まで見たことがない店の構え方だったが、慎重に扉を押して入場した。


「誰だい?」


 突然の老婆の声に、肩が跳ねた。声は頭上からして見上げると、そこには木目模様が見えるだけ。

 

「客かい?」


 今度は足元から声がして、これは魔法の力だと気づいた。


「そうです!」

「なら早く奥に進みなさい、泥棒だと思うじゃないの」


 理不尽さを感じながらも薄暗い通路を通り、光が漏れる扉を開くと、生えていた木を加工して作ったカウンターに座る白い髪を頭の上で丸く結わえた老婆が、首を長くして待っていた。


「いらっしゃい、どうしたのおチビちゃん。服に穴なんか開けて」


 にこりと笑った口の中は、数本しかない歯が見え隠れする。

 間違いなくタンジョウの街にある店の中でも屈指の癖の強さを、彼女は醸し出していた。


「えっと、天井灯があまり光らなくなってしまって」

「あら、リグトの寿命が来たのね。大きさを言ってちょうだい」


 俺は部屋に付いているリグトという名前の天井灯の大きさを思い浮かべて、腕を広げて大きさを表現した。

 老婆は頷いて、右側にある棚を指差して眺めていく。


「通常のお家に付く大きさね。何個必要なの?」

「一応、今のところは一個です」


 すると、老婆が手首を手前に引いた瞬間、棚からリグトが飛び出して、ふわりと彼女の手元に着地した。

 見たことの無い魔法を見てほうけていると、微笑みを浮かべた店主は手招きをする。


「これ一つで、15ウェルク銀貨ね。お金はあるの?」

「あ、あります」


 カバンから小袋を取り出して、中から銀色の通貨を探す。だが、金色しか無かったため、仕方なく一枚だけカウンターの上に置いた。


「あら、お金持ちなのね。お釣りはこれだけね」


 そう言って老婆は、カウンターの下にある空間から箱を取りだし、その中にある銀貨をジャラジャラと出していく。


「85ウェルク銀貨よ。そのお財布、小さいようだけど良かったら魔道具財布を買わない?」


 商魂たくましい彼女は、棚から再び自分の元へ飛ばしてきた小さな玉を掴んで、手のひらの上に乗せて見せつける。


「どうやって使うんですか?」

「買ったら教えてあげる。50銀貨よ」


 財布はどちらにしても欲しかったので、貰ったお釣りのうち50枚分をカウンターの上で老婆側にずらした。


「ありがとう、魔力は扱える?」

「はい」

「なら、それを持って魔力をこめて」


 樹木の表面のようにしわくちゃの手から、差し出した自分の右手に玉が移される。

 俺はそれを手のひらに収めて、魔力を流した。

 すると、その玉のすぐ横の空間が紫色に変色し、驚いてそれを見つめていると老婆が「そこにお金を入れるのよ」と進言する。


「入れてみます」


 カウンターの上にあった銀貨を空いた左手でぽいぽい空間へと放り込んでから、魔力を流すのをやめた。

 しかし、空間は消えずに残ったままで、助けを乞うように彼女を見ると悪そうな顔で笑みを浮かべていた。


「それはね、一時的な魔力さえあればいいの。流し続ける必要は無いし、開ける時も閉じる時も一瞬だけ魔力を使えればそれでいい」


 言われた通りにもう一度魔力を流すと、紫色の空間は音も無く消え去った。


「取り出す時は、適当に空間の中に手を入れるといいさね。そのあと、頭の中で思い描いたものが掴めるから」

「もし、形が思い浮かばない時はどうすればいいですか?」

「その時は格好悪いけど、取り出したい物の名前を呼びな。心の中でもいいよ」


 親切に教えてもらい、お礼を言ってからリグトを手に持つ。


「おチビちゃん一人で来たのかい?」

「はい」

「なら特別にリグトくらいなら家まで飛ばしてあげるさ。どこだい?」

「えーと、教会なんですけど」


 老婆はその言葉でにやついていた顔から笑みを消し去って、途端に深刻そうな顔で俺を見つめる。


「クリストのとこの子かい?」

「えっと、まあそうです」


 この際、細かいところはどうでもよかった。彼女の様子が変わったことで、それを伝えるのは野暮だと思ったからだ。


「そうかい、ゴカゴちゃんは元気かい?」

「ええ、凄く」


 安堵する表情は、母親のようだと言っても遜色そんしょくがなかった。

 老婆は骨ばった手を差し出し、俺は落とさないようにリグトを手渡す。


「教会は定期的に行ってたんだ、入り口のとこに置いとくよ」


 そう言って、リグトを宙に浮かべたかと思うと、老婆が手から何かを放った瞬間、跡形もなく消え去った。

 

「それも、魔法ですか?」

「素材は魔法だけど、魔道具で効果を増強してるさね」


 彼女の手には鈍色にびいろに光る指輪が中指に付いており、それが魔道具だと言う。

 それさえあれば自分の火の魔法も強くできると思い、表情を和らげている老婆に事情を説明する。


「ああ、確かにそれは可能さね。でも、推奨はしないよ。身の丈に合わない力は、己を焦がすからね」


 そう言って悲しいとも怒りとも取れるような厳しい顔つきをしたあとに、にっこりと顔をくしゃくしゃに歪ませる。


「教えて欲しいことがあったらまた来るといいよ。なんだったらほら、こういう魔道具もあるし」


 彼女は再び棚から飛ばして、とぐろを巻いている中が空洞の殻のようなものを見せる。


「これと同じものを持っていれば、いつでも話せるさね。1ウェルク金貨だけど、どうする?」


 この人、商売上手だ。そう思った俺は気持ちだけ戴いて、丁重にお断りした。

 悔しそうな顔をしながら気さくに挨拶をするこの人は、多分信用できる人なんだろう。

 むしろ、信用できない人の方がこの街には少ないか。

 不思議な魔法店をあとにして、来た道を戻ることにした。


 適当な店でご飯を済ませて、早速財布の使い心地を試してみる。

 思ったより便利だったが、一定の大きさのものは入らないらしく、やはり財布用に調整された節があるようだ。

 ケンジャさんクラスになったら空間の大きさも自在に変えられるのかな、と企むが、それができる頃には必要無いかもしれない。


 さらにこの空間財布、中にどれだけの価値のお金が入っているかがすぐわかる優れものだ。

 やり方は簡単で、残高を頭の中で尋ねるだけ。それで勝手に計算してくれるのだ。

 そもそも、この空間内で硬貨を再生成して出している節もあり、例えば1ウェルク金貨を100ウェルク銀貨として出すことも可能みたいだ。


 重さもこの小さな玉一つで済むし、唯一困るとしたら持ち運びだった。これを無くした場合、目立たないし落としても気づかない事が多そうだ。

 カバンの中に入れっぱなしが一番だけど、今朝の事もある。とりあえずこれはまたゴカゴにでも相談しよう。


 人通りの少ない道。此処を独りで通るのは正直怖かったが、通らないと教会に帰りつけない。

 夕方になった道を少し早歩きで進んでいると、なにやら手押し車のようなものを押す人影が遠くに見えて、その横にもう一つ影が見える。

 警戒して目を凝らすと、見覚えのある背中がどうやら手押し車を持っている。

 もしかしたらあれは、スタブか?


 駆け足気味に近づき、隣に居る若者がこちらに気づいて振り返る。間違いない、出前をしてくれているスタブの跡継ぎの人だ。

 駆け足はすっかり疾走になり、ようやく気づいた大きな人影もこちらに振り向く。


「おお、リオンじゃねえか。なんでえ、後ろに居たなら声を掛けてくれよ」

「いや、まさかこんな所で会うなんて、思いもしなくて」


 一生懸命呼吸しながら、笑顔のスタブに話し掛ける。隣に居る人はまだ名前を知らないが、優しげな笑みを浮かべている。


「顔を合わすのは、クリストの葬儀以来だな……」

「……はい」

「元気、してたか? おめぇ、全く店に来ないからよ。心配してたんだよ、なあ?」


 笑うスタブは男の肩を叩き、彼は乾いた笑いを返す。

 

「ん? そういや、こいつのこと紹介したことなかったな。こいつぁルトナーってんだ」


 ようやく名前を知った俺は、改めて頭を下げて挨拶をした。

 彼は照れくさそうにしていたが、礼をしなかったのでスタブに頭を叩かれる。


「まあここで会えてちょうど良かった。お前んとこに食料を運んでたんだ」

「え、じゃあお金を」


 そう言いながら車を見ると、新鮮な肉やら野菜やら果物が山盛りに乗っかっているのが見えた。

 一体どれだけお金が掛かるんだろうと思っていると、スタブは首を振って寂しそうに答える。


「金は、あいつから貰ってんだ。お前らが旅に出る前にな。まるでこうなるのが分かってたみたいに、全財産かってくれぇの金額をな」


 鼻の下を人差し指で擦りながら鼻をすすり、口を小さく開けて息を吐き出す。

 その目は少し赤くなっており、夕方の赤い陽が目元で反射している。


「だから、当面は飯の心配しなくていいぞ。俺たちが届けるからな」


 にかっと白い歯を見せて笑ったスタブ、それに合わせてルトナーも微笑みを浮かべる。

 俺はまたしても涙腺が震えて、誤魔化すように鼻をすすった。


「ありがとう、ございます」

「おう、気にすんな! よし、日が暮れ切る前に教会まで行くぞ!」


 ゆっくりとした歩みで歩くこの道は、人通りが少ないにもかかわらず三人の賑やかな話し声で溢れていた。


「リオン、久しぶりだな」


 空がすっかり暗くなった頃、教会に到着した俺たちを待ち受けていたのはゲエテだった。


「よう、ちゃんと仕事は切り上げてきたか?」

「当たり前よ」


 少し伸びた髭を指先で伸ばしながら、得意げにゲエテは胸を張る。それでも、顔の疲れは隠せないらしく、目の下のくまがそれを物語る。

 彼の他には居ないらしく、今夜は久々に賑わう夜を過ごせそうだった。


 三人はいつもの井戸の周りで焚き火を囲み、服を着替えて戻ってくるとちょうど酒盛りが始まっていた。

 どうやらゲエテが酒担当だったみたいで、苦笑しながら近づいていく。


「なあリオン、身寄りがないんだろ? うちの店に来るか?」


 スタブは一杯目で赤くなっている顔を引き締めて、心配する声色で尋ねる。

 彼の心遣いに感謝しつつも、俺はこれからの事を話した。


「お嬢……」


 彼女の名前が出たことにより、ゲエテはしんみりと名前を呟く。

 二人の関係性はよく分かってないが、彼が甲斐甲斐しくゴカゴに接しているのを見る限り、なにか特別な物語がありそうだ。


「そのオルジェントって人は、信頼できるのか?」


 焼いた肉を口で食いちぎりながら、スタブは問いかける。


「正直、よく分かりません。ブカッツさんたちが居たら良かったんですけど」

「ああ、あいつらは今、依頼で西に行ってるよ」


 咀嚼をするゲエテが言う。


「西? ハヴェアゴッドの方ですか?」

「そうそう、その辺りだった気がする。あの街にも一応ギルドがあって、こっちから貸し出すみたいな形で向かったと聞いたぞ」


 割とギルドの内部事情を把握している彼の情報は、こういう時に頼りになる。

 だが、そうなると彼らは当分こちらに戻っては来ないだろう。


「話を戻すが、そのオルジェントって人はおいらも名前を聞いたことないんだ。何者なんだ?」

「見た目はお爺さんで、冒険者には見えませんでした。礼服がいつもの服装みたいで、今日の昼に会った時もそんな見た目だったような」

「お爺さんで礼服……知らないな」


 いぶかしげな顔をして酒を飲んだゲエテは、気持ちよさそうに息を吐いた。


「そういえば、ナリスって名前の王都から来てる人が、その人のことを元Aランク冒険者って言ってました」

「ナリス? ああ、あのいけ好かねえ奴か」


 嫌そうな顔をした彼は髭を伸ばして、思い出すように右上に視線を向ける。


「あいつはただのゴシップ好きさ。人の悪いことばかりを調べてる。門を通る時に偉そうなんだよあいつ」

「なんだ、ただの私怨しえんじゃねえか」

「違ぇよ、実際話してみろ。鼻につく奴だから」


 気さくなゲエテが珍しく悪態をつき、酒を飲むペースが上がる。

 話した時はそんな印象を抱かなかったが、次からは気をつけて接するべきか。


「ちょっと冷えてきたな、そろそろ帰るか?」

「そうだな、リオン。困ったらいつでも相談しろよ」


 二人が大声でそう言って、ルトナーはうやうやしく頭を下げる。

 結局物静かな彼は一言も喋らなかったが、それがいつもの事なんだろう。二人は気にしてないみたいだった。


 片付けを終えて三人を見送った俺は、やけに静かになった空間を誤魔化すために室内に戻る。

 すると、いつも物置に使っている長机の上に、魔法店から飛ばされたであろうリグトがぽつんと置かれていた。

 本当にあった、どうやって運んだんだろう。

 まだまだ知らない魔法がある事を実感しつつ、寂しさを誤魔化すために書斎の天井灯を交換する。


 そういえばゴカゴ、来なかったな。何かあったんだろうか。

 昼間に約束したはずの彼女が来た形跡も無く、もしかしたら魔法店に寄っている間にすれ違ってしまったのかもしれない。

 リグトの交換を終えた俺は魔力鍛錬のために、教会の中央通路に向かう。


 外に出るまでに少しでも練習しておかないと。

 ふと、火を消す手段が無いことを思い出し、井戸から水を組んで再び戻ってきた。

 代償があるとすれば、どんな時に発生するのか。自分の炎に焼かれる可能性もある。それを探るのが、明後日までの課題だ。


 その日、疲れて火が灯せなくなるまで鍛錬した俺は、頭痛を覚えながら湯浴みを済ませて就寝した。

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