ファアムの旅立ち
この世界の
それは寒冷期と熱帯期、そして温暖期。温暖期は熱帯期と温暖期の間にあり、気温や気候の移り変わりの時期とされている。それらが巡ると一年とし、ディスティニオル歴が刻まれていく。
このまま行くと、次に来るのは寒冷期だ。クリストが持っていた書斎内の本によると、この季節は魔物の活動が比較的
そんな季節を前に迎えたタンジョウの街では、少し前と比べて暖かそうな服装をした人がだんだん目に入るようになっていた。
もちろん俺も例外ではなく、そろそろ薄い長袖では肌寒さを感じる頃合だった。
「そうだ、新しい服だけでも一緒に見ましょう」
ちょうど考えていたことを、一緒に歩いていたファアムは口にする。街の南側、栄えている所には様々な店が立ち並び、以前お世話になった呉服屋もまたそこにある。
「ついでに、武器や防具もね」
思えば相当な軽装で常に戦ってきたが、本当は彼女のような身を守るものを装備するべきであり、子供でも扱えそうなものを探そうと言う。
まずは服を見繕いに、三週間ぶりとなる来店を果たした。
「いらっしゃいませ」
呉服屋の店主であるラフトとは、クリストの葬儀でも顔を合わせている。
その娘が帰還したことを共に喜んでくれた温厚そうな彼の顔は、
「リオンくん、とファアムさんだったね。来てくれてありがとう」
無理に作ったような笑顔は、どうしても立ち直りたくない彼の内面を映しているようだった。
いたたまれなくなってファアムを見上げると、その視線に気づいた彼女が小さく首を横に振る。
「本日はどういったご用件でしょうか?」
「この子のための暖かくて羽織る服が欲しいわ」
注文を聞いた店主は何度も頷きながらカウンターの奥に入っていく。
周りにある服の棚には同じような種類のものが並び、どれも街で見かけたものが多かった。
店内を見渡していると、戻ってきたラフトがその手に持った服を横長のカウンターの上に広げる。
それは柔らかそうな毛から作られた糸を使って編まれた、いかにも暖かそうな服だった。
「こちらは、ニードルラビットの毛から作られたニビットという服でございます」
早速羽織ってみると、上半身がたちまち温もりに包まれ、抱き締められているような暖かさが広がっていく。
ちょうど最近狩っているニードルラビットの毛を使っているのは少し複雑な気持ちだが、これなら寒さも
「買います」
「ありがとうございます」
クリーム色のニビットを購入したあとは、ズボンの方も新調した。その辺も防具があればもっと履けていたとファアムにお叱りを受ける。
クリストもゴカゴもかなり軽装だったけど、本当はその辺も彼女は言いたかったんだろうな。
比較的安全な森で修行に乗り出した軽率さを呪いながら、俺たちは呉服屋を後にする。もちろん、料金は自分の稼ぎからだ。
「らっしゃい! お、初めて見る顔じゃねえか」
次に入ったのは防具屋で、まだ朝なのに顔を赤らめている店主が豪快に声を上げる。
近づくと酒臭く、スタブとゲエテを思い出した。
「あら、私の顔を忘れたのかしら?」
「ああ? だってよぉおめえ。ちょっと待ってな」
そう言ってカウンターに座る男はその下に潜り込み、次に顔を上げた時にはその鼻にちょこんと小さな丸いガラスが二つあるものを掛けて現れた。
「んん? お、おおファアムじゃねえか! 見違えすぎて分からなかったぜ」
白髪混じりの店主はそう叫んで両手を広げる。
彼女はこの街でも活動していたのだろうか。そういえば遠征と言っていた気がする。
「元気そうでなによりよ、スミス。その小さな眼鏡を掛けるのは相変わらずね。ところで今日は、この子の防具を見繕いに来たんだけど、いいかしら?」
スミスと呼ばれた防具屋の店主は小さい眼鏡を指で押さえて、目を見開いて品定めをするような視線を送る。
防具屋と呼ばれているだけあって、右の階段状になっている陳列棚には攻撃を防ぐためのフォルムをした様々なデザインの盾があり、左手には人を模したのっぺらぼうの人形に自慢の鎧を着せたものがざっと並んでいる。
「まだちいせえなあ、こりゃ特注になるぞ」
「なによ、どうせ作るのは貴方じゃないでしょう?」
ムッと表情を強ばらせたスミスは、途端にいやらしい笑みを浮かべる。
「オレの機嫌を損ねたら、そもそも注文もままならねえぞ?」
「別にいいわよ、ジャックに直接話すから」
勝ち誇ったようにつんと顔を上げる彼女に、分かりやすいくらい悔しそうな表情を浮かべた彼は、酒臭いため息を吐いて頭を掻いた。
「はいはい、あんたには
「さいすん?」
どうやら身体の部分ごとの長さを測るようで、呉服屋でもされなかった事に驚きながらも指示に従って付いて行く。
カウンターの奥には外に置いていない防具が乱雑に並べられ、一箇所だけ広めのスペースに立たされた俺は、腕、肩周り、首、腰、足などを次々測られていく。
「坊主、お前さんの髪色綺麗だな。ここいらじゃ見ない色をしてるぜ」
終始酒臭いスミスであったが、髪色を褒められたのは正直嬉しかった。
服の上から着けることを想定されていたために、何かを脱ぐ事もせずに手早く採寸は終わり、元居た場所まで戻るよう告げられる。
「三日後に来い、代金はその時でいい。本来なら先払いだが、ファアムの連れなら大丈夫だろ」
なんだかんだ彼女のことを信頼しているのだろう、しゃっくり混じりに言う彼の顔には清々しさを感じた。
外に出た瞬間、新鮮な空気が身体を包み込み、思わず深呼吸をする。
それを見たファアムはくすくす笑いながら、風になびく髪を押さえた。
「次は武器屋ね」
「武器、か……」
背負っている模造刀の柄を触り、気乗りしないまま声を出した。
俺にはこれだけでいいと思ってはいるが、元はただの木の剣だ。いつ折れてもおかしくはない。
「材質が木だったから、子供の力でも耐えられたのね。鉄だったら、下手すれば手首が折れてるわよ」
そう脅されて、防具屋のすぐ隣にある武器屋へと渋々入場する。
「……いらっしゃい」
スミスと違って、無愛想な店主は剣を磨きながら、か細い声で出迎える。
その前髪は剃っているのか見当たらず、代わりに後頭部から伸びる髪はやたら長くて肩に掛かっていた。
特徴的な見た目に圧倒されていると、いつものようにファアムが口を開く。
「ウィーポ、久しぶりね。相変わらずね」
「……ああ」
低く絞り出すような声は見た目と相まって不気味で、正直苦手だった。
「今日はこの子にお似合いの武器を買いに来たの」
「……誰だ?」
「リオンよ」
名前を言っても分からないだろう。とは口に出さず、冷たい刃物のような視線を突き刺してくるウィーポと向かい合う。
「お前がリオンか」
「そう」
何故か俺のことを知ってそうな彼は、磨いていた剣をカウンターに置いて、緩慢な動きで店の奥へと消えていった。
左右の壁に飾られた剣は、彼が作ったものだろうか。そのどれもが手入れされており、いつか来る使い手を待ち続けているように見える。
ぬうっと奥から戻ってきたウィーポは、その手に短刀を持っていた。
「アステマインから頼まれていた、受け取れ」
「えっ」
カウンターに置いた短刀を、手を伸ばして受け取った俺はそれを回してじっくりと眺める。
黒の刀身に茶褐色の柄。柄の先には緋色の装飾がされており、用途によっては守りにも攻撃にも使えそうな取り回しの良さを感じる。
「礼なら彼女に言え」
「あ、はい!」
こちらを見ずに再び剣を磨き出す彼に、俺とファアムは顔を見合わせた。
「とりあえず、防具は後日ね。これ、お金渡しておくわ」
武器屋を出て、その前で渡された小さな袋。中にはいつぞや見た金貨がいくつか入っていた。
「え、これ」
「
有無を言わさずといった様子でにこりと笑った彼女は、中腰の姿勢を直す。
その背後にある太陽がやけに眩しく、目を細めて彼女を見上げる。
「あとは、ゲエテを頼りなさい。彼ならきっと良くしてくれる。でも、もしギルドの依頼を受けたいのなら、誰かと同伴じゃないと許可は下りないわ」
やっぱりそうか、と肩を落として頷いた。
ゲエテはきっとゴカゴのことで手一杯だろう。だからこそ、他の人を頼るつもりではいた。
ファアムと一人分の距離を空けながら、北門方面へ歩いていく。
「北門から行くの?」
「ええ、こちらに来る時も通ってきたから」
「でも、もしゴブリンキングみたいなのが出たら」
「言ったでしょ、冒険者というのは
あの夜、ディードにより
どうやら巨大なものや特殊な個体には魔石というものが体内に形成されるみたいで、魔物にとってそれは痛みを伴うために凶暴化しやすいのだという。
恐らく餞別と言って渡されたあれは、その報酬の一部だろう。カバンに入れた小袋の重みを感じながら、彼女との思い出を振り返る。
彼女には、まだ聞いていないことが沢山あった。自分にとって有益な情報を、きっと沢山持っている。
だが、結局他愛のない会話を繰り返して、いよいよ北門に辿り着いてしまった。
「……グリムの書斎には貴方の知りたいことが詰まっていると思うわ。特に、魔法と魔物と歴史の文献だけは読んでおきなさい」
俺は書斎にあった本の量を思い出して、
全部目を通すだけで相当な時間を費やしそうな情報量だ、一日の終わりに少しずつ読んでいくとしよう。
「お気を付けてくださいませ」
北門の門番をしているのは、初めて見る人だ。多分、今まで見た人の中では一番歳が上だろう。
うやうやしく頭を下げた彼に対してファアムは笑みと共に手を挙げて、こちらに振り向いた。
「防具ができるまでの間、魔力操作の練習と書斎での読書、それからアステマインにお礼を言っておきなさい」
空間魔法を使ってティアラのような兜を取り出した彼女は、風で舞う髪をたなびかせて微笑む。
まるで母のような言葉を残す女戦士の姿を見て、いよいよ別れの時が来てしまったんだと実感する。
「……うん」
「そんな悲しい顔しないで、また会えるからそれまでに
肩に優しく手を置きながら、彼女の顔を見れない俺に柔らかい声色で言葉を投げかける。
最初に会った時は冷たい印象があったけど、今ではその暖かさに心にかかったモヤが晴れるようだ。
「あと、ゴカゴちゃんをよろしくね」
離れ際にそう言って、ゆっくりと後ずさりしていくファアム。俺は強く頷いて、離れる彼女を見据えた。
「じゃあ、またね」
ティアラを被った彼女は黄金の髪を揺らして、背中を見せる。その姿は凛々しく、別れを惜しむ様子など微塵も感じない。
この一週間で、彼女が心から笑っている瞬間は無かった。
離れていく背中を見て、俺は思い切り手を振って叫ぶ。
「ファアムさん、ありがとう! また会おうね!」
彼女は振り向きこそしなかったが、右手を上げて小さく振るのが見えた。
それからはもう視界がぼやけてしまい、振っている手を下ろして涙を拭う。
「大丈夫、ですか?」
心配するように年配の門番が声を掛けてくる。俺は首を縦に動かして応え、鼻をすすった。
本当なら、隣にクリストもゴカゴも居たんだろうな。もしかしたら、ファアムに付いて行くって言い出してたかもしれない。
彼女の姿は草原に溶け込んで見えなくなって、俺は
まずはアステマインに短刀のお礼を言おう。
風が背中を押し、淡い赤色の花が揺れている。
押し付けられる模造刀の鞘が、俺の決意を後押ししていく。東門か、結構歩くな。
太陽が真上に差し掛かり、簡単な食事でも済ませるつもりの足取りは思いのほか軽かった。
「アステマインさんは居ますか?」
東門に辿り着くとそこには門番が一人しかおらず、鼻の下を伸ばしていた彼に尋ねた。
「なんだ、あの方なら食事休憩中だよ」
答えるのも面倒臭そうに、若い男は顔を背けたままぶっきらぼうに言う。
その姿にブシドウを重ねながら、少し笑って礼を言った。
「にしても、あんな綺麗人居たっけなあ。可愛いからいっかあ」
何やらにやにやしながらご機嫌そうに呟いているが、そっとしておこう。
「どうしたんですか?」
一言も彼と会話をしないまま門のところで待っていると、不思議そうな顔をこちらに向ける彼女が戻ってきた。
俺は短刀のことで礼を言おうとそれを手に取った瞬間、急に後ろから迫った門番に左手を掴まれて後ろに
「いててて!」
「貴様! その短刀でどうするつもりだ!」
どうやら勘違いした彼が鼻息を荒くして事に及んだようで、助けを求めるようにアステマインに目配せをすると、彼女は真顔のまま彼に対して首を振る。
すると掴んでいた手の力が緩み、解放された俺はそのまましゃがみ込んだ。
「どうしてですか!」
「その子は、お礼がしたいだけです」
そう言って短刀を指差し、自らが与えたものだと説明をする。
早とちりした男は顔を歪ませたが、謝罪なく開き直ってそっぽを向いてしまった。
やっぱり似てるな、むかつくところも。思わず顔が引きつっていることに気づき、大人気ない門番をじっとりと見ながら立ち上がる。
「えっと、短刀、ありがとうございました。でも、どうしてこれを俺に……?」
「必要だと思ったからです」
相変わらず必要最低限のことだけを喋る彼女に苦笑しながら、頭を下げて改めてお礼を告げた。
彼女がここまでしてくれる理由は謎だけど、多分ゲエテから色々聞いたのかもしれない。
皆から助けられているのを自覚して、俺は浮ついた気持ちを引き締めた。
次はギルドにでも寄ろうか。ゲエテが居たら話したいことがあるし。
対極的な二人の門番に別れを告げたあと、再び街の中へと歩き出す。その際に視界の端で何か動いた気がしたが、風で揺れた木の影だろうと思い込んだ。
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