オルジェントの策略

灰色の夜明け


 あれから一週間が経った。

 クリストが持っていたカバンの中に、ゲエテと連絡するための魔道具を発見したファアムは、事の顛末てんまつを報告。

 そして、水魔法により彼の腐敗を避けた状態でギルドから来る冒険者を待った。

 やがてギルドにより遣わされたブカッツらがやってきて、タンジョウへと帰ることになる。


 彼の教会でそのまま葬儀が行われ、街の住人、よそから来た冒険者、さらにギルドマスターのガルマまでと勢揃いして、彼との別れを惜しんだ。

 帰り着くまでゴカゴは魂が抜けたように無表情だったが、父が棺桶に入れられ、一番花が咲き誇る教会の裏手に埋められる瞬間、せきを切ったように涙を流して崩れ落ちた。


 少女の慟哭どうこくと共に、クリストを知る者らのすすり泣きが聞こえ、最終的に彼は手厚く棺桶ごと埋葬された。

 葬儀の後、彼女はゲエテに連れられ、ギルドへと向かう。これからどう暮らしていくか、そしてその代わりとなる場所を探すためだ。

 だが、今はそれどころではないだろう。

 つくづく、彼女と俺の境遇は似ている。それは決して喜ばしいことではなく、むしろむべき宿命のようなものだった。


「リオン、そっちに行ったわ!」

「分かった!」


 俺は今、タンジョウの東門から出た先にある平原で魔物狩りをしている。

 ディードとの戦闘で無くしたと思った模造刀はファアムの空間魔法によって回収されていたみたいで、右手に馴染む感触と共にニードルラビットを追う。

 杖は無くしてしまったが、代わりに覚えた魔法がある。


「はあっ!」


 俊足を誇るニードルラビットは、発達した後ろ足と、突き出した額の角が特徴で、近づいてまともに切りつけるのは少々分が悪い。

 だから、俺が覚えたのはフォクセスが得意とした剣による衝撃波だった。


「ピィッ!」


 何度目かの攻撃でようやくその身体を捉え、後ろ足を覆うクリーム色の毛並みに赤い筋が走る。

 草むらの中で転んだ彼は、恐らくもう動けないはずだ。

 息を切らしながら素早く近づき、剣を突き刺してトドメを刺した。


「やったわね、補助無しで狩れるようになるなんて」

「ああ、これで稼ぎになるよ」


 だらんと脱力したニードルラビットから飛び出ている長い耳を掴んで、微笑みを浮かべる彼女に渡す。

 それをそのまま空間の中に入れ、代わりに取り出した水入りの容器を渡される。


「ありがとう。それ、本当便利だよね」

「でしょう? クリストもよく羨ましがってたわ」


 少し遠い所を眺めて呟く彼女は、その切れ長の目を細める。

 膝まである雑草が風に揺れ、草原の上を波のように陽の光を反射していく景色が広がっている。青空の広がる空は、あの日と比べたらまるで別世界のようだった。


 今日でニードルラビットは三匹狩り、そのうち一匹は俺が初めて自力で仕留めた奴だ。

 着実に強くなっていくのを実感しながら、俺たちはギルドに赴くため街に戻る。魔物の素材や肉はギルド内で管理され、それを持ってきた報酬として金銭などを貰う。

 そうやって冒険者稼業は成り立っているので、いよいよ自分も仲間入りかと胸を張る。


「お疲れ様」


 持ち場が変わったのか、東門にゲエテの部下と思われるアステマインが門番として立っており、彼女は静かに揺れる花のようにおしとやかな笑みを作って労ってくれた。

 その姿は頭巾を被っているとはいえ、端正な顔立ちは隠せない。その笑顔に見惚れているもう一人の門番は、鼻の下を伸ばしていた所をファアムに睨まれて背筋を伸ばしていた。


「今日もご苦労さま」


 ギルドで換金を済ませた俺は、笑顔のファアムから労いの言葉を受ける。

 しかし、その笑顔はどこかぎこちない気がしてそれを尋ねると、少し歩こうかと提案された。


「そろそろ一人で戦えるわね。逃げる時の手段も心得も教えたし、私が居なくても貴方は平気。きっとね」


 ギルドがある大通りをぶらぶらと歩きながら、彼女は急にそんな事を言い出す。


「分かってると思うけど、私は王都に戻るわ」

「……うん」


 恐らく何度も催促されていたんだろう。今日に至るまで俺が一人で外に行って生計を立てられるように、ずっと付いてきてくれていた。

 だけど、それも今日で終わり。

 そう思うと、途端に心が乱れだす。忘れかけていた様々な感情が押し寄せて、不安に取り込まれそうになる。


「大丈夫、貴方はやれるわ」


 いつもは勝ち気な彼女も、今日だけはどこかしおらしい。

 歩き疲れた俺は、店の外にテーブル席がある飲食店を指差し、休息することにした。

 いつもは寄らない店だからか、メニューやら顔ぶれやらが新鮮だ。

 この街に住みだしてから、街の住人とは大体顔見知りになった気がする。


 休息を終え、再び歩き出す。この道は知っている。教会へ続く道だ。

 しばらく無言で歩き続け、やがて人通りの少なくなる区画に差し掛かり、風に揺れる花を道の脇で確認する。

 この道を初めて通った時、隣にはゴカゴが居た。同じく夕焼けの空を見て、不意に目頭が熱くなる。


「今日はここで休みましょう」


 真っ暗な教会に辿り着き、横で微笑んだファアムは裏手の倉庫へと歩いていく。

 管理者が居ない此処は、まるで廃墟のようなわびしさがあり、命を無くした建物の成れの果てのようだった。

 やがて小さな籠に食料を入れて持ってきた彼女が、井戸の近くにそれを下ろし、焚き火の準備を整えていく。


 辺りが暗くなり、空は遠くが薄暗く、闇が迫るこの瞬間は世界から見放されたような疎外感を抱いてしまう。

 それはファアムも同じなのか、追い求めるように火を焚き、鋭い木の枝に刺した肉を少しずつ焼いていく。

 炎で揺れる明かりが顔を妖しく照らし、彼女が何を考えているのか分からないまま乾いた音を鳴らす火だけが沈黙を埋めている。


「もう気づいていると思うけど、クリスト、グリムは私の弟よ」


 彼女は敢えて本名でクリストの名を呼び、炎を見つめたまま続ける。


「私たちは戦争孤児で、育ってきた街を追われた身なの。第一次魔道具戦争のことは知ってる? フィオルという偉大な魔法使いが魔道具を作り出したことで、戦争が起きてしまった話」


 俺は無言で頷いて、焼けた肉を手に取る。


「西の国、ペリシュドでは特に酷い有様で、本当に人間というのは愚かなものだと思い知らされたわ。皮肉にも、それを終わらせたのが人類の敵である魔族だったけどね」


 彼女も肉を手に取り、小さく食らいつく。

 井戸から汲んでおいた水を容器に入れてもらい、肉を噛み締めながら喉を潤した。


「街を追われてからは、ずっとハヴェアゴッドで過ごしてたわ。私が十歳の頃から大人になるまでだから、相当の期間で国々は争っていたことになるわね」


 呆れたようにため息を吐いて、ファアムは炎の揺らめきをぼうっと眺める。


「でもそこで、貴方の髪色によく似た女性と出会ったの」


 彼女と目が合って思わず逸らすが、そのままその女性の名前を尋ねた。


「プリモル・オルディアよ。太陽のような女性だったわ」


 どこかで聞いたことがあるような名前に、小さな頭痛が目の奥で起こる。


「なんか、ファアムさんもその人も、名前が長いんだね」

「あら、これは家名よ。魔族の侵攻以前のペリシュドでは家名襲名制が採用されていたから、同じ家に産まれたら名前の前に必ず家名が付いていたの」


 初めて聞いた制度に、様々な質問が浮かんでくる。


「どうして今は名前を変えてるの?」

「……呪われているからよ。家名を持っていた西の国出身の者は、魔族の侵攻を受けてそのほとんどが亡くなったとされているわ。そのことから忌み嫌われる対象となったの」


 そんなの理不尽だ、と思ったがひょんなことから誰しもがそんな対象になるかもしれない。

 世界の意志を感じた気がして、俺は盗賊団の首領の顔を思い出す。


「じゃあ……ディードも西の国出身?」

「それは分からないわ。でも、私たちの事は調べれば分かるだろうし、闇の魔法を使っていたことから魔族と関係があるのは確実かもね」

「さっきから魔族って言ってるけど、どんな奴なの?」


 新たな肉と、皿に野菜を盛り付けていた彼女は一瞬動きを止め、また動き出して野菜の乗った皿をこちらに寄こす。

 貯蓄の分がだいぶ減ったんだろう、一口二口で食べ切れる量だったために、一気に口の中に詰め込む。


「この世には六元素の魔法の源があることは知ってるわよね? そのうちの光と闇というのは少し特殊で、扱える者は数少ないとされているの」

「……でも、光なら魔道具にもあるよね?」

「あれはフィオルが作った魔道具の真似事を発展させたような代物だし、真の光の魔法ではないわ。ただの明かりなら、むしろ雷の属性で代用できるもの」


 だんだん強くなる風に、炎が横になびいていく。昼間は晴れていたはずなのに、気づけば空は雲の割合が増えていた。


「中に入りましょ、ご飯はまだ食べる?」

「ミーロの実が食べたい」

「……わかった」


 火の後始末をして、今度は俺が籠を持って教会の入り口へと歩いていく。

 まだそんなに時間が経っていないというのに、ブシドウやゴカゴと共に過ごした日々が遠い昔のように感じた。

 軋む音と共に扉が彼女により閉められ、そのまま天井へと手を向けると、仄かな明かりが灯り出す。

 入り口付近にある長机の上に籠を置いた俺は、その中からミーロの実を取り出して、持ったまま長椅子の方へと歩いていく。


 そして一番前の左の長椅子に座り、実を一口かじった。

 広がる甘みとその中で存在を主張する酸味。酷く懐かしい味に、思わず顔をしかめた。

 同じく実を持ったファアムが右隣に座り、音を鳴らして実をかじる。断面にはみずみずしい果汁が流れていて、栄養が凝縮されているような特別感があった。


「魔族というのはね、闇の魔法を扱える人型の魔物を指すの」

「ということはディードは」

「別に人間でも扱える者は居るわ。少ないだけで」


 口角を上げた彼女は、ゆっくり味わうように口の中の実を飲み込む。


「彼らの特徴は白い肌に赤い目、青白い唇に青い血。そして鳥のような翼よ」

「それって……」


 俺はヴァルハラの風貌を思い出し、一気に戦慄する。


「どうしたの?」


 小首を傾げて問いかける彼女の金髪が揺れ、その毛先が頬に触れる。


「実は、俺はそういう奴らに二回会った事があるんです」

「……どういうこと? 詳しく聞かせてくれる?」


 俺は村を襲撃した存在、そしてケンジャさんの元に現れた存在を彼女に明かした。

 それを聞いて、かんばしくない表情で何かを考えるように動きを止める。


「名前、わかる?」

「俺の村を襲ったのは……ヴァルハラという名前でした」


 口にするだけで声が震えて、情けなくなった俺は強く歯を噛み締めた。


「ヴァルハラ……そんな、なんてこと」


 色白い頬に指を添え、美しい輪郭を描いた眉を歪ませて嘆くように彼女は言う。


「そいつこそが、ペリシュドを滅ぼした魔族よ。フィオルと戦って死んだと思っていたけど、まさか生きていたなんて」


 だんだん頭が混乱してきた。あいつが西の国を滅ぼした存在だって?


「ええ、間違いないわ。もう一人の魔族はわからないけど、そいつは一番有名で、残忍と知られていたわ」


 彼女は顔を横に小さく振り、わなわなと唇を震わす。

 俺は父の正体、名前、そして村での出来事を洗いざらい話してしまおうかと迷っていた。西の国出身の彼女なら、もしかしたら何かを知っているかもしれない。


「貴方が生きていたことは幸運よ」


 そう言って頭を撫でる彼女の手は暖かく、心に溜まった不安を手放していく。


「ありがとう、ございます」


 かろうじて出した声は、酷く掠れてしまった。


「ファアムさんは、勇者についてどう思いますか?」

「勇者は、ただの職業の名前よ。該当する者が少ないというだけで。グリムの書斎にもそういう文献がありそうだけど」


 彼女が書斎のある方へ目を向けるのを見て、俺は自分の頭頂部を撫で、誤魔化すように髪を掻く。


「そっか……」

「まあ彼らの特徴を強いて挙げるなら、光魔法を得意とする、かな」


 思わず彼女の顔を見ると、悪戯っぽい笑みを浮かべて少し顎を上げてこちらを見据えていた。

 魔族と対極をなすように、光魔法を扱う職業が勇者。

 俺は、どうなんだろう。


「さて、そろそろ寝ましょう」

「あっ」


 そう言って立ち上がったファアムに、つい声を上げてしまう。


「いや、なんでもないです。おやすみなさい」


 結局何も言えずに、食べかけのミーロの実を持って俺は寝泊まりをしていた部屋へと逃げるように足を運んだ。

 扉を閉めて、実の断面を眺めながら思いを巡らせる。

 村を襲ったあいつが、西の国を滅ぼした張本人?

 そんな奴が、父を追いかけていた。ずっと探していた?


 実が果汁を噴き出し、はっとして手の力を抜いた。

 以前、クリストから同じような話を聞いた時、あの時は漠然とそうじゃないかと思っていた。

 でも、今回でそれは確信に変わった。変わってしまった。


『ハヴェアゴッドに行くんだ』


 不意に、夢に出てきた父が言った内容を思い出す。忘れかけていたそれは、ファアムの話によって輪郭を帯びていく。

 夢では無く、本当にそう言っていたんだとしたら。

 もしかしたら、ミレイの事も何かわかるかもしれない。


 でも、ハヴェアゴッドが何処にあるのかまではよく分からない。当初は歩いて行こうとしたが、恐らくメオウェルクの西の果てにあるんだろう。そうなると、馬車を使うのが現実的だ。

 

 まずは、お金が必要だ。今の俺には稼ぐ手段がある。だけど、明日からはファアムはいない。ギルドも、彼女と同伴だから俺がギルドの依頼をこなしたり、換金する際に一緒に居ても咎められなかった。

 ブカッツさんらに頼むか。いや、流石に今は声をかけづらい。

 ゲエテも同じ理由で駄目だろう。門番の人はそもそも冒険者じゃないし。

 ゴカゴは……元気だろうか。いや、どんな顔をして会えばいいか分からない。

 

 頭を働かせるうちに、無意識にミーロの実を平らげる。

 手持ち無沙汰になった俺はそのままベッドに横になり、天井灯へ魔力を飛ばして光を消して小窓からの星の明かりを見ながら明日以降の行動を考えていた。


 復讐、か。自分の実力、そして何をするべきかが分かってきてから、奴への激情が薄れてきているのを実感している。

 でも、きっと目の前に現れた時は抑えられないだろう。

 今の俺では犬死するだけだ。だから、もっと強くなる。その過程で死ぬかもしれなくても、無理してでも強くなる。護られているだけでは駄目だ。


 目指すはハヴェアゴッド。そう決めて、ゆっくりと目を閉じた。

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