闇魔法のディード
「クリスト! 白の護りを早く!」
言われた通りにクリストは棍を中心に白の護りを展開し、俺たちを守るように扇形に伸ばしていく。
しかし、ディードの顔に焦りはなく、むしろ舌なめずりをしてさらに球体を巨大化させていく。
クリストの展開する白の護りはもしかしたら対抗手段なのかもしれないが、ファアムの顔色を見るに賭けに近い策なんだろう。
「リオンくん、ゴカゴちゃんを連れて逃げるのよ」
背中を向けたまま、静かに彼女は呟く。その声には覚悟が感じられ、決して無事で済まないことを表していた。
このままでは全員やられる。何とかしてあの魔法を止めないと。
「グオオオオ!!!」
未だ咆哮が鳴り止まず、遠くでは盗賊団側は三人しか立っているように見えない。
部下がやられようが意に介さず、ひたすらに捨て駒のように使うこの男のどこに、そこまで尽くす要素があるというのか。
やるせない
「リオン、早く」
焦るファアムは語気を荒らげるが、俺はゆっくりとゴカゴから離れ、前へと歩き出す。
信じられないといった表情をする女戦士を無視して、クリストの背後まで迫った。
「リオンくん!?」
接近に気づいた彼が、目だけ向けて声を上げる。
「ガハハハ! ガキをもっとしつけておけよ! 聞き分けが悪い奴は早死するぞ!」
心底嬉しそうに叫び、つばを撒き散らしながら大口を開ける男は、いよいよはち切れんばかりの球体を放とうと一瞬手を後ろに仰いだ。
俺は、父さんの力を受け継いでいる。あの時だけの希望の力だと思っていたが、オークを殺した時の光り輝く模造刀を見て確信したんだ。
そう、俺には光魔法が使える。だけど、意識して使ったことは無いしそもそもまだ属性すら乗せられない。
でも、魔法が発動するトリガーがなんだったかは覚えている。
父の持つ聖剣を想像して光の剣を初めて形成したあの日から、俺はこの模造刀と聖剣を重ねていたのかもしれない。
幾度となく父の教えを乞うたあの日々、絶望を塗り替えるために何度も思い描いた剱。
模造刀を構え、ゆっくりと振り上げる。驚くほど時間の流れが遅く感じて、父の声を聞いた気がした。
『そのまま振り下ろすんだ』
あの日、何度も描いた放物線。振り下ろした先にあるミレイの微笑んだ顔。
気づけば微笑みを浮かべていた俺は、驚愕するディードに向かって剣を振り下ろしていた。
刀身は光り輝き、刃が通った軌道が空間ごと割れていく。
その中にあった黒い球体は真っ二つに割れ、ついでにそれを支えていた男の右腕を縦半分に切り裂いた。
「がああっ!」
形を保てなくなった球体は急激に収縮し、切り離された右腕の一部を吸い込んで消滅した。
刀身の輝きは俺が好きだった淡い光を放つ虫のように
「クソガキが!」
「させるか!」
ディードとクリストの声が同時に聞こえ、背中に柔らかい感触を覚え、次第にはっきりしていく意識と共に目を見開いた。
目の前では男が放った黒の閃光を白の護りで防いだ形跡があり、自分の背中側から淡い緑の光が見える。
「助かった」
そう言って口角を上げた少女の父親の顔は、すっかり戦場慣れしたように擦り傷まみれだった。
「ディード!」
その刃は男の右腹に深く刺さり、歪めた口から吐いた血が宙を舞う。
勝てる! そう確信した瞬間、凄い勢いで黒い影がこちら目掛けて飛んできて、咄嗟にクリストは白の護りを展開する。
しかし、先程受けた黒の閃光の影響か、護りの層は薄く、俺はクリストごとその黒い物体によって後ろに弾き飛ばされた。
地面に転がり、声にならない叫びを上げて背中を押さえる。近くに落ちた物体は首のない人間の身体であり、前方で戦闘をしていた盗賊団のものだった。
「ゴアアアア!」
少し前とは違い、明らかに近距離で響く森を揺るがす雄叫びに首をもたげると、規格外の巨体がすぐそこまで迫っていた。
「いかん!」
視界に映ったクリストは俺を持ち上げて、流れる景色に映る巨大な右手を見送り、先程まで居た場所に衝撃波と共にそれが叩きつけられる。
天災とも言える地震を受け、一瞬浮遊感を覚えた。
ちょうど街道の真ん中で何とか受け止めてくれた彼は、歯を食いしばって木の近くに立つ怪物から離れていく。
「い〜いタイミングだ」
下卑た声が聞こえ、左側を向くとそこには左手をあらぬ方向に構えるディードの姿が映る。
しかし、その先を見るとゴカゴがうずくまっているのが見えた。
「させるか!」
意図に気づいたファアムはゴブリンキングから離れるように左へ走りながら、魔力の弓を取り出し矢をつがえて射つ。
男は黒いモヤを使う余裕が無いのか、左手目掛けて放たれた矢に対して腕を下ろしてやり過ごす。
「くっ!」
クリストは速度を上げてファアムを追い越し、庇うように娘の前に立ち塞がった。その際に俺は地面に降り立ち、少しでも奴の狙いを逸らしたいために走り出す。
「狙いは貴様だ、リアム!」
しかしディードは下劣な笑みを浮かべて左手を上げ直し、ゴカゴではなく弓を射ち終わった彼女へと向ける。
「ファアム!」
クリストの叫び声がして、勝ち誇った顔で顔を歪めるディード。
だが、ファアムは張り詰めた顔に笑みを浮かべる。
次の瞬間、奴の首を貫通するように矢尻が飛び出し、驚きの表情を浮かべて口から大量の血を零す。
それはバルトゥルを仕留めた時と同じ手法で、戦意の喪失を期待した俺は足を緩める。
しかし、奴の目は憎悪に染まったままで、血まみれの口髭を震わせ、歓喜の表情で黒の閃光を放つ。
それはあっという間に到達し、目を覆いたくなるような光と衝撃音のあと咄嗟に見た着弾地点には、娘を庇うようにその衝撃を一様に受けた父親の姿があった。
「クリスト!」
「ガバ、ガバッバ」
ファアムの悲痛な叫びと、血と共に笑うディードの声が響き、今まで止んでいた風が時の流れを自覚したように頬を撫でた。それは生暖かく、目の前の出来事が現実であることを訴えているようだった。
「ゴアアアア!」
弓を持ったままの彼女を追いかけていた怪物は、突然の閃光に怯んでいたが、やがて思い出したかのように雄叫びを上げる。
その視線の先には一番近い位置にいるディードを捉え、大きな一歩と共に振りかぶった。
だがその緩慢な動作が
「うおおおお!」
模造刀を右に流すように持ち、腹から声を出しながら地面を蹴る。
奴との距離は数十歩も無い。だが、この距離だと迎撃されると踏んでいた。
「馬鹿が」
呼吸を苦しそうにしながら、こちらに左手を向ける。その動きは弱々しく、奴の限界が近いことを知った俺は、カバンから杖を取り出して向けた。
その顔が歪む前にありったけの魔力を流し、爆発音と共に巨大な火球を放つ。
俺は放ったそれごと斬るような姿勢で走りながら剣を振り上げ、残った全魔力を使って剣を振り下ろす。
しかし、突如火球が爆発し、その衝撃で俺の体は宙に浮き、どんどん地面から遠ざかる視界が回転して背中を強打した。
「がはっ!」
息ができない。完全に振り下ろす前だったからか、魔力は少し残っている気がした。
「が、が、あ、あー、ようやく治ったか」
それは血により溺れるような発声だったディードの声で、信じられないことを口にしていた。
治った、だって……?
全身で肺に酸素を取り込みながら何とか起き上がると、奴の喉にあったはずの矢が消えており、その傷は塞がっていた。
「ディード、貴様だけは許さない!」
ファアムの後方では、泣き叫ぶゴカゴと娘に抱かれてもピクリとも動かないクリストの姿。
「まあ、そう焦るなリアム。お前とはいつか決着をつけてやるから」
お互いに満身創痍であり、息を切らしながら虚ろな目を動かす男は虚勢を張るように穏やかな口調で語る。
「今回はその娘を諦めてやる。命を捨てた父に免じてな。あと、貴様。何者だ小僧」
腕や腹から流れていた血までいつの間にか止まっている男は、底知れぬ憤怒の表情でこちらを見据える。
しかし、俺は奴の言葉を聞いて、視界が真っ赤に染まっていた。
命を、捨てただって? クリストが?
「その目、奴にそっくりだ。それにその髪色。貴様、もしやケリウスの子か?」
奴が何を言っているのか、もはや聞き取る気はなかった。
ただ、全身が獄炎で熱されたように煮えたぎり、吹っ飛ぶ際に模造刀を手放したために何も持っていなかった右手を、まるで柄を握っているかのような形に広げる。
ひたすらに思い描いた。奴を切り伏せる剱を。聖剣じゃなくてもいい、今の俺に創れる限りの剱を。絶望を
この右手の中にこめて、創り出す。
『お前は俺によく似ている』
父の声が響いた。その言葉の意味は、まだわからなかった。
俺の右手には、何も無かった。掴んでいるはずの剣は見当たらず擦り傷まみれの腕が見えるだけで、この男を斬れる剱は創れなかったんだ。
「貴様、今何をしようと」
奴の声が終わる前に、剣戟が鳴り響く。はっとした俺は前を向き直し、ファアムが斬りかかったのを左手で持った腰の剣で受け止めるディードの姿を見た。
「はっ! 驚かせやがって!」
叫びながら剣を振るい、彼女を大きく退かせたあと、口角を歪めながら深く踏み込んで後ろへと飛ぶ。
立っているのやっとな状態でそれを見送り、すぐそばに寄ったファアムが剣を構えて立つ。
「はぁ、しぶとい奴らだ。だが、もう時間だ」
左手の人差し指を天に掲げて、奴は吐き捨てるように言う。空を見るといつの間にか白んできており、朝を告げるグラデーションが右から迫ってきていた。
「逃がすか!」
即座に弓をつがえる彼女だが、ディードが左手を広げた瞬間、どこからともなく集まってきた六本のナイフが六芒星の頂点を結ぶように宙に並び、その間から現れた禍々しい闇が彼の身体を包んでいく。
そこに向かって矢を放つも、黒いモヤに取り込まれて奴には届かない。
「また会うだろうよ、俺様から会いに行くからな」
やがて全身を闇が包み込み、少しずつ霧散していく。
奴の姿は、無かった。
「リオン!」
全身の力が抜け、錆びた人形のように関節が悲鳴を上げる。立ってられなくなった俺は、ファアムに支えられた。
「ファアムさん……クリストさんは、ゴカゴは無事ですか?」
彼女の返事は無く、代わりに空間魔法で取り出した回復薬を飲まされる。
全快とは言わないが、何とか自分の足で歩けるようになり、ゴカゴたちが居る方向へ振り向いた。
そこには、眠るように横たわっているクリストと、虚ろな顔をして屈んで見つめる娘の姿があった。
無言のまま近づいて、眠る彼の近くでひざまずく。傷だらけの顔に触れると、無機質な冷たさが伝わる。
俺はファアムの方へ振り向くが、彼女は苦虫を噛み潰したような表情で顔を背けている。
回復薬を使うにはもう、遅いのか。
もう一度眠るようなクリストの顔を見つめ、様々な思い出を映し出していく。
何にも返せてない。与えられただけだ。
沢山迷惑をかけた。困ったように笑う人だった。
彼に息子みたいなものだと言われた。俺は第二の父親だと思っていた。
痩けた頬、ブシドウが居なくなってから今日に至るまでだいぶ無理をしていたんだろう。
『なぜ、涙は魔法でもないのに流れるのか』
眠る彼の顔を焼き付けるため、ぼやけようとする視界を懸命にこらえる。
『それは、人間だからじゃ。心優しい者ほど、その目から多くの涙を流す』
違う、俺は心優しくなんかない。ただのよわむしで、自分が可愛いから泣くだけなんだ。
彼女を差し置いて泣くだなんて、
虚ろな目で父親を眺める彼女は、今何を思っているのか。
復讐か、自死か、それとも虚無か。
その目を、俺もしていたんだ。ゴカゴと会う前までは。
この瞳に光を取り戻すことができたのは、間違いなく彼女とその父親のおかげだった。
俺は、まだ何も返せてない。
「ゴカゴ」
返事は無い。いくら芯が強い彼女でも、ここ数日で色々起こりすぎた。それこそ、俺の体験に匹敵するほどの絶望を、彼女はその身に受けてしまった。
「俺のせいだ」
こんな言葉が慰めになるわけがないのは分かっている。
でも、何かに
馬車の中で怯えていた彼女を不意に思い出し、俺は無言でその小さな身体を抱き締めた。
クリスト、本名クリストファー・グリム。ノースヴァルトの森にて散る。享年36歳。
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