追走
「襲ってきた奴らの服装、この辺りで有名な盗賊団よ」
「あいつら、狙いは女だけって言ってた。俺たちのことをずっと狙ってたんだ」
テントを片付けて代わりにカバンを背負うファアムと話しながら、街道へ出ようと木々の間を縫って進んでいく。
その後ろで深刻な顔をしたクリストが、足取り重く付いてきていた。
「……私が迂闊だったわ。せめて固まって行動すれば」
女性の湯浴みのタイミングを襲われてしまったら、いまさら何を言おうとどうしようもない。
それが分かっていても、彼女は無念を吐き出さずにはいられないようだった。
「奴らの形跡は?」
重い口を開いたクリストは、静かな怒りを乗せて尋ねる。
「それを今探しているの」
聞くところによると、賊が出現することは珍しくはない。だが、森の中にまで追ってくるのはだいぶ異質なことであった。
「もしかしたら彼らは、以前貴方の娘を攫った連中かもしれない」
いわゆる報復というものを、最悪のタイミングで行ってきたのだ。
そもそも今回旅に出る発端となったのは俺で、言いようのない後悔が付きまとう。特に、クリストの顔はとてもじゃないが見れなかった。
「奴らは痕跡を残さない、基本的にはね。でも、逃げ出した奴はどうかしら」
街道が見えてきて、よく見ると消し損ねた足跡が北へと続いている。
一人逃した奴が付けていったものだと思い、俺はファアムの顔を見た。
「慎重に動くわよ。クリスト、カバンをお願いできるかしら」
「……ああ」
彼が何を考えているかは、俺には手に取るようにわかる。
その姿がますます痛ましく、自責の念を駆り立てる。
俺の、せいだ。
「諦めるのはやめてちょうだい」
小声で耳打ちした彼女はゆっくりと歩き出し、街道に敢えて出ずにすぐそばの木々を抜けながら足跡を辿っていく。
そんなファアムの指示で、俺たちはさらに街道より深い方へ移動し、離れた位置から彼女の白い鎧姿を追いかける。
かなり遅い歩みだが、目的を果たしたであろう奴らの油断を突くしか方法は無い。
しばらく進むと、突然後ろに向かって手を向けるファアム。制止を促す仕草に、俺たちは歩みを止めた。
「居たわ」
街道を見ると、中が見えないようになっている馬車と、複数の男たち。そして、先程逃げてきたであろう男が、なんとか合流を果たして小さな声でやりとりをしていた。
あの中にゴカゴがいる、そう直感した俺は思わず手に力が入る。が、ファアムは
「これ以上近づいたら勘づかれる。私が聞き耳を立てるから、そこで待っててちょうだい」
すると彼女は赤い揺らめきを耳に浮かばせ、目を閉じた。
しばらくして目を開けて、こちらに合図をする。
「彼ら、北に行くみたい。このまま隠れて追いかけましょう」
「ファアム、君の実力なら彼らくらい造作もないじゃないか」
焦る父親はらしくない発言をするが、旧友をゆっくりたしなめるように彼女は言った。
「貴方の娘を人質に取られてるのよ? それに、彼らはそれが分かって堂々と移動してるの。むしろ、炙り出されるのは私たちよ」
確かに、わざわざ痕跡を残して辿らせた行為は裏を返すと盗賊団の策略に思えてくる。
「じゃあいつ助けるんだ? 森を抜けてしまえば、隠れることもできないぞ?」
「それを、待つの。言ったでしょ、ゴブリンの群れを見たって」
諭されたようにクリストは閉口するが、その顔はまるで納得がいっていない。結果的に魔物に頼るということは、運任せでしかないからだ。
かと言って、この中で一番の実力者である彼女がそう言うのだ。少なくとも、馬車が動くまでは行動するわけにはいかない。
「見て、移動するわ」
馬車を囲んでいるのは六人程で、俺たちを襲った者と違い短いナイフのようなものを腰に指している。
ファアムが言うにはあれは魔道具の類で、
となると、やはり馬車には要人が乗っているに違いない。
少し進んでは止まり、少し進んでは止まる。先頭を行く彼女いわく、前方に放った
モンスターを避けるためだろう、このままでは森を抜けてしまうかもしれない。
気がはやって足元をおろそかにしそうになるが、ここで決して物音を立てるわけにはいかなかった。
「おかしい、長すぎるわ」
それは、何回目の停止か分からないタイミングで起こる。
一向に動き出す気配の無い盗賊団。もしかして、こちらの存在に勘づいたのであろうか。そう思っていたその時。
「グオオオオ!!!」
身の毛もよだつ雄叫びが、はるか前方で鳴り響く。
それはオークのものなど比ではなく、とんでもない個体が存在している事を表していた。
慌ただしくなる盗賊団陣営に、ファアムはこめかみから汗を流してその様子を見守る。
「不味いわね、よりにもよってゴブリンの王が来るわ」
彼女は恐らく
はっきり言って、今までの魔物が全部子供に見えるレベルだ。木より大きい魔物なんて、一体どうすればいいのか。
明らかにうろたえている盗賊団は、魔道具を持った六人が前に走っていき、馬車の両脇にある扉から二人の人影が現れる。
それはゴカゴの髪の毛を乱暴に掴んで歩く、毛むくじゃらの男だった。
「抑えて」
叫びそうになるクリストを制して、未だ冷静なファアムは機をうかがう。
大柄な男は腰に剣を差しており、後ろ手に縛られたゴカゴを突き出すように歩いている。
星の明かりによって男の顔が照らされると、その片目は潰れていた。
前を歩く少女はいたましいほど
「ガアアアア!」
前方で戦闘が起こった。森全体が揺れるような衝撃が起こり、黒い影がいくつか飛んできて、鈍い音を立てて潰れた。
それは人間だった肉塊で、丸めた紙のように身体があらぬ形をしている。
俺はそういうものへの耐性は付いた方だと思っていたが、そんな気持ちとは裏腹に胃から込み上げてくるものが喉の奥でつっかえている。
「いい? ゴカゴちゃんを連れている男があっちに気を取られたら、静かに飛び出して男だけを狙って」
作戦を聞いた俺は頷き、クリストは男を見据えたまま静かに首を縦に揺らした。
まるで怪獣同士が戦っているような地鳴りが次々と響き、前方では様々な光が飛び交い、血の霧が舞う。
彼らが持つナイフの魔道具からは尖った氷が放たれており、今ははっきり見える怪物の身体にいくつも突き刺さっている。
その時、力任せに振ったゴブリンキングの左腕が、六人のうちの一人に直撃し、吹っ飛ばされたあと馬車に激突し、派手な音が響き渡る。
ゴカゴの小さな悲鳴と、男の意識が完全にそちらへと向いた瞬間、俺たちは一斉に走り出した。
後ろからファアムが
「ぐおっ!?」
思わず手を離した男の隙を付いて、俺はゴカゴを庇うように抱き寄せる。
そして、カバンを置いて棍を取り出していたクリストが、男の顔向けてそれを突き出した。
鈍い音が聞こえ、直撃したかと振り返ると、なんと男は右手のひらで棍を受け止めていた。
「なに!」
「てめぇら、俺様の邪魔をするのか?」
毛むくじゃらの男は残った左眼を見開き、二の腕を射抜かれている左手を突き出した。
危険を感じたクリストは棍を盾にするように構えて白の護りを作り出すが、一足早く放たれた黒い閃光が彼の身体を吹き飛ばした。
「お父さん!」
娘の悲痛な叫びが飛ぶが、俺は構わず彼女を担ぎあげ、急いで男から離れようとする。
「クソガキが! 二度は無いぞ!」
左手を構えられた気配が後ろからして、悪寒が走る。
しかし、俺の逃げる方向から第二の矢が飛び、すれ違うように男へと向かう。
そのまま振り向かずに、ファアムの待つ木の近くに走り込んだ。
その拍子に転んでしまうが、そのすぐ上を黒い閃光が通り、目の前の木の一部を爆発に似た音と共に炭に変える。
「リオン、私の後ろへ!」
ゴカゴの手首を縛る縄は頑丈に結ばれており、解くのを諦めた俺はファアムの後ろに立つように振り返る。
先程放たれた矢は止められたのか、片目の男に新しい傷は無い。
「グオアアア!」
決死の戦闘をする盗賊団とゴブリンキング。それを背景に、髪をうねうねと逆立てた盗賊団の頭は、太った醜悪な顔を歪ませ、残忍な笑みを浮かばせる。
「この際、その娘さえ奪えたらなんでもいい」
何故この男がそこまでゴカゴに執着するか分からないが、異常なほどの雰囲気に鳥肌が止まらない。
「その潰れた目、ロバーフットのディードね。貴方の団員が後ろで大変なことになってるけどいいの?」
「ガッハハハ! どうでもいいわあいつらなぞ。俺様さえいればいつでもロバーフットは
開いた目はヘドロのように濁り、どろりとした視線をファアムへ向ける。
「ファアム、いや、クリストファー・リアムが何故此処に居る? 貴様は今頃王都に行っていたはずだ」
「……その名で呼ばないでちょうだい」
ディードの口走った名前に、俺は困惑した。
偽名だったのか。いやそれよりも、彼女は名を呼ばれたことに明らかな嫌悪を抱いている。
「それと、あそこで転がっている方はクリストファー・グリムだったか?」
「うるさい!」
ファアムは即座に弓を引き絞り、下卑た笑みを浮かべる男の眉間目掛けて矢を放つ。
しかし、ディードは手すら使わずに、飛んできた矢をその身体に纏う黒いモヤに包み込み、消滅させてしまった。
「効かんわ、ほれ、もっと射ってこい」
手をひらつかせてあからさまな挑発をするディードに、歯を剥きながら次々と矢を射ち込んでいく。
だが、そのどれもがモヤに飲み込まれ、男はさらに口角を上げて下品な顔を歪ませる。
「ファアムさん、俺も!」
「駄目よ、下がってなさい」
矢を一度に多く放った反動からか、微かに息を乱して制止するファアム。
奴の黒いモヤの正体がなんであれ、正面から攻撃しようが全部防がれている。
隙を突くことができれば、きっと防ぎきれないはず。
「試してみるか? 小僧」
道化のように舌を出して、肥満体質の男はその突き出た腹を撫でながら不快な笑い声を上げる。
「挑発よ、聞かないで」
分かってはいる。が、こいつはゴカゴを攫った張本人だ。むしろ我慢しているのは彼女のはず。
横を見ると、立ち上がっている少女は震えてはいるがその目は怒りに満ちていた。
「お、まだやるのか?」
もう一度弓をつがえたファアムを見て、楽しくてたまらない顔をするディード。
その時、奴の後ろからクリストが奇襲し、それを防ぐためにこちらへの注意が逸れる。
同時に俺は右に走り出し、矢が放たれる音が後ろから聞こえた。
「ぐっ」
矢は奴の横腹に刺さり、顔を歪ませた男はクリストが持つ棍を掴んで乱暴に振り回し、こちらに彼ごと投げ飛ばしてきた。
「うわあ!」
もんどり打ったクリストを避けきれずに、彼の背中を正面から受けて倒れ込む。
その瞬間、こちらに左手を向けていたのが見えてぞくりと心臓が跳ねるが、すかさず突っ込んだファアムが魔力の剱を使い手に向かって振り下ろす。
ディードは手を引っ込ませ、代わりに右手で腰の剣を抜き、振り下ろした後隙を狙う。
それを予想していた彼女は素早く身を引き、顔の前を通過する刃を見送った。
「すまない」
「大丈夫です」
クリストは自らに癒しの魔法を掛けながら、なんとか戦闘を続行できていたみたいだ。しかし、それも長くは続かないだろう。
激しい剣戟と遠くの魔獣が雄叫びを上げる戦場で、俺は何ができるかを考える。
そして、しゃがみこんでしまっているゴカゴの元へ走った。
「今、縄を解くからな!」
「リオン……」
俺は模造刀を手に取り、魔力をこめて縄に刃を滑らす。
本来なら切れるわけないが、魔力の刃により手と手の間を剣が通り抜ける。
縄が切れて自由になった彼女は、手を押さえたままうずくまった。
「痛むのか?」
「……怖いの」
完全に戦意を喪失している少女は、震えたまま顔を上げないでいた。
激しくぶつかり合う剣の音が響き、そちらを見るとファアムとディードの
そこにクリストが棍を伸ばして男の左足を突き、よろけた隙に弾き返して体勢を整える。
「忌々しい奴らだ、もういい。終わらせてやる」
弾き返された事により少し離れたディードは、左眼をギラつかせてさらに距離を取る。
そして剣を腰に収め、破壊された馬車の手前で左手を掲げたあと、その頭上に闇が渦巻く奔流を作り出す。
次第に球体になっていくそれは、どこか見覚えのあるものだった。
そう、村でヴァルハラが使おうとしていたあの魔法に。
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