誘拐


 タンジョウの街を北門から抜けて、蛇行する街道を北に進むと、ノースヴァルトと呼ばれている森に辿り着く。

 そこは王都を結ぶ街道の途中ゆえに、中を抜けられるようにはある程度整備されている。

 とはいえゴブリンやオークなどが出るとされる森の中をわざわざ通る商人の馬車は無く、代わりに遠回りとなるがタンジョウの街の西門や南門へ続く森を迂回した街道を利用しているらしい。

 

 流石に森まで来る冒険者は少ないようで、ここに来るまでに誰ともすれ違わずに辿り着いていた。

 既に陽は傾き、野宿の準備をするクリストはカバンの底から大きな袋のような物を取り出す。


「これは魔力を流すと大きなテントになるんだ」


 人払いをして、クリストが少し離れた位置から魔力を飛ばすと、あっという間に黄色の布が織り成す三角形の大きなテントが出来上がる。


「また派手な色ね、遭難したら捜索しやすそうだけど」


 不穏な事を口走るファアムの小言に、優しい男は痛い所を突かれたような顔で笑う。

 整備されている場所とはいえ、流石に街道の真ん中でテントを建てるわけにはいかず、少し横に逸れた木の少ない広い場所で俺たちは枝木えだぎを集めて火を焚きだす。

 まだ夕方だというのに森の中は想像以上に暗く、たまに聞こえる得体の知れない鳴き声のようなものがますます不気味さを醸し出している。


「まさか森の中で一夜を過ごすことになるとはな」


 吸い込まれそうな暗闇が広がる木々の方を向く女大将に、敢えて聞こえるような独り言をクリストは呟いていた。

 彼の持ってきているテントは、魔物に見つかりにくい魔法もかかっており、例え平原で寝ていたとしてもテントの中にさえ居れば問題無くやり過ごせるらしい。


「さて、じゃあ森にも来たし、今晩の間に二人に技を伝授するわ」


 彼の小言に対して聞こえなかった振りをしたファアムは満面の笑みでそう告げる。

 俺とゴカゴは顔を見合わせて、胸に抱く不安を共有した。


「じゃあ、私の真似をしてちょうだい」


 彼女は目を閉じ、直立不動の状態で佇む。その体は程よく脱力しており、当初魔力を練っていた俺の姿勢によく似ていた。

 目をつむってから間もなくして、身体の周りを這うような光が揺らめきだす。はっきりと人の身体に魔力を見たのは久しぶりな気がする。


 そしてそれはだんだんと赤みを帯びていき、彼女の気配が威圧的なものに変わっていく。

 赤ということは火の属性だろうか。火を纏うことによる強化?

 属性を混ぜて魔力を放つ手段をまだ知らない俺は、何が起こっているのかよく分かっていなかった。


「これが準備段階よ、やってみて」


 猛禽類のような目を開いた彼女がそう言うが、俺は難色を示すように閉口する。


「どうしたの?」

「実は、属性の乗せ方がまだわからないんです」


 正直にそう明かすと、なんだそんな事かと不思議そうに眉を上げる。


「そうね、口で説明すると、とにかく身体を強くするイメージ。自分の身体を魔力で覆って、熱を上げていくの」


 とにかく強くと言われても、ピンと来なかった。

 まずはやってみるかと、同じように脱力して魔力を練っていく。

 最近は意識せずとも練れていたが、今回は敢えて意識する。身体の中心で渦巻く魔力を、手に、足に、頭の先まで行き渡るように想像する。


「私も負けないわ!」


 横で奮起するゴカゴの声が聞こえるが、俺は意識の水面みなもから深く、深くへと潜っていく。

 身体の自由さえ手放してしまいそうなほど、魔力の流れと共に回る感覚。

 

「リオンくん、回しては駄目。とどめるの」


 暗闇の中でファアムの声がこだまし、俺は困惑する。

 この奔流を留めるだって? そんな事をしたら、逆に魔力の流れを手放してしまう。

 けど、言われた通りにするしかない。師であるケンジャさんはたった一日しかいなかった分、俺は皆と一緒に魔力を回して練り上げる事しかしてこなかった。


 本当は静と動あっての形だったのかもしれない。そう考えて、流れをゆっくりと巡らせるよう意識する。

 力任せに止めるのではなく、寄り添うように。

 

 しかし、風で茂みが揺れて聞こえた音に気を取られて、集中を切らしてしまった。


「惜しいわね、でも、よく集中できてた。ゴカゴちゃんも上出来よ」


 目を開けると焚き火の明かりが嫌に眩しく感じて、薄目でファアムの顔色を窺う。

 長時間没頭していたためか、息を止めていたかのような疲労感と動悸がしだして、立っているのもつらくなり地面に座り込んだ。

 手に触れる植物の感触がくすぐったく、だんだんと落ち着いていく動悸を鎮めるのに役立ってくれた。


「これを繰り返して、体力と精神力も同時に鍛えていくのよ。そのうちコツを掴めるようになるわ」


 コツ、か。ふとブシドウの事を思い出す。彼は明らかにあの翼の男の影響を受けていたとはいえ、異常なほど魔力の操作が上手くなっていた。

 アッシュウルフを殴り飛ばした時も、確か手に赤い揺らめきを纏っていた。あの時点で、ファアムさんと一緒の実力を無意識に使っていたことがわかる。


 一瞬嫌な想像をして、思わず頭を振った。俺は俺なりのやり方を見つける。変な力に頼りはしない。

 そう決意して立ち上がり、再び練習に身を投じた。夕方になったばかりで夜は長く、その日は寝る直前まで励んでいた。


 翌日、起きた瞬間から凄まじい頭痛と筋肉痛に悩まされる。

 ファアムに告げると、昨日張り切りすぎたねと予想通りの答えが返ってくる。

 それはゴカゴも一緒なようで、可憐な少女はまるで老婆のようによたよたと歩いていた。


 特に魔物の襲撃もなく、さらにファアムが持っていた回復薬というものを分けてもらい、驚くほどの効き目で疲労感と頭痛が消え去っていく。

 午前中のうちには出発した時と同じくらい快復し、満足げな女大将に薬の出どころを伺った。


「そうね、王都では普通に売られているわ。価格は一つにつき1ウェルク金貨」

「えっ!」


 金額を聞いた少女は肩が跳ねるほど驚き、父親の顔を見る。

 クリストは相場を知っているようで、娘の驚きように笑いながら頷いた。

 金貨、と言えば呉服屋で見た記憶がある。つまり、あの服一式と同じかそれ以上の価値があるということだ。


 そんな高価なものを分けてもらって良かったのだろうかと思いつつ、気にする様子も見せない彼女は早々に魔力操作の練習を促す。

 昨日と同じこの場所をキャンプ地として、此処を中心に行動しつつ二日、三日と練習が続く。


 そして、四日目。

 女性陣は湯浴みがしたいと言い出して、近くに湖か湧き水は無いかと探索し、ついに見つけた場所から少し離れたところにテントを設置。

 流石に昼にそれをするのはとゴカゴが拒んだので、夜になるまで魔力操作の練習に励んだ後、二人はいそいそと場を後にする。


 焚き火を囲んで、二人きりになったクリストとしばらくの沈黙を分かち合う。


「ブシドウの音沙汰がまだ無いんだ」


 火を見ながらぽつりと言うその声色は、心の底から心配しているのが窺える。

 俺はゴカゴとの間だけで秘密にしている例の青の紋章について、切り出そうか迷っていた。


「ゲエテは毎晩のように連絡をしてくるよ。申し訳ない気持ちがあるんだろう、毎回掛けてこなくていいと言うのに、聞かないんだ」


 寂しそうに笑うその顔は、ここ数日でだいぶ頬がけているように見えた。湯浴みもしない髪はボロボロで、それは俺も同じ。

 彼女らが終えたあと、俺たちも入ってこようか。

 気まずい空気を払拭しようとそう提案しようとしたその時。


「何者だ貴様ら!」


 遠くでファアムの怒声が聞こえ、俺とクリストは弾かれたように得物えものを持ち立ち上がる。

 同時に自分たちを囲むような気配を感じ、火を背にして外へと剣を構えた。

 そのうち、木々の間からゆらりと影が動き、その顔に下品な笑みを浮かべた男たちが反り返った剣を手に現れる。


 彼らは一様に同じ赤褐色のバンダナを巻き、身につける服は赤と橙と黒の混ざりあった縦に雷模様のあるもの。

 その胸にはまるで雲を模したような絵があり、雷模様はそこから伸びているように見える。

 正直、服自体は相当にださかったが、そんな彼らはざっと数えて前方に三人、恐らく後方に四人はいるだろう。


「賊か」


 背中越しに呟くいつもは優しい男の声色は重く、怒りに満ちている。

 ファアムの方で声がしたということは、ゴカゴも危ない。

 

「俺たちは子供でも容赦はしねえ」

「用があるのは女だけだ、お前らはここで消えてもらう」


 初めて人間からの悪意を受けて、正直浅さを感じた。

 ヴァルハラのような底の知れない悪意と比べたら、それこそ赤子と変わらない。

 それに、数日前ならともかく、今の俺なら何とかなりそうな気がしている。


「リオンくん、いけるか?」


 クリストさんは俺を信頼してくれている。

 囲まれている今、一度に向かってこられたら困るのはこっちだ。それにあちらからすれば、炎に照らされている今の俺たちは格好の的だ。


「まずは一人やりましょう。闇に紛れた方がいい」

「同じ意見だ、行くぞ」


 小声でやり取りをして、俺は駆け出した。

 以前なら視界が赤く染まっているところだが、今は冷静で視界も明瞭めいりょうだ。

 走り出した俺を見て怯んだ男の顔は、まるで小動物のように頼りなく見える。


「なんだこいつら!」


 振りかぶって、相手が構える前にその左肩に魔力をこめた剣を叩き込む。

 鈍い感触と音が聞こえ、男の顔がゆっくりと苦痛に歪む。時間の流れが遅く感じ、まるで自分だけが加速しているようだった。


「ぐあああ!」


 悲鳴を上げる男の横を通り過ぎ、木々を避けて闇に紛れる。

 振り返ると、俺たちを囲んでいた男たちの姿がよく見え、今度は右へと移動していく。

 しかし、流石に足元までは見えずに木の枝などを踏みしめる音が派手に響く。


「おいそこに居るのは分かってるんだぞ!」


 俺が向かう先の男は震える声でこちらを向いているが、恐らく視認はできていないはず。

 奥ではクリストが同じように一人を打ち倒し、同じような状況を作っていた。


 このまま近づけば流石に危ないと思った俺は、暗闇の中でカバンから杖を取り出す。

 そして、目をしきりに動かしている男に向けて、魔力を放った。

 以前と比べてやけに巨大になった火球が爆発音と共に現れ、男は何かを言う前に炎に包まれながら派手に吹っ飛び、焚き火を巻き込みながら倒れ込む。


 賊の悲鳴がこだまする中、一瞬明るくなった周りに他の敵が潜んでいない事を確認した俺は、クリスト側の賊を倒そうと反時計回りに大きく迂回していく。


「リオンくん! ファアムの元へ行け! こっちは大丈夫だ!」


 棍による突きの一撃で賊の一人を吹き飛ばしながら、彼の必死に叫ぶ声が聞こえてきた。

 ちょうどここから右方向に行けば、ファアムの声がした方に行ける。

 奮起する父親の力を信じて、俺は暗闇の中を駆け出した。


 明かりが無いために木の根に足を取られないようにだけ注意しながら、記憶を頼りに彼女たちの元へ急ぐ。

 間もなく見えてきた開けている空間、そこには神の目からの明かりが差し込んでおり、完全な闇ではなかった。

 激しい剣戟けんげきの響きが聞こえ、未だ戦闘中であることを知った俺は彼女らの姿を探す。


 ついに見つけたファアムと、戦う賊の姿。周りには五人ほど倒れており、今立っているのは三人。

 先程撃ったために杖は使えない。俺は剣を握りしめ、木々の間から勢いよく飛び出し、後ろを向いている男の身体を貫いた。


「がふっ!」


 突然の乱入者にうろたえた二人は、声のする方に向いたのが命取りだった。


「リオン、伏せて!」


 その声と共に即座にしゃがみこむと、さっきまで立っていたところを何かが通る気配がして、顔を上げるとファアムによる回転斬りが賊二人の上半身と下半身を切り離していた。


「ファアムさん、ゴカゴは!?」

「……くそっ!」


 髪を振り乱しながら、やはり昼間は持っていなかったつばのないつるぎを持ったまま叫ぶ。

 まさか、此処に居ないということは彼女は……。


「ゴカゴ!」

「リオン、クリストは?」


 切り替えるように少女の父親の話題を出す彼女の顔は、鬼気迫るものがあった。

 歯噛みしながらも来た道を指差し、二人で駆け出す。

 ゴカゴ、無事でいてくれ。

 心を乱され足元がふらつくも、なんとか持ち直して焚き火の明かりを見つける。


 クリストの姿は、ない。倒れている人数はざっと五人で、あと二人とどこかで戦っているのかもしれない。

 俺はファアムに状況を説明し、二手に分かれていこうとした。

 その時、男の声で悲鳴が右方向から聞こえ、反射的にそちらへと走り出す。


「ビルギィン!」


 突然ファアムがそう叫び、遅れて「ラディ!」と聞こえた。間違いなくそれはクリストの声で、目が慣れてきた暗闇の中でようやく彼と合流できた。


「無事だったのね」

「そちらこそ。それより、一人取り逃した。すまない」


 申し訳なさそうな彼は眉を下げるが、俺とファアムを見て何かを察したように目を見開く。


「ゴカゴは……?」


 僅かに差し込んだ星の明かりが、首を振る彼女を映す。それを見た父親の顔は、目元が窪んでいつも以上に痩せて見えた。

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