ファアムとの出会い


「これはどういう事です? 貴方とあろう者が、なんてことをしているんですか!」


 そう詰め寄る女は、困り顔のクリストに息がかかるほど顔を近づけ、怒りの表情で睨みつけている。

 俺は顔をひきつらせながら、心の中で小さく彼に声援を送っていた。


 ──時は遡ること二十分前。果樹林から離れていき、南へ続く街道を進んでいた俺たちは、ちょくちょく見かける冒険者と挨拶を交わしながら、魔物の捜索そうさくをしていた。

 彼らもまた、魔物の生態系を調べているんだろう。なにやら紙を持って、辺りを頻繁に見渡しながら歩いていた。


 一昨日出歩いた時は一度もすれ違わなかったぶん多く見かけるということは、クリストとゲエテによるギルドへの依頼が首尾よくこなされているということか。

 時折上空を警戒しながら平和な街道を歩いていると、再び正面から女性の冒険者が歩いてきた。


 その身のこなしは隙がなく、肩、胸当て、腰、膝にそれぞれ純白の鎧を着け、それを繋ぐ網のようなものは恐らく鎖帷子くさりかたびらの部類であり、頭には羽ばたく羽根を模したティアラのような兜を被っており、ぽっかり空いた真ん中から金色の髪が覗いている。


 明らかに熟練であろうその人は、こちらを見て驚きの表情で固まったあと、大股で真っ直ぐ向かってきた。

 これは何かやばそうだぞ、と雰囲気を察した俺は歩みを遅くする。詰め寄る方向の先に位置するクリストの表情は、後ろから見ても分かるくらいに引きつっていた。


「クリスト!」

「や、やあ」


 凛とした声で怒気を帯びた声を投げつける彼女は、髪を揺らしてたじろぐ彼にどんどん近づいていく。

 そして、息がかかるほどの距離まで顔を寄せながら、先程の発言をしたのだ。


 身を案じているのはわかるが、あまりに遠慮のない行動に、隣のゴカゴは今にも文句を叫びそうだ。


「この前そこに居る貴方の娘が攫われたというのに! 貴方自身が連れ回すなんて!」


 ゴカゴを手で指す彼女は、唾が飛びそうなほど力強く叫ぶ。

 ごもっとも過ぎる発言に冷や汗をかいたのは俺の方で、言われるがままのクリストはただのとばっちりだった。


「ちょっと!」

「まあまあまあ」


 父を攻撃する様が許せない娘が指を差しながら前に出ようとするが、俺は急いで彼女の前に立ち、歩みを阻むように両手を前に出す。

 ここで怒り狂う彼女が参戦したら、さらに話がこじれそうだ。


「仰ることはごもっともです。面目ない」


 反発することなくしおらしくする少女の父親がそう言った事により、鼻息を荒くする肝心の娘はまた何かを口走ろうとするが、しばらくしてからため息が聞こえ、顔だけ振り向くとクリストに詰め寄る彼女が距離を置いて吐いたものだと分かった。


「まあ、貴方のことですから考えがあるのでしょう。それに、私は遠征していた身なので強くは言えませんし」


 強くは言えないと言いつつ、既にかなりの攻撃力を発揮している彼女は、クリストの言葉に小さく笑みを浮かべる。

 しばらく見つめ合っていたのちに、その視線がこちらに向いた。


「初めまして、二人とも。私の名前はファアム。お父さんとはこう見えて仲がいいから安心してね」


 気の強そうなつり目に笑い皺を作り、少しだけ腰を折って快活な紹介を交わした彼女は俺とゴカゴを交互に見つめる。


「貴方、その髪は……」


 目を見開いた彼女は俺の髪色に言及しようとするが、きゅっと唇を引き締め、クリストの方へ振り向いた。


「で、どこに向かうの? 言っとくけど、この先はかなり危険よ。さっきだって、ゴブリンの群れがいたもの」


 くだけた口調に変わったのは、冷静さを取り戻したからだろうか。そういえば父も怒るとそんな感じだったなと思い出す。


「実は、ブシドウを探しているんだ。君も知っているだろう?」


 ファアムに合わせて敬語を外したクリストは、深刻な顔で切り出す。

 

「ええ、知っているわ。何か、あったの?」


 少女の父親は鋭い目付きの彼女にある程度説明したあと、力無く肩を落とした。


「そう……でも、どうしてこの子たちを外へ?」

「私たち、強くなりたいんです。一刻も早く!」


 ゴカゴが叫ぶように言うと、呆気に取られた彼女は失笑したあと、困ったような顔で再びその父親へと視線を向ける。


「お転婆だとは聞いていたけど、貴方と違って勇敢ね。でも、まだ早いわ」

「今からじゃないと間に合わないんです!」


 声を張り上げるゴカゴに、ファアムはしゃがみこんで見つめ合う。

 その際に重い金属が当たる音がして、胸当ての隙間から見える身体を見えたために俺は目を逸らした。


「ゴカゴちゃん、強くなりたい気持ちはわかるわ。でも、こういうのは大人に任せて。危険に自ら飛び込まないで」


 俺は彼女の言葉に、納得がいかなかった。自ら飛び込まなくても突然やってくる脅威に、何も出来なかったからこうして無茶を自覚してやってるんだ。


「あの」


 眉を上げる彼女は、こちらを向いた。長いまつ毛が揺れ、薄紅色の唇を僅かに尖らせる。


「危ないのは分かってます。でも、だからと言って俺は納得できません。俺の村は、いきなり襲撃されたから」


 頭に浮かぶ光景を懸命にかき消しながら、唇を噛んでファアムを見つめる。

 すると彼女は悲しそうに眉を下げてから目をつむって、俺たちが教会でいつもやっているお祈りと同じ仕草を取る。


「……貴方のような子を、私は何人も見てきたわ」

「だから何ですか? 確かに俺は子供かもしれない。でも、だからと言っていまさら誰かが奴を殺すのも納得がいかない。俺は、俺の手で奴に復讐したいんだ!」


 しゃがみこんでいた彼女は厳しい表情のまま何も言わず立ち上がり、俺に背を向けるように来た道の方へとゆっくり歩き出す。その背には鎧を撫でるように金髪が棚引いている。


「どこに行く気ですか!」

「どこにも行かないわ」


 追いかけようとするゴカゴに、抑揚のない声で髪を揺らす彼女。


「ただ、少し昔を思い出していただけよ」


 思わせぶりに語る背中は、どこか寂しげだった。

 

「ファアム、君が此処に居るということは」

「ええ、王都に呼ばれていたの。ここに寄ったのは貴方の娘のためよ、クリスト」


 二人の会話を聞いた少女の顔が、気まずそうに歪んで下へと向く。

 ケンジャさんと同じ理由、ということは、彼女がいわゆる国の要人か。


「そうだね、元々西の調査に行っていた君が此処に来ることはないはずだから」

「とりあえず、無事で良かったわ。でもこうして会うのは八年ぶりかしら、この子は覚えてないでしょうけど」


 二人の会話が続く中、俺は忘れ去られた気がして少し苛立った。


「あの、俺は」

「分かってるわよ。復讐したい奴がいるんでしょ? それは人間? それとも魔物かしら?」


 想像していたよりも冷たい目で見られた俺は、言葉を出せずに口ごもった。


「リオンを襲ったのは人型の化け物よ」

「人型の?」


 代わりに答えるゴカゴだが、それ以上は知らないためにそのまま押し黙る。

 その時、足元に高速で動く影が映り込み、思わず上空へと顔を向ける。


「バルトゥルだ!」


 だだっ広い平原に突っ立っている獲物を容易に見つけたハゲ鳥が、嬉々として上空を旋回している。

 クリストの動きは早く、既にカバンを下ろして棍を構えていた。

 しかし、奴は空中で速度を落としたあと、その尖ったくちばしを縦に開き、口の中に光が見えたかと思うと何かを高速で飛ばしてきた。


「うわっ!」


 飛び退いた際に彼の長髪が揺れ、元居た場所に着弾する溶解液のような液体。

 整備された街道の上に根性強く生えていた植物が、あっという間に茶色く変色していく。

 あいつ、あんな攻撃までしてくるのか!

 嘲笑うように再び旋回をするバルトゥルは、不快な鳴き声を上げる。


「仕方ないわね。リオンくん、だったかしら」


 鎧を鳴らして前に出たファアムは、無手だったはずのその手に弓を持ち、何もつがえずに右手で弦を引いていく。


「貴方、魔力は使えるの?」

「は、はい」

「じゃあこれが見える?」


 すると、何も持っていなかったはずの弦を引いた手からゆっくりと矢筈やはずが現れ、続いて羽根、そして長いシャフトが弓の先へと伸びていき、銀に光る金属上の矢尻を映した。

 驚愕きょうがくする俺を横目に見た彼女は、ふっと鼻を鳴らす。


「まずは合格ね」


 呟いた彼女が右手を開いた瞬間、勢いよく放たれた矢は音を切り裂き、動くバルトゥルへと向かう。

 しかし奴は不規則に動いて、迫る矢を紙一重でかわした。


「ああ!」


 叫ぶゴカゴを見て、からかうように鳴くバルトゥル。

 だが、通り過ぎたはずの矢がその身体を後ろから貫いた。


「えっ!?」と少女はうろたえた。


 俺は見えていた。一度外した矢が軌道を変え、追尾するように魔物に向かうのを。

 それをどうやったかは分からないが、結果に焦りを見せない彼女は、間違いなく狙ってやっていた。


「さ、あとはトドメをお願いね」


 致命傷を受けるも地上への激突をなんとか滑空でまぬがれたバルトゥルが、細いが三つの鉤爪かぎづめを持つ脚で地面へと着地する。

 俺は模造刀を抜いて、よろめく背中目掛けて駆け出す。


「リオンくん!」


 クリストの叫びに気づいたハゲ鳥がこちらを向き、姑息そうな顔を歪ませる。

 距離はもうほとんどなく、間違いなく当てられる距離。

 だが、咄嗟に奴はその翼を横にふるい、身体への傷を避けようと盾のように向けた。

 俺は頭の中で朝のクリストが言ったことを思い出し、魔力を練り上げて剣を突きの体勢で構える。


 そして、その手に魔力の渦を乗せて、一直線にバルトゥルへと突き出した。

 刃の付いていないはずのそれは赤い光を帯びて奴の翼に突き刺さり、勢いのままに深く刺さっていく。


「グェェエエ!!」


 身体にまで達したんだろう。断末魔の叫びを上げてバランスを崩した奴ごと、俺は倒れ込むように覆い被さった。


「リオン!」


 荒い息を繰り返しながら立ち上がり、剣に体重を預ける。

 遅れて飛び出したであろうゴカゴの駆け寄る音が聞こえ、俺は振り向かずに弱々しく手を挙げた。

 魔力を乗せただけでこうも息切れするなんて、燃費が悪すぎる。


「やった、これは状態がいい!」


 嬉しそうなクリストはすぐさまバルトゥルの羽根を触り、一つ一つ抜いていく。


「あの、クリストさん。すみませんが肩を貸してほしいです」

「あ、ああすまない」


 我に返った彼に支えられ、しばらく深呼吸を繰り返した。


「その歳で魔力を剣に乗せるなんて、大したものだわ」


 口元に皺を作った彼女は、模造刀を引き抜いてこちらに柄を向ける。

 先程まで使っていた弓は既に無く、それそのものが魔力で作られたものだと悟った。


「ありがとうございます」

「でも、まだまだね。安定してないし、一気に放出し過ぎてる」


 模造刀を受け取った俺に容赦のない発言をするファアムだが、先程の冷たい目ではなく、どこか懐かしいものを見る目でこちらを見下ろしている。


「クリスト、この子は誰に魔力の使い方を教わったの?」

「ケンジャさんだよ」

「ああ……」


 何かを納得したように険しい顔で小さく頷く彼女は、頭のティアラを外して頭を振り、重力に従って金色の髪が顎下までさらりと落ちる。

 その姿に少し見とれてしまい、目が合って視線だけ逸らした。


「じゃあほとんど教わってないも同然ね。だって、彼も呼ばれたんだもの」

「ああ、その通りだ」


 教わったのはたった一日だと知ったら、勝ち気な彼女でも驚くだろうか。

 少し見返してやりたい気持ちもあったが、機嫌を損ねる行為をわざわざするのもなと考え直した。


「じゃあ、私が教えてあげるわ。もちろんゴカゴちゃんもね」

「本当ですか!」


 思わぬ発言に色めきたったが、見たところ彼女は魔法使いではなさそうだ。でも、弓を魔力で作っていたし、相当な実力者というのはわかる。

 そんな考えを見抜かれたかのように、髪をかきあげて片手を腰に当てる女戦士は微笑んだ。


「ええ、私は魔法使いではないわ。でも、なにも魔法使いだけが魔力の扱いに長けているわけじゃないの」


 確かにブカッツもフォクセスも、攻撃に魔力を乗せていたし、しかも息切れすらしていなかった。

 既に見た実例を思い出し、俺は納得して頷く。


「でも、いいのか? 王都に行かなければならないんだろう?」

「ケンジャが行ったならしばらく大丈夫よ。それに、この子たちを守ってくれる人が必要でしょう?」


 何故か俺に視線を送るファアムは、不敵な笑みを浮かべて楽しそうに喋っている。

 願ったり叶ったりの展開ではあるが、ケンジャさんと違いスパルタの気がある彼女の指導を想像して、不安を感じずにはいられなかった。


「とりあえず、この先に森があるの。方角としては北よ。メオウェルクの南にある森よりはまだ安全だから、そこに向かいましょう」

「ファアム、そこにはゴブリンの群れがいるって」


 娘を危険に晒さないための配慮か、慎重な父親は彼女の発言を掘り返す。

 しかし、じろりと彼を見た女大将は却下の意を込めて口を開いた。


「私がいるから大丈夫。しばらく街に戻らないだろうけど、貴方たちは野宿の準備もしてあるみたいだし。それに」


 おもむろに横に手を伸ばし、伸ばした手が手甲てっこうごと空間に溶け込んだ。

 マギさんの魔法と同じやつだ! 思わずそう叫びそうになり、息だけを吐いた。


「私にも備えがあるからね。一人旅用だったけど、少しぐらいなら外にいても問題ないわ」


 戻した手には何も握られていなかったが、口ぶりからして食料などがあるんだろう。

 一旦口を閉じて彼女は、俺とゴカゴをゆっくりと見渡す。


「分かってると思うけど、私は厳しいわよ。鍛えるからには、子供でも容赦しないからね」

「ファアム!」


 語気を荒らげる父親と、顔を背ける女大将。力関係は明白で、俺は期待と不安に胸を踊らせながら、ゴカゴと顔を合わせる。


「がんばろうっ」


 少女は久々の笑顔を見せ、俺は頷いた。

 ブシドウは今どこに居るのか。手がかりは何も掴めていないが、まずは強くなることが一番の近道だと信じよう。

 生意気に笑う顔が脳裏に浮かび、俺は拳を固めた。

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