もう一度


「ゲエテさん?」


 門番であるはずのゲエテが何故かギルドに居て驚いたが、彼の方も当然驚いたはずだ。


「なんでここに? さては、お使いかなにかか?」


 にやりと悪戯っぽく笑う彼だったが、ゲエテにも事情を伝えることにした。


「実は……」

「ちょっと待った、外で話そう」


 笑みを浮かべていたが何かを察したんだろう、真剣な顔で彼は出入り口の扉を指差した。

 外はぽつぽつと雨が降ってきており、それに併せて人もだいぶ減っているようだった。


「雨か……とりあえず教会に行くか」


 口角を上げて提案した彼と、並んで歩いていく。


「で、何かあったんだろ? どうした、英雄様がそんなしけたつらで」


 彼なりの思いやりか、英雄様呼びに苦笑しつつ、俺は教会での出来事を話し出す。

 それを聞くうちにどんどん彼の顔色が険しくなり、聞き終わる頃には深刻な表情で教会方向を見据えていた。


「あいつ、なんでそんな事を」


 俺の気持ちを代弁するかのようにゲエテは呟き、歩みを早めた彼になんとかついて行く。


「あの、大丈夫なんですか? 用事とか、門番の仕事とか」

「ん? ああ、今日は非番だよ。本当はあの後帰るだけだったんだが、それどころじゃあねえだろ?」


 雨足もだんだん強さを見せて、逃げ帰るように教会に辿り着く。

 まだ昼間だというのに既に暗く、外のランプも点けていない教会はまるで廃墟のようだった。

 ゲエテと共に珍しく閉まっている教会の扉を開けると、中央二列のうち左側の長机に座っているクリストの背中が見えた。


 開閉音に気づいたクリストは振り返るが、俺たちの姿を見て少し落胆したように表情に影を落とす。

 彼は立ち上がり、ゲエテの顔を一瞥したあと、俺の方へと顔を向ける。


「ブシドウは見つからなかったんだね」

「……はい、でも、ガルマさんに話を聞いてもらって、任せろって言ってくれました」

「ガルマって、あのガルマさんか?」


 横に居たゲエテは驚いたように声が跳ね、何故かわざとらしくたじろいでいる。


「はい、そうですけど」

「まさかリオンがあの人と知り合ってるとはね、おいらでさえ話したこともないのに」


 自虐的に呟く彼ははっとして、ごまかし笑いをしながらクリストと俺を交互に見る。


「ゴカゴが酷くショックを受けていてね、リオンくん。ちょっと話してやってくれないか?」

「お嬢……」


 憔悴しょうすいした顔で申し訳なさそうに言われると、こっちまで悲しくなってしまう。

 でも、悲しんでいる場合じゃない。今はゴカゴを励まさないと。なんて言えばいいか分からないけど、考えてても駄目な気がする。


 部屋の場所をクリストさんに教えてもらい、足早に向かう。背中からは二人の会話が微かに聞こえていたが、俺は聞かないようにしながら部屋の扉を探し当てた。


 ノックをする寸前で一瞬迷って、軽く二回ノックした。

 返事は無い。もしかしたら泣き疲れて寝ているのか。

 色々と考えていると、扉が独りでに開いて、中には酷い顔をしたゴカゴが立っていた。


「ゴカゴ……」


 彼女は無言で入るよう促して、俺が入ると同時に扉が閉まる音がした。

 簡素な部屋だ。右手にベッド、奥に窓があり、倉庫の左側部分が見える。教会の左側奥に位置するこの部屋は、初めて立ち入る場所だった。

 

「リオン、ブシドウは?」


 消え入りそうな声を背中に受けて、ここから居なくなりたいほどのやるせなさが頭の中で渦巻き出す。


「見つからなかったけど、ギルドマスターに話したら任せろって」

「そう」


 素っ気ない返事をして彼女は、かたわらのベッドに力無く腰掛ける。

 何を話せばいいのか分からないまま、窓を打つ雨音と流れる雫を見つめていた。


「ブシドウ、様子が変だった」


 思ったことをとりあえず話そう。無言で返すゴカゴに、あの時抱いた違和感をゆっくりと話し出す。


「あいつ、急に凶暴化したというか、何かが乗り移ったような変わりようだった。首元もなんか青く光ってたし」


 次第に激しくなる雨音が、俺の鼓動と重なる。


「昨日、さ。あいつ、素手でアッシュウルフを殴り飛ばしたよね。あの時から、ちょっとおかしいなって思ってたんだ」


 時折ゴカゴの顔を見下ろすが、彼女は伏し目がちに一点を見つめたまま動かない。


「まるで、何かに力を与えられたような、そんな変わりようだった」

「ねぇ」


 ようやく口を開いたゴカゴだったが、その声色は恐ろしく冷たかった。


「そんなこと、どうでもいいの。これ以上、あいつの話を聞きたくないの」


 らしくない発言だと思った。でも、原因はそれとなく察していた。

 彼の発言、聞かなくてもわかる。禁句だったんだろう。

 外から地響きのような音が聞こえ、それは村に居た頃に恐れていた雷鳴の音だった。

 外の激しさとは一転して、苦しい沈黙が続く。


 俺に、慰めることなんてできない。

 でも、彼女は何度も慰めてくれた。それなのに俺はすぐ諦めるのか?


『よわむしリオン』


 激しい雨音に混じって、声が響いた気がした。

 そうだ、俺はよわむしだ。いつまで経っても、すぐに弱音を吐いてしまう。

 あの日捨て去ったはずの感情をこの街に来て拾い上げてから、ただのよわむしに逆戻りしている。


 俺は何がしたい? 何のために生きている?


 突如、目が眩むような閃光が窓一面から放たれる。遅れて聞こえてくる爆撃のような雷鳴が続く。

 見ると、ゴカゴは耳を塞いで震えていた。心に穴が空いたように見えた彼女は、あの時の少女のようにただただ怯えていた。


 続けて鳴り響く天の怒りは、さらに雨足を強くさせる。

 俺は彼女の正面に立ち、少ししゃがんで頭を抱えるように引き寄せた。

 彼女から伝わる振動が、悲しみが、恐怖が、俺の中に入ってくる。

 そして、彼女はぽつりと呟くように口を開いた。


「あの時、ブシドウ、言ってた。触られた、って」


 最初はなんの事か分からなかったが、俺は記憶を呼び戻して遡っていく。


「翼の生えたあいつに、触られたって」


 思わず目を見開いたと同時に、強い雷鳴と共に光が入り込む。

 脳裏に蘇る、彼の首元にあった青い紋様。

 まさか、ブシドウがおかしくなったのはあの時現れたヴァルハラと同じ見た目の……あいつの、あいつの仕業なのか。


 彼女の中で引っかかっていた部分だったんだろう。それに俺はあの時、周りを気にする事ができるほど冷静ではなかった。ブシドウがそんな事を言っていたなんて初耳だ。


 ただただ震える彼女を強く抱き締めて、ヴァルハラの下卑た声と顔を浮かべる。

 あの時現れたあいつが、あいつの刺客なんだとしたら。

 あの外道は、また俺から奪おうとしているという事になる。

 俺から、大切な人をまたしても。


 歯が削れるほどの力で食いしばり、その際に唇が切れた音がした。

 血の味が口の中で広がり、視界が真っ赤に染まっていく。

 俺はゴカゴを強く抱き締めすぎないように、代わりに浮いた拳を固く握り締めた。

 全てが怒りで染まっているのに、鬱陶うっとうしいことに涙が出てくる。

 悔しさと、怒りと、哀しさが混ざり、わけの分からないやり場のない感情が、内側から洪水のように溢れ出てくる。


 力、力があれば。俺に奴を殺せる力があれば。

 何故、俺はいつも無力なんだ。何故、いつも奪われるんだ。何故、あいつらは奪おうとするんだ。

 理不尽だ、力ある者が弱者から奪うだけの世界。

 復讐すら生ぬるい。絶やさねば。奴らの種族を。血筋を。痕跡を。


「リオン」


 ゴカゴの声で、深い水底から這い上がるように意識が戻ってきた。


「リオン、震えてる」


 ゴカゴは、俺の身体に腕を回して抱きつくように顔を胸に付ける。

 違う、これは悲しみで震えてるんじゃないんだ。

 怒りに染まった自分を恥じながら、俺は手の力を抜いた。爪がくい込んだ手のひらには、爪の形に出血している箇所が並んでいた。


 雷光と雷鳴は収まらず、叩きつけるような雨が降り続け、やがて夜になった頃も変わらずに窓を叩くような音が聞こえ続けていた。

 ゴカゴを寝かしつけた俺は立ち上がり、悲しそうな寝顔を目に焼き付けて部屋を後にする。


 教会にクリストの姿は無く、ゲエテと共に出かけているのかと考えを補完した。

 出入り口の扉を開けると、凄まじい雨の音が入り込み、風と共に雨が顔にかかる。

 お構い無しに外に出て扉を閉めた俺は、しばらく雨に打たれていた。


「リオンくん!?」


 どれくらい雨に打たれていただろうか。クリストの慌てた声が聞こえてきて、座り込んでいた俺は目を開ける。

 慌てた表情の彼は俺の身体を抱き抱えるように持ち上げ、教会の中へと入っていく。

 クリストも濡れているだろうに、風呂場に連れていかれて衣服を脱がされ身体を拭いていく。


「どうして外に居たんだ」


 泣きそうな声でそう言いながら手際よく拭き終わった彼は、新しい着替えを俺に着せていく。

 されるがままになっていた俺を、再び抱えた彼はいつも俺が寝ている部屋に入っていく。

 ベッドの上に優しく下ろされ、髪から雨が滴るのを手で受け止めながら、急ぎ足で出ていった。


 ただただ、天井のぼんやりした明かりを見つめている。

 俺は無力だ。魔力を飛ばせる程度で、魔法すら放てない。

 手を天井に向かって伸ばし、歯噛みする。

 ブシドウは戻ってこず、ゴカゴはあの様子だ。クリストも憔悴しており、今日の朝までの世界が完全に壊れてしまった。

 ヤケになって伸ばした左手から魔力を放出する。すると、明かりが消えて完全に闇になった。

 

 そうか。魔道具だ。クリストは言っていた、魔道具はやがて戦争に使われるようになったと。

 もう一度魔力を放出すると、煌々と輝くような強さに光る天井灯。

 俺は机の上に置かれたカバンから、マギから貰った杖を取り出した。


『強くなるための近道はあると言いたかったのです。そう、ただ取り込めばいいのです。どんなにか細い光でも、沢山取り込めば次第に大きくなる。そうでしょう?』


 そもそも、魔道具の仕組みとはなんだ?

 なぜ魔力を込めるだけで魔法が放てる?

 俺は杖を眺めて、なんとかこれをと考えた。

 思い出したくもないけど、あの時あいつが言っていた言葉。あれは、魔法について言っていたはずだ。

 取り込むとは、魔力の事。俺は魔物を倒したらそれができると思っていたが、それ以外にも道はあるんじゃないかと考えた。


 大魔法使いが生み出したとされる魔道具、これを紐解ひもとけば魔物を倒さずとも魔力を高めることが出来るかもしれない。

 俺は一晩中杖を触り続け、雷鳴や雨音すら気にならなくなった頃、いつの間にか眠ってしまっていた。


 雨は止んだか。光こそ差してないが、恐らく朝だろう。

 手に持っていた杖からは、結局魔力は取り出せなかった。それもそうだ、そもそも魔力を込めるものなんだ。取り込めるわけがない。


 杖をカバンの中に仕舞い、そのまま腰に装着する。服装としては薄茶色のジャケットに白いシャツ。下は黄土色の長ズボンに履き慣れた柔らかい革の靴だから、このまま外に行っても特に問題はない。

 扉から出ると、いつものように祈りを捧げるクリストの姿があり、それを一瞥したあと教会から出ていこうとした。


「どこへ行くつもりだ」


 彼は目をつむっていたはずだが、流石に音で気づかれたか。

 扉の前で振り返ると、立ち上がってこちらを向いているクリストの姿があった。


「ちょっと、散歩しに」

「杖の入ったカバンを着けて、か?」


 どうやらすっかりお見通しのようだ。


「……ちょっと待ってなさい」


 そう言って背を向けた彼は、ゴカゴが寝ている部屋をノックして入っていく。

 その隙に外に出ても良かったが、そうした所ですぐに捕まると思いとりあえず待っていた。


「リオン……」


 中から眠そうなゴカゴが出てきて、俺の姿を見て何かを察したように目を開く。


「私も行く」

「別に、どこかに行こうってわけじゃないよ」

「嘘よ!」


 眉を釣り上げて、ゴカゴは叫んだ。そして、全速力で長椅子を迂回して中央の通路からこちらに走ってくる。

 それは容易に避けられる速さであったが、彼女が飛びついてくるのを敢えて避けはしなかった。

 しかし勢いは想定しておらず、二人して吹っ飛んで扉に当たり、その拍子に開いたせいで外に転がり出る。


「いってぇ」

「リオン!」

「はい!」


 いつの間にか両手を顔の横に突きつけて、覆い被さるようにこちらを見つめるゴカゴに名前を呼ばれ、つい改まってしまった。


「私も、行く!」

「だから……」

「外に行くんでしょ? 分かってるわよ」


 とことん心を読まれた気分になって、何も言えないまま閉口した。


「お父さん!」

「分かった分かった。私も行くよ」


 え、クリストさんも行くのか?

 いや、駄目だ。決心した心がすぐ揺らいでいるようじゃ、奴らは殺せない。もうこの人たちとは関係ないんだ。


「リオン、怖い顔しないで!」


 頬っぺを両手で挟まれ、情けなく口が尖る。

 思えば、出会った時から彼女には主導権を握られっぱなしな気がする。


 大の字の状態でいると観念したと思ったのか、ようやくゴカゴは上からどいてくれた。

 しかし、そのまま彼女は見下ろすように足元に立ち、指を差して叫ぶように言った。


「いつまでクヨクヨしてるの! それに、模造刀、忘れてるわよ!」


 彼女が続けて指差した先には、教会の入り口に立て掛けた相棒があった。


「ゴカゴ」

「なによ」

「ありがとう」

「うるさい」


 彼女が差し出した手を取り、立ち上がって互いに笑みを浮かべる。

 俺は強くならなければならない。俺の大切なものを今度こそ護るため。

 雲の切れ間から強い光が差して、迎えるように風が吹く。

 いつの間にか作られていた、鞘に入った模造刀を背負い、同時に父の想いを抱いた気がして、静かに息を吐いた。

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