訪問者


「荒療治が効いてよかったわい」


 額の汗を拭うような仕草をして、涼しい顔でケンジャは言った。

 

「爺さん! これで俺たち魔法使えるんだよな!」

「何を言っておる、これはただの魔力操作の基礎じゃ。お主らは属性を混ぜる方法を知らぬじゃろう?」


 口をへの字に曲げて、深い眉間の皺が彼の疑問の大きさを表しているようだった。

 属性を混ぜる、ということは、この渦巻く中にぽいっと投げ入れる感じでいいのかな。


 手を下げたまま目を閉じて、再びお腹の中心へと意識を向ける。

 少しずつ魔力を感じていく過程が癖になりそうだ。

 濁流のような魔力の中に、自分が思い描いた属性を入れてみる。火、いや、光がいいか。いや、そもそも何を想えばいいんだ?


 肝心の材料の種類に気を取られてしまい、魔力の感覚を手放してしまう。

 もう一度実行しようとするが、酷く体力を消耗するのか、息が切れて上手くいかない。


「焦るでない、リオンや。お主らがやっている動作を、儂は魔力を練ると呼称しておるが、今はそれをするだけで全力疾走したのと同じくらい疲れるじゃろうて」


 ケンジャさんの言う通り、確かにその脱力感に似た疲れが全身を襲っている。

 ブシドウは天を仰ぐように地面に大の字になり、ゴカゴは重心を左に寄せた状態で座り、右方向へと両足を流していた。


 空を見上げると、先程まで晴れていたのにやけに雲が多くなり、太陽はすっかり分厚い雲に呑まれていた。

 なにか不吉な予感がして、俺はケンジャさんへと目を向ける。


「儂はあくまで、方法を教えるに過ぎん。強くなるための近道なぞ無く、ただ毎日繰り返すことが大切なんじゃ」

「ありますよ」


 その声は、突然聞こえた。誰も居なかったはずのケンジャの後ろから、無機質で冷たくて、聞くだけで悪寒がするようなおぞましい声が。

 瞬間的にぞくりと背筋が凍り、と似た感覚に体の震えが止まらなくなる。


 ケンジャは張り詰めた顔で黒目を右に寄せて、背後に集中している。

 彼の後ろから緩慢な動きで、声の正体が現れた。

 陶器のような白い肌、しかし生気を感じないそれは不気味でしかなく、整った顔立ちが余計にそれを演出する。

 淡い青緑色をした髪は何かで固めているのか、後ろに向かってき上げており、眉毛のない目は充血したように真っ赤だ。

 さらに耳の先は尖っており、人間のそれとは異なる見た目をしている。


 そいつは考え込むように顎に手を添え、音も無く歩いている。周りから音を消し去ったような静寂が周りを包み、俺もみんなも動くことができずに彼の一挙一動に注目する。


「あ、失礼。通りかかった際になにやら間違った事を仰ってる方がいたので、老婆心ながらつい声が出ていました」


 彼は表情を崩さないまま、丁寧な口調で声を発する。

 その所作でさえ、俺の身体の内側からかき乱されるような不快感をもよおし、思わず身悶えしそうになるのを我慢した。


「……誰じゃ」

「名乗るほどの者ではありません、そのうち分かりますから」


 彼は黒の服に黒の蝶ネクタイをし、少し余裕のある黒のズボンを履きこなし、先の出っ張った靴を履いている。

 ただ、俺はそれよりもその背中を凝視してしまう。

 そこには、折りたたまれた柔らかそうな羽毛が見え、どう見ても翼にしか見えないものが生えている。


 俺はこの見た目と似た奴を知っている。

 どんどん頭の芯が冷えていくのがわかり、周りの景色が引き伸ばされていく。


「おや」


 こちらに気づいた男が、初めて手を下ろした。


「あなた、匂いますね。の友人の匂いが身体からします」

「その子に近づくな」


 こちらに向いて歩き出そうとした彼に、右手を向けるケンジャ。その顔は見たことの無いような殺気を纏い、目には覚悟が宿っている。


「これは失礼。どうやらまた老婆心ながらに勝手なことをするところでした」


 再び顎に手を添えて、青紫の唇を邪悪に引き上げて笑みを浮かべる。

 俺は自分の身体の震えを止めようと右手首を押さえるが、止まってくれない苛立ちに歯噛みする。


「余が姿を現した理由はひとつ、強くなるための近道はあると言いたかったのです。そう、ただ取り込めばいいのです。どんなにか細い光でも、沢山取り込めば次第に大きくなる。そうでしょう?」


 青い舌でゆっくりと唇を舐め取る仕草が、あの日の記憶を呼び覚ましていく。

 鋭い痛みが頭に走り、立ってられなくなって膝を折るように座り込む。

 警鐘のように鳴り響く心臓が、全身を使って脈打っている。


「そんな怖い顔をしないでください。余はそう、ただ通りかかったに過ぎないのですから」


 奴の声が聞こえたが、それどころじゃなくなって胸を押さえて倒れ込む。まぶたの裏でぐるぐると記憶の光景が回り続けて、空中に浮かんでいるような酷い感覚にうなされた。


「リオン!」


 力強い声。ケンジャさんだ。駆け寄ってくる気配がして、頭の後ろを腕で抱えられているのがわかる。


「しっかりするんじゃ! リオン!」


 かろうじて目を開けると、必死の形相で叫ぶ彼の姿がある。

 他のみんなは、ゴカゴは、ブシドウは無事だろうか。


「ああ、無事じゃ。安心せい」


 声に出ていたのか、ケンジャは強く頷く。

 少しずつ呼吸が落ち着いてきて、動悸も収まってきた。

 ふわふわと浮ついた感覚がまだあったが、焦点が合うようになっただけましか。


「大丈夫です」


 俺は身体に力を入れ、自分の力で上体を起こした。

 周りを見ると、へたりこんでいる二人の姿が見え、自分よりは深刻そうではなくて安心した。


 未だにこめかみに脂汗を流しているケンジャは、ゴカゴの元へ歩いていく。

 空は今にも雨が降り出しそうで、黒ずむ模様が不敵に笑っているように見える。


「みんな大丈夫か!」


 後ろからクリストさんの叫ぶ声が聞こえ、振り返るとそこには剣のようなものを両手で構えて立っている彼の姿があった。

 あれは、俺の模造刀だ。あの日以来すっかり忘れていた。


「クリスト、緊急事態じゃ。奴らは恐らく、もう動き出しておる」


 クリストに歩み寄るケンジャの背中には、いつもの穏やかな気配は無い。


「そんな、私はどうしていれば」

「この子たちを護るんじゃ。頼んだぞ」


 そう言ってケンジャは何かを唱えると、彼の身体の周りに風の渦が回り出す。さらに木の葉まで立ち上がり彼の身体をすっぽり隠すように渦がどんどん上に伸びていき、一気に霧散したと思ったらそこに彼の姿は無かった。

 

「行ってしまったか……」

「リオン、大丈夫?」


 背中にゴカゴの声を受け、顔だけ振り向いた俺は無言で頷く。しかし、安心させるような笑みを浮かべることはできなかった。


「あの野郎、俺の身体を触っていきやがった。気持ち悪ぃ、なんなんだあいつ」


 未だ震える身体を押さえて、ブシドウは悪態をつく。

 奴は、多分ヴァルハラと同じだ。翼を持ち、青い舌、金属を擦り合わせたような不快な声色。

 

「窓から見ていたが、奴は一体なんなんだ」


 よく見ると、長机がある会議室の窓が開いており、そこからクリストさんは飛び出してきたようだった。


「何か知ってそうなケンジャの爺さんは行っちまうし、魔法は中途半端だし、これからどうするよ」

「ブシドウ、震えてるじゃない。……少し休みましょうよ」


 休む、か。休んでいる場合だろうか。

 震える手で拳を作り、深く息を吐く。魔力を扱えるようになって初めてわかる。奴が纏っていたおぞましい魔力は、俺との異次元的な実力差を突きつけてきた。

 知らない方が良かった。その方がきっと幸せだっただろう。


「リオンくん、ゴカゴ、ブシドウ。家に、入りなさい」


 憂う表情のクリストは剣を下ろして、静かにそう言った。


 沈黙のまま、四人でお祈りを捧げている長椅子に並んで座り、胸に手を掲げて目を閉じる。

 何に対して祈るのか、祈りの意味はなんなのか。再び村の記憶を思い出したせいで荒んだ俺の心は、この行動の意味を見いだせない苛立ちに襲われていた。


「ケンジャさんは、再び王都に行ったんだろう。恐らく、西の魔物が動き出したか何かで」


 右隣に座ったクリストさんは、目をつむったまま独り言のように語り出す。


「私には、何もできない。たとえ君たちが魔法を覚えたんだとしても、外に出したくはない。これは私のただのわがままだ」


 いつもの穏やかな口調ではなく、まるで懺悔ざんげをするかのような低い声で淡々と喋るクリスト。

 彼以外は誰も声を出さず、広い教会が彼の声を重く反射している。


「今となっては、こうして祈ることしかできない不肖ふしょうの父を、恨んでくれ」

「そんなことない」


 奥に座るゴカゴの力強い声が凛と響く。


「お父さんは私たちのことを、本当に想ってくれている。優先してくれている。恨みっこないわ」

「そうだぜ」


 ブシドウは立ち上がり、クリストを見下ろしながら言う。


「ゴカゴが攫われた時も、真っ先に外に捜索をしに行ったこと、俺は知ってるんだぜ。俺のことは連れて行ってくれなかったけどな」


 少し根に持った言い方で言う彼に、うっと俯くクリスト。

 それを見て悪戯っぽく笑みを浮かべたあと、真剣な顔つきで俺を見つめる。


「だいぶ遅くなったが、礼を言うぜリオン。ゴカゴを助けてくれてありがとう」


 真っ直ぐ頭を下げる彼の姿を見て、荒んでいた心に爽やかな風が吹いた気がした。


「ブシドウ……」

「よし、これでおあいこだな」


 勝ち気に笑う彼の言葉に疑問符を浮かべるゴカゴだったが、誤解を解いたあの夜のことを思い出した俺は、気づけば笑みを浮かべていた。


「成長したな、お前たち。特にブシドウ」

「んだよ、俺だって大人だからな」


 思わず失笑してしまい、見下ろす彼に睨まれるが、彼もこらえきれずに吹き出す。

 次々と連鎖する笑い声が教会内に響き、響いた声が鐘のように鳴り響く。

 鐘の無い教会から初めて響いた音は、その場に居た者たちだけの心に刻まれていった。



◇◆◇◆◇◆◇



「本当に行くんだな」


 教会の前で寂しそうに見送るクリストは、俺たちの顔を見渡して言う。


 あれから一週間経った。その間、俺たちは休まずに魔力を練り続け、鍛錬を怠らなかった。

 奴の言った近道についてはあまり考えず、ただただ同じことを繰り返していった。

 その様子を見ていたクリストさんも、観念したように練習に付き合ってくれるようになった。

 自身が癒しの魔法を出す時の感覚を教えてくれたり、鍛錬中の食事の管理を欠かさずしてくれた。


 たまにスタブの店で出前を取り、例の青年と何度か話したりもした。彼は将来、スタブの店を継ぎたいらしい。名前は聞きそびれたが、またそのうち聞くことになるだろう。


「お父さん、そんな悲しそうな顔しないでよ。ちょっと外に行くだけじゃない」

「そうだよ、どうせ夜までには戻るんだからよ」


 俺たちは、初めて外に行く。もちろん三人だけでは危ないから、ゲエテのツテでギルドの冒険者に頼んでくれたらしい。

 ここから一番近い北門の前で合流する予定だから、早く行かないと。


「分かってはいるが、親としては不安なんだよ」


 朝日を受けて眩しそうに顔を歪ませる彼は、困ったように笑みを浮かべていた。


「クリストさん、無理を言ってごめんなさい。でも俺たち、早く強くなってケンジャさんを助けたいんです」


 それについては本当のことだ。つい一昨日に訪問してきたゲエテも、酒場で知り合いの冒険者から、強くなるための近道は魔物を倒すことだと聞いたらしい。

 それはつまり、あの日俺たちの前に現れた謎の男が言っていたことと同じ内容だったんだ。


 確かに魔物は恐ろしい存在だ。今は大丈夫だが、実際に目にしたら足がすくむだろう。

 でも、誰よりも俺は強くなる必要があった。全てはヴァルハラを殺すため。その力を得られるなら、無理をしてでも近道がしたい。


「とりあえず、早く行こうぜ」


 早く行きたくて仕方がないブシドウは、その場で足踏みして顔を輝かせる。


「もう、ブシドウったら」

「うむ、確かに待たせるのは良くないな。リオンくん、ゴカゴ、ブシドウ。気をつけてな」


 いよいよ決心が着いたのか、クリストさんは静かに微笑み、手を挙げる。

 それに応えるように、俺は手を挙げた。横では同じように手を挙げ、ブシドウは拳を作り親指を上に立てている。


「ブシドウ、それはなに?」

「あん? なんかかっこいいだろこれ。母さんがやっていたんだ」


 母さん、か。そういえば二人のお母さんはクリストさんの妻、なんだろうか。あれ、ブシドウってそもそもクリストさんの息子、なのか?


「じゃあ私もそれ使うね!」

「お、い、いいぞ!」


 鼻の下を伸ばす彼は、だらしない笑みを浮かべる。

 俺たちは三人で親指を立ててクリストさんへと向け、困ったように頭を掻いた彼も、はにかみながら同じ仕草を返してくれた。


「さあ行こうぜ!」


 踵を返して、一斉に歩き出す。俺の背中には布で包んだ模造刀があり、こいつを背負うだけでどこか不思議な安心感が得られていた。


「じゃあ、誰が一番になるか、競走しようか!」

「え、リオン!?」

「おういいぜ!」


 気持ちがたかぶった俺は無茶な提案をして、ゴカゴは困惑したようにこちらを見る。

 いきなり始まった競走に、後ろからクリストさんの声が聞こえてきた気がするが、風の音に阻まれてあっという間に聞こえなくなった。


 どこまでも広がる晴天から降り注ぐ陽光、それは暗い未来を照らす光のように、俺たちの駆ける先を照らしていた。

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