魔力の目覚め


「俺には、目的があります。それは、力なくして達成できないんです」


 ケンジャの足元を見つめながら、俺は言葉を探していく。

 どう伝えればいいなんて、きっと彼にとっては関係ない。

 でも、俺はここでけじめをつけたかった。

 真実を、話したかった。


「俺の村は、襲撃に遭いました。その時に、父も、友も亡くしました。俺の村を襲ったのは、人型の化け物でした」


 声が震える。涙が浮かびそうになる。あの日の光景がまだ鮮明に残っている。


「俺は無力でした。父から光の魔法を掛けられて、結果的に村を襲ったそいつは撃退できましたが、何も残りませんでした」

「光の魔法じゃと」


 ケンジャさんが反応したが、俺は構わず話を続ける。


「俺は、奴に復讐するためだけに今、生きています。奴はまだ生きている。俺は、父の、仇を」

「リオン……」


 ブシドウの声が聞こえた気がするが、もう視界はぼやけて何も見えなくなっていた。


「リオンや、顔を上げなさい」


 言われた通りに上げると、ゆっくりとした歩みでケンジャが近づいてきて、やがてその皺だらけの指を近づけてきて、優しく涙を拭っていく。


「辛かったのう。よくぞ、生きたのう」


 ぐっと抱きしめられて、冷たくなっていた身体に温もりが巡っていく。

 涙はそれでも止まらず、むしろ溢れ出していく。

 

「なぜ、涙は魔法でもないのに流れるのか」


 ケンジャの声が頭上から、ぽつりと呟くように聞こえてくる。


「それは、人間だからじゃ。心優しい者ほど、その目から多くの涙を流す」


 揺りかごのように身体を揺らすケンジャの温もりを感じながら、嗚咽が次第に落ち着いていく。


「儂の涙は枯れてしもうた、お師さんが亡くなった時にのう」


 とんとんと、背中を優しく叩かれる。心地よい頭痛がして、俺はもう少しこうしていたくなった。


「リオンや、お主のその涙。決して忘れるでないぞ」


 言葉が入ってくる。全身がぽかぽかと温かくなり、すっかり嗚咽も落ち着いた。

 俺は鼻をすすり、涙を拭う。


「お主の想い、確かに聞いたぞ。儂に任せなさい」


 離れた時に見たケンジャの顔は、今までで一番慈愛に満ちた表情で微笑んでいた。


 言ってはいけない秘密のように抱えていたためか、つっかえが取れたようにその日は涙が流れ続けた。

 ゴカゴに背中を優しくさすられて、励まされ続けた。

 教会の会議室内で夕飯の支度をしていたクリストさんには酷く驚かれたが、ケンジャさんから事情を聞いた彼はゴカゴに代わって背中を優しく撫でる。

 似た者親子だな、本当に。涙ながらにそう思った俺は、少しだけ笑みを浮かべた。


 夕飯を済ませたあと、昨夜就寝した部屋でも同じようにゴカゴは付き添ってくれて、さらに傍にはブシドウも立っていた。

 彼の場合は、俺とゴカゴの仲に睨みを利(き)かせていただけかもしれない。

 でも、心做(こころな)しか、その日の彼からは敵意を向けられることも無く、むしろゴカゴに似た慈愛の感情を向けられていた気がした。


 その日は俺が寝付くまでずっと二人が傍に居て、ゴカゴは強く手を握ってくれていた。

 ああ、本当にみんなに会えてよかった。

 ヴァルハラの事は決して赦(ゆる)しはしないが、俺はこの出会いには素直に感謝をした。

 ケンジャさんと同じく慈愛に満ちたゴカゴの顔と、初めて子供を扱うかのようななんとも言えない表情のブシドウを見て、俺はゆっくり目を閉じていく。


『本当すぐ泣くよね、よわむしリオンは』


 薄れゆく意識の中で、ミレイの笑い声が聞こえた気がした。


 ゆっくりと目を開けると、昨日と同じように窓からは陽光が差し込んでいる。

 夢を見たような見てないような、あっという間に朝になったみたいだ。

 視界が少し悪い。目元に這わせた手で、自身の目の周りが腫れていることを確認した。


 部屋の明かりは消えており、二人の姿も無い。

 俺は静かに起き上がり、しばらく呆然として壁を見つめる。

 過去を話しはしたが、詳しくは伝えていない事がまだ沢山あった。

 父がなんと呼ばれていたか、襲ってきた者の名前、そして村の名前。

 

「リオン、起きてる?」


 軽めのノックの後、扉越しにいつものゴカゴの声がした。

 

「起きてるよ、ちょっと目が腫れてるけど」


 扉越しだが、恐らくゴカゴはくすくすと笑っているだろう。

 昨日は取り乱したけど、今日から本格的に魔法の訓練に入るから、気持ちを切り替えないと。

 

「入るよ」


 入室してきた彼女の手には、着替えの服があった。そういえば湯浴みもせずに寝ていたんだった。

 こんな姿を女の子に見せるのはちょっと、と思っている間にゴカゴは俺の隣にすとんと座った。


「今日から頑張ろう!」


 あからさまに元気づけようと無理に声を張ってポーズを決める彼女を見て、思わず笑ってしまう。


「じゃ、ここに着替え置いておくね。お風呂済ませたら外に集合ね!」

「分かった」


 そう言い残して、颯爽と部屋から出ていく。彼女の柔らかな残り香が鼻を刺激し、心の揺らぎが静まり返っていく。

 よし、と声に出して、靴を履いて立ち上がり、さっさと湯浴みを済ませることにした。


「おはよう、リオンくん」


 お風呂から出てから部屋に戻って髪を拭いていると、お盆を持ったクリストさんがやってきた。その上には果物と野菜と少量の肉。


「ありがとうございます」

「今日からケンジャさんとの特訓が始まるんだろう? 怪我を恐れずにな、私ができるだけ治すから」


 お盆を机の上に置き、掲げた手に緑の揺らめきを纏ってみせる彼は、得意げに口角を上げる。

 俺はクリストさんに感謝しつつ、朝食を口に運んでいく。


 小窓からはブシドウとゴカゴらしき声が聞こえ、早速特訓を始めているみたいだった。

 俺も急がなくちゃな。はやる気持ちでご飯を平らげて、お盆を持ち上げて部屋の外へ出る。


「美味しかったです!」

「おお、わざわざ持ってきてくれたんだね。ありがとう」


 にっこりと笑うクリストさんに、俺も笑みで返す。

 すると、彼は少し驚いたように口を開けていた。


「リオンくん、ずいぶん笑顔が自然になったね」


 それは褒め言葉なのかどうなのかが分からなかったが、昨日の出来事によって自分の中に変化が訪れたことを知る良い機会だったのかもしれない。


 クリストさんの言葉に対しお礼を言って、外へと勢いよく飛び出す。

 出迎える朝日は今日も力強く輝き、空には雲ひとつなかった。

 辺りを見渡して三人が居ないのを確認した俺は、昨日と同じように教会の裏手へと井戸経由で向かう。

 そこには、ケンジャの前でひたすらに手をかざしている二人の姿があった。


「ほ、起きたか少年よ」

「おはようございます、遅れました」


 優しく微笑んだケンジャは、いつもの織部色の服に加え、今回は特徴的な帽子も被っていた。


「では、早速リオンくんにも参加してもらうかのう」


 二人がやっていたのは、魔力の放出だった。

 昨日ケンジャがやった通り、純粋な魔力のみを飛ばした場合ただの衝撃波として飛んでいく。

 しかしこれはいわゆる基礎的な技術であり、たとえば魔道具を扱う時や、属性を乗せた呪文を放つ際にも必要になってくる。


 格好としては、重心を少し前にし、右足を前に、左足を外側に向けて後ろにする。

 その状態で、右手を身体から垂直に真っ直ぐ伸ばして、手のひらを正面に向ける。この際の指の形は伸ばしてもいいし曲げてもいい。

 とにかくこの体勢で、右手から魔力を飛ばす練習をするのだ。


 昨日と比べて、かなり投げやりな特訓に思えるが、ここでケンジャの助言が飛ぶ。


「良いか、大切なのは想像力じゃ。ただ力んでうんうん唸ってても、何も出ないからのう」


 そう言ってブシドウを見る顔は、かなり悪意が込められた笑顔だった。

 視線を向けられた彼は小さく悪態をつきつつ、右手に力を入れている。

 昨日見えたような揺らめきは見えなくなっており、今度は自力で見えるようになるのが、次の段階に進む鍵だとケンジャさんは言う。


 じりじりと陽が照り付ける中、一筋の汗が顎まで伝う。

 想像力が大事って言っても、何をどう想像すればいいのか。自分が考えている以上に難しいこの課題に、少しずつ身体が悲鳴を上げていく。


「腕が疲れてきたわ」


 顔に疲労が見えるゴカゴは、そう力なく呟く。数十分も腕を上げ続けていれば、たとえ何も持っていなくても疲れてくるものだ。

 たまに吹く風を頼みに、容赦の無い日射を耐え忍ぶ。


「ふむ、これでは倒れてしまうのう」


 意地悪く言うケンジャは、かたわらに置いてある籠からミーロの実を取り出した。

 そしてそれを、俺たちの目の前で美味しそうに食べだしたのだ。

 思わずごくりと喉を鳴らして、その様子を見守っていると、ブシドウが姿勢を崩して叫んだ。


「爺さんよ! いつまでこうしてればいいんだよ!」


 彼の怒声に、こらえていたゴカゴも力尽きて腕を下ろし、膝に手を着いてうなだれた。


「ほっほっほっ、魔法が簡単に使えると思ったら大間違いじゃて。ほれ、時間は有限じゃぞ」


 この爺さん、思ったより性格悪いぞ。

 照りつける暑さの中、ずっと同じ姿勢を維持して正解の分からない問答を自分の中で繰り返すのは、かなり体力を消耗してしまう。

 だが、これは修行であり、苦しくて当然なんだ。

 あの悔しさを、憎しみをバネにしろ。弱気になるな。


 自分を鼓舞して、右手に力を込めていく。力だけでは駄目だ、想像力を持って手を突き出すんだ。


 俺は周りが見えないほど集中していたつもりだが、もう一度姿勢を直したゴカゴに変化が現れた折に、思わずそちらに視線が行ってしまった。


「今……」

「ほう」


 彼女は自分の手を見つめて放心し、信じられないような表情で立ち尽くしている。

 そして、もう一度姿勢を整えた彼女は、もう一度何かの手応えを掴んだように、再び手のひらを見つめる。


「ケンジャさん!」

「うむ、儂には見えておるよ。確かに魔力の放出に成功しとる」

「まじかよ!」


 ブシドウが叫び、それが燃料になったのか、再び手を掲げだす。

 見事最初に成功した彼女は飛び上がるほど喜んで、そして力が抜けたように地べたに座り込む。

 そんな彼女にケンジャはミーロの実を渡し、にっこりと顔をほころばせる。

 なるほど、成功したら報酬が貰えるわけか。

 俄然(がぜん)やる気が出てきた俺は、ケンジャが昨日実演した光景を思い出しながら強く念じていく。


「リオンには負けねえぞ」


 聞こえているぞ、ブシドウ。

 しかし、彼の様子をちらりと見ると、ゆっくりと両手で髪をかきあげていた。

 そして、明らかに雰囲気を変えたブシドウは、ゆっくりと右手を掲げる。


「ほ、さっきとは見違えるようじゃのう」


 ケンジャがそう漏らしてから数分後、彼から驚きの声が聞こえた。

 まさか、成功したのか?

 俺は手を下ろして、ブシドウの方へ視線をやる。


「爺さん!」

「もう一度やってみい」


 言われた通りに姿勢を戻したブシドウの身体が、少し揺らいだ気がした。


「うむ、合格じゃ」

「いよっし! 俺にも実をくれ!」


 籠に向かって走り出そうとする彼に対し、ケンジャは手を向けた。

 途端にブシドウの動きが不自然に止まり、空気に阻まれているかのように前に進めなくなっている。


「勝手に取ろうとするでない」


 そう言ってその場で手を押すように動かすと、ブシドウは見えない何かに押されたように後ろへ吹っ飛んだ。

 そのまま臀から着地し、打った場所を押さえながら彼は顔を歪ませる。


「俺にだけ変に厳しくないか?」

「日頃の行いじゃて」


 そのやり取りは微笑ましいものだったが、俺は内心焦っていた。

 二人が成功してなお、未だコツも掴めていない。

 

「リオン、焦っちゃ駄目よ」


 ゴカゴの助言が飛ぶが、それくらい分かっていた。

 何度思い描いても成功しないまま、ついに体力が尽きて手を下ろす。


「どうしたリオン、まだできないってか?」

「ブシドウ!」


 一体何が駄目なんだ。こんなにも集中しているのに、体力だけが奪われていく。

 俺は一旦座り込んで、後ろにもたれかかるように体を倒して、それを支えるように後ろ手に着いて上を向く。


「リオンや、悩んでおるのう」


 どこか遠い目をしながら、ケンジャはミーロの実を取り出してかじりつく。

 もう喉がカラカラだ。クリストさんが来ないのは、ケンジャさんが来ないように約束させているからだろうか。

 どちらにせよ、これが成功しないと前に進めない。

 だけど、焦れば焦るほど分からなくなっていく。


「こんな言葉がある。分からぬ事があったら、成功者に聞けと。人は全て、模倣(もほう)から始まり、そこから己を磨いていくんじゃ」


 独り言のようなケンジャの言葉を受け、しばらく空を眺めたあと、俺は立ち上がってゴカゴへと身体を向ける。


「ゴカゴ、教えてくれ。成功した時、何を考えていた?」

「え、なにって……何も」


 ゴカゴは思い出そうとする素振りを見せるが、答えは出てこないようだった。


「ブシドウはどうだった?」

「あー、俺も思い出せねえ」


 俺は考え込んだ。お互いが成功の瞬間に何を考えていたか思い出せないなんて、そんな事有り得るのかと。

 しかし、俺はふとケンジャさんの言葉を思い出して、誰もいない方向へゆっくりと手を掲げる。

 そして、できるだけ何も考えず、無心で目を閉じる。

 それはまるでクリストたちが毎日行っている、お祈りの心持ちに似ていたかもしれない。


 その時、身体の底から何かが巡る感覚が生まれた。言いようのない感覚に、思わず目を開ける。

 ケンジャさんは言っていた、想像力が大事だと。

 俺は想像力という言葉の意味を、履き違えていたのかもしれない。


 もう一度目を閉じて、先程感じた体内の奔流(ほんりゅう)を待つ。

 ある、確かにある! これが魔力の流れなのか。

 お腹の中心から渦巻くように、身体中に巡る血潮のような感覚。それは自分の意思とは独立して動いており、まるで大自然のような奔放(ほんぽう)さがあった。


 確かに掴んだ感覚を元に、俺は右手にその流れが行くよう想像を働かせる。

 流れに逆らわず、自然と手に行き届くように。

 やがて渦巻く魔力の矢が、右手目掛けて走っていく。そして、確かに手のひらから放たれたように感じた。


 目を見開くと、そこには深い笑みを浮かべたケンジャの姿があった。


「見事じゃ」


 しわがれた声にはどこか嬉しそうな弾みを感じ、俺はミーロの実を受け取った。

 口角を上げながら背中を叩くブシドウと、両手を胸の前でぐっと掲げる仕草をする、満面の笑みのゴカゴに囲まれ、俺は自然に微笑みを浮かべていた。

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