修行


「王都に呼ばれていたんですよね、本当にすぐ行かなくても大丈夫なんですか?」


 俺たちが食事を済ませている間、部屋の隅にあるベッドでうつ伏せに寝たケンジャを、横に立つクリストがその腰に手をかざしてゆっくりと動かしていた。

 その手からは緑の光が漏れており、それが木の属性の魔法だと予想した。


「大丈夫じゃよ、あやつらも馬鹿ではない。すぐに儂以外の要人に声をかけておるさ」


 クリストの問いかけにうつ伏せのまま答え、時折気持ちよさそうに長いため息を吐いている。

 こうして見ると、彼がただのおじいちゃんにしか見えず、それこそ村に居たおじいちゃんと大差無いように思えてしまう。


「修行って何するんだろうな」


 見るからにわくわくしているブシドウは、早くも皿を空にして身を乗り出して語る。

 ケンジャさんは大魔法使いと言っていた。専門は魔法だろうから、見るからに魔法に縁の無さそうなブシドウが途中で音を上げないかが気になっていた。


「私、凄くわくわくしてるよ。みんなで何かをやるのって楽しいよね!」


 ミーロの実をかじりながら、笑みをこぼすゴカゴ。

 確かに少し楽しみではある。けど、短期間しかないと聞いて、俺は安心できなかった。

 少なくともここで何かを掴まないと、こんな機会はもう巡ってこないだろう。焦りを胸に、実をかじる。いつもは感じる甘味や酸味も、今はあんまり感じない。


「準備ができたら呼ぶから、外で待ってなさい」


 食事を終えた俺たちはケンジャにそう言われ、部屋の外で待つことにした。

 ブシドウは腕を回して、ゴカゴは身体を伸ばしている。

 二人ともやる気に満ち溢れていて、目には闘志の炎さえ見える。


「どうしたの? 浮かない顔して」


 右腕の肘あたりと左腕を交差させて、右腕を伸ばしながらゴカゴは首を傾げる。


「いや、ブシドウはわかるけど、ゴカゴも参加するのはちょっと予想外だったから」

「言ったでしょ、守られているだけじゃ駄目だと思ったって」


 彼女の言葉に深く頷いて、俺も身体を動かし始める。

 俺も、父に護られた。ただただ無力だった。

 せめて共に戦える力があれば、と何度も自分を呪った。

 だが、それも今日から変えていくんだ。力を得て、父のかたきを討つ。


「気合い入ってんな」


 にやりと笑ったブシドウは、自らの髪を両手でかきあげていく。するとスイッチが入ったように目がわり、彼の集中力が増した気がした。

 どちらが気合い入ってんだか。肩の力が抜けた俺は、ケンジャさんの登場を待った。


「待たせたのう、さあ外へ行こうか」


 腰の調子が良くなったのが顔に表れている彼は、軽い足取りで先行していく。

 いよいよ始まるのか。また肩に力が入りそうになっているのを、意識して抑えていく。


 外に出るとだいぶ日が傾いており、遠くが赤くなっている空を見上げる。

 教会の周りは比較的広く、花が植えられている場所を避けた結果、裏手にある倉庫付近でケンジャの足が止まる。

 するとケンジャは、地面に落ちている石を拾って、俺たちに見せるように掲げる。


「よいか、今のお主らには見えぬかもしれんが、この世界にあるものは全て魔力を保有しておる。つまり、この石にも魔力が宿っておるのじゃ」


 そう言われて石を凝視するが、何の変哲もない黒くくすんだ石にしか見えない。


「これを感じるには、まずは自らの魔力を自覚する必要があるんじゃ」


 一旦石を地面に置き直した彼は、ゆっくりと俺たちの顔を見渡す。


「ふむ、この中ではリオン。お主が一番早いかものう」


 そう言うと、ケンジャは右手を掲げて、指を曲げた手のひらをこちらに向けてくる。


「短期間でやる、と言うたのう。ちと荒療治になるかもしれぬが、これが一番手っ取り早いんじゃ」


 すると、目には見えなかったが、彼の手から衝撃波みたいなものが自分の身体の中心を貫いていき、何も構えてなかった俺はそのままの勢いで後ろに吹き飛んだ。

 視界が反転して、背中に衝撃が走り鈍痛が広がっていく。

 

「リオン!?」


 目を開けると、視界に光る虫のようなものがちらつき、ちかちかと飛び交っている。

 そこに、走ってきたゴカゴが見下ろしてきて、俺は仰向けに倒れていたことにようやく気づいた。


「ケンジャさん、いくらなんでもこれは!」

「落ち着きなさい、背中を強打したのは単にこの子が未熟なだけじゃ。魔力のみの衝撃波自体に害はない」


 下から見上げたゴカゴの顔が、見る見る怒りに染まっていくのがわかる。

 だがそれとは別に、彼女の身体の表面に、薄らと揺らめく何かが見えることに気づく。


「ふむ、やはりのう。リオンや、お主、過去に強い魔力を浴びたりしたかの?」

「ちょっとケンジャさん! 話を逸らさないでよ!」


 彼女の怒声が響くが、俺はケンジャさんの言葉を反芻はんすうしていた。

 強い魔力を浴びたことは、ある。父が最後の力を振り絞って掛けてくれた、光の魔法。

 思い当たる節があることをケンジャに言うか迷ったが、これから魔法を教えてもらう以上、隠し事は流石に駄目だと感じた。


「はい、あります。つい最近です」

「ほう」

「リオン、普通に喋ってるけど、怪我はない? 大丈夫?」


 心配そうにこちらを見下ろすゴカゴの後ろから、ブシドウがぬうっと現れる。

 そして、ゴカゴをどかすように強引にこちらへ手を伸ばして、早く立てと言わんばかりに手を差し出す。

 

「いつまで寝てんだ、まだ始まってすらねえぞ」

「ちょっとブシドウ!」

「お前はちょっと過保護なんだよ。多分お前もケンジャの爺さんに、リオンと同じ事されるぞ?」


 そう言われた彼女は黙り込み、しばらく俯いて考え込んでいた。

 俺はブシドウの手を取り、ようやく立ち上がる。

 だが、こいつの身体にはゴカゴのような揺らめく何かが無かった。


「それこそが魔力じゃ。平均以上のそれを持っている者には、きっかけを与えるだけで他人ひとの魔力のまくも見えるようになるんじゃ」


 まるで心を読むかのように、口元をもごもごと動かしながら解説をするケンジャ。

 すると突然ゴカゴが立ち上がり、俺たちから少し離れたあとケンジャを見据える。


「覚悟、決めたわ。ケンジャさん、私にもお願い」

「お、おいゴカゴ! まずは俺からにしとけ、な?」


 どっちが過保護なんだか。

 近づきながら提案するブシドウに対して、彼女は前を見据えたまま制止させるように左手を伸ばして手のひらを向ける。


「あなたが言ったんじゃない、せっかく覚悟決めたんだからどいて」


 相変わらずブシドウには辛辣しんらつな彼女だが、それは昔馴染みゆえの甘えなのか。

 それを微笑ましそうに眺めていたケンジャは、同じように右手を掲げた。


「受け身を取る準備をしておくんじゃぞ?」


 それは俺の時にも言って欲しかったなあ。

 次の瞬間、また彼の右手から衝撃波が走り、ゴカゴの身体を貫いた。

 構えていたにも関わらず足が浮いた彼女はバランスを崩してしまうが、倒れる直前にブシドウが彼女を下から支えることによって事なきを得る。


「大丈夫か?」

「……ありがとう」


 頬を赤らめるゴカゴはブシドウに目をやり、一瞬目を見開いて、目をこする仕草を挟む。

 そしてもう一度彼の手元を見て、驚いたように飛び退いた。


「ブシドウ! なによそのうねうね! 手から出てる!」


 突然そんな事を言われた彼は、よく分からないまま情けない悲鳴を上げてがむしゃらに手を振る。

 それを見てほっほっほっと高笑いするケンジャは、腹を抱えて顎髭を揺らした。


「わ、笑ってんじゃねえよ!」


 相変わらず手を振りながら、威嚇いかくするようにケンジャを睨むブシドウ。

 よく見ると彼の手には、ゴカゴの身体にあった揺らめきがうごめいていた。

 もしかして、人によってあれが集中する場所が違うのか?

 いや、だとしたら手を掴んだ時に気づくはず。


「ブシドウや、ゴカゴはお主の手に魔力の揺らめきを見たのじゃよ。虫のたぐいではない」


 俺が知る限り虫と呼ばれる小さな生き物は基本的に害を成さず、ある時には心地よい音色を、ある時には綺麗な光を放つ大人しい生物だ。

 だが、やり過ぎなくらいのブシドウの反応を見て、もしかしたらそうではないのかと少し警戒した。


「本当だ、リオンの身体の周りになにか見える!」

 

 彼女の言葉で自分の身体を見てみると、確かにゴカゴと一緒の揺らめきが表面を這うように動いている。

 少し気持ち悪いなこれ、もしかしてずっと見えたままなのかな。


「安心せい、今は強い刺激のせいで過敏かびんになっとるだけじゃ。時間が経てば勝手に見えることはなくなるし、訓練すれば自分の意思で見ることも可能じゃ」

「おい、何が見えてるんだよお前ら」


 うろたえるブシドウは自分の手を凝視するが、何も見えないのかさらに混乱している。


「では、次はお主の番じゃぞブシドウや」

「え、いや、俺は、その」


 ケンジャに右手を向けられて、急に目が泳ぎだす彼は挙動不審な動きで手から逃れようとする。

 俺はそんな彼の左肩と左腕をがっしり掴み、変に動かないように押さえた。


「な、何するんだてめぇ!」

「びびんなよ」


 瞬間的に顔を赤くするブシドウだが、反対側を同じようにゴカゴによって固められ、羽交い締めにされた彼は怯えて引きつった顔でケンジャの右手を見つめる。


「情けないわね」

「観念せい、ブシドウや。口は閉じておくんじゃぞ。舌を噛んだら大変じゃからのう」

「うぐぐっ!」


 口を開けるなと言われた彼は、うめくような悲鳴を口から漏らす。

 その反応に思わずにやけてしまい、慌てて俺は顔を背ける。

 間もなくして、ケンジャの右手から衝撃波が出て、ブシドウの身体を貫いた。


 二人で支えていたにも関わらず、倒れそうになるのを必死にこらえる。

 衝撃波を受けた彼の頭は前後にがくがくと揺れ、舌を噛むものかという強い意志をその顔から感じた。


「ふー! ふー!」

「大丈夫か?」

「ふー!」


 歯を食いしばったまま目を見開いている彼は、凄い形相のままこちらに向いて応えた。

 すると、俺の身体を見たブシドウは目から力が抜け、僅かに眉が上がる。


「ほほう、凄いのう。一度で皆が魔力を自覚しおったか」


 一度で、という不穏な言葉と共に、感心したようにケンジャは笑みを浮かべる。

 もしこれで変化が無い場合、何度もこれを食らってたということか。


「なんだこれ、うおっ!」


 自分の手を見て腰が引けたブシドウは、そのまま尻もちを着いた。

 横で起きた珍事ちんじに、ゴカゴはくすくすと口元を押さえて笑う。

 やはり彼の身体には手の部分にしか揺らめきが無く、さらにそれは自分の身体やゴカゴに身体に纏われているものと比べて、分厚く力強いものに見えた。


「言い忘れておったが、魔力というのはそれぞれ個人差がある。ある者は少ないがために一箇所に集めて魔法を発現したり、ある者は戦いのさなかで魔力が集中する部分を移動させて防御に使ったりするんじゃ」


 つまり、使い方によっては魔力量が少なくてもなんとかなるってことか。

 自分の身体を覆う揺らめきに手を近づけて、感触を確かめようとする。が、実態は無いようで空気を掴むような虚無感があった。


「よいか、魔法には六種類の属性、つまり六元素が存在するが、魔力自体には属性はない。一般の者は一種類の属性しか生涯使えぬと思っておるが、実際は違う」


 すると、ケンジャは右手の人差し指を立てて、その先を見るように目と眉の動きで促す。

 

「今からその証拠を見せるぞい」


 彼が言い終わるや否や、人差し指の先から突如炎が上がり、指から出たとは思えない程の出力でどんどん大きくなっていく。


「すげぇ……」


 尻もち状態から立ち上がっていたブシドウから声が聞こえ、俺はただただ魅入られるように炎を見つめる。

 すると彼は炎を出したまま二の腕まで袖をまくりあげて、燃え盛っていた炎を一瞬で消してしまう。

 感心するのもつかの間、間髪入れずに今度は指の先から次々水を溢れさせ、あっという間に前腕を呑み込んだそれは肘から先の行き場を見失い、地面へと落ちていく。


「これ、本物の水……?」

「そうじゃ、媒体が魔力なだけで、本物じゃぞ?」


 バシャバシャと地面で跳ねるそれは、どう見ても真水だ。

 やがてせんをしたように水が止まり、今度は指の周りでバチバチと鈍い音がしきりに鳴り出す。

 何が起こっているのか分からなかったが、ケンジャは人差し指の先を地面に置いていた石に向けたかと思うと、次の瞬間には指から伸びた閃光が石に到達して凄まじい音と共に砕け散っていた。


 それを認識した瞬間、思わず目をつむって顔を覆うように腕を上げる。

 程なくして下げて見ると、砕け散った場所からは焦げ臭い匂いと共に小さな煙が上がっており、威力の大きさを物語っていた。


「これが雷じゃ。このように、一つの属性に縛られずに魔力を操るのが大切なんじゃ」


 駄目だ、全く頭に入ってこない。未だに耳鳴りがするし、横にいるゴカゴとブシドウも、すっかりひるみきっている。


「リオンや、お主は魔法を力のために使うと言っておったが、これを見てもまだ言えるかの?」


 足元のすすを払ったケンジャは、試すような顔でこちらを見据える。

 魔法の危険性を知らせるため、敢えて彼は実演したんだろう。

 正直、怖かった。雷なんて空から降るものしか知らなかったし、そんな日は家で震えながらずっと父に抱きついていたくらいだ。

 直撃したらどうなるか、それを改めて思い知らされて、魔法というのはそんな自然の脅威を再現するものなんだと自覚した。


 だけど、それでも。それでも俺は、父を、ミレイを、みんなの無念を晴らすため、ヴァルハラを殺さなければならない。


「リオン……」


 すっかり日の落ちた世界で、心配そうなゴカゴの声が聞こえる。

 少し肌寒い風が吹く中、俺の中で決意が固まった。

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