ケンジャとの出会い


「噂をすればケンジャさんじゃない?」


 クリストの話が退屈だったのか、顔を輝かせて席を立ったゴカゴは、入り口の方へ走っていく。

 慌ててブシドウも立ち上がり、彼女の後を追っていく。


「この話はまた後でしよう。ちょうどリオンくんの待ち人が来たしね」


 そういえばそうだ、ちょうど望んだ人が来てくれたじゃないか。

 焼けた肉を一旦皿の上に乗せ、それを手押し車台の上に置いて立ち上がる。

 クリストさんは火の始末をしていて、後から来てくれることを期待しながら俺も教会の入り口方面に向かった。


 辿り着いて見ると、ゴカゴとブシドウが初老の男性と話している。

 胸元まで伸びた白い髭は口の周りをほとんど覆っていて、手に抱えている帽子はギルドの手前で出会った女の人が被っていたものと同じものに見える。

 あれは魔法使い専用の帽子なのかな。

 織部おりべ色の服を纏った男はこちらに気づき、目を細めて大きな皺を作った。


「おお、この子がそうか」

「リオンよ! 私の命の恩人!」


 しわがれた声ではあるが、どこか力強さを感じる。見た目と裏腹に生命力に満ち溢れた雰囲気を持つ彼は、優しそうな笑みを浮かべた。


「すまんかったのう、ちと王都に呼ばれてての。すぐに助けに行ってやれんかった」

「大丈夫よ、こうして戻ってこれたんだもの」


 ゴカゴはこちらをちらりと見て、安堵の表情で語る。

 その反応を見たブシドウは自分の無力さからか、やるせない表情で彼女を眺めていた。


「リオンくん、じゃったか。紹介が遅れたのう、儂の名前はケンジャ。しがない魔法使いじゃ」

「何を言いますか」


 後ろから声がして顔を向けると、火の後始末を終えたクリストがすすを払いながら近づいてきていた。


「ケンジャさんは魔法使いの中でも高位の、大魔法使いじゃないですか」

「クリスト、此度こたびはすまんかった」

「いえ、仕方ないですよ。国を揺るがす事態に対処するのが優先ですとも」


 二人のやり取りを聞きながら、ケンジャさんとはいよいよ凄い人なのだと自覚していた。

 

「とりあえず、ここで話すのもなんですから、部屋に案内しますよ」

「私、果物が食べたい!」

「俺は肉!」


 元気よく注文をする二人。

 よっぽど実が気に入ったのだろう。無邪気に言うゴカゴを見て、思わず笑みがこぼれる。


「ゴカゴ、ケンジャさんをいつもの部屋に案内してくれ。私は籠を持ってくるから」

「うん!」


 そう言ってクリストは井戸の方面に、俺たちはケンジャと共に教会内に向かう。

 教会には思ったより部屋が多いみたいで、ゴカゴが案内したのは奥にある、またもや知らない部屋だった。


 そこはちょっとした会議でもできそうな長机が部屋の中央を横に陣取り、その周りに椅子がいくつか置かれている。

 左隅にある入り口扉に対して反対側の壁には大きな窓が並び、そこから太陽の光が差し込む構造だ。

 部屋の隅には少し大きめのベッドがあり、腰の治療はそこで行っている気がした。


「ケンジャさん、リオンは魔法に興味があってね! ケンジャさんに色々教えてもらいたいって言ってたの!」


 有難いことにゴカゴがそう紹介してくれたおかげで、彼の興味が明らかにこちらへ向いた気がする。

 それを面白くなさそうに見ているブシドウだったが、特に輪を乱すようなことは口走らず、大人しくしてくれている。


「ほう、それは見込みがあるのう。リオンとやら、何故魔法に興味があるんじゃ?」


 長机中央の椅子の背もたれに手をついて、机の上に帽子を置いたあと、ゆっくりと腰掛けるケンジャはこちらを見つめて言った。


「えっと、その、強くなりたいんです」


 それを聞いたブシドウが失笑して、流れるようにゴカゴに拳骨を食らっていた。

 

「これこれ、笑っちゃいかんよブシドウや。それにしても、強くなりたいとな?」

「はい、魔法なら年齢関係なく強くなれると思いましたから」


 ふむ、と興味深そうに顎髭を上から下にぜて、彼は俺の身体をゆっくりと見渡す。


「言っておくが、魔法とはそんな便利なものではない。特に、力のためにというのは危険な思想じゃぞ?」


 厳しい顔つきでそう言われて少したじろいでしまうが、俺は目を逸らさずに真っ直ぐケンジャの顔を見据えた。


「都合のいいことを言っているのは百も承知です。でも、俺は強くなる必要があるんです」

「その理由は、今言えるかの?」


 そう言われて、口ごもってしまった。

 俺の過去はまだゴカゴにしか話していない。その証拠に、魔法を覚えたいという俺の意図を汲んで、わざわざケンジャさんに話を持ち掛けてくれたんだろう。


「理由は言えぬ、か」

「ケンジャさん、リオンを強くしてあげてください。私からもお願いします」


 頭を下げるゴカゴに、俺は焦って取り乱した。

 それはブシドウも同じで、困惑の表情で俺と彼女を交互に見ている。

 ケンジャは優しくゴカゴの肩を押さえ、彼女の上体を起こした。


「お転婆なお主が頭を下げるとはのう、よっぽどの事情があると見える。じゃが」


 言葉を濁したケンジャは、腕を下ろして少し後ろにもたれたあと、その顔に影を落とし、より多くの皺を刻み込んで続ける。


「今は時間が無くてのう。此処に寄ったのも、ゴカゴ。お主のために来ただけなんじゃよ」


 申し訳なさそうに言うケンジャの話を聞いて、彼女は肩を落として俯いた。

 その様子を見ていたブシドウは、だんだんと険しい表情に変わっていく。

 

「ケンジャの爺さんよ、こいつが攫われた時、なんですぐに来てくれなかったんだ?」


 不機嫌そうに尋ねるブシドウは、がんを付けるようにケンジャを睨む。

 それを見て叱ろうとするゴカゴだったが、いつもと違う様子にその手を止めた。


「気に入らねえけど、リオンのやつが助けてくれなかったら、今頃ゴカゴはここに居なかったんだ。おじさんにいつも腰を診てもらってるくせに、肝心な時に居ないなんて」

「ブシドウ! 駄目よそんな言い方!」


 彼女が思わず止めるも、ブシドウの怒りはまるで収まる様子が無かった。

 そんな彼の気持ちに、俺は痛いくらいに共感していた。

 もしあの惨劇の後に誰かがヴァルハラを殺したとしても、俺はきっとその人に対して素直に感謝なんてできないだろう。

 それこそ、ブシドウのように当たることしかできないかもしれない。どうしてもっと早く来てくれなかったんだと。

 助かったからいいわけではないのだ。俺は自然と拳を握っていることに気づき、力を緩めた。


「すまんかった。謝ってもゆるされんことは分かっとる」

「じゃあ……!」


 ブシドウは涙を浮かべて詰め寄るが、それ以上は言葉に出さなかった。

 それを見たゴカゴも、力なく佇んでいる。

 重苦しい空気が流れる中、扉をノックする音が聞こえた。


「おーい、開けてくれ」


 クリストさんの声に、俺はすぐに扉へと向かった。


「すまない、両手が塞がっていてな」


 扉を開けると、籠で表情は見えないが、多分困ったように笑っているクリストは感謝の言葉を述べる。

 そしてそのまま通ろうとするが、籠の横幅が大きすぎるせいか、嫌な音と共に彼の動きが止まる。


「むっ、ふっ、くそっ」


 しばらく押し引きを繰り返して格闘していたが、やがてはまった籠を抜いて扉から離れたクリストは、籠を置いてはにかむように笑った。

 

「はは、欲張りすぎたよ」


 そのひたいに大汗を流す彼を見て、俺は失笑してしまう。


「もう、お父さんったら」


 その声は若干震えていたが、ゴカゴは駆け出してクリストが配膳はいぜんするのを手伝っていた。

 振り返ると、ばつが悪そうに顔を背けるブシドウと、眉間に深く皺を刻んだケンジャが居たが、やがて肩を落としたケンジャは立ち上がり、さっきとは打って変わって穏やかな顔でゴカゴから肉の乗った皿を受け取っていた。


 配膳を終える頃には長机の上に皿が並び、ようやく一息ついたタイミングでそれぞれの椅子に座っていく。


「ありがとう、手伝ってくれて」


 クリストさんは笑って、俺を見つめた。

 当たり前な行為に対しても、この人は必ず礼を言う。

 俺はなんか恥ずかしくなり、まともに顔が見れないまま礼に応える。


 俺はゴカゴの右隣に座り、向かいに座るケンジャさんの左隣にはクリストさんが座った。

 ゴカゴの左隣にはブシドウが座っていて、彼は既に肉を口に運んでいる。


「さて、食事の続きだ。ケンジャさんもこんな粗末なものですけどよろしければ」

「うむ、有難くいただこう」


 用意された食器を持ち、冷えた肉を口の中に運ぶ。冷めてしまっても噛むたびに味が染み出てきて、俺は舌鼓したつづみを打った。

 それぞれが一口ずつ食べたあと、ケンジャが「さて」と話を切り出す。


「何から話そうかのう。そうじゃな、まずは順を追って話していこうかのう」


 ケンジャは、その師匠である大魔法使いフィオルの弟子にあたり、フィオル亡き後に代わって、この国の問題事を解決するご意見番のような存在になっている。

 多くの場合、彼が呼ばれることはない。国内にある発展した各街にはギルドが設けられており、些末さまつな問題はそこで解決できるからだ。


 しかし、今回彼が王都に赴いた理由、それは西の魔族についてだと言う。

 クリストの話の通り、過去に西の国を滅ぼした魔族が、その跡地を魔物の巣窟としてしまってからはや十年の月日が流れ、確実に膨れ上がっていく魔物の対処に国は追われていた。


 そして、数日前についに恐れていた事態が発生する。

 それは、魔物を統率する魔族の出現だった。

 前からその存在は観測されており、出現に至らなかったのは、西の国の侵攻の折に死亡したのではないかと推測されていたからだ。

 というのも十年前、先の大魔法使いフィオルは西の国に魔物が侵攻した際、それを食い止めるために命をして戦いに赴いていた。


 結果的に国は滅びたが、膨大な数が居た魔物数も激減し、統率者である魔族も死亡したとされ、あわや世界全体の脅威となりかけた大行進スタンピードは、フィオルと勇敢ゆうかんなギルドの冒険者たちの命と引き換えに見事食い止めることができたのだ。


 フィオルの死は世界的に大きな衝撃を与え、第一次魔道具戦争はそれに伴い終息していった。

 同時に魔物に対する国の対応も変わり、以前より増して脅威を持って扱われるようになった。

 各街が城壁のような塀を携えたのも、それ以来からの話であった。


「……つまり、また世界の危機というわけですか」


 話の全容を聞いたクリストは、深刻な面持ちで視線を落として呟く。机の上で組んだその手は力が入っているのか、かすかに震えている。

 

「そんなとこじゃのう。全く、あれほど嬉々として戦争の道具に使っておった魔道具があるというのに、問題を先延ばしにした挙句に儂に泣きついてくるとは、情けないのう」


 辟易へきえきとした表情で、ケンジャは首を振る。

 俺は横を向いてゴカゴたちの様子を窺ったが、二人とも真剣な眼差しでケンジャさんへと視線を送っていた。


「のう、クリストや。次は儂の番じゃ。今度はいつ此処に来れるかわからぬ。じゃから、腰を診てくれんかのう?」


 言葉とは裏腹に、穏やかな笑みを浮かべてクリストの方を向くケンジャ。

 クリストは見たことがない悲痛な表情で唇を噛んでおり、その眉間の皺が彼の心情を物語っていた。


「ケンジャの爺さんよ」


 突然ブシドウが声を上げ、俺含め皆の視線が集中する。


「俺たちに出来ること、あるか?」


 ケンジャを見ると、酷く驚いたように目を見開いていたが、すぐに慈愛じあいのこもった黒目でブシドウを見据える。


「大きくなったのう、ブシドウや。儂はその言葉だけで充分じゃぞい」

「わ、私も!」


 ゴカゴは立ち上がり、机に手をついて叫ぶ。


「私もケンジャさんの手伝いがしたい!」

「ゴカゴ!」


 珍しく声を荒らげるクリストだが、彼女の目には強い意志が宿っている。


「私、今回わかったの。いつも守られているだけじゃ駄目だって。今、この国の危機なんでしょ? じゃあ、私たちだって立ち向かわなきゃ!」

「ゴカゴ……」


 涙声になるクリストは、自らの口元を押さえて口ごもる。

 俺も、もちろん二人と一緒の気持ちだ。でも、俺の目標はヴァルハラを殺すことのみ。正直、この国がどうなろうともそれだけ達成すれば、どうでもよかった。

 それゆえに、彼女たちのような純粋な気持ちで名乗りあげることができないでいた。


「リオンくん、じゃったな」


 名前を呼ばれて、俯いていた俺は顔を上げると、力強い目でこちらを見据えるケンジャさんと目が合った。

 彼の後ろの窓からは強烈な西日が差し込んでおり、後光のように輝いている。


「先も言った通り、君の願いを叶えるためには時間が無い。じゃが、リオンくんもこの勇敢な二人と同じ気持ちなんじゃろう?」


 俺は一瞬横を見たが、二人から熱い視線が向けられているのを知り、強く口を横に結んで前に向き直る。


「はい」

「ふむ、わかった。短期間になるとは思うが、儂自ら君たちを鍛え上げるとしよう」


 ケンジャの言葉に、俺は身体が熱くなっていくのを感じた。

 横では、喜びに声を上げるゴカゴと、静かに拳を固めるブシドウの姿が映り、対してクリストは不安げだが、決定に関して不服は無いことを表情で物語っていた。

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