和解


 あのあとゴカゴは泣き疲れて、寝室に連れていかれたらしい。

 俺と同様、疲れが溜まっていたのもあるんだろう。大人びて見えていた彼女だったが、色々重なって感情が爆発したみたいだ。


 それはそうと、身体を支えてくれた門番の女性だが、名前をアステマインというらしい。

 彼女は基本寡黙だったが、てきぱきと俺をベッドに寝かせる手際の良さといい、ゲエテの優秀な助手という感じか。

 そういえば昼間に、思いっきり彼に走らされてたな。


 靴を脱がしてくれている彼女を見つめていると、目が合った。長いまつ毛に真っ直ぐ通った鼻筋。髪色は少し褐色で、丁寧に後ろで結われているのがわかる。

 かなり整った顔立ちをしている為、たとえ男装していても似合うだろう。


「痛みますか?」


 ほがらかに微笑んで、彼女は小首を傾げる。


「あ、いや、大丈夫です。ありがとうございます」


 街に着いてからというものの、すっかり毒気を抜かれている俺は、どんどん自分の心に潤いが戻ってきている感覚がしていた。

 もしゴカゴと出会わなくて、運良くハヴェアゴッドに着いていた場合、こうも心穏やかに過ごすことは無かっただろう。


 自分を気遣ってくれる人と、優しくしてくれる人の存在。それによって心は豊かになる。

 村でそうやって過ごしてきた事をいまさら自覚して、目頭が熱くなった。


 その時、なんの前触れもなく腹から大きな音が鳴った。

 俺は顔も熱くなり、アステマインに弁解しようと彼女の顔を見る。


「簡単なお食事を持ってきますね」


 変にわらうことなく、笑みを浮かべた彼女は立ち上がって、隙のない所作で部屋を後にする。

 昼間に食べてからだいぶ時間が経っていたんだろう。俺は腹をさすって、壁にもたれようと両手をついて後ろに身体を運ぶ。


 暖かい色をした木の壁に身体を預けてから、上を向いて目を閉じる。

 これからどうしようか、ずっと此処に居るわけにもいかないだろうけど、お金も強さも無い今の俺には選択肢すら無い。

 せめて父から受けた光の力、あれが使えればあいつなんて。


 ヴァルハラの身体を両断したあの一撃の感触を思い出し、宙を掴むように手を動かす。

 こうやって強く願えば片鱗へんりんだけでも出るかと思ったが、力んでも願っても何も起こらなかった。


 再び扉が開き、さっと手を下ろしてアステマインを迎える。

 彼女はお盆の上に、食べやすいように細かく切られた肉と、色彩豊かな野菜と、井戸から汲んだであろう水が入ったコップを乗せて持ってきてくれた。


「ありがとうございます」


 掛けられた毛布の上、ちょうど俺の太もも部分にお盆を置いた彼女は、部屋にある小さな机をベッドの近くに持ってきて、その上にお盆を置き直す。

 お盆には、それぞれ小分けされた皿の上に肉と野菜があり、両脇には食事に使う食器が置かれている。


「一人で食べられますか?」


 彫刻のような美しさを持つアステマインが、ぐっと顔を近くに寄せてくる。


「だ、大丈夫です!」


 なんだろう、大人しそうなのに大胆な人だ。子供相手とはいえ、ちょっと近すぎる。

 無言で頷いた彼女は静かに席を立って、扉の前に立つ。

 そこでもう一度振り向いて、手をお腹の前で組んで、丁寧にお辞儀してから去っていった。


 その振る舞いは門番というよりは、貴族の館で執事などを経験してそうな気品があった。

 彼女の過去は少し複雑なのかもしれない。

 しばらく考えてから、俺は身体をお盆の方に向け、斜めになりながら食事に手をつける。


 美味しい。肉は柔らかく、じっくり焼かれたために中までしっかり色がついている。

 野菜は赤や黄色、緑など豊富な色彩が揃っており、噛む度にみずみずしさと歯ごたえある食感が口内を刺激する。

 どちらも味付けはされていなかったが、空腹が何よりのスパイスになったために、あっという間に平らげてしまった。


 一息ついて、水をゆっくりと飲みながら再び考え込む。

 明日になったら、クリストさんに聞いてみよう。

 まずはお金が欲しい。そして強さも欲しい。子供の俺が手に入れるにはどちらも難しい要素だ。


 でも、この世界には魔法がある。スタブの水包丁や、父の光の力、クリストさんの癒しの力も多分魔法かなにかだろう。

 魔法さえ覚えられるなら、年齢なんて関係ない。それはヴァルハラ相手で実証済みだ。あれを、自力で得られればいいんだ。


 問題は、それをどうやって習得するのかという事と、そもそも自分に魔法の才能があるのかという事。

 ヴァルハラも当然だが、魔法を使うだろう。もし魔法無しで立ち向かうとしたら、どうすればいいんだろう。

 考えるのを一旦やめて、水を飲み干した。

 

 部屋には高い位置に小窓があり、そこから外の様子がなんとなく分かるようになっている。

 今は夜だが、少し明るいのを見るあたり、神の目が空を支配しているのだろう。

 寝るか。

 俺は身体を動かして、仰向けに寝転がり、羽根のような素材で出来た枕に頭を乗せて、ゆっくりと目をつむる。


 部屋の明かり、どうやって消すんだろう。

 しばらくその疑問が浮かんでいたが、だんだんと気にならなくなり、身体から力が抜けていく。

 また父さんの夢を見るのかな。

 少し怖かったが、満腹になった身体は重く、そのまま眠気に従った。


 次に目を覚ました時には、窓から陽光が差し込んでおりり、それが朝だということを告げていた。

 なんの夢も見なかったな。

 問題なく目覚めて安心した俺は、上体を起こす。

 足はまだ痛むが、クリストさんの魔法の効果が現れてきているのだろうか。寝る前よりはだいぶ良い。


 横を見ると、机の上にあったはずのお盆が無くなっており、アステマインが持っていったのかと推測した。

 それに気づかないほど眠りが深かったんだろう。身体の疲れも取れている気がした。

 靴を履き、扉を開ける。これなら普通に歩けそうだ。


 室内は煌々こうこうと輝く天井からの明かりで照らされ、教会真ん中に二列あるうちの、自分から遠い方に並んでいる長椅子のひとつに、クリストが座っていた。

 彼は胸の前で右手の拳を作り、目を閉じて静かに祈りを捧げている。確か村のおばあちゃんもしていたはずで、これは日課なんだろう。


 邪魔をしないようにゆっくりと扉を閉めて、壁際を出口に向かって静かに歩いていく。

 ゲエテたちは昨日のうちに帰ったんだろうか。クリスト以外の気配は無い。ゴカゴもブシドウも、多分まだ部屋で寝ているのだろう。


 教会入り口の扉は開きっぱなしで、俺は何回か振り向きながら外へ出た。

 眩しい。正面からの日光が容赦なく降りかかり、思わず手をかざす。

 ようやく目が慣れてきた俺は、辺りを少し散歩してみる事にした。


 昨日も思ったが、厨房も無いのに普段からどうやって食事を済ませているんだろうな。

 湯浴みする部屋は流石にありそうだけど、井戸の水は相当冷たそうだし、温めるための魔法でも使っているんだろうか。

 

 教会を出て右手に回って、薪が重ねられた場所に出る。

 この薪を燃やして、温めているのかな。

 見ると昨日と比べて上の段が少し減っており、明らかに使った形跡があった。


 そういえば、昨日食べた肉美味しかったな。よく焼けていたから、火を起こすのに薪を使ったのかな。

 再び入り口に戻り、今度は左手の方向へ。

 そこには井戸と、井戸のそばにある元手押し車の台と、明らかに囲んで火をいていた形跡があった。


 なるほど、ここでやってたわけね。

 納得して頷いていると、後ろに気配がして振り返る。

 そこには、気まずそうな顔をしたブシドウが、目を合わせずに頬を掻きながら、ゆっくりとこちらに向かってきていた。

 

 彼の突然の出現に、俺は思わず固まってしまう。

 思えば、出会ってから俺はこいつと二人きりになった事がない。

 だが、いつもと違う様子な上に、わざわざこちらに向かってくるあたり何かを伝えに来たように見える。

 俺は一応警戒しながら、不機嫌そうな少年に尋ねた。


「いや、別に、用はねえけどよ」


 いつものような敵視する目をするわけでもなく、何かを言いたげに言い淀む。


「まあ、その、なんだ。悪かったよ。変につっかかって」


 彼は腰に手を当てて、下を向きながら謝罪をした。

 驚いた、まさか謝られるとは。

 という事は、これからは変に絡まれずに済むということか。

 思わぬ展開だったが、とりあえず胸を撫で下ろした。


「……なんとか言えよ」

「ブシドウ、ゴカゴのこと、守ってやれよ」

「なっ!」


 分かりやすく顔を赤くして仰け反り、そのまま固まっているかと思いきや、ゆっくり後ろを向いて背中を見せる。


「当たり前だろ」


 ブシドウはそのまま堂々とした歩みで、教会の中へと向かう。

 ゴカゴが誘拐されたと聞いた彼は、どう思ったんだろう。皆を亡くした俺と、同じくらいの絶望を抱いたんだろうか。

 いや、そんなの比べられない。比べては、いけない。


 それでも、きっと自分の無力を嘆いたはずだ。

 だから、救出した俺に対して勝負勝負と言っていたのかもしれない。

 そう考えるとなんとなく腑に落ちて、彼の今までの行いを理解することは出来た。


 考えが一段落したあと、意気揚々と曲がっていった彼の後を、遅れてついて行くように歩き出した。

 そろそろゴカゴも起き出してきた頃だろう。クリストさんのお祈りも終わってるといいな。


「おはよう、リオンくん。よく眠れたかい?」


 中に入ると昨日と同じ服装のクリストが、そう言って微笑む。

 隣には眠そうな彼の娘が目を腫らしていて、それをいじる生意気な少年の姿があった。

 その後、ゴカゴとブシドウもお祈りをするという事で、クリストさんと二人で外に出て井戸方面へ向かうことにした。


「クリストさんは、魔法って使えますか?」


 井戸から汲んだ水で顔を洗っていた彼は、俺の問いかけに驚いたように動きを止める。

 

「ああ、使えるけど、私のは少し特殊でね。多分、リオンくんの望む種類ではないと思うよ」


 顔を乾かした布で拭きながら、にっこりと笑うクリスト。

 種類が違うのはどういう事かと尋ねると、中で話そうと提案してきた。

 ついでだから俺も顔を洗い、口の中をゆすぐ。

 室内に戻ると、お祈りを終えた二人が座ったまま談笑しており、クリストは彼らにも声をかけて、一緒になってついて行った。


「ミーロの実でも食べるかい?」


 部屋の一室に案内されて、何故かいきなり果物を渡される。

 その部屋には沢山の書物とそれを収める本棚が壁沿いに並び、父が持っていた書斎という部屋とよく似ていた。

 

「お父さんがこの部屋に人を入れるのって、珍しいよね」


 俺の後ろには、一緒に入ってきた二人が、同じくミーロの実を貰っている。

 ここにある本を読むだけで、色々学べそうだな。

 俺は貰ったミーロの実を、そのままかじり付いて咀嚼そしゃくする。


 甘い。果実特有の甘さが口の中に広がり、中には淡い緑色の果肉が覗いている。少し酸味があるそれは拳大こぶしだいくらいあり、ひとつ食べればお腹が膨れそうな大きさだった。


「さて、じゃあそれを朝ご飯がてらに食べながら、魔法について教えるとしよう」


 クリストは本棚にある本をひとつ手に取り、部屋の一番奥にひとつだけ存在する机の上に、あるページを開いて置いた。

 こちらから見えるように開かれたそれには、なにかの図と細かな文章が書かれていた。


「うへぇ」


 ブシドウの心底嫌そうなうめきが聞こえ、彼は急にミーロの実を食べだした。

 さっさと食べてしまって、部屋から去ろうという魂胆なんだろう。彼の思惑が透けて見えて心の中で笑いつつも、本の内容に集中し直す。


「いいかい、魔法というのはね、いくつか種類があるんだ」


 クリストが指差した箇所には、記号のような図がいくつかあった。


「これ、火の形してるわね!」

「そう、そのまま火だね。赤とも言われる」


 そのまま指を動かし、六角形の各頂点にある記号を右回りに指していく。


「これが、水。次に木。雷、光、闇。基本的には六種類ある」


 父が持っていた光の魔法も、基本的な種類の一つなのか。

 隣では今にも頭から湯気が出そうなブシドウが、もはや食べることもせずに動きを停止させている。

 勉学の類は嫌いじゃない。父から外の世界について学んでいた時も、ただただ楽しい感情しかなかった。


 でも、今は状況が違う。全ては復讐のため。

 俺は意地でも叩き込まなければならない。たとえ才能が無くとも、知っていれば対抗手段もわかるはず。

 

「よし、じゃあリオンくんに質問しよう。この中で、私の持つ属性はどれだと思う?」


 珍しく意地悪そうに笑い、こちらに本を差し出す。

 俺はゴカゴと一緒に本を覗き込む。


「私は知ってるからなあ」


 小悪魔的に少女がにやりと笑って、俺の顔を覗き込む。

 それに反応したブシドウが動き出し、間に割り込むように入ってきた。


「ちょ、なによブシドウ」

「いや、俺も勉強したくなって」


 和解したつもりとはいえ、見え見えの嘘をついて、こちらを一瞥いちべつする姿はまるで成長が見られない。

 そんな彼を軽く無視して俺は、木の形を指差した。


「木、ですか?」


 正解かを知るためにクリストの顔を覗くと、満足げな顔でゆっくりと彼は頷いていた。


「正解!」


 隣で叫んだゴカゴは、にこやかに俺の背中を叩く。反射的にブシドウの顔を見ると、相当悔しそうな顔が映った。

 

「良かったら、木を選んだ理由を聞かせてくれないか?」


 そう言われて、少しだけ考え込む。

 理由としては、消去法みたいなものだ。

 クリストさんの魔法には癒しの力がある、つまり闇は有り得なさそうだった。次に火も該当しないだろうと感じ、同じ理由で雷も除外した。

 どれも応用すれば癒すことも出来るだろうが、ここでクリストさんが言った事が引っかかる。


 俺の望む種類ではない、という事は攻撃として使うのには不向きだと考えた。

 光は父が攻撃にも使ってたし、水はスタブが手押し車を切るのに使っていた。

 つまり、この中で一番攻撃に不向きそうなもの。それが木だった。

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