「休んでな、心配しなくても交代はしてもらうぞ?」


 にやりと笑って、力のままに縄を引っ張るスタブ。

 井戸の屋根からぶら下がった滑車が音を立てて周り、井戸の中に沈んでいたおけがたっぷりの水を入れて上がってきた。


「クリストのやつ、使わねえなら外に出しておけよな。錆びちまうぞ」


 桶のことで文句を言いながら、引き上げた桶を両手で掴んで地面に置いた。

 鈍い音を立てながら踊る水面が桶を飛び越え、大粒の水が地面に飛んで黒くにじんでいく。


「坊主、すまねえが中に食材運んじまってるんだ。持ってきてくれ」


 息を切らす彼は教会を指差してそう言いながら、運んできた台の表面に息を吹きかけてほこりを飛ばす。

 俺は言われた通りに再び教会の入り口を通り、初めてスタブと会った場所へ向かう。


 長机の上に、布で包まれた大きなものがいくつか置かれてあり、俺はそのうちの一つを抱えて、よたよたと歩き出す。

 想像以上に重いなこれ。

 感触からして肉の塊だろうか。袋を開いて中を見たい衝動とたたかいながら、外に出る。

 ひときわ大きな星が空にぽつんと浮かび、父はそれを神の目と呼んでいた。今宵はそいつがまん丸になっているみたいで、こちらを見下ろすように真上にあった。


 まだ始まってもいない宴のために、震える腕に力を入れる。

 しかし、急に目の前が歪んで、平衡感覚を失った俺は横に倒れ込む。


「リオン!?」


 ゴカゴの声が聞こえたが、吸い込まれるような眠気にそのまま身体をゆだねた。


『リオン』


 目を開けると、そこには父が居た。何故か騎士団時代の鎧を身に纏い、兜を外して俺に向かって微笑んでいる。


「父さん」


 俺は起き上がろうとするが、どうしてか上体を起こすことどころか頭すら動かせない。


『ミレイを頼む』


 何を言ってるんだ、ミレイはもう、死んじゃったじゃないか。

 うつ伏せのまま目を動かす俺は、おかしな事を言う父を見上げる。


『生きろ、リオン。生きていれば』


 突然、周囲が炎に囲まれて燃えさかり、金縛りから解けるように俺は起き上がる。

黒煙を上げる民家と抉り取られた地面が見えて、鎧を着ていたはずの父は少しずつぼろぼろの見た目になっていき、目も虚ろに変わる。


「父さん!」


 炎に巻かれ、父の姿がどんどん崩れていく。俺の頭の中に、ヴァルハラの不快な笑い声が響いた。


『ハヴェアゴッドへ行くんだ』


 下半身が燃え尽きて上半身だけになった父は、俺の記憶にある最期の姿と重なる。

 それを見て俺は頭を振り、割れんばかりに叫んだ。


「ああああぁ!」

「リオン! 落ち着いて! リオン!」


 起き上がった俺は素早く左右を見渡し、そこが教会の中の一室だと気づくまで少し時間がかかった。

 かたわらにはゴカゴが座っており、俺の手を力強く握っている。


「酷くうなされていたわ」


 息が乱れて、胸が激しく鳴り響く。俺は左手で胸を押さえ、動悸どうきを沈めるために深呼吸をした。

 夢、か。俺は寝ていたのか。


「……みんなは?」

「外に居るわ。リオンが倒れた後、お父さんが診てくれたの。そのあとこの部屋まで運んで、私に任せて戻っていったわ」


 思えば、あの日から俺は一睡もしていなかった。倒れる瞬間まで、眠気を自覚できなかった。


「ゴカゴも、寝てないんじゃないか?」

「ええ、私も今すごく眠いわ。安心したから余計に」


 身体がすごく重い。寝た瞬間にようやく疲れを自覚したのか、足周りと足の裏に激痛が走る。

 一晩中歩いていたもんな、よくマルクの上で眠りこけなかったものだ。


「とりあえず、お父さんに伝えてくるね。リオンはもう少し休んでて」


 手を離した彼女は立ち上がり、扉を開けて出ていった。

 扉が閉まるのを確認して、俺は再び横になる。寝かされたベッドは柔らかく、身体を預けるほど沈んでいく。

 天井には薄暗いランプがぼやけた光を放っていて、その光を見ながら夢を思い出していた。


 いや、正直思い出したくないが、父の言っていた事がやけに気になるんだ。ただの夢にしては、あまりにも生々しかった。

 ミレイ、彼女の腕を埋める時、何故あれがミレイのものだと俺は思ったんだろう。

 子供の手だったから? 最初に声がした方向で見つけたから?


 もし彼女が生きていたとして、腕を失っていたら長くは生きられないだろう。それに、ヴァルハラがわざわざ見逃すわけがない。


 ああ、そうだ。どうして村をつ時、ハヴェアゴッドを目指していたのか、なんとなく分かった。

 夢の中の父が俺に向けて伝えた内容、それらがもし実際に聞いていたものだったらと考えたからだ。

 あの言葉は確かに聞き覚えのあるものだった。聞いたとすれば、気絶している間。それも父の背中を最後に見たあの時だ。


 俺は上体を起こして、ベッドから足を下ろす。

 床には呉服屋で買ってもらった柔らかい皮を使用した靴があり、そこに足を突っ込んで立ち上がる。

 激痛に顔を歪めながらもそのまま扉に向かい、ゆっくりと開けると賑やかな声が遠くから聞こえてきた。


 恐る恐る顔を出して、薄暗い屋内を見渡す。中には誰も居ないみたいで、外で楽しんでいるんだろう。

 

「こら!」


 突然の声に、飛び上がるほど驚いた俺は危うくこけそうになる。


「何してるの! お父さん来るまでは安静にしててよ!」

「まあまあ、歩けるということは元気な証拠だよ」


 にこにこと笑うクリストは、俺の顔を見て安堵の表情を浮かべている。


大事おおごとにならなくて良かったよ。歩けるかい?」


 拗ねたように頬を膨らます娘の横で、彼女の父親は大きな手を差し出す。

 この親子は、手を差し出すのが好きだよな。


「ちょっと足が痛みますけど、大丈夫です」

「足を痛めたの?」


 怒っていた表情が一変して、今度は眉尻を下げて気遣う声色に変わる彼女。


「治療したんだが、思いのほか治りが悪いみたいでね。だいぶ酷使していたんじゃないかな?」


 だろうな、と揺れるように頷く。靴を履いているとはいえ、歩くだけで激痛が走る。しばらくは走ることすらできなさそうだ。


「でも、普通に走ってたし、どうして急にそんな事に……」


 ゴカゴが思うのも当然だ。俺だって、寝て起きたらこうなってたから未だに信じられない。


「坊主! 大丈夫か!」


 クリストが席を立ったことで俺が目覚めたことが分かったんだろう、教会に入ってきたスタブが大声で近づいてくる。

 その後ろにはゲエテと他の二人も続いていた。


「すまねえ、まさか怪我してるなんて気づかなくてな」

「いえ、俺も全然自覚してなくて、スタブさんのせいではないです」


 そうは言ったが、スタブは眉間に亀裂のようなしわを作って今にも泣き出しそうな悲痛な表情をしている。

 薄暗いがよく見ると顔が赤く、少し酒臭かった。


「リオン、大丈夫か?」


 出会った頃からひょうひょうとしていたゲエテも、真剣な表情で尋ねてくる。

 ちゃんと名前で呼んでくれたのは、ゴカゴのお陰だろう。

 ここまでの様子からして、どうやらみんなは俺が倒れた原因を、足の怪我が悪化したかなにかだと思っているみたいだ。

 

「えっと、あの、大丈夫ですから、皆さんどうか宴を続けてください。俺はもう少し寝ておきますんで」


 ゲエテとスタブは名残惜しそうだったが、クリストが背中を押して大人たちは外へと歩いていった。

 残ったゴカゴはわざとらしく咳をして、歩こうとした俺の横にぴったりと付いて腕を掴んで自らの肩に回した。

 そうか、歩きづらそうにしているのを気遣ってくれたんだな。

 彼女の行いに、微笑みを浮かべる。


「お前何してんだ!」


 突然物陰から現れたブシドウは、俺とゴカゴを指差して怒鳴りつけた。

 意味のわからない怒声にぽかんとしていると、ずかずかと歩み寄って俺と彼女を引き離そうとしてきた。

 ずきんと足が痛み、思わずよろけて壁にぶつかる。

 

「いってぇ……」

「ブシドウ!」


 頭を打ったみたいで、ゴカゴの声が脳内で跳ね返る。その痛みを目をつむってこらえ、ゆっくりとぶつけた箇所に手をやる。

 大丈夫だ、血は出てない。感触を確かめて顔を上げると、うろたえる少年に掴みかかる少女の姿があった。


「やっていい事と悪い事があるでしょう!」


 そう言ったゴカゴが彼の左頬を叩き、乾いた音が響き渡る。

 頬を手で押さえたブシドウは、涙声で訴えかける。


「だって、だってお前があいつとくっついてたから」

「リオンからわざとくっついたって言いたい訳?」


 鬼の形相で弱った彼を睨みつけ、彼女は聞いたことないくらいの低い声を浴びせる。

 かろうじて頭を横に振り、それを否定するブシドウだったが、それだけで状況が好転する訳がなく、さらにゴカゴに詰められる。


 俺はどうするべきだろうか。

 思い切りぶつけた所は未だに痛く、視界が揺れている状態で仲裁に入るのも馬鹿らしい。

 大人たちは外に居るし、止められるのは俺だけ。

 だけど、誤解をなんとかして解かないと結局問題を後回しにするだけだ。


「待って」


 壁を使ってよろよろと立ち上がり、俺は声を振り絞る。

 

「リオン、大丈夫?」


 突き飛ばすようにブシドウから離れたゴカゴが、俺の肩を持って支える。

 それを見た嫉妬に狂う少年は再び顔が歪むが、その前に俺は口を開いた。


「そもそも誤解しているよ、二人とも」


 さて、なんと言えば分かってくれるだろうか。特にあいつは。

 まだクラクラするが、考えをまとめるために深呼吸を繰り返す。


「なんだよ誤解って!」

「まず、今の俺はとても足が痛い。それこそ、誰かに支えてもらいたいくらい。それを、ゴカゴは気遣って肩を貸してくれただけなんだ。まずそれがブシドウ、お前の誤解な」


 そんなの分かってる、と言いたげな顔でブシドウは歯噛みする。正直、今回はかなり頭に来ているが、今は会話することが大事だ。


「次にゴカゴ、ブシドウはその、俺のことが嫌いなのは嫌いなんだけど、その理由を分かってないんじゃないか?」

「おいてめぇそれ以上言うと」

「ブシドウ黙って」


 指を差して咎めようとする愚かな少年に冷たく言い放ったゴカゴは、話を続けるように目配せをしてきた。


「俺は、偶然で助けて感謝をされているわけだけど、ブシドウはぽっと出た俺にゴカゴが惚れてしまうんじゃないかと思って俺に」

「お前!」

「ブシドウ!」


 彼女は再び声を上げるが、明らかにその顔は動揺していた。

 正直、これは俺が言うべきではない。でも、その為に俺が被害をこれ以上受けるのは嫌だったし、ここではっきりさせた方がいいって思った。

 そう、思ってしまったんだ。


「ブシドウ、リオンの話って」

「お、お、俺は!」


 直立不動になって両拳を握りながら俯くブシドウは、顔を真っ赤にしながら言葉を詰まらせる。


「……私、リオンのことが好き」

「えっ!?」


 えっ!?


「でも、ブシドウのことも好き。好きだけど、私のせいでブシドウはリオンに意地悪してたってことでしょ?」


 だんだん涙声に変わっていくゴカゴ。俺はこのまま肩を預けるべきか迷い、ゆっくりと腕を下ろす。


「ち、違う! それは違う!」

「だって、いつもは優しいブシドウが、リオンがいると、凄く意地悪になって、しまうんだもん」


 ついに大泣きをし始めた彼女は、上を向いて手で涙を次々拭いながら嗚咽おえつ混じりに叫ぶ。

 いつもは生意気な少年は慌てふためいて、彼女の元へ駆け寄った。

 そんな情けない顔と目が合って、俺はえて彼女から一歩離れた。


 あくまで主役はお前なんだ、ブシドウ。誤解を、解いてやるんだ。

 そう心の中で念じた言葉が通じたのか、うろたえていた顔を引き締めて、男らしくゆっくりと首を縦に振る。


「ごめん、ゴカゴ」


 わんわん泣く少女の声で、ようやく大人たちはなんの騒ぎだと一斉に駆けつける。

 あやす形で背中を丸めた少女を抱きしめる彼を見て、クリストさんはどう思っただろうな。


「こ、これは一体、何が起こったんだ?」

「お嬢が泣いてる、珍しいねぇ」

「明日は雨が降るなこりゃぁ」


 酔っ払いたちは呑気に感想を呟き、慌てる父親は俺に助けを求めるように目で訴えかける。

 クリストさんには悪いけど、ここで俺が関わると台無しになってしまうから何も出来ない。

 俺は首を横に小さく振って、寝ていた部屋を目指してよろよろと歩き出した。


 すると、誰かが近づいてきた気配がして、クリストさんかと思った俺は顔だけ振り返る。

 そこには、まだ話したことのないもう一人の門番の姿があった。

 門番をしている時は頭巾を被り、今は髪を後ろで二重に結んで短くしていたからてっきり男だと思っていたが、よく見ると線が細く、女性特有の顔立ちをしている。


「大丈夫ですか?」


 声を聞いて確信した。この人女の人だ。

 女の人も門番をするんだな、ってそんなどうでもいい考えをしている場合か。


「ちょっと足が痛むだけです」


 今は頭も痛む、とは言わなかった。

 話を聞いた彼女は頼んだわけでもないのに、自然な動きで手を後ろから肩に回し、身体を支えてくれた。

 流石に身長差は少しあったが、それを考慮こうりょした支え方に感謝しながら、一緒に部屋を目指す。


 泣き声がこだまする室内は少し肌寒く、それは懺悔をする人々の重たい空気を思わせる冷たさがあった。

 燃え上がっていた宴の炎は、少女の涙によって呆気なく消えて仕舞いとなったのだ。

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