吐露


「ああ、確かにある。沢山あるよ」


 おどけた振りをするが、ゴカゴは表情を崩さない。路地の真ん中でお互い立ち止まり、思い詰めた表情をした彼女を見つめる。


「リオンって十五歳くらいだっけ?」

「え、まさか。十歳だよ」


 てっきり驚くかと思ったが、動揺は見られない。

 代わりに少し俯いて、片腕を抱き抱える。


「そう」


 やけに素っ気ない反応のあと、またゆっくりと歩き出す。

 様子がおかしいのは分かっていたが、俺は彼女が話し出すまで待っていた。


「リオンって、凄く大人びてる。同い年に思えない」


 何かを言いたそうにしている背中は、同い年と知った途端にやたらと小さく見えた。


「そんな事ないよ」

「あるよ。凄くかなしい目をしてるもん」


 哀しい目、か。彼女が言うならそうなのかもな。

 洞察力が鋭いというか、本当に俺の事をよく見てるんだろう。彼女に言われたことは、全てそうだと思わされるくらいに説得力があった。


 後ろ手に組んで振り向いたゴカゴは、夕日を受けてどこか浮かない表情を映す。


「私と会う前、何があったの?」


 ざあっと一陣の風が吹いて、肌を撫でていく。

 辺りに人はほとんど居ない。街の外れの方に向かっているらしく、見るからに閑散としていた。

 時間がゆっくりと流れているようで、風の音以外は何も聞こえない。

 自分の鼓動さえうるさく感じて、それを吐き出すように口を開いた。


「……俺は元々、村に住んでいたんだ。村の名前は、あったかどうか分からない。そこで、父と、みんなと一緒に過ごしてた」


 話す途中で、前に立つ少女は無言で手を差し出す。

 それに対して何も言わずに手を取り、またゆっくりと歩き出す。


「すごく幸せだった。この模造刀でいつも父と稽古をしていたし、からかってくる女の子がいてさ。その子に片思いとかしちゃって、毎日過ごしてたんだ」


 背中にある剣を指して、楽しかった日々を思い出しながら話していく。

 頭の中に浮かぶ父との稽古の日々、ミレイの笑顔、みんなとの触れ合いや会話。

 その一瞬の間だけ、俺の心は晴れやかだった。


「でも、あいつが来たんだ。あいつに、父も、ミレイも、みんな殺された」

「うっ」

 

 はっとして、俺は手を離す。憎しみのあまり手に力が入り、痛みで上げた彼女のうめき声を聞いたからだ。


「ごめん」

「大丈夫」


 再び差し出された手を見て、俺はそのまま続けた。


「俺は、あいつを殺すためだけに生きている。ゴカゴが乗っていた馬車を偶然見つけたあの時だって、本当は宛もなく歩いてただけ。そのまま死んでもいいって感情と、あいつへの復讐の感情がせめぎ合って、今はかろうじて復讐が勝っている。それだけだ」


 これで全てだ。まさか人に話す時が来るとは思ってもいなかった。

 話し終えた俺は自虐的に笑い、ゴカゴを見た。

 次の瞬間、飛び込んできた彼女に強く抱きしめられる。

 焦った俺は肩を持って引き離そうとするが、彼女は離れようとしない。


「話してくれてありがとう」


 やけに声を震わせた彼女が、呟くように言う。

 その言葉を聞いて、心の芯が震えた気がした。

 ふっと腕の力を抜き、そのままなだめるように彼女の背中にゆっくりと手を置いて、とんとんと叩く。


「へへ、慰めるつもりが逆になっちゃった」


 離れた少女の顔は涙で溢れていた。俺は服の袖でその涙を拭い、優しく頭を撫でる。

 ミレイがころんで泣いていた時に、よくこうしていたな。

 たびたび幼馴染と重なるゴカゴを見て、心が少しずつほだされていく。


「辛かったよね、思い出させてごめんね」

「いや、いいよ」


 思えば、奴が来る前の俺はどんな性格をしていたのか。どんな考えを持っていたのか、まるで思い出せない。

 純粋無垢な子供、だったんだろうか。


「……私、本当は諦めてたんだ。こんな性格でしょ? だから、攫われた時は凄く抵抗してたの。でも」


 ぽつりと話し出す彼女の横顔は赤く照らされ、何かを思い出して身震いした彼女は、腕を抱き抱えて俯く。


「私をモノとしてしか見てないあの目を見て、動けなくなっちゃった」


 他人事のようにそう呟いて、足元にあった小石を蹴る。

 彼女が自身の弱気な部分を包み隠さず見せてくれている事実に気づき、ついさっきの自分を省みる。


「私がどこに向かわされてたか、想像はつくよ。奴隷商人も居たから。だから」


 奴隷商人。初めて聞く言葉だったが、決していい意味ではないだろう。


「だから、凄く感謝してる。ありがとう」


 大きな瞳が揺れて、こちらを見据えてくる。その口元は聖母のように微笑み、夕日が後光のように輝く。

 俺は頬と耳が熱くなる感覚が上ってきて、思わず目を逸らした。


「もう、目を逸らさないでよ。あの時だってお父さんが来なかったら、今こうやって言い直さなくてもよかったのに」


 頬を膨らませ、腕を組むその姿は、やはり歳相応だと感じた。


「ありがとう、ゴカゴ」

「別に。さ、この話は終わりっ。それよりも、リオンは早く強くならないとね」


 そう言って舌を出して、悪戯っぽく笑う。

 その姿は、絵画の中の幻想的な世界に舞い降りた天使のようだった。

 俺は苦笑いをしながら、頬を掻く。


「そうだね」


 しかし、今は師も居なければ剣を振るう場も無い。

 結局復讐という意思だけが先走って、手段がともなっていないのだ。


「もう少し歩いたら着くから、行こう」


 再び彼女の手を取り、少し駆け足で道なりに行く。

 ちらほらと色とりどりの花が道の脇に咲いていて、進めば進むほどそれは増えていく。


「これ、私とお父さんが植えてるの!」


 走りながら嬉しそうに彼女は言う。


「凄いね、二人だけで?」

「うん!」


 風に揺られて気持ちよさそうな花に歓迎された気がして、自然と笑みが浮かんでくる。


「見えてきたよ、あれが私の家。教会だけどね」


 ゴカゴが指し示す先に、大きな十字架の装飾が建物中央にされた教会があった。

 その周りには緑と色とりどりの花があり、楽園のような存在を醸し出す。

 旅路の終点のようにそびえ立つ教会の入口付近に、夕焼けで照らされたいくつかの人影が見える。

 そのうちの一つがこちらに手を振り、声を上げた。


「お嬢〜!」


 ご機嫌に呼ぶその声は、昼間の門番ゲエテだった。

 まさか宴って言っていたが、本当にするつもりだったのか。しかも此処、教会だぞ。


「お嬢、クリストさんと一緒だったんじゃ……」

「お父さんならブシドウの相手をしてもらってるわ」


 自分の父をまるで家政婦のように説明する彼女は、日暮れも相まって、涙の跡を隠すように振舞っていた。


「あー、道理でブシドウもいねえなって思ってたよ」


 そうだ、確か奴も教会に住んでいるんだっけか。

 最終的にはクリストと二人で帰ってくる未来を想像して、早くも俺はこの場から去りたくなっていた。


「で、英雄様はすっかりお召し物もいただいて、男前になっちゃって! 乾杯の音頭は任せたぜぇ」


 どうやらゲエテは、人にあだ名を付けるのが趣味らしい。

 しばらく続きそうな英雄様呼びに、俺はいつまで耐えられるだろうか。

 俺は、英雄なんかじゃないのに。


「リオンが困ってるでしょ! ちゃんと名前で呼びなさい!」


 ゴカゴの指摘に、陽気に笑って返すちょび髭男。後ろを見ると、もう一人の門番と、少し歳の行った男と大人しそうな若い男の三人が居た。

 ゲエテ以外は大人しそうで、特に門番の人は置物のように微動だにしない。たまに話しかけられてはいるが、小さく頷いたりするだけだ。


「ところでお嬢、聞きましたかい?」

「何を?」


 さっきまでの声色を急に潜めて、ひそひそと手を添えるゲエテ。


「フロン村が何者かに襲撃されたらしい」


 俺は自分の住んでいた村の名前を知らなかった。

 だけどそれを聞いた瞬間、髪が逆立つ感覚が巡り、一気に顔が熱くなる。


「……ええ。そうね。そんな事より、宴、するんでしょ? 早く準備しないとみんな待ちくたびれてしまうわよ」

「お、おう。そうだな! なんたって、二人は主役なんだ。脇役のおいらたちが働かなくてどうするってな!」


 張り切る門番は胸を叩いて元気に叫び、後ろに居た三人に呼びかける。

 俺はゴカゴの機転に感謝して、ゆっくり深呼吸した。


「大丈夫?」


 声を潜めて顔だけ振り返る彼女に、俺は無言で頷く。

 父は辺境の村って言っていたけど、ゲエテが知ってるってことはもう街全体で噂になっているんだろうな。

 ゴカゴは俺の反応を見て強く頷き、ちょび髭男の元に走っていく。聞こえるような大声を出して彼らへ指示を出す姿を見て、彼女なりの気遣いを感じていた。


「おお、リオンくん! ようこそ我が家へ!」


 不貞腐れたブシドウを引っ張ってきたクリストは、俺を見つけて目を輝かせる。


「おお……これは凄いな」


 彼らの頑張りにより、教会にはところどころにランプが掛けられ、暗闇を星のように照らしていた。

 その光景を見て、クリストは目をつむって中指を眉間に、そのあと顎を触ったあと胸の前で拳を作る。


 それは村のおばあちゃんもしていた、祈りのポーズだった。


「あ、お父さん!」


 梯子はしごを使ってランプを掛けていたゴカゴは、父親の存在に気づいて手を振る。


「危ないから、降りてから手を振りなさい」


 困ったように笑うクリストは、愛する娘に近づいていく。

 本当に仲が良いんだな。羨ましいけど、見ていると胸が痛くなる。

 目を泳がせる俺は取り残されるように立っていたブシドウと目が合ってしまい、気まずくなって目を逸らす。


「俺は認めねぇからな!」


 吐き捨てるような文句が聞こえてきたが、聞こえないふりをした。

 

「リオン! ブシドウ! 手伝ってー!」


 再び梯子に手をかけるゴカゴは、俺たちに手を振りながら叫ぶ。

 いち早く反応した生意気な少年は走り出して、対抗心を煽られた俺も走り出す。


「何すればいい?」

「んー、中に入ってできることありそうならやってて」

「俺は! 俺は何すればいい?」

「ブシドウはー、私にランプを渡す役で」


 「おう!」と嬉しそうに叫んで、勝ち誇った顔でこちらを見てくるブシドウ。

 やれやれ、子供だな。

 俺は言われた通りに開け放たれた教会の扉を潜り、中に入る。


 村にある教会と違って、天井が高く、精巧なガラス細工によってかたどられた窓や、屋内を照らすランプが天井に設置されている。

 どうやって明かりを点けているんだろう。


「坊主」


 首が痛くなるほど見上げていると、少ししわがれた声で呼ばれた。

 振り向くと、ゲエテの後ろに立っていた壮年の男が、刃物を片手に立っていた。


「うわぁ!」

「あ、すまねぇ。仕込み中でな」


 無様に転んだ俺に、空いた手を差し伸べる男。

 頭には白い頭巾を被り、身につけている服の上に、清潔感溢れる肩から伸びた前掛けをしている。

 その姿はよく厨房に立つ人がしているような見た目だった。


「坊主、嬢ちゃんを助けてくれてありがとうな」


 男は左の口角を上げて、ぶっきらぼうに言う。


「俺はこの街で店を持ってる、スタブってんだ。クリストさんには色々お世話になってるから、腕によりをかけて宴を盛り上げるつもりで来たんだが」


 少し腹が出ており、貫禄あるその姿からして料理人なんだろう。

 スタブは一瞬振り返って、への字に曲げた顔を見せる。


「厨房がねぇんだと! 笑っちまうぜ」


 肩をすくめて苦笑する彼に合わせて、俺も笑みを浮かべる。

 

「えっと、俺は何をすればいいですか?」

「あー、即席のを作るからそれの手伝いをしてくれ。しゃがんで色々するのは腰に来るからな。あ、あとその背中のはここらに置いとけ。危ねぇからな」


 俺は言われた通りに背中に掛けていた模造刀の入った布を、室内の壁に立て掛ける。

 そして彼について行き、外に出て右に折れて、さらに右に回るとまきがピラミッド状に重なっている資材置き場のような場所に辿り着く。

 まさか一から作るのか? と思ったらそのまま通り越して、離れた所に置いてある木造の手押し車の前で止まった。


「俺は大工じゃねえ、だけどな、俺の刃物はなんでも切れるんだ」


 なにやら危ないことを言って、スタブは手押し車をひっくり返したあと車輪を繋ぐ木を根元から切っていく。


「え、壊すんですか?」

「車輪をのけたら台になるから切ってるだけだ、これは俺が持ってきたやつだから気にすんな」


 驚くほどの切れ味を誇る刃物だったが、よく見ると表面に水を纏っているように見える。

 それが木に当たる瞬間に高速で揺れて、紙でも切るような所作で解体していく。

 

「魔法、ですか?」

「お、よく気づいたな坊主!」


 あっという間にただの木の台になったそれを持つため、手押し車の名残がある取っ手部分へと誘導された。


「近くに井戸がある、そこまで運ぶぞ」


 言われるがままに持ち上げて、スタブを先頭に教会の入口を横切るように運んでいく。

 ゴカゴとブシドウは仲良さそうに作業を進めていて、その様子をクリストさんが後ろで監督をしている。

 こちらに気づいた彼は、運んでいるものをしばらく眺めたあと、驚いた顔をして申し訳なさそうに頭を下げた。


「厨房が無いことを先に言っておけば良かったですね」

「気にすんなよ! これも充分使い込んだから、年季の入った良い台所になるだろうよ!」


 クリストと話すスタブは一旦台を置いて、俺も手を休める。

 そもそも、ゴカゴたちはどうやってご飯を済ませていたんだろう。

 二人のやり取りの間、ブシドウの嬉しそうな横顔が目に入る。

 毎回勝負って言うけど、何して勝負するつもりなんだあいつ。


「待たせたな、さあ行くぞ」


 教会の反対側まで来ると、そこには石造りの井戸があった。

 井戸なら村にもあったから俺は使い方を知っていたが、

滑車から垂れる縄を持ったスタブは、俺に手のひらを向けて制止した。

 その手には複数のマメが出来ており、職人を思わせる歴史を映した手のひらだった。

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