タンジョウの街にて

「タンジョウの街……?」


 てっきりあれはハヴェアゴッドの街かと思っていたが、違っていたみたいだ。


「そうよ、戻ってこれて良かった」


 どうやらゴカゴはこの街の出身であるらしく、戻った喜びによる涙だと確信した。


 マルクは街が近づくにつれて走るのをやめ、ゆっくりと歩いていく。

 走っている時も思ったが、この奇妙な毛玉の走り方は特殊なのか、乗っているにも関わらずほとんど揺れなかった。

 元々は魔物だが、家畜用となった事により改良されたのだろうか。その辺を聞こうとするとまたゴカゴに怒られそうなので、俺は推測だけで考えるのをやめた。


 街の周りにはまるで城壁のような高さのある塀があり、今は開放してあるが巨大な門がちょうど塀の中央に構えられている。

 門の脇には二人の門番らしき人が常に立っており、簡単には忍びこめなさそうだった。


「門番が居るな……どうしようか」

「え、普通に通るけど」


 当たり前のような顔をして言う彼女に、俺は目を丸くした。

 ゴカゴも俺も言っちゃ悪いが、身なりがまるで難民のようだった。それこそ、見た目が原因で門前払いを受けそうなくらいには。


 門番の一人がこちらに気づいて、ゆっくり近づいてくる。マルクに乗っている事自体は警戒に値しないのか、手に持つ槍は肩に乗せて、穂先を後ろに向けたままやる気なさそうに歩いている。


「止まれ止まれ、どこから来たお前ら。なんでマルクに乗っている?」


 質問が複数飛び、俺は考えを巡らせるが、隣の少女は背筋を伸ばして芯の通った声で答える。


「私はゴカゴ、クリストの娘よ」

「……ゴカゴ!?」


 名前を聞いた門番は素っ頓狂な声を出し、彼女の顔をまじまじと眺める。少し奥で待機していた門番の男も、槍を落とすくらいに動揺していた。


「……帰ってきたわ、ゲエテ。ただいま」

「おい! クリストさんに急いで知らせろ!」


 後ろに居た門番が慌てるように街の中に向かって走り出し、それを見届けたゲエテと呼ばれた男はこちらに向き直った。


「で、隣に居るのは?」

「私を助けてくれたリオンよ、一緒に逃げてきたの」

「あ、いや、その」


 誇らしそうな彼女が言うのと同時に、「大したもんだ」と俺の右足を叩くゲエテ。


「ありがとよ、お嬢を助けてくれて」


 俺は言葉に詰まった。行きずりでそうなったとはいえ、揉め事を起こした身としては素直に喜べなかった。

 それを見て人懐こそうに笑うこの男は何を勘違いしたか、急に満面の笑みになる。


「おうすまんな、お腹空いてるだろ! 英雄様にここで立ち話させるわけにもいかねえ! 通ってくれ! あ、マルクからは降りてくれよな」


 鼻の下から左右に延びる短い髭を持つ面長の男、ゲエテ。

 その顔をようやくまともに見た俺は、言われた通りにマルクから飛び降りた。

 

「お嬢はもうすぐ迎えが来るだろうから、此処で待ってなせえ」

「嫌よ、リオンが迷っちゃうでしょ」


 ゴカゴの言葉は嬉しかった。正直、俺の住んでいた村と比べるとまるで迷路のような構造にしか見えないこの街で、飯屋に辿り着けるかすら不安だったからだ。

 もちろん、お金の問題もあったが。


「んー、まあ、それなら仕方ねえな。とりあえずどこに行くかだけ教えてくれ」

「んー、まず服を何とかしたいわね」

「……ならやっぱり待っててくだせえ」


 そもそもゴカゴはこの街でそれなりに顔が知れているみたいだが、どんな立場の人物なんだろうか。

 軽快なやり取りをする二人を眺めながら、待つこと十数分。

 遠くから長髪を棚引かせて、本来先導するはずの門番をも追い越して走ってくる男がだんだん近づいてきた。


 まさかの徒歩か。

 馬車か何かで登場することを想像していた俺は、少し拍子抜けをした。


「ゴカゴぉ!」


 近づいてきた男は白と黒の服を身にまとっており、俺はそれを見て村にあった小さな教会にいつも居るおばあちゃんを思い出した。


「お父さん」

「良かった、無事で! 良かった……!」


 気丈に振舞っていた彼女も、父親を前にした途端に一気に大粒の涙を流しだし、お互い抱き合ったまま泣きじゃくる。

 それを見ていて少し気まずくなった俺は、その光景から背を向けた。

 父を、思い出すからだ。


「ありがとう」


 充分に再会の挨拶が終わったところで、ゴカゴの父であるクリストは深々と頭を下げてくる。


「いや、俺は別に」

「謙遜しないでくれ、私は本当に感謝しているんだ」


 ゲエテの話によると、ゴカゴは数日前に街の外で何者かにさらわれたらしい。

 その時も馬車によって移動していたのだが、護衛は全て殺されていたそうだ。


 本人から聞いたらもっと状況が分かるだろうが、流石にそれはやめといた方が良さそうだな。


「そうだ、リオンくん。私と一緒に来てくれるかね?」


 目をくりくりとさせて、少しちぢれ気味な長髪を持つ男は顔を近づけてくる。

 非常に彫りが深く目鼻立ちがはっきりした顔をしており、まつ毛も驚くほど長い。少なくとも、村には居なかったタイプの見た目をクリストは持っていた。


「は、はい」

「お父さん、圧が強いよ」

「ああ、すまんすまん」


 なんだろう、この言いようのない迫力は。

 

「じゃ、おいらはここで! 今夜はうたげですな!」

 

 ウキウキしながらゲエテはそう言って、持ち場に戻っていく。

 ちゃんと任務を遂行したもう一人の門番をねぎらっているあたり、部下思いの良い男なんだろう。


 復讐を誓った身でありながら、優しさに触れてしまうと、ふとその想いがぼやけそうになってしまう。

 俺は父の姿、みんなの最期の姿、そしてヴァルハラの顔を思い浮かべ、復讐の炎にくべていく。


「どうしたのリオン、そんな怖い顔をして」

「あ、いや、なんでもない」


 やはり誰かと一緒に居るのはやりにくいな。


 その後、クリストの頼みで三人でタンジョウの街を並んで歩いた。

 抜き身だった模造刀には紐付きの袋を被せられ、背負えるようにしてもらっている。

 俺としてはいつ奴が来てもいいように心構えをしていたいのだが、二人はちょくちょく俺に話しかけてくる。

 特にゴカゴはそれが多いぶん、移動中も随分と気が散ってしまった。

 彼らにとって俺は恩人であるから、それは仕方ないことなのだけど。


「着いたよ」


 クリストが案内してくれたのは、どうやら呉服屋ごふくやのようだった。

 外に飾ってある服は小さいものが多く、子供用の服を多く扱ってそうだ。

 彼の考えることは手に取るようにわかるが、なにせ生まれて初めての街だ。流行も分からなければ、普通すら分からない。

 俺としてはもう、着れたらなんでもいい。そんな投げやりな気持ちで、店の中へと足を踏み入れる。


「いらっしゃ……ゴカゴ嬢!」


 ふっくらとした人の良さそうな店員は、ゴカゴを見て持っていた服を全て床に落としてしまった。

 慌ててそれを拾い上げながらも、その顔は嬉しさのあまり涙ぐんでいるようだった。


「よくぞ、ご無事で……」

「ありがとう、ラフト」


 服を持ったまま泣き始めるラフトを見て、嬉しそうな顔を隠さない少女は微笑んでいた。

 どうやらゴカゴの誘拐ゆうかい事件は街全体に知れ渡っていたみたいで、こんな服屋でもここまでの反応をしてくれる人が居るみたいだ。


「はあ……! すみません! 改めて、いらっしゃいませ!」


 どこからともなく取り出した布で涙を拭き取った彼は、脂の乗った満面の笑顔でお決まりのセリフを放つ。

 ここで俺の紹介まですれば間違いなく長引くだろうから、何も言わなかった二人には感謝せねば。


「今回はゴカゴ嬢の服でございますね!」

「ああ。それと、リオンの服も見繕ってほしいんだ」


 ラフトは今初めて存在に気づいたような反応で俺を見て、小さな声でクリストに尋ねる。


「どなたです?」

「娘の恩人だ」


 そのやり取りを聞いた瞬間、俺は天を仰ぎたくなったが、感極まる呉服屋の主人の顔を見てぐっと我慢した。


「どうです! 凄くお似合いですよ!」


 あの後しばらくクリストラフト劇場が行われて、ようやく俺の服を見繕うことになったみたいなのだが、着せられる服がことごとく貴族の子供みたいな派手なものばかりなのだ。

 俺は終始困った顔に徹していたが、それが伝わらないのか見て見ぬふりをしているのか、にこにこと好々爺こうこうやのように笑みを浮かべる対照的な大人二人。

 そして、明らかに笑いをこらえてそっぽを向いているゴカゴの姿が見えて、顔から火が出る思いだった。


「おお、いいじゃないか」


 結局俺から指定した服を選んでもらい、試着した姿を見たクリストは感心したように声を上げた。

 着回しの良い素材を使った黒のシックな上着に、動物の皮からなる腰周りを締める帯と、それに合わせて瑠璃色の肌に密着する生地を使ったズボン。

 そして、二人の熱意に負けて首元には落ち着いた赤色のネクタイを身につけている。


 これがこの街の標準かどうかは分からないが、動きやすい点は気に入った。

 と、ノリノリで選んだはいいが、もちろん金銭きんせんは持ち合わせていない。

 しかし、心配無用と言わんばかりに、ウィンクをしたクリストは小袋を取り出し、中から金の硬貨を手馴れた手つきで店主に渡す。


「いつもありがとうございます」

「世話になっているからな。じゃあ、次はゴカゴを頼む」


 どうやらあれが、街での通貨らしい。金ということは、かなり価値がありそうだが、今の俺には全くもって分からない。

 あとでゴカゴに教えてもらおうか。いや、そんな時間も無さそうだな。


 そうこうするうちに、大人びた衣装を身に纏う彼女が見違えるような見た目で試着室から出てきていた。

 明るい水色の薄生地で作られたそれは一体物で、膝下まである長さを誇っている。

 そのくせ着回しは悪くなさそうで、動くたびにはらりと揺れる足元に思わず目が行く。

 さらに胸元には明るすぎない赤いリボンが結えられ、腰元は絞り込むように身体のラインを少し目立たせるものとなっていた。


「凄くお似合いです!」

「……私、こっちがいい」


 最初は嬉しそうだったゴカゴは不満げな表情に変わり、指を差した先には男用の上下が飾られている棚があった。


「こちらは男の子用でして」

「こんなヒラヒラ、どうにも気に入らないわ」


 まるでお姫様のようなツンとした態度で言い捨てて、服とズボンをひったくった彼女は再び試着室に消えていく。

 クリストもラフトもお互い顔を見合わせて、乾いた笑いをし合っていた。


 結局彼女が選んだのは、クリーム色の長袖シャツにオーバーオールのような紐が両肩に掛かった茶色の服と、足首まである頑丈そうな素材の藍色あいいろのズボンで、大工仕事が似合いそうな見た目のものだった。


「上品な格好をしていたら、攫ってくださいって言ってるようなものでしょ?」


 短い栗色の髪の毛をかきあげながら、笑えない自虐めいた冗談を言う彼女に、俺含めて皆が苦笑いをしていた。


「リオン」


 先に呉服屋から出た俺を、追いかけるようにゴカゴが近づく。


「どうした?」

「……お父さん、迷惑かけてる?」


 どうやら彼女は俺の反応に気づいているみたいで、気をつかわせてしまったみたいだ。


「まさか! 感謝してるよ」

「本当に?」


 俺の顔を覗き込むように顔を近づけるゴカゴは、なんとか目を合わせようと俺の視線の先に来ようとする。


「本当だよ」


 観念した俺は、目を伏せながら少女の小さな肩をゆっくり押した。

 本当に圧の強い子だ。ある意味親譲りなのだろうが、おかげで扱いに困ってしまう。


「……良かった」


 はっとして俺は彼女の顔を見る。

 その目は潤み、先程とは打って変わってしおらしい表情で彼女は佇んでいる。


 そうだ、あの時彼女は怯えていたんだ。誰も助けてくれない状況に、絶望のまま馬車に揺られて。

 彼女は手枷てかせも何もされてなかったが、あの暗闇の中に逃げ出したところで、すぐに見つかるかもしくは魔物に襲われるかだっただろう。

 本当に偶然通りかかった俺がもし行動を起こさなければ、いや、もし荷台に入り込まなければ、きっと彼女も俺も此処には居ない。


 俺は彼女の命の恩人であり、それでいて彼女は俺の恩人なんだ。


 そう考えを改め直した俺は、きちんと彼女に向き合った。


「感謝してる、ありがとう」


 それは彼女の父にではなく、彼女自身に言ったものだと分かってくれたのか、ゴカゴの頬が少し紅潮こうちょうした。


「二人共どうした?」


 ちょうど店から出てきたクリストは、不思議そうな顔で尋ねる。その顔が少し可笑おかしくて、思わず笑ってしまった。

 するとゴカゴも釣られるように笑いだし、困惑して生き物のように眉を動かす彼を見てさらに笑いが込み上げる。


 それはまるで涙を笑いに変えて流しているかのような、その文字通り泣き笑いにまで発展して、ついにクリストが本格的に心配しだすまで俺たちは笑い続けた。


「よく分からんが……娘と打ち解けたみたいで良かったよ」


 涙を拭う俺に対して何かを察した優しい少女の父親は、困ったような笑みを浮かべてそう言った。


「お父さん、笑ったらお腹空いたわ」

「ああ、いっぱい食べような。ほら、リオンくんも」


 存分に甘えてくる娘に笑いかけたあと、こちらに向かって手を伸ばすクリストの仕草が不意に父と重なり、俺はぐっとこらえた。

 揺らぎそうだ。暖かすぎて。

 静かな葛藤を胸に、小走りで二人の元に戻る。

 太陽は真上に差し掛かろうとしていた。

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