絶望からの出立

ゴカゴとの出会い

──ディスティニオル歴246年──


 十歳で天涯孤独てんがいこどくとなった俺は、この土地から離れることを決意する。

 墓は建てなかった。俺の生きる目的はヴァルハラを殺すことただそれだけ。此処に戻ってくることも当然無いだろう。

 それに、思い出は沢山ある。色褪いろあせないようにずっと抱いていればいいだけだ。


 焼け残った家から、わずかな食料を発見する。

 家畜の肉を干した保存用のものと、洗った空き瓶で水がめの底からんだものを五本。

 

 入れる物が無いな。

 さらに探すと、乾かした木の皮を使って編まれた籠が見つかり、それを少し改良して背負えるようにして、そこに先程手に入れたものを全て放り込む。


 あとは、服か。

 残念ながら、まともな形で残っている服は無く、ボロボロになった上下のまま、裸足で出発する。


 旅立ちを見送るかのような風が吹き、もう一度だけ俺は振り向いた。

 

 とぼとぼと歩くだけで、すぐに喉が乾きだす。

 今は二本目に口を付けており、木の幹から削られたふたを念入りに嵌める。

 出発した時は太陽が真上にあったが、今は真正面にある。だいぶ傾いている証拠だ。

 草原を歩いた先に運良く街道を見つけた俺は、街道を一方向に歩き続ける。


 父から外についての最低限の知識は教わったため、陽を真正面に捉えている今の方角は西だということが分かっていた。

 遠くの国は知らないが、今俺が居る国はメオウェルクだということはわかる。

 王国は大きく分けて四つの地方に分かれており、それぞれに複数の街がある。俺が向かう先はハヴェアゴッドという街で、このまま歩けば見えてくる予定だ。


 でも父が言っていた辺境という言葉は、確か遠く離れた場所という意味だったはず。

 このまま裸足で歩いて、一日で着くわけが無いことはよく分かっていた。

 俺には籠に入れた模造刀しか無く、もし魔物が現れた場合は死を受け入れるか、運良く逃げ延びるかになるだろう。


 こんな所で死んでたまるか。俺は自分を奮い立たせる。

 干し肉を食らい、水で流し込む。既に三本目だ。籠は軽くなるが、それは悪いしらせでしかない。


 陽が傾き、段々と闇が背後から伸びてくる。空には雲が少なく、そのためか光り輝く星々が俺の後を付いてきていた。

 あの光を星と名付けたのは父ではないらしいが、俺はその言葉が気に入っていた。


 しかし、生きている限り沢山のものが必要になってくる。

 早くも残り少なくなって警笛を鳴らしている水が、最たる例だろう。

 

「ふう」


 街道の真ん中に座り込み、足を揉みほぐす。

 静かだ。街道の周りは草木が刈られており、山や森がだいぶ遠くに見える。きっと小さな生き物の声も、あそこで響いているんだろう。

 少なくとも村では聞いていた。小さな生き物の息吹を、合唱を。


 なんの為にまだ生きているの、と自分の心が問いかける。

 決意が弱かったのか、それとも闇によってあの日のことを思い出すのか。

 しばらくは後悔と自責の念に駆られるだろう。


 このまま寝てしまおうか。籠を地面に置き、横になる。

 すると、遠くの方で光が揺らめいているのを発見した。

 辺りは光などなく、それを発するものがあるとすれば、人か魔物かだった。


 俺は置いた籠を持ち、街道からゆっくりと横に離れる。

 こちらは闇に紛れているため、そうそう見つかることは無いはず。

 なんとか脇に逸れて、籠を盾にして隠れるように様子を伺う。

 籠が周りと同化してくれていたら良いのだろうが、それを確認する前に光はもうそこまで近づいてきていた。


 カラカラと車輪が回る音が聞こえ、光の正体は松明たいまつを掲げた人だと分かった。

 二頭の家畜用の魔物と、その後ろに座る松明を持った男。後ろに布を被せたような形をした荷台が見えた。

 あれは馬車だ。父から教わった内容としては、馬車はけいざいを回すらしい。確かにカラカラと回る音がする。


 俺は街道におどり出るべきか悩んだ。この時間にひっそりと通行する人は、果たしてまともな人だろうか。


 いや、いまさら人がまともだろうがそうでなかろうがどうでも良い。

 もっといかれた存在を目にしたんだ。それにこのまま歩いても生き残れる確率は低い。

 あとは、荷台にこっそり入るべきか、正直に正面に出るべきか。


「すみません!」


 後者を選んだ俺は、声をかけて走り出す。男の小さな悲鳴が聞こえたが、馬車は止まる様子がない。

 まずい、逃げられる。俺は足が痛もうとも籠を持ったまま全力で走った。

 なんとか荷台に手をかけて、勢いよく入り込む。テントのような形をしていたため分からなかったが、中は思いのほか広かった。


「きゃっ!」


 転がり込んだ勢いで籠の中身が飛び出して、運悪く空き瓶同士が派手な音を立てて甲高く鳴る。

 それと同時に、少女の驚いたような声がテント内に響き渡る。


 驚いて見上げると、部屋の隅に寄って震える少女がうずくまってこちらを見つめていた。

 他には積荷がほとんど無く、ただ少女の為だけに遣わされた馬車なんだと理解したが、肝心の理由が分からずにしばらく少女と見つめ合う。


 その時、不意に馬車が止まり、身体が前につんのめりそうになるのをなんとかこらえる。

 本能的に危険を感じ、籠の中にあったはずの模造刀を探す。

 薄暗い中でそれが隅にまで転がっていたのがわかり、運悪く少女の真横にあった。

 俺は心の中で謝りつつ、飛びつくように剣を手にする。

 再び悲鳴が投げかけられるが、俺は片膝を立てた状態でしゃがみ、自身が入ってきた入り口へと向き直る。


「クソガキが何してやがる!」


 少し前まで悲鳴を上げていたのにやたら威勢よく怒鳴る男の声が外からして、方向的に入り口から真っ直ぐ来ると予測する。

 こんな狭い所で剣を振ったことなんてないが、このような場合は突きが効果的なはずだ。

 そう思い、俺は模造刀を横にしたまま真っ直ぐ肘を引き、いつでも突き立てれるような体勢に移る。

 そして星の明かりによって影となった男の姿が現れた瞬間、思い切り剣を前に突き出した。


 それは男のどこかに当たり、鈍いうめき声を上げて男が視界から外れる。模造刀とはいえ硬い材質で出来ているため、一直線に突かれたら怪我なしでは済まないだろう。

 倒れた男にトドメを刺そうと入り口に駆け寄ったその時。


「やめて! 殺しちゃだめ!」


 震えていただけの少女が割れんばかりに叫び、虚をつかれた俺は動きを止める。

 考えてみれば、悪者は俺の方だ。身を守るためになし崩し的に男を撃退したが、男の素性も少女の正体も何も知らない。

 殺伐とした気分を抑えて、我に返った俺は少女に振り返る。


「あの男はなんだ? どうして君はこれに乗っているんだ?」


 少女は答えず、ただ震えてこちらを見ている。

 時間を無駄にしたくはない。俺は質問の仕方を変えた。


「君は自分の意思で此処に居るのか?」


 すると、僅かに少女が首を振り、その目に涙を浮かべる。

 状況を判断した俺は、荷台から飛び降りた。

 男はまだ左肩を押さえていたが、剣を抱えた俺の姿を見た瞬間に右手を突き出して抵抗しようとする。

 それを阻止するために男の顔の横に剣を突き立てて、動きを止めた。


「動くな」


 男は父よりは小柄の大人であったが、それでも俺よりは腕力もあるはず。

 慎重に事を進めるため、俺は油断せずに剣を引いて男の顔に向ける。

 お互いの荒い呼吸音が響き、男の鋭い目つきが俺を見据える。


「なんなんだお前、どこから湧いた?」


 男は悔しそうに言うが、質問に答えるつもりはない。


「あの子はなんだ」

「あの子?」


 俺は荷台の方に顎で合図した。すると、男は嘲笑あざわらうかのように笑みを浮かべる。

 

「なんだ、あれのことか。あれはな、商品だ。大事な取引先に届けてる最中だったんだ」


 いたいけな少女を商品と呼称する男に、虫唾が走った。

 だが、これで確定した。こいつは彼女の保護者ではなく、ただの配達人だ。

 つまり、用済みだ。


「な、待て、やめておけ! 俺を殺したらとんでもないことになるぞ!」


 殺気を感じたのか、途端に慌てる素振りを見せる男。

 とんでもないこと、か。その言葉がやけに軽く感じ、俺は鼻で笑った。


「何が望みだ! 金か? 金ならあれを送った後に渡してやるからごっ!」


 無言のままに男の喉に剣を突き立てた。

 右手で喉を押さえて悶え苦しむ男であったが、俺はトドメを刺そうと剣を振り上げる。

 しかし、不意に頭を過ぎったのはミレイの顔だった。


 確かに俺は、ヴァルハラを殺すためだけに生きている。

 だが、いまやっているこの行為は果たして必要なのか。

 あの日、心が壊れたと自覚している俺にとって、命を奪うこと自体は特に抵抗なく出来ることだろう。

 頭の中に外道の下卑た顔が浮かぶ。

 奴と同じことをしている、そう思った瞬間、吐き気が込み上げてきて、俺は上を向いてこらえた。


 殺す必要は無い。だが、これで振り出しに戻ってしまった。

 馬車を走らすための魔物を使役しえきする知識も無ければ、ここから歩いて行く体力も続かない。

 痙攣けいれんする男の横で、俺は座り込む。八方塞がりだ。


「殺したの?」


 後ろからする少女の声に、俺は振り向かずに否定した。


「どうして助けてくれたの?」


 しつこいな、さっきまで関わるなと言わんばかりだった癖に、やたら話しかけてくる。

 名も無き少女、その顔を見ると俺とそう変わらない年齢に見える。


「あなた、私とあまり歳変わらないよね?」

「あー、もううるさいな。なんだよ」


 荷台から見下ろす彼女に苛立ちを覚え、俺は立ち上がった。


「これから、どうするの?」

「何も考えてないよ、だって」


 男を脇見して、俺は肩をすくめて手を広げた。


「そう、ならあの子たちを使おうよ」


 乱れた栗色の髪を揺らした少女が指差したのは、馬車に繋がれた例の二頭。

 

「使うも何も、俺は方法を知らない。だから困っているんだよ」

「私、わかるわよ。よくまたがって遊んでたもの」


 そう言うと裸足の彼女は荷台からゆっくりと降りて、小走りで魔物へと近づいていく。


「あ、おい! 危ないぞ!」


 俺の心配をよそに、母性を持った表情の少女は彼らの顔の下を優しく撫で、それに従って鼻を鳴らす魔物は気持ちよさそうに擦り寄っている。


「平気よ、この子たち大人しいもの」

「でも魔物じゃないか」


 そう言うと、ムッとした様な顔で少女は言った。


「魔物じゃなくて、マルク! ちゃんと名前があるの!」


 何故そこまでムキになるかは分からないが、とりあえず毛むくじゃらで角の生えた四足歩行のこの魔物の名前がマルクだという事は理解した。


「その男が起きる前にさっさと行きましょう」


 数刻前まで怯えきっていた少女と同一人物に見えないほど、凛々しく言い放つ。


「私の名前はゴカゴ。貴方と会えたのも、神の御加護、なんてね。貴方の名前は?」


 おどけて笑う彼女の笑顔にどきりと胸が跳ねたが、平常心のままにゴカゴの隣に立った。


「俺はリオン、ただのリオンだ」

「あら、私もただのゴカゴよ。まあいいわ、この子にまたがれる?」


 俺が乗ろうとするマルクの背中をくしくかのように、彼女はゆっくりと撫でる。俺は恐る恐る獣の肩付近を押さえて、飛び乗るようにまたがった。


「……大人しいな」

「でしょ? あ、剣で縄を切らなきゃ」


 馬車と繋がっている縄を指差して言う彼女に従い、模造刀を叩きつけるように振り下ろす。

 当然刃が付いていないので縄はしなるだけだったが、押し引きを繰り返すことによって強引に切ることに成功した。


 それを見ていたゴカゴは、怪訝けげんな顔つきで俺の剣を見つめる。


「それ、本物じゃないの?」

「ああ、父と稽古してる時に使ってた模造刀。でも硬い木を削ったものだから、全然使えるよ」


 「そう」と漏らして、俺の顔を見つめる。

 なにか俺の顔に付いているんだろうか?


「じゃあ行きましょ。この子たち、走ったら早いからしっかり掴まっててね」

「え、おい、暴走したらどうするんだ?」

「私が先導するから大丈夫!」


 たくましい女性だ。俺は少女の評価を改めて、小さな笑みを浮かべる。

 はっとして手を顔にやり、ゆっくりと頬を撫でる。

 まだ笑えたんだな、俺。


 最後に振り返ると、男はまだ横になっていた。もしかしたら死んでいるのかもしれないが、いまさら降りて確認する気は無い。その時はその時だ。

 

 勇ましい少女の合図で、鳴き声と共にマルクたちは走り出した。この二頭も兄弟なのか、息を合わせて並んで駆けている。

 星に照らされた夜道は少し明るく、街道を外れることなく見事に沿って走っている。


「凄いなゴカゴ、いきなりなのに完璧に操れてるじゃないか」

「この子たち、いつもこの道を通ってるんだと思うの。私はほとんど何もしてないわ」


 少し声を落として話す彼女を見て、そもそも俺は結構な大事おおごとを引き起こしているんじゃないかと冷静になる。

 だが、それでどうなろうと知ったことでは無い。全ては復讐、ただそれだけの為に生きるのみ。


 あの日から二度目の夜明けを迎える頃、街道の先に大きな影が見えてくる。

 様々な人が行き交う巨大な街、名前は確か。


「タンジョウの街よ」


 それは喜びから来るものか、それとも新たな恐れを抱いているのか。少女の声は少し震えていて、その表情は影で見えなかった。

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