英雄譚 リオン編

ドル チイダ

プロローグ

真の生き甲斐

──ディスティニオル歴261年──


 俺の名前はリオン。ただのリオン。いつからか、この世界からは家名が消え去った。それはきっと、あの日以来からだと思う。

 現在、俺の過去を知る者は沢山居るが、全てではない。

 何故なら、俺の村は幼い頃に歴史から消え去ったからだ。

 あれは十の頃だったか。


 幼い頃から、俺は剣と共にあった。

 教えをうと喜んで教えてくれる父、彼は国の元騎士団員であり、母と結婚してからは辺境にある村で密かに暮らす事を決意。

 そして、一粒種ひとつぶだねの俺を溺愛できあいしてくれた。

 残念ながら母は俺を産んだ後にすぐ逝去せいきょするが、その分まで父は俺を愛してくれた。

 おかげで草原に囲まれたこの村で、俺は何不自由なく伸び伸びと暮らす事ができた。

 草原に囲まれたその村はいわゆる過疎地であったが、外からの来訪者は定期的にあったおかげで、一定数の年齢層が確保されていた。

 当時の俺には同じ村に恋心を抱いている女の子が居た。俺より一つ下だが、よくませた子で大人顔負けのしっかり者だった。

 今では俺しかその子の事を知らないし、覚えてないだろう。

 名前をミレイ、俺と同じ緋色ひいろの髪を持つ、太陽のように笑う子だった。

 剣の稽古をする俺の事をよくからかっていたミレイは、剣術にも秀でていた。彼女の親はそれを嫌がっていたが、本当は俺に混じって稽古をしたかったんだろう。

 彼女の口癖は「よわむしリオン」だった。確かにすぐ泣く俺にはぴったりの呼び名ではあったが、口癖になるほどなのは今思えば酷いものだ。


 そう、あれは十の頃。幸せも生き甲斐がいも、全て感じていた頃。

 忘れもしない。忘れるわけが無い。


 は突然やってきた。

 いつものように剣の教えを乞う俺は、父と稽古に励んでいた。その日は珍しくミレイが居なかった。俺はさほど気にせずに、いつも彼女が立っていた大きな木をたまに振り向いて確認するくらいで、今日は居ないんだな程度に思っていた。

 曇天どんてんが空を厚く覆い、今にも泣き出しそうな気配をはらませていたのを覚えている。


「ミレイが! ミレイが!」


 声が遠くから聞こえた。見通しのいい村は遠くまで見渡せるために、その方向を見るだけで何が起こっているのか容易にわかった。

 その声が切羽詰まっていた事、声色からして唯ならぬ雰囲気をまとっていた事が幼心おさなごころながらに読み取れた。


 父は模造刀もぞうとうを持ったまま弾けるように走り出し、声のする方向へみるみる近づいていく。


「来るな!」


 俺も思わず駆け出したが、父の怒声が響いた。驚いて尻もちを着いてしまうが、振り向きもしない父の背中を見て俺は悲しくなり、涙を浮かべてしまう。


「ここに居ましたかぁ」


 ぞくり、と背筋が凍るような声が頭上からして、涙混じりに上を向いた俺の目に、黒雲を背に翼を携えた人型が見えた。

 その生気を感じない真っ白な顔には下卑た笑みを浮かべ、舞踏会のために着ていくような派手な服装を身に纏い、舌なめずりするように青い舌を口からチラつかせて、爬虫類のような冷たい眼は真っ直ぐ父の方を見ていた。


 その瞬間に、ミレイに何が起こったのかを俺は理解してしまった。あまりにも現実離れした存在が居たことが、直感を働かせてしまったのだ。


 涙を流している場合ではない。

 小さな手に拳を握り、落としてしまった模造刀を手に取って勢いよく立ち上がる。


 その姿に気づいた化け物は、俺を道端の石でも見つめるかのように、冷たい視線を突き刺してきた。

 俺はそれだけで身体が金縛りのように動かなくなり、奴から目を離せなくなった。


「ははぁ、子供が居ましたかぁ。彼の子供ですねぇ? 良い目だぁ、ぞくぞくするねぇ」


 間延びした声を聞かせながら、少しずつ歪んでいく口元。身の毛もよだつ声色で、俺のことを舐めるように見つめる。


「殺しちゃおうか」


 クスクスと笑いながら心底嬉しそうに顔を歪ませ、口を隠すように右手で覆う。その手をゆっくりと上に挙げて、五指を力ませ手の中の空間を歪ませていく。

 そこには黒い渦が巻き起こり、最初は手の中に収まる程度の大きさが、少しずつ膨張していくうちに太陽を飲み込みそうな巨大な球に変わり、手のひらを力強く広げた異形はにやついた顔から、うっかり落としてしまったかのように笑顔を消した。


「ばいばい」


 その手を振りかざそうとしたその時、一筋の光が黒い球を貫通し、形が乱れたそれは一瞬で収縮して消え去った。


「息子に触れるな! 下衆が!」


 父の声が後ろから聞こえて、間一髪で助けてくれたんだと理解した。


「はぁぁぁ、やっぱり、良い。これだから勇者の血はボクをたぎらせるんだぁ」


 天を仰いで白目をいて、自分を抱きしめるように腕を交差させたそいつは、絶頂を迎えたかのように身体を震わせる。


「リオン!」


 父の声がすぐそこまで迫るが、金縛りは未だに解けない。


「ようし、決めた。決めたぞぉ。まずはお前を殺すよケリウス、愛しき息子の目の前でぇ」


 天を仰いだまま父の方向へ指を差す化け物は、嬉しそうに翼を羽ばたかせる。


「リオン、無事か!」


 ちょうど視界の端に父の姿が映ると、あっという間に俺をかばう形で前に仁王立ちした。

 騎士団であった頃の父そのままの頼もしい背中が、視界の下に映り込む。

 俺はまた涙が込み上げてきて、混ぜた絵の具のように視界が歪んでしまった。


「ケリウスぅ、涙ぐましいねぇ。お前が逃げた此処もぉ、ボクのせいでめ、ちゃ、く、ちゃ、だねぇ」


 いちいち神経を逆撫でしてくる奴の言葉に、俺は泣くことしか出来ない。

 恐らくもう、村のみんなはほとんどこの世にいない。

 子供ながらにそう思ってしまったために、心がもう壊れそうだった。


「ヴァルハラぁ! 貴様だけは許さん!」


 父が叫んだその時、俺の意識は途絶えた。


 次に目が覚めた時、俺は草原の中に埋もれていた。

 まるで夢でも見ていたかのように自然と目が覚めた俺は、ゆっくりと上体を起こして辺りを見渡した。


 夢では、なかった。

 燃え盛る民家、抉られた地面、俺が寝ていた場所だけが何事もなく在るだけであり、それ以外は破壊の限りを尽くされていた。


「あ、ああ」


 俺は父を見つけた。

 光の魔力を持ち、かつて勇者と呼ばれた王国一の騎士。

 その彼に託された聖剣を手に、の父が横たわっていた。


「ああああああ!」


 俺は思わず駆け出そうとしたが、見えない何かに弾かれて後ろに倒れ込む。

 その感触に覚えがあった俺は、ますます涙を浮かべた。


 これは、父の魔法だ。

 一度だけ、猪型の魔物に襲われた時に父が間一髪で助けてくれた時がある。

 ちょうどその時と同じ障壁しょうへきが、俺を囲むように球状に展開されている。

 見ると、父の空いた手はこちらに向けられていた。

 つまり、俺をまもるために父は、最期に、敵にではなく俺に魔法を使ったんだ。


「なぁんだ、自力で出れないのかぁ」


 俺は地面に手を着いたまま目を見開いた。

 聞き覚えのあるその声は後ろから聞こえ、再び全身を悪寒が包み込んでいく。


「全く、せっかくケリウスを目の前で殺したのに、寝てるんだもんお前」


 涙は、出なかった。代わりに赤く染まっていく視界が、どんどんせばまっていく。


「だから、起きるまで待ってたんだぁ。どんな反応をするか、ボク、すんごぉく気になってさ」


 心の底から愉快な様子が、声色から読み取れる。

 だが、それどころではない。

 もう、何も聞こえない。何も聞きたくない。

 ヴァルハラと父に呼ばれていたこいつを殺すか、それとも自分が死ぬか、それしか考えられなかった。


「ところでぇ、ずっとこちらにしりを向けるのはあんまりじゃない、か!」


 力の入った語尾が聞こえるや否や、真後ろで凄まじい衝撃音と共に空気全体の震えが伝わってきた。


「ありゃ、本当に固いねこれ」


 恐らく何かを放ってきたんだろう。

 俺はぐちゃぐちゃになった頭の中を整理する前に、ゆっくりと立ち上がる。

 父の遺したこの障壁が無くなったら、抵抗する間もなく俺は死ぬ。

 じゃあ、何をすればいいか。


 何も持っていない手、そこに剣のつかを握っているイメージを浮かべる。

 父が持つ聖剣のような、光り輝く聖なるつるぎを何度も何度も頭の中で思い描いて、絶望を塗り替えていく。

 父は、いつも言っていた。

『お前は俺によく似ている』

 それはきっと、お世辞でもなく本心からだったんだろう。


「おや、おやおやおやぁ?」


 目を開けると右手には、光り輝く剣が握られていた。それは剣と言うよりはその形に光が放出されているような、そんな高出力の武器を不思議と握れている状態。


 俺は、ゆっくりと振り向く。たった十歳の俺だが、父と母から貰った愛情は一生分だ。父から受け継いだ遺志かのようなこの剱に、ゆっくりと左手を添えて構える。


「興味深いねぇ、それでボクを斬ってみるかい? でもまず護ってくれてるそれを何とかしないとねぇ」


 目の前には道化のように笑う父のかたきが居た。

 再び赤に染まる視界が、そいつだけを真っ直ぐ捉える。

 ゆっくりと剣を振り上げて、俺は父に言われた事を思い出す。


『そのまま振り下ろすんだ』


 短く息を吐きながら、俺は力の限り腕を振り下ろす。

 その際に剣がすっぽ抜けたんじゃないかと錯覚するくらいに軽く感じた。


 じわり、と障壁が縦に歪む。奥にたたずむヴァルハラは笑うのを止め、驚愕の表情を見せた。

 それと同時に、彼の右肩から青い血が吹き出し、肩から先がずるりと下にずれていく。


「がっ!?」


 反射的に落ちそうになる右腕を持とうとするが、ぼとりと鈍い音を立てて地面に落ちる右腕。

 き出す血を止めることもせず、それをしばらく放心した顔で眺めるヴァルハラ。

 しかし、次にこちらを向いたその顔は、道化のような薄っぺらな笑顔が消え去り、目だけで射殺いころせるほどの憤怒ふんぬの表情を見せていた。


「なるほどぉ、腐っても勇者の息子ですねぇ。まさかそんな力を秘めているとは」


 ヴァルハラは落ちた右腕を拾い上げ、切断面に押し付ける。

 すると、噴き出していた血が止まり、さらに何事も無かったかのように右手を動かしてみせる。


「驚いた?」


 下卑た満面の笑みを浮かべたヴァルハラは、ゆっくりとこちらに近づいてくる。

 一撃で倒せるとは思っていない。もう一度だ。

 息を整えて振り上げようとしたその時、瞬間的に間合いを詰めてきたヴァルハラが目の前で笑っていた。


「今度こそばいばい」


 いつの間にか奴は邪悪な剱を左手に持っており、それを真一文字に振り抜いてきた。

 父がやられたのは、間違いなくこの一撃だった。

 俺は死を覚悟したが、いつまで経っても来ない痛みに恐る恐る自分の胴体を見る。


「ば、馬鹿な」


 身体は傷一つなく、さらに奴の持つ剱は根元から刃が消滅していた。

 遅れて体全体にまばゆいオーラが溢れ出し、俺はこれが凶刃から護ってくれたのだと確信する。


「ケリウス、まさか最初からこの小僧に」


 慌てたヴァルハラは背を向けて翼を広げようとするが、俺は既に振り上げていた腕を思い切り振り下ろした。


「があああっ!」


 首の右側から左の腰付近まで刃が通った跡が付き、吹っ飛びながら奴の身体は空中で二つに分離した。


「おのれ小僧! 絶対に殺してやる! 絶対にだ!」


 吹き飛びながらも憎しみの限り叫んだヴァルハラは左腕で黒い渦を作り出し、そのまま身体ごと渦へと消えていった。

 どちゃ、と残った半身はやがて黒い煙と共に青い炎に包まれ、灰すら残さずに燃え尽きた。


 俺の身体を覆っていた光が次第に弱くなり、急に力が抜けた俺はすとんと尻もちを着いた。

 殺せなかった。父の仇を。ミレイの仇を。村のみんなの仇を。


 また、涙が出てくる。震える拳を地面に叩きつけ、叫んだ。声が枯れるまで叫び、声が枯れても涙はれなかった。

 雲が散っていく。いつの間にか陽が沈み、遮るものが無くなった月が俺を見下ろす。

 

 俺は、みんなを埋葬まいそうしていく。中には形すら残っていない者まで居たが、いつも農作物を作るために使っていたシャベルを使い、無感情に穴を掘ってそこに僅かな破片でも入れていった。


 ミレイの腕らしきものを辛うじて見つけ、埋める。

 その母、父、いつもよくしてくれたおじさん、おばさん、よく遊んだ友達、優しかったおばあちゃん、物忘れの激しかったおじいちゃん。

 みんな、埋めた。


 夜が白けてきた頃、最後に父の身体を拾い上げる。上体しか無い父は想像以上に軽く、まるでモノのような質感になってしまっていた。

 穴に父を置き、目を閉じさせて、土を掛けていく。少しずつ見えなくなっていく父の姿。俺は走馬灯のように巡ろうとする思い出を無理やり振り払い、一心不乱に土を掛け続ける。


 なぜ、こんな事をしているのか。

 あいつを殺せなかった俺は、なぜまだ生きているのか。

 俺は、弱かった。光の力でさえ、父のものだった。

 俺には何にもなかった。ただ、生き残っただけ。


 シャベルの動きを止め、乱雑に放り投げる。完全に埋め立てたそこには、土の色が変わってるくらいで、誰かが埋まっているとは思えない。


 完全に陽が昇り、長い影が父を埋葬した箇所に伸びる。

 背中に受ける陽光からは何も感じず、やがて膝の力が抜けて座り込む。

 

 死ぬか。その考えが頭をぎったその時、不意にヴァルハラ、奴の顔を思い出す。

 下卑た顔でみんなを殺し、父を辱(はずかし)めた悪魔。

 あいつはまだ、生きている。この世界のどこかに逃げ込み、のうのうと生きながらえている。


 ふつふつと沸き立つこの感情は、奴が来なければ恐らく一生湧かなかったであろう憎悪。

 それと同時に、俺の身体はまだ生きようとしていた。

 奴を殺すためだけにその技を磨いて、奴を殺すためだけにあと少しだけ生きてみよう。


 それはまだ俺が十の頃、最初で最後の真の生き甲斐を得た話だ。

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