7.危なっかしいのはどっち


 ミナトと直接話が出来たなら。

 一つの身体の中に宿る二つの人格ではなくて、生身の“二人”になれたなら。お願い、どうか、一分だけでも。叶いもしないと分かりきっていることを繰り返し願った。


 今は自分の過去を知りたくて仕方がない。私たちだけの問題ではないとわかってしまったからだ。


 カーテンを開けたばかりの部屋に朝の光が満ちていく。もうじき仕事に行かなきゃいけない、それなのに、気持ちがなかなか切り替わってくれない。こんなことは初めてだった。


 一階から固定電話の音が聞こえたのはそんなときだ。

 私は我に返り、慌てて階段を駆け降りた。もう十回以上は鳴っただろうというところでなんとか通話ボタンを押すことが出来た。


「はい、樫村です」


「ああ、良かった! ちゃんと出てくれた。朝早くからごめんね。昨日倒れたって聞いたから心配してたんだよ」


 名乗りはしなかったけど声で店長だとすぐにわかった。おのずと背筋がシャンと伸びる。相手に見えている訳がないのに何度も頭を下げてしまった。


「ご心配をおかけして申し訳ありません。もう大丈夫なので普段通り出勤します」


「いや、回復するまではゆっくり休んでほしいんだ。樫村さんは今まで一日も欠かさず出勤してくれてたからね、全く気にすることはない。むしろ今まで無理をさせ過ぎてしまったんじゃないかと俺も反省していてね」


「いえ! そんなことありません。本当にもう元気なんですよ?」


「元気ならそれはそれでいいんだよ。今年は従兄いとこ夫婦が手伝いに来てくれることになったから人手は足りそうなんだ。せっかくだからどうだい? とりあえず三日間。ゴールデンウィークの休暇とでも思ってさ」


 では遠慮なく、とはなれなかった。すぐには頷けなかった。倒れたことがキッカケになっているのに変わりはないからだ。

 でもここまで気を遣わせてしまったのだ。素直に休んでから問題なく働けるところを見せた方が却って店長たちを安心させられるのではないかとやがて考え始めた。


 喉が鳴る。私は深く頭を下げて答えた。


「わかりました……申し訳ありません」


「じゃあ是非リフレッシュしてきてね。あっ、それから」


「はい?」


 ふふ、と小さな笑い声が聞こえてきて首を傾げた。店長はごめん、と小さく呟いてから私に告げた。


「うちは髪色の指定ないから大丈夫だよ。なんか凄いイメチェンしたらしいじゃない。早く見てみたいなぁ」


「えっ! あっ、これは!」


「いいのいいの、若いうちにやりたいことやりなさい。うちは仕事さえちゃんとしてくれれば文句はないから。それじゃあお大事にね」


「あっ、はい! 恐縮にございましてありがとうございます!」


 動揺のあまり最後は訳のわからない敬語になってしまった。


 受話器を置いた後、ぎゅっと自分の髪を握った。唇を軽く噛んだら代わりに鼻からため息が出た。

 やっぱりバレてたか、これ。出勤前になんとか染め直せないかと思ってたんだけどバタバタしててそれどころじゃなかったな。まぁ……いいか。店長のお許しが出たんだからいいということにしよう。むしろ拓海くんや唯ちゃんは喜びそうだし、この色。うん、もう全力で笑い取る方向に持ってくよ。決めた。


 ミナトには怒られるかも知れないけど、実際こういった派手な髪色は私のセンスじゃないのだからこんな感想にもなる。


 それにしても……


 私はダイニングテーブルの上の処方薬に視線を落とした。再びのため息をつく。

 空っぽな私にとって、急に予定がなくなるというのは心底困ることなのだ。


 とりあえずは静養といったところか。いや、でも一体どうやるんだ? 薬飲んで寝てるだけ? 熱出したことさえほとんどないからよくわからないんだよ。診療所の先生にもっと詳しく聞いておけば良かった。


 とりあえずとばかりにまたテレビのローカル放送を流しておく。温かいお茶を淹れることくらいは許されるだろうか、などと考えながら電気ケトルに水を注いだ。



 それから何時間くらい経っただろう。同じくリビングにて。

 無音なのは耐えられないからと、クッションを重ねて横になり、冬物コートで身体を覆うという無理矢理な静養スタイルをとってみたけれど、やはり寝心地はあまり良くない。大人しく二階のベッドで寝るかと考え始めていた。


 クッションを元の位置に戻している途中、そういえばと思い出す。

 春輝さん、またお見舞いに来させてって言ってたけど、どうするつもりなんだろう。うちんちの場所知らないよね? 連絡先も交換してないし。


 次は冬物コートを仕舞わなきゃ。やれやれ、我ながら面倒くさいことをしてしまったなと思っていた、その矢先だった。


「琉夏ちゃ〜ん! 琉夏ちゃん、いるかい!?」とでっかい声が飛んできた。この声、どうやら斜め向かいの山口さんらしい。今年で九十歳になる元気なおじいちゃんだ。


 と、それはともかく。


 田舎あるあるその1『縁側方面から訪ねてくるご近所さんがいる』

 私はもう慣れたけど、都会でこんなことしたら不審者扱いされるだろうねといつか店長が笑いながら話していた。確かに。都会は怖いところだと噂に聞いているからな。



 とりあえず私は縁側から外に出て塀の方へと歩いた。「どうしましたか?」とゆっくり大きな声で聞き返す。塀の向こうで山口のおじいちゃんは何やら後方を指差しながら言う。


「あの人! 道に迷って途方に暮れてたから連れてきてやったわい!」


「へっ!?」


「あの人アンタの恋人だろう!? みんながそう言ってたよ」


「恋人って……」


 ゆっくり視線を移行すると、申し訳なさそうに縮こまってる春輝さんがいた。あちゃ〜と内心で頭を抱える。



 田舎あるあるその2『交友関係筒抜け問題』

 誰と誰が付き合っているとか本人たちの了承もなく勝手に話すのは、都会だとトラブルの原因になるから気を付けるんだよと、こちらも店長が言っていた。

 なんとなく思う。それは都会とか田舎とか関係なく気を付けるべきなのではないかと。


 ただこの町のみんなは、見慣れない人に対して警戒心が強いという特徴を持つ。顔見知りとしか情報共有はしない。おそらくそれこそが田舎セキュリティなのだろう。一見緩いようで実は仲間を見守るスタイル。つまり仲間の恋人と認定された春輝さんだから案内してもらえた可能性があるのだ。付き合ってないけどね。


 それにしたって信頼得るの早すぎない? この人。私が気を失ってる間にみんなと何を話していたのか気になってくるな。


 悶々としながらも私は改めて玄関から彼を迎える。春輝さんはばつが悪そうにうつむいたままだった。

 儚げな淡い色の唇は遠慮がちに言葉を紡ぐ。


「ごめん、急に押しかけるなんてつもりはなかったんだ。もしかしたらまだ診療所にいるかなって思って歩いてたら迷っちゃって……」


「わかってますよ、春輝さんはミナトが信頼を置いてる人ですから」


「ありがとう。そう言ってくれて嬉しい」


「私、お茶でも淹れますよ」


「そんな! 琉夏はゆっくり休んでてよ。僕がやるから」


「そうですか? なんか悪いですねぇ」


 お互い小さく笑っていた。

 その声もやがてドアが閉まる音に遮られた。


 そうして私はやっと気が付くのだ。


 普通に男の人を家に入れてしまったと。


 くたびれた部屋着を着ていることが急に恥ずかしくなってきた。何もかもが気になってくる。部屋の匂いとか散らかり具合とか。


「あっ、えっと、部屋はこっちで……」


 動きさえもぎこちなくなる。やはりと言ったところか、私は数歩進んだだけでつまずき転びそうになった。後ろから伸びた春輝さんの手がすかさず私の両肩を支える。


「気を付けて。琉夏、昨日から転んでばかり」


「あ……」


「また僕が連れて行こうか」


「…………っ」


 耳元に彼の息がかかると声が思うように出なくなった。彼の腕に抱きかかえられていたときの安心感を思い出して顔が熱くなる。


 何変なことを考えてるの、私。気持ち悪い。内心で自分に罵声を浴びせてかつを入れる。でもあまり効果がないみたいだ。

 麻酔にかかったみたいに頭がくらりとして、温かい方へ身を預けてしまいたくなる。


 そうしている間に彼の方が距離を詰めてきた。頭を私の肩に乗せている。伝わってくる呼吸もなんだか弱々しくて苦しそう。


 苦しそう……?


 私は素早く振り向いて彼の顔を覗き込んだ。

 改めて見ると顔色が悪い。目の下の黒っぽいの、メイクじゃなかったんだ。


 私はそっと彼の頬に触れる。やや強めの口調で訊いた。


「春輝さん」


「ん……」


「昨夜ちゃんと寝れました?」


「二時間……」



「今すぐ寝て下さい! 寝室貸しますから!」



 お見舞いに来ている場合じゃないだろうと言いたい。

 何処か抜けている彼のせいで、自分が更に大胆なことをしていると気付くのはだいぶ先になってしまった。

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