6.助けてやってくれ


「……何だったのよ、結局」


 その一言に尽きる。気が付いたら診療所のベッドの上で無機質な天井を見つめながらぽつりと零してた。


 会話の内容、ところどころなら覚えてる。

 春輝さんはひとまず帰ったけど「またお見舞いに来させて」と言ってたし、ミナトと呼ばれてた人格は活動再開を前向きに検討するとか言ってたし……


 人格……人格か。


 もう認めざるを得ないんだと思った。

 あの日、動画で見たアーティスト『MINATO』はやっぱり過去の私なんだ。


 あの二人の話を聞く感じ、琉夏という人格も昔からいたようだし、これは本名であるはずだからミナトの方が後から生まれたってことでいいのかな。まだ実感湧かないや。


「何があったんだろ、私の過去。春輝さんに訊いたら教えてもらえるのかな」


 誰もいないのをいいことに独り言を続ける。小さく揺れている点滴の容器をぼんやり眺めながら。

 でもあの人は私が傷付くような事実を口にするのは嫌がりそうだと察しがついていた。


「まさか春輝さんがMINATOの助手だったなんてなぁ」


 こうして口に出しているのは内容を整理する為でもあるんだけど。


「ただの友達ではいられなかったって何したのよ、私……」


 何せ情報量が多すぎて頭はパンク寸前だ。ここらで一旦考えるのはやめようと思った。

 何が起きようが明日も仕事がある、と思うくらいには仕事優先な気質だし、正直なところ今の生活に支障が出なければなんでもいいんだ。


 でも私はこんな冷めた思考なのに、ミナトは真逆だったなとまた思い出す。

 そっと目元に触れた。腫れた瞼がヒリヒリして痛い。あんなに泣いたのはこの四年間の中でも間違いなく初めてだった。


 なんだか無性に寂しくなってしまうのは何故だろう。これはどっちの感情なんだろう。

 ハッキリしているのは、ミナトが心から春輝さんに会いたがっていたことだった。



 診療所に着いてすぐ医師に診察してもらったけれど、原因はおそらく貧血ではないかとのことだった。

 やはり記憶の欠けている一日の間に結構無理をしたんじゃないだろうか。髪色がレインボーになるくらいだもんな。明らかにこの近くの美容院じゃないでしょ。そんなことを考えてはいたものの、いざ医師に話そうとすると怖くて、私用が忙しくてご飯を食べ忘れたかも知れないとだけ言っておいた。



 昼頃には自宅に着いて、空っぽになってしまった時間をテレビの音で埋めていた。

 そういえば私、趣味らしいものもないんだよね。ちょっと絵の具に触ったり、短い詩を書いたりしたことはあるけれど、継続的にはやってないし。


 自分自身にさえ大して興味を持たなかった。だからあらゆる感情に実感が湧かないんだ。ミナトとは別人格だからとか、きっとそれだけじゃない。共感力自体が実に乏しい。


 ここで何故か再び思い出す。

 抱き締められ頬と頬が軽く当たったときに伝わった、春輝さんの涙の温かさ。人間らしい熱。



 そして理解する。空っぽなのは私だ。



 今更になってミナトがちょっと羨ましくなった。

 感情の起伏が激しくて疲れそうだけど、その分得るものも沢山あったんじゃないかな、なんて。

 春輝さんとのやり取りもそう。あんなに本気で人とぶつかり合えるなんて。どれもこれも私には出来ないよ。


 テーブルの端っこに飾ってある起き上がり小法師こぼしを指先でつん、とつついた。もう一度、もう一度と繰り返すうちに振れ幅が大きくなる。はぁっ、と強めの息を吐いていた。


「というかさ。春輝さんが好きなのってやっぱりミナトなんじゃないの? 泣くほど感極まってたんだよ。私ではないよ、きっと。こんなくたびれたオバサンを好きになる訳ないじゃん。ミナトはいいよね、センス全開で若々しいしさ〜」


 そこまで言ったところでハッと我に返った。

 何、今のモヤモヤした気持ちは。まるで不貞腐れてるみたいな刺々とげとげしさだった。

 そんな……まさかだよね。確かにあの人は綺麗だけど別に私のタイプじゃないし。優しいだけでも惹かれない。異性になんて興味ないはずじゃないか。

 そうやって私はまた、込み上げてきた“何か”を誤魔化すのだった。



 この日の夜は早めに寝床についた。気がかりなことはまだ沢山ある……というか何一つ解決してないけど、まぁなんとかなるだろうと思うことにした。

 今こそ適当さを発揮しなきゃ、とてもやってらんない。


 眠りに落ちていく途中、ホー、ホーと、ふくろうの鳴き声みたいなのが続いてた。

 不思議だな。この町では聞いたことないのに。

 ただの夢だと考えれば自然なのに、何故かひっかかるものがあった。何故か意味があるように思えてならなかったんだ。




 朝日の気配を肌で感じる頃。


 誰かの気配も感じていた。でも身体の外側ではない。内側でだ。

 もうわかる。ミナトだって。


 薄闇の中、風に揺れる彼女の長い髪は動画で見たのよりも更に熱っぽい色。炎そのものだ。

 鋭い眼光、スタイルまで違って見えるほどの堂々とした立ち姿はまるで不死鳥みたいで、やはり私とは別人じゃないかと思わせてくる。


 少しのを置いて、尖った唇がゆるやかに動くのが見えた。



――全く、アンタもなかなかの人間不信だね。春輝はあんなにわかりやすいのにさ――


――詳しいこと書いといたから、ここに置いとくよ。時間のあるときに読んで――


――まぁ、信じるかどうかはアンタに任せるけどね――



 それは呆れたような声。投げやりな口調。

 だけどひとさじの期待を含んだ寂しげな声にも聞こえた。




「ミナト……」


 私はやっと瞼を開く。閉じ込められていた涙がぶわっと溢れ出した。


 自分の身体がどう反応しようが気に留めない。興味などない。今までならそうだっただろう。


 だけどこのときの私は、ミナトが置いといたであろう何かを絶対に見つけなくてはと思ったのだ。


 涙をパジャマの袖で拭きながら、まだ薄暗い部屋の中を歩き回った。たまらない切なさにあらがいながら、ベッドの下や本棚の隙間、机の裏などに目を凝らす。


 そして数十分ほど後に、深読みのし過ぎだったことを知る。


 ベッドの隣の小さなチェスト。その一番下の引き出しに、一冊のノートがぽつんと独りきりでおさまっていた。



 そっと手に取ってみる。買った覚えさえないノートは、触れているだけの私に鼓動を伝染させることで生きていると主張しているようだった。


 テーブルの上に置き、再び触れるまではおそるおそるだったけど、表紙をつまんだ後は一気に開いていた。



『バーカ!!』



 イキナリそう書いてあって呆気に取られる。形自体は整っているのにやたらデカデカとした字だ。


 え、嘘でしょ。まさかこんな小学校低学年レベルの悪口を見せる為に話しかけてきたっていうの?


 ちょっと苛立ちながら紙面に触れるとボコボコとした質感。

 裏側にも何か書いてある。そう気付いて本当に良かった。


 2ページ目に進むと、彼女の字はノートに綴る際の至って平均的な大きさになっていた。

 ミナトらしい強気な口調で脳内再生されていく。


『何が“くたびれたオバサン”だ。アンタまだ二十二歳だろうが。春輝は間違いなくアンタに惚れてるよ。幼馴染であり、両想い。アンタらはそういう仲だったんだ。私が言うんだから間違いない』


 ふふ、と少し笑った私は思わず呟く。


「昨夜の話か。だってまだ信じられないんだよ。この私が誰かに特別気に入られるなんてさ」



『拓海って男にも気に入られてるクセに、実感が湧かないなんてよく言うよ』


「彼はまだ小学生だろう。大きくなればちゃんと魅力的な人を好きになる」


『自分を過小評価しすぎなんだよな、アンタは。もったいねぇ』


「実際大した取り柄もない人間だから」


 リアルタイムのやり取りかと錯覚するくらい、自然と会話が成り立っているのが不思議だった。私がどう返事するか予測してたんだとしたら凄すぎる。


 私が過去を覚えていなくたって、ミナトはちゃんと覚えてる。私がミナトをよく知らなくたって、ミナトは私をよく知ってる。それがありありと伝わってきた。



『まぁ、アンタが過去を覚えていなくたってきっと大した問題にはならないよ。私が頼みたいのはこれからのことだからね』


「頼みたいこと?」



『琉夏、改めてアンタに頼みがある。春輝を助けてやってくれ』


「春輝さんを……私が?」



 2ページ目はそこで途切れてた。

 待って、もちろん続きがあるんだよね。詳しいこと書いといたって言ってたもんね。


 右隣のページに文字があったことに一瞬ばかり安堵した。


 しかし内容は衝撃的なものだった。



『このままじゃ春輝が復讐の鬼になってしまう。いや、すでに手を染めているかも知れない』



 え、と呟いたつもりだったけど掠れた息が零れただけ。

 ドクドクドクと、嫌な動悸が後に続く。


 春輝さんが、あの優しい人が、復讐。

 想像が出来ない。一体なんの為に。



 まだ下の方に書いてあった。ためらったみたいな小さい字が。



『五年前、私はあらぬ疑いをかけられ誹謗中傷に遭った。そのせいで崖から海へ身を投げて意識不明になった。そう春輝は思い込んでる。説得してもすぐに信じるかどうかわからないくらい頑なに』


『でも違うんだ。あれは単に私の不注意で誰のせいでもないんだ。私の口から説明できなくてごめん。それは無理なんだ、ちょっと事情があって』


『復讐の為に生きるアイツなんて見たくない。だから頼むよ、琉夏。アイツに穏やかな日々を返してやってくれ』



 人間は本当に困ると笑ってしまうものだと思ってた。しかしどうだろう、今はとてもそんな気になどなれない。


 記憶の有無に関係なく、私の知っている世界はきっとまだ狭いんだ。そう実感させられた。

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