第6話 「俺と一緒にピアノを弾いてくれないか?」




「ほら、勇気だして演奏する人に対して自分はお願いするだけってのは、ねえ?」


「ほ、ほう」


「それにさ、危ない橋も2人で渡れば怖くないんじゃない? オレが付いてるから一緒にやらないかって言えば……」


 そうか……確かに、その手があったか。


「ほほう……2人いれば心強いと」


「そそっ」


 意外に川崎の案はやけに説得力があって、それしかないと三浦に思わせるには十分すぎる理屈だった。


「俺が一緒にやるって言えば、やってくれるのかな……?」


「少なくとも一方的にお願いするよりはね!」


「……なるほど、そうか、確かにそうだよな」


「でもリコーダーなんてめずらし――」


「ありがとう川崎さん!」


 三浦は、勢いよく立ち上がり川崎の両肩をつかむ。


「……は?」


 そして駆け足で倉庫室に向かった。


「ちょっと三浦くん!」


 今日も倉庫室に来ているのかは分からなかったが、早く伝えたかった。だから居ることを願って、彼は全力で階段を駆け上がった。


 息を切らして倉庫の前までたどり着き、扉を開ける。


「きゃっ」「うわぁっ」


 ごつん――漫画みたいな音が脳内で鳴る。

 星が飛んだのち、目の前で尻もちをついたのはあさひを見つける。


 間に合った……。


 膝をつき、肩で息をしたまま右手を差し出す。あさひは躊躇しながら、彼の手を恐る恐る握った。


「ごめん驚かして」


「い、いえ……」


「もう今日は終わり?」


「うん……」


 あさひはこくりと頷く。でも、聞くまでもなかった。


 いつも通りの黒縁眼鏡に、重たい前髪。その容姿は野暮ったくて、とてもじゃないけど可憐とは言えない。彼女はピアノを弾き終えた今、いつもの『藤沢あさひ』に戻ったところなんだろう。


「……あの」「……あの」


 声が重なる。

 三浦はきょとんとした。だが、あさひも同じような顔をした。


「あはは……三浦くんから、どうぞ」


「はは……いいよ、あさひからで」


 話が長くなりそうだと思った。だからあさひに先手を譲ったのだが、あさひは頬をポリポリと掻いて、恥ずかしそうな顔でタイルを見つめだした。


 秒針が時を刻む。

 幾らか待ったのち、彼女は床に落ちてしまいそうな小さい声で話しだす。


「あの、その……もし良かったら……」


 あさひはグランドピアノを振り返った。


「聴いて……いく……?」


「え、マジで?」


「うん……」


 聴かせてくれ――そう言いそうになった。


 でもふっと我に返る。そうじゃない。今日は聴きに来たんじゃなくって、誘いに来たんだ。


「……今日は聴きに来たんじゃない」


「えっ」


 一瞬、あさひは悲しみを表情に浮かべる。


「あさひ、何度もごめん。どうしてもお願いがあるんだ」


「え? なに……?」 


 今度は不安そうな顔をした。表情は忙しく変化する。

 もしかしたら三浦が何を言おうとしているのかが想像できたのかもしれない。


 しかし、今日伝えたい言葉は、これまでのものとは意味が違うのだ。


「俺と一緒にピアノを弾いてくれないか?」


「はいっ?」


「俺一緒にやるから。あさひにピアノ弾いて欲しい。てか俺なんて超下手くそで足手まといになるけど、それでもあさひが良いなら、一緒に演奏をしてほしいんだ」


「三浦くんが? え……弾くの?」


 あさひの表情には戸惑いの色が混じる。


「そうだよ。これから俺も練習頑張るからさ、一緒に文化祭で演奏をしてほしいんだ。まあ正直……俺なんかが入ったらあさひの演奏を台無しにしちゃうんじゃないかって不安があるんだけど、まあでも2人で頑張れば、あさひも怖くないかなって」


「2人で頑張れば……」


 あさひななお、タイルと睨めっこをして何か考えているようだった。だから三浦は待った。もう言いたいことは伝えた。


 あとはあさひに託すしかない。


 時計の秒針が静寂を作り出す。ややあって、重い口をあさひは開いた。


「なんでなの?」


 タイルを睨んだまま、あさひは続ける。


「なんでそこまでして、私のピアノを?」


「それは、なんだろう……なんか自分が好きなことって人に勧めたくなるじゃん? 言っちゃえばそんな感じかな」


「好きなことって」


「あさひのピアノだよ。俺、最初聴いたときマジで衝撃だったんだぜ? すっごいかっこよくて、すっごい綺麗だった。こんなに感動したのって初めてなんだから」


「そんな……」 


 あさひはようやく顔を上げ、三浦を見る。彼の眼にはあさひの瞳が少しだけ潤んでいるように映った。


「それに、今こうしてあさひと喋っているのもあの日ピアノを聴くことができたからだし。あの偶然がなければあさひの良さに気付くことなんかなかったかもしれないし」


 人によってはそれを、運命という言葉で表現するのだろう。でも三浦は運命だとは思っていなかった。


「それって、あさひの持ってるスゲー才能なんだと思うよ!」


「三浦くん」


 あさひの肩がふるふると震える。泣いてしまうんじゃないかと思い、三浦は慌てて彼女の肩に手を置いた。


「ごめんごめん! とにかく! この場で答えださなくていいから! じゃあまた、俺ここに来るからな」


 じゃあな、そう告げて彼は背中を向ける。もう答えは後日で良い。

 彼は逃げるように場を立ち去ろうとしたのだが、あさひは大きな声で呼び止めた。


「待って!」


 ワイシャツの袖がピンと張る。まさかと思い振り向くと、彼女が袖を掴みながら三浦の顔を見つめていた。


 鳥肌が瞬く間に全身を襲う。


「私も……私も、一緒にやりたい」


「ま、まじ……?」


 こくり、とあさひ。


「まじでいいの? 本当に?」


「ほ、本当だよ。嘘は、つかないよ」


「ごめん何度も……本当にいいの?」


「本当にいいよ……え、逆にダメなの?」


「いやいやいや……じゃあマジでいいんだね?」


「……んふふ」


 あまりに大騒ぎをする三浦を見て、あさひはくすっと笑った。それから彼自身もあさひの笑顔を見て、さらに笑った。


「ははははは! やったやったー!」


 何が面白いのかもわからないけど三浦は思いきり笑い、子供みたいに喜んだ。


 あさひはこのあと、用事があると言って帰ったのだが、興奮の覚めない三浦は倉庫室にしばらくひとりで居た。時々笑って、時々叫んで、時々わけの分からないピアノを弾いた。


 結局、三浦の気持ちが平常心を取り戻すことはなく、家に帰ってからもずっと浮き立ったまま、早すぎるイメトレなんかもしながら過ごした。


 そして今日もまた、文化祭委員をすっぽかしてしまい川崎を怒らせてしまうのだった。



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