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 我が国には、住民基本台帳法という法律がある。

 住民基本台帳というのは、氏名や生年月日、性別、住所などが記載されたもので、各自治体が行政サービスを行う事務処理の基礎となるものだ。住民票という言葉なら聞いたことがある人もいるだろう。住んでいる自治体で行政サービスを受けられるのは、その自治体に居住していることを届け出ているからである。

 おそらく、全国の自治体のウェブサイトには、居住場所が変更になったら速やかに住民票の住所変更の届出をするように書いてある。行政サービスが届かないからだ。

 そのような文言が書いてあるということは、速やかに住所変更をしないこともあるということだ。つまり、住民票の記載に疑義が生じたとき──親族や大家などから不在住の申出があったり、他部署から照会があったとき等々──自治体が調べるのだ。

 そして調べた結果、居住実態が確認できない場合、その住民の記録は職権をもって消除される。


 香々地冬桜。我が町の住民で、今回の調査対象である。

 我が町に転入して暫く経つらしいのだが、町から送る通知を送っても『宛てどころにたずねあたりませんでした』と郵便局から返送されると複数の課から報告をもらってはいたのだ。

 状況を調べてみると、不可解な事があった。

 まず、氏名の振り仮名の入力も無かった。名字も名前もなんと読むのだろう。パッと思いついたのは『かがち とうおう』だったが、自信はない。個人的なイメージだが、伝統芸能をやっている人の名前っぽいなと思った。

 生年月日も性別も不明だった。よって年齢も分からない。名前から性別も判断しかねた。

 さらに不可解なことに、どこから引っ越してきた人なのかも不明だった。最早日本国籍なのか外国籍なのかすら分からない。

 つまり、香々地冬桜に関して分かる情報といえば、氏名と住所の二つだけだった。

 こんな情報の無い住民票があってたまるか。総務省の住民基本台帳を紹介したウェブページにすら『氏名や生年月日、性別、住所など…』と記載しているので、最低でもそれらの情報が入っていて当然なのに、最低限の情報すら満たされていない。ちなみに、氏名と住所だけを登録しようとしたが、エラーが表示されて登録できなかった。

 そこで、システムに記載されている手続き日を元に、申請書類を確認することにした。町へ住民登録の手続きをするなら、本人もしくは委任状を持って代理人が住民課にやってきたはずだからだ。しかし香々地冬桜に関する手続き書類を見つけることはできなかった。そもそも、その日出勤していた住民課職員全員に話を聞いても、香々地冬桜という者の対応した記憶が無かった。

 一通り調べた結果、住民課長の四十万しじまは「なんだかよく分からないが、間違えて登録してしまったのだろう」と課員全員に告げ、話を打ち切った。


 翌日、課長が逢野さんを住民課の隣の部屋──ただの給湯室兼休憩室兼面談室だ──に呼んだ。10分程した後、私が呼ばれた。

 身に覚えはないが怒られるのだと思い、おそるおそる小部屋に入った。が、課長と逢野さんは普段通りの穏やかな顔をしていた。

 ただ、課長は一つ指令を出した。「『におう』ので、自宅を見に行き居住実態を確認してくれ」

 居住実態を確認するだけなら私も他の職員と共に行ったことはあるが、逢野さんはいつも一人で行っていた気がする。今回のように課長が逢野さんを部屋に呼んだ後は必ず。デスクが隣なため、逢野さんが部屋から出て外出の準備をするので聞くと「居住実態の確認や」と言っていたので間違いない。今回は何故私が逢野さんに同行するのか、理由をそれとなく聞いたが、

「お前と逢野が同類やからや」

「お前が俺と同類やからや」

 同時に同じことを言われただけだった。

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