不完全な住民票

藤堂 有

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 住宅地図のとあるページを広げ、私は唸った。

 地図と呼ぶには、ほぼ真っ白と言っていい見開きページ。地図に描かれているのは、左ページから右ページの中央付近まで引かれた道路を表す細い線と、すぐ隣の小さい長方形──建物だけだった。

 一瞬印刷ミスを疑うが、そんな訳はない。民間会社が作成・販売している住宅地図だ、現地調査もしているのだろう。そして、窓の外を──遠くに見える青々とした山を見た。そう、あるのだ。遠くに見えるあの山に、この地図に書かれている小さい長方形が。

 とは言え、溜め息も愚痴も漏れ出してしまう。

「町のはずれもはずれ、他に集落が無い所じゃないですか。……絶対住んでませんってぇ……運転嫌なんですけど……」

「語尾伸ばしても可愛いないし、心の声がダダ漏れや。居住確認しているか、ちゃんと調べるのも俺たちの仕事やぞ」

 それはそうだ。やりたいとかやりたくないとかではなく、これは仕事なのだ。やるしかない。終わった頃には、なんてことなかったなと思う方が多いものだ。

 それより、この先輩──逢野あいのさんの前ではつい甘えてしまうことの方が、私にとっては問題かもしれない。手回しが上手く、行動に余裕があって、ある意味憧れに近いものを抱いているのだが、一方で自分が先輩のようになるための道程はとても長く感じて、努力をする前に屈してしまっている。心の内で反省しつつ素直に謝ると、5歳年上の先輩は穏やかに笑った。

「まあ、公用車で山の中を走りたくはない気持ちは分かる。けど、ええやないか。運転の練習になって。市街地だけやのうて、山間部の道に慣れといた方がええ。ここで働くんやったらな」

 逢野さんは私の顔の前にずい、とキラキラと銀色に輝くものを差し出した。近すぎてピントが合わない。一歩下がる。車の鍵だった。鍵の後ろで、7号車と手書きされたプラスチックタグが揺れた。

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