第2話 奴隷購入

 「三十六計逃げるに如かず」ということわざがある。(本で読んだ)

 意味はトラブルにあって、どうしようもなくなった時は逃げることが一番という意味だ。

 さて、今僕が置かれている状況は、一体どこからがトラブルで、どこで逃げ出せば良かったのだろうか。

 前を歩く紳士を装った男の正体は奴隷商人で、そのお礼として安く奴隷を売ってくれるとのこと。

 そう言われても、正直いらない。

 この人を見捨てて逃げていれば、今頃どこかの街についていたのかもしれない。

 じゃあ、今逃げれば良いという人がいるだろう。

 そうしたいのは山々だけど、彼の善意を無碍にはできないし、もしかしたら別の物で再交渉してくれるかもしれないと、微かな希望を持っているからである。

 今考えている口実は「ちょっと自分には何が良いかわからないですね。別の物にしていただけませんか?」と相手を肯定しつつ、その場をやり切ること。


「着きましたよ」

「は、はい!」


 男が案内したのは、サーカス団がよく使ってそうな移動式テントだった。

 中に案内されると、明かりがついていないのか薄暗く、足元が見えない。

 わかるのはガチャガチャと何かの物音。

 暗さに慣れて、段々と視界が鮮明に見えていく。

 それを見た瞬間、一歩身を引いてしまった。


「こ、これは……一体?」

「素晴らしいでしょう。全て私の商品です。ゆっくりと閲覧してください」


 左右を見渡せば、檻に閉じ込められた人間や動物ばかり。

 しかしよく見れば、人間の中にもおかしな存在がチラホラ。

 動物のような耳を持った人間、耳が長くなっている人間、ツノが頭に生えた赤い肌の人間と見たことがない人種がいた。

 進みたくない。だけど、好奇心は少しある。

 一旦、深呼吸をして今の状況を受け入れた。

 別に買うつもりはない。だって普通に犯罪だもん。

 重い足取りで前に進む。

 檻のそばを歩けば視線を集め、動物からは吠えられる。

 心臓がバクバクと耳に鳴り響く。変な汗が背筋を伝う。

 罪悪感と現実の非情さに押しつぶされそうになって、やがて歩みを止める。


「どうしたのですか?顔色が優れないようですが」

「いえちょっと……お腹が空いてしまって」

「おや、それは失礼を。客人をもてなすのも、商人としての勤めでしたね」


 そう言って、男が前を歩き始める。多分、着いてこいってことだろう。

 この奥の方に控え室的な何かがあるのだろう。

 グングンと進む男を追いかける。目を瞑れば周りを気にしないで済んだ。

 ずっと進んで行くと、一つの扉があった。

 男が扉を開き、僕が入るのを待っている。


「さぁ、どうぞ」

「……はい」


 内装は質素でソファーとテーブルぐらいしか目に入らない。

 男に手招きされて、ボロボロとなったソファーに座り一息つく。


「食事はご用意できませんが、お菓子などはありますので、そちらをお召し上がりください」


 机の上には少しだけだが、お盆に入ったお菓子があった。

 その中にあるチョコレートを一口。

 ……うん、普通のチョコだ。変な物は入っていない。


「それでどうでしたか?私の商品は」

「えっと、何が良いのかよくわからなくて、ちょっとどうしようかと考えています」


 よし言えた!このまま「また明日来ます」と言え!そうすれば、この場から逃れる。


「なら、私がオススメする商品を見せましょう」

「あ、いえその……はい、お願いします」


 ダメだ!流されるままにOKしてしまう。

 どうしてこんなにも断れないのか。

 多分、この男を刺激したら、どうなるかわからないからだ。

 変に刺激して反感を買い、僕自身が奴隷にされてしまうと、最悪の想像をしてしまっているのだ。


「それでは少し休憩して、私のお気に入りたちを見て回りましょう」


 男は席を立ち、紅茶を入れてこちらに差し出してきた。

 何も入れていないところはしっかりと見ているし、男が飲むのを確認してから僕も飲む。


「ふぅ、美味しいです」

「落ち着くでしょ?これも私のオススメです」


 紅茶の種類は知らないけど、良い匂いで味も奥深く好きになるのはわかる。

 5分ぐらいだろうか、対して時間が経っていないのはわかる。

 腕時計を確認した男は立ち上がって言う。


「そろそろ戻りましょうか。時間は有限ですからね」

「……わかりました」


 部屋から出て、またあの空間に戻る。

 今度は男が前を歩いて、オススメとされる人達の前に立ち紹介する。


「この獣人は普通の個体よりも力が強く、知性もあります。ご覧の通り、抵抗しても無駄だとわかっているので大人しいです」


 軽く説明すると男は再び歩き出し、次の檻の前で立ち止まる。


「このエルフは愛玩具として、よく貴族に1日だけ貸していますね。正直、商品としての価値は年々下がっていますが、まだ他と比べてたら全然マシですね」


 エルフというのなら聞いたことはある。

 たまに本などで出てくる種族。実物なんて見たことがないから、これがエルフだとは思わなかった。

 そうなると、この世界は僕が知る世界とは程遠い場所なのかもしれない。

 そのエルフを見ると、白い肌に美しく伸びた金髪に目を奪われる。

 だけど、その目は敵意を剥き出しにし、どこか諦めたようにも見える。

 男が歩き始めたので、その子から視線を外し後を追う。


「次は魔物の紹介ですが、先日売れてしまったのを忘れていました」


 魔物……僕の目には普通の動物に見てるのだけど。

 もしかしたら、この世界では動物のことを魔物と呼ぶのかもしれない。


「ですので、これ以上のオススメと言ったら、正直思いつきませんね」

「い、いえ、大丈夫です。ここからは自分で見つけますから」

「フフ、それがいいでしょう。自分から見れば魅力的でも、相手からはそうでないことが多いですからね」


 男は再び下がる。うーん、逃げる隙がない。

 ずっと背後をつけくるのだ。それもそうか、僕がここで暴れ出して、この人達を解放して仕舞えば、男に襲いかかるからだ。

 しかしどうする?この流れは購入する流れだ。

 とりあえず、そのまま一直線に歩いて、選んでいる風を装う。

 そもそも国や文化が違うのだから、倫理観の違いぐらい普通なのかもしれない。

 ここからの打開策を講じている時、ふと気になるスペースを見つける。

 ギッシリと詰められていたはずの檻が、そこだけ体を横に向ければ入るくらいの隙間があり、ものすごい違和感だ。

 なんだかその隙間が気になり近づく。

 じーっと見ていると、吸い寄せられるように奥の方に入ってしまった。自分でも驚いた。

 そこは檻で作られたちょっとした部屋。

 上を見ても、左右を見ても檻。ただ違うことがあるとすれば、中には何も入ってないと言うことだ。

 上の方は床裏ならぬ、檻裏になっているからわからないけど、この先に誰にも見られたくない物があると言っているようだ。

 さっきまであった重圧がなくなり、何かに誘われるように奥へと進む。とは言っても、既に檻が薄らと見えている。

 その檻の前で立ち止まり、息を呑んだ。


「……綺麗」


 そこには、先ほどのエルフさえ霞んで見えるほどの美しい少女がいた。

 例える物がないほどの美しい金髪、人形よりも整った顔立ち、空よりも澄んだ青い瞳、黒なんか知らない綺麗な肌、体は女性の理想を詰め込んだような細さ。

 ボロボロなその服さえ、一つのファッションのようだ。

 ただ一つ言うこととすれば、全てに絶望したような色のない目。

 何を考え、何を思ってここにいるのかわからない。


「まさかこの子を見つけるとは……恐れ入りました」


 その声で、意識がハッとする。思わず見入ってしまった。

 男の方を見れば、残念そうに頭を抱える


「実は本日入荷したばかりで、この容姿でありながらいまだに処女なんです。それで値段の設定が決まらず、しばらくここに放置しようかと」


 いや、別に聞いてないし。と言うか、処女かどうかなんてわかるものなの?

 そういう道具があるのか、彼女の経歴を調べてその結果になったのか、逆にそっちを聞きたい。


「正直、売るのが忍びないんです。金貨一万枚を貰っても売るつもりはなかったのですが、貴方になら売っていいと考えています」

「えっと……それはどういう?」

「簡単ですよ。貴方が命の恩人だからです」


 男の顔に嘘はない。

 このクロードという男は、本当に悪い人なのだろうか?

 そう疑いたくなるほどの優しい声色。

 命を救っただけで、こんなにも優しくされるのだから裏がありそう。

 そう思っていた。でも、それは間違いだったのかもしれない。

 この人は信頼を勝ち取るためだったら、何だってする人だとわかった。

 ……じゃあ、それに乗っかるよ。


「この子を買います」


 現代人の自分が奴隷を買うなんて、親が聞いたら泣いて崩れそうだ。人身売買なんて普通は犯罪だから。

 だが、それを差し引いても、彼女が欲しいと本能で求めてしまった。


「フフ、了解です。では恩人割引で、金貨一枚でどうでしょうか?」

「金貨……それって何円くらいですか?」

「エン?すみません、外国の単位はわからないんです」


 やっぱり国が違うから日本円ではダメみたいだ。ドルでもユーロでもなさそう。

 一旦、自分の財布の中を確認する。

 まあ入ってないよね。……100円玉はどうだろうか?主成分は銅だけど、交渉してみる余地はあると思う。


「これはどうですか?」(銅だけに)

「うーん、外国のお金ですか。銅が主成分ですが、変な刻印がされていますね。100……この物の価値を示しているのでしょうか?」

「まあそんなところです」


 クロードはマジマジと100円玉を眺める。

 やっぱりダメだろうか。


「ふむ……まあいいでしょう。見たことのない硬貨ですから、希少価値として金貨一枚相当と見なしましょう」

「…!ありがとうございます!」


 勢いよく頭を下げた。勢いのあまり、ちょっと頭を痛めた。


「それでは早速、奴隷紋の刻印をします。少々離れてください」


 クロードは彼女の前に立ち、一本の筆を取り出した。

 その筆で胸元あたりに、模様のような何かを書き始めた。

 女性は抵抗することなくそれを受け入れ、描き終えたら一本のビンを取り出し、その模様に一滴垂らす。

 液体が模様に触れた瞬間、それは紫に輝き、何事もなかったかのように収まる。


「これで奴隷契約の成立です。この時点で名義はカンザキリン様ですので、何の命令も受け入れます」


 クロードは檻を解放し、彼女を外に出るように促す。

 座っていた彼女は素直に立ち上がり、ゆっくりとバージンロードを歩くかの如く出てくる。

 その一つ一つの作法さえ、どこか気品さを感じる。王女だと言われても何の疑問も持たない。


「もし、この奴隷紋の場所が気に入らないのであれば、別のところに変更可能ですので、やり方を説明します」


 そう言って、さっき使った筆のような物を渡してくる。それとビン。


「先ほどお見せしたように、移し替えたい場所に奴隷紋を書き、このビンの液体を垂らします。それで前の模様は消え、新しい場所に変わります」

「……模様はどんな風に書くのですか?」

「見ればわかると思いますが、星を反対にした形とその周りに主人の名前を書けば大丈夫です」


 クロードが彼女の模様に指差す。

 うっ、何て書いてあるかわからない。

 星はわかる。だが、文字の方がわからない。

 どこ文字だ?ヘブライ語か?グジャラート語か?

 それっぽい国を並べてみたが、そもそもその国の文字を知らない。


「そしてこれを」


 クロードは鍵を渡す。何の鍵だろう?


「そちらは彼女についている鎖の鍵です。好きなタイミングで解いてください」


 ああ、言われて気づいたが、彼女の手には鎖っていうより手錠が付いていた。

 確かに、このまま日常生活を送るのは大変そうだ。

 そう思って、ガチャっと手錠を外す。

 奴隷の少女はちょっと驚いた表情を見せたが、すぐに無表情に戻る。


「なるほど。貴方ならそうすると思っていました」

「……ダメでした?」

「いえ、むしろ予定調和。それでこそ、私が見込んだ人です」


 クロードは頭を軽く下げる。


「この先、色々な出会いが貴方たちを待ち受けていることでしょう。その出会いを大切にし、人生を謳歌してください」


 高く手を振り上げ、地面に何かを叩きつける。

 バンッと赤い霧が舞い、目の前がそれで覆われる。

 思わず目を伏せ、直後に耳へ響く声。


「それではまたどこかで」


 その声と共に霧はどこかに消え、入っていたテントも綺麗さっぱりと消えていた。

 残ったのは僕とさっき買った少女の2人と、側に置かれた少しの荷物。

 中には数日分の食料と手紙が入っていた。

 購入してくれたオマケとのこと。

 はぁ……なんか狐に化かされた気分だ。

 幸先が良いのか悪いのか判断がつかない状態だ。


「と、とりあえず、人がいっぱいいるところに行こっか」


 後ろに立つ少女に笑いかけると軽く頷き、僕の後をついてくる。

 僕たちの間には少しの気まずさがある。

 多分それは、主従関係が邪魔しているのだ。僕は別に気にしないんだけどな。

 それに1人で歩くより、2人で歩いた方が楽しいし、心強いよね。

 2人で暗い静寂の野原を歩く。

 誰も知らない物語。

 この2人は出会う運命であり、幾度もその運命を続けてきていたことを。

 賽は投げられ続けるのだ。

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