エピローグ 良かった
昨夜の雨で桜の花びらが散り落ち淡いピンク色の絨毯が出来ていた。英恵は外に出る度に利一とさやかに足元に気を付けてと声をかける。さやかは「はい」とか「はあい」とその度に返事をし、こっそり利一に「何度も言わなくてもわかってるのにね」と口を尖らせた。
湿り気が残る空気のせいで首元がじわりと汗ばむ。利一はさやかの手を離しポケットにねじ込んでいたハンカチを取り出す。
外で待っていると英恵は歩幅を狭くしたまま速足でやってきた。
「おじいちゃん、ちょっといいですか」
振り返ると英恵が出て来た自動ドアの向こうで英恵にギリギリ追いつかない距離感で歩いてくる男性がいた。
「志津子さんの息子さんが挨拶したいって」
今日一日喪主を務めた息子、大和が頭をさげた。今は丁度食事をしているはずだ。家族葬の中、参列だけ希望したところ快い返事をいただけたので、通夜と葬式に参列した。志津子の息子夫婦と娘夫婦、四人の孫、志津子の兄の子供、志津子の夫の親族が来ていた。志津子の親族と聞いて利一はひやりとしたが、利一のことは知らない様子だった。
しかし志津子の子供たちは知っていた。「以前、お世話になったようで」から始まったので利一は恐縮する。
「さやか、ちょっと手伝ってくれる?」
英恵はそう言ってさやかの手を引き葬儀場へと戻って行った。その後姿を見送ってから大和は改めて利一に頭をさげる。
「この度はありがとうございました。立派な供花も賜って、母も大変喜んでいます」
「こちらこそ無理を通して失礼をしました」
「とんでもない。本当はこちらからお願いするつもりでした。ですが母から昔にそういう人がいたことを聞いていたし、生前にもお願いされていたんですよ」
患っていた志津子の元に何度も大和や妻子が見舞いに訪れていた。志津子はバイオリンを弾いた数日後に倒れた。すぐに病院に運ばれ検査で病気が見つかった。投薬を続けていたが年齢からも弱る一方で、以前のような元気な姿ではなくなった。横になる時間も増え、食事量も減りどんどんやせ細る。それでも志津子は笑顔を絶やさない女性だった。
「自分の葬式の際に利一さんを呼んでと何度も念を押していたんです。あなたが施設に入所した頃にも母は数奇な運命を感じたようです。それは私たち兄妹もそうでした。まさか何十年も前に別れた人と同居することになるなんて、夢にも思わなかったでしょう」
同居は語弊があるかと大和は笑う。口元が志津子によく似ていた。
「私たちは父からも母からもあなたの事を聞いていました。複雑な気持ちにはなりましたが、あまりにも母はあっけらかんとしていて、父もその度にその母を愛したのは自分だと惚気るものだから、こちらが気を揉んでも仕方ないでしょう?母は話しの締めくくりに必ず「私よりも幸せになっていれば嬉しいけれど」と言っていました。いい別れ方をしなかったと、それはずっと後悔していたんです。でも杞憂だったようですね。ご家族に恵まれ、素敵なお孫さんがいて、勝手ながら安堵しております」
利一は涙が滲みそうになった目を伏せて笑みを浮かべる。
「俺…私も志津子さんのご家族にお会いできて光栄でした。本当にありがとう」
深く頭を下げた。涙が一粒だけぽたりと床に落ちた。
英恵とさやかは戻って来た。さやかの手には大きな荷物がある。
「里山さん、わざわざこちらの分も用意して下さったそうで…押し掛けたようでしたのにお気遣い下さってありがとうございます」
「いえいえ、とんでもないことです。こちらこそご参列くださったのに、大したおもてなしもできずすみません。せめてもの礼ですのでお召し上がりください」
荷物はお弁当のようだ。食事も誘われていたが、他人が入るのは良くないと断っていた。
「おじちゃん、繁さんの分まで用意してくださったのよ」
「それはそれは…ご丁寧にどうも」
「息子さんにもどうぞよろしくお伝えください」
それぞれ恐縮し頭を下げ合っていたところで、呼んでいたタクシーがやってきた。挨拶をしタクシーに乗り込む。出発しても大和はタクシーが見えなくなるまで見送った。
助手席に乗った英恵は施設の場所を運転手に事細かに説明している。
「なんかいい式だったね。お葬式に良いとか悪いとかあるのかわかんないけどさ」
さやかは膝のお弁当を見ながら続けた。
「志津子さんの家族もなんか感じのいい人だったね」
「そうだな」
「良かったね」
晴子と同じ笑顔でさやかが笑う。良かった、残りの人生であと何度聞けるのだろうか。
徐々に近づく施設が利一の眼に映った。此処での余生は長くなるのか短いのかわからない。志津子がいなくなった施設はきっとまた寂しくなるのだろう。それでも良かったと思える日が一日でも多ければいいのにと利一は願った。
花を供える 桝克人 @katsuto_masu
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます