第44話 晴子は強い
夜が明けても二人は寄り添い合っていた。利一が目を開けると朝日に照らされた障子で目が眩む。もしかしたらまだ夢の中かもしれない。朝なのに気持ちがいい。いつだって眠りから覚めたくなかった。現実はいつも光に包まれていて、厭に眩しく目を開けているのが辛かった。
今日は違っていた。こんなにも清々しくて心地よくて幸福感が心身に沁みわたっている。
晴子は身体を捩り「ん」と小さく吐息する。まだ覚め切らない眠気眼でぼんやり薄目をあけた。
「おはようございます」
利一の声もまだかすれている。目が合うと晴子は恥ずかし気に目をそらした。利一は腕枕をしている反対の腕を持ち上げて柔らかな黒髪を指を絡ませて撫ぜる。つむじを見つけると指でぎゅっと押してみたい意味のない衝動にかられた。我慢はしない。彼女は何でそんなことをするのか理解できず、もう一度顔をあげて目をぱちくりとさせている。利一は自分がどんな顔をしているのかわからない。しかし彼女が「もうっ」と苦笑してくすくす笑っているので、きっと悪い顔じゃないのだろう。
目が覚めても二人は起き上がろうとはしなかった。起きてしまうのが勿体ない気がした。少なくとも利一は幸せの余韻に浸っていたかった。
「言いそびれてしまいましたが、昨日は約束を破ってしまってすみませんでした」
「そんな、いいんです。またいつでも行けますよ。そうでしょう」
「いつでも、か」
利一は頭の中で何度も言葉を反芻する。そんな日が本当にあるのだろうか。いつでもは永久ではない。何が起こるかは誰にもわからない。利一にはしっくりこない言葉だった。それでも、
「そうですね。じゃあ、今度の休みにリベンジしましょうか。桃を見て、ご飯を食べて…」
「それから次の次の休みには公園、また次の次の休みには桜を見て、次の次の次の」
「そんなに先の休みまで予定を入れるんですか?それに桜はまだ咲いてないかもしれませんよ」
「いいんです。咲いてなくても。つぼみを見たら次は咲くのはいつだろうって楽しみが出来て、咲いたらまた見に行って、散る時期には夜のお散歩もいいかも。葉っぱが着くころにはまたどこかへ行きましょう。全部の予定をこなすのが無理でも、また別のところに行っても良いし、来年があるって思うと楽しくないですか」
朗らかに微笑む晴子の後ろに光がさしていた。無理でも、また次がある。彼女の言葉はまっすぐで柔軟だ。利一はこくりと頷いて頭を胸に寄せて頭頂部にキスを落とす。昔読んだ西洋のおとぎ話を思い出す。魔法を操る魔女、王子の口付け、闇から抜け出した未来、全てが彼女の中に存在した。
それから二人は約束を一つずつ叶えるようによく出かけるようになった。特に彼女花の観賞を好んだ。桃、桜、菖蒲、紫陽花、ひまわりと季節を愛でた。
職場でも二人の仲は公認となり、誰よりも喜んだのは社長で、次いで山田だった。まだ二人の間で結婚の話お出ていないのに社員総出で祝いの席を設けられた。社長はずっと「良かった良かった」と繰り返して泣いていた。また山田は利一に対して「泣かせるマネしたらただじゃおかない」と脅しをかける。すぐに目を細めて「ありがとうね」と言った。どうして彼女が礼をいったのか利一にはわからなかったが、後から社長が教えてくれた。山田にとって彼女は妹のような存在だったらしい。詳しくは聞けなかったが、昔死んだ実の妹に似てるのだとか。彼女もまた山田を慕っており、職場でも仲のいい姉妹のように見られていたそうだ。そんなことも知らなかった利一は自分で線引きして、彼らに関わろうとしていなかったのだと自覚させられる。
二人の間にひとつを除いて問題はなかった。唯一の問題は晴子の親への挨拶を躊躇っていとことだ。挨拶をするだけなら大したことではない。何を置いてもすぐにでも伺うつもりだった。慎重になったのは晴子の方だった。利一の過去について彼女は全てを受け入れてくれたが、親に話すとなると別だと話す。
「全てを理解するには頭の堅い人たちだから」
娘には普通の結婚をしてもらいたい。彼らにとっての普通は、年頃で、きちんと働いて、本人、家族に問題がなく、出来れば長男以外という。長男以外というのは晴子には兄弟がいない一人娘だから、家を継がない人が良いと思っているようだ。利一は彼女より年齢は三つ年下で両親の眼鏡にかなう真面目さ、親も兄弟も、継ぐ家もない利一は彼女の両親にとっては良い物件だろう。気になるのは結婚が二度目というところだった。籍はいれていなかったので黙っていれば知ることはないだろう。
ただ利一は黙っていることで、騙すことにならないか心配だった。もし駆け落ちのことが後から知られたら彼らはどう思うのだろう。それこそ裏切りにならないだろうか。
彼女は決して首を縦には振らなかった。
「知って受け入れられないことも少なくない。知らない方が良い事もあると思う。全てをさらけ出したからと言って丸く収まることばかりじゃないもの。私はあなたのことを知っても気持ちは変わらない。けれど両親の気持ちが同じじゃなかったら、きっと傷つくのはあなたと、私よ」
晴子は真剣な眼差しを讃えたまま続ける。
「もちろん、あなたが話したいなら止める手立てはないし、もし両親が結婚に反対しても、私は一緒にいる。でもあなたはそうじゃないでしょう?」
「もし知られたら、どうするんだ」
「その時はその時よ」
彼女は拳を自分の胸に叩きつけた。
「籍を汚すことを嫌う人たちよ。それでも良いの?と脅してたてついてみせるわ。こう見えて意外と強いんだから。私が決めたことだもの。絶対後悔させない。させてなるものですか。両親にも、あなたにもね」
「参ったな」
きっと生涯彼女に頭が上がらないのだろうと利一は底のない幸せに泣きそうだった。
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